2022年12月7日、商談で富田林に出向いたついでに、近くで気になってた橋を訪ねた。
はい、これなんだが…
どうすかこれ。先日記事にした橋以上に、紆余曲折ありました感。現在地はこちら。
わかりますよね?道の内外にあるイロイロ。ちなみにこの道、東高野街道なのだとか。
まず左手、フェンスの外に、
ひと径間だけの高欄らしき遺構。手前は親柱だったようで、「谷川橋」と刻まれている。
次いで、最初の写真で右端に写ってる、曲がり角に立っているやつ。
「たにかわはし」。
そして、
道を挟んで反対側にも親柱。
で、そこもまた…
えーい、同一情報過多過多過多ァァア!
これはどういう状況かっていうと、
かつてはこの方向に川が流れていたんだろう。てか、今も流れているが暗渠化されたのだろう。
反対方向から、谷川橋、全景。
これは…どうなんだろう。橋好きの間でもアリナシわかれるヤツかも。わたくしはこんなん大好きだけど。
で…
えーい、お前もかーい!
…はおいといて、これがかつての橋長なんだろうか?一番手前と一番向こうが親柱、そして間の二本は残った束柱の一部か?まあ元の位置から移動してる可能性もあるけど、こっち側の四本は元の位置にありそうな印象だが…どうなんだろう。
そして改めて、高欄遺構。
こうなると、このわずか一径間の高欄、ここから往時の全体的な姿が想像できるのでとっても貴重だ。あくまで想像だけど。
この状態で親柱を全部残してもらえているという僥倖にもかかわらず、結局情報は橋名のみって辛い。せめてお誕生日がわかったらよかったのになあ~。
で、下に降りましてサイドアングル。
っていうのかな、これでも。
で、こちらが暗渠化された川。
この川の名前が谷川なんだろうか。この写真左側近くが谷川町という住所なんだが、河川名が町名になったのか、町(地)名が橋名になったのか。
いずれにせよ暗渠が通っている以上、これは橋跡ではなくて現役の橋とみなしていいのだろう。
さて、帰って調べてみても、ネット上でもヒットなし。今昔マップなんかも見てみたのだが、結局よくわからなかったこの谷川橋、今回記事を書くにあたって改めて調べてみたら、その後に書かれたレポが一件だけヒットしたものの、(失礼ながら)目新しい情報はなかった。
まあわたくし例によって掘り下げない(調査スキル極貧)ので、橋については以上。ただ、この流れでもう一つ紹介しておきたいものを【次回】に。