【3】より続く。
大塔線3号橋を後にして進軍再開…して2分後。
こんな書き始めばっかり(笑)。いや、バンバン登場するもんだから…。
そう、いよいよ!
隧道が現れた!現在地こちら。
【序】で書いたとおり、この道に存在する6本の隧道を訪ねるのが目的(それだけじゃないけど)でここに来ているので、その一発目が登場したことで、もう一段テンションが上がった。ここ、長年訪ねそびれてたとこだったしな~。
扁額も銘板もないけれど、そのお名前は「大塔線1号隧道」、Q地図様によれば1956(昭和31)年建造とのこと。大塔林鉄が廃止されたのは1959(昭和34)年なので、ちょっと時系列がよくわからない。当然林鉄の隧道が道路転用されたものと思われるんだが、それより3年早いっていうのは…?
これについては、最後に推論を書いてみる。
さて、ポータルをよく観察すると…
アーチ環とスパンドレルの隙間から、樹が2本生えていた(笑)。
とくにこっちの樹、
けっこう成長してるけど!
さて、のぞきこんだ洞内は、
左へカーブしてる。
ちょっと進入してみると、
あ、明かりが見えた。そこまで大きくは曲がってなかった。Q地図様によれば、延長は73.5m。
振り返っての、鉄板の構図。
ちなみに地理院地図では、この隧道手前まで…つまり今見ているここまで、県道色である黄色が付けられている。しかし実際のところは、県道はとっくに終わってるのだった。
そういえば記事内でちゃんと書いてなかった。【1】へのコメントでnotodonさんから教えていただいた和歌山営林署の図面に、道路の境界や名称が詳しく記載されていた。コチラ↓
これを見ると、やはり県道は【1】で登場した林鉄起点であった「広瀬土場」(熊野川漁業監視員詰所)の手前で終わっており、そこからは「大塔前の川林道」に変わっている。…のだが、とりあえずは市道大塔線も重複しているようで、それはこの先、奇しくもある理由で車を停めた、まさにその場所までのようだ。ややこしいね~。
まあそのあたりは、連載のまだ先になる。
車に戻り、
通り抜け~。
そして、
奥地側坑口。こちらは坑門工がなく、素掘りのモルタル吹き付けだ。
二回曲がってるんですな。
最後にちょっと引きで、
こうして見ると、林鉄隧道としてはデカい気がする(そこまで経験値がないんでわからないが)。車道化にあたり拡幅されたのだろうか。
…とか、もしかしてそれが、廃止に先立つ1956(昭和31)年だったのか?
単なる推測だが、全線廃止となる1959(昭和34)年よりも前から、起点である広瀬土場側から順次車道への転換が始まっていたのかもしれない。それが、「3年の誤差」の理由…という可能性はあるんじゃないだろうか?
9時3分、進軍再開。林鉄/林道の起点であり連載の起点でもある広瀬土場を発って、まだ37分。距離にして1.7kmしか進んでいない!もう連載4回目やぞ!
…と思いながら【5】に続く。
また来月~。