2023年7月9日、第二次大分県探索二日目、大雨警報下の国東半島徘徊・ラストに訪ねた物件をご紹介。この日のネタで記事にしているのは、最序盤の川部橋。
時刻は16時47分。まだシバキ残しがけっこうあるのに、本格的にレンタカー返却時間(19時)が気になり始めながら…
見えた。あれが次なる目的地。
はい、
これでございます~。場所はこちら。
モルタルで固めた素掘り隧道…ここ国東半島にあっては大して目立つ物件ではなさそう…
そんな第一印象だったんだが、
接近してすぐに、ただならぬ気配に気づいた。
ひとつは隧道脇の超スパルタンな旧道跡、そしてもうひとつは…洞内。補修でガッチリ固められた内壁の一画が、なにやら。これは…嬉しいやつでは…?
そいつは、
思った通りのものだった。
そう、横穴~。
ガードレールで守られているが、隧道脇を流れる安岐川に面して開口しているもの。もとは天然の洞窟…というか、岩ひだの奥まった部分を隧道がぶち抜いている状態かと思われる。
先ほど見えたスパルタンな旧道の続きと思われる極狭の平場が
このように。
そして岩ひだを折り返した先には、
なんか穴ぁ開いとるぞ!
ここって、業界的にはほぼ無名なマイナー物件だと思うのだけど、こんなオプションが付いてるとは。恐るべし豊後の国。
めっちゃ気になるが、
まずは抜けてみよ~。
抜けて振り返り。
外から見ると、やっぱ普通の素掘りに見えるのだが…洞内にはあんなもんを隠し持ってるなんて…。いや、隠れてないけどな!
ちなみにヘッドライトの明かりは、向こうに停めた我がレンタカーのもの。
そして、坑口脇を見てみると、やはり…。
いや、怖い怖い。
現地には情報を示すナニモノもないが、愛と信頼のQ地図様によれば、この隧道は掛樋隧道、完成年はなんと1907(明治40)年!まあ大分では明治隧道が珍しくないとはいえ、だ。
なのでこのスパルタンな川沿いの断崖道は、明治40年以前の徒歩道か。ちなみに、隧道擁するこの道は大分県道34号豊後高田安岐線の旧道に当たるので、その意味では旧々道ということになる。
この一枚、お気に入り。
洞内に居ながらにして、旧道の断崖道のヒンヤリ感にも思いを馳せられるっていう…。なんて素敵な隧道だろう。
さて、あとはやっぱり
ここは見ときたい。ぜひとも。
ただでさえ狭い平場、ぐっしょりと濡れた岩の上に堆積した落ち葉。慎重に…。
どれどれ…
うーーん。なんじゃあこりゃあ。
奥には軽トラ用?とおぼしきタイヤが一本だけ突っ込まれていたが、一体誰が!?そして謎の穴は行き止まりのようにも、右へと急角度で曲がっているようにも見える。
これ以上は入らなかったのでわからないが、右へと曲がっていたとしたら、すぐに現在の洞内へと行き当たる。もしかして実際そうなっていたのかもしれないが、先ほど見たように洞内はガッチリと補修で固められていたので、あったとしても塞がれたものと思われる。まあでも、行き止まりかな。
なんであれ、用途は全く見当がつかない。隧道着手前の試掘穴…なんて浪漫のある仮説もありやなしや。
わたくしがこの危ない場所で謎穴をのぞきこんでるちょうどその時に、
誰も通りっこないと思っていた通行人が通過していった。
正確にはジョギング?で走って通過して行かれたのだが、わたくしを見てどう思っただろうね(笑)。いろんな意味でギョッとさせてしまったかな。
ここに来るまでは、残りの時間と残したターゲットを天秤にかけて、ここからどう立ち回るか悩んでいたのだが、この隧道が思いがけず素晴らしく楽しめたことで我が煩悩が浄化された(笑)。すなわち、理性が戻ったというか、ここですっぱりと切り上げようと決めた。まだ国東半島の先端近く、帰路の不測の事態も考えて、余裕をもって戻ろうと。
おかげで、一時間近くも余裕を残してレンタカーを返却したが、すがすがしく悔いなし。すべてこの隧道のおかげだった。
最後に、改めて最初に気づいた旧道(旧々道)をチェック。
いやいや無理無理。絶対行けませんて、こんなん。死ぬ自信がある。
ほんとに通っていたのだろうか、こんな道を?いやそりゃあ、なにはなくとも隧道掘るわ。明治40年だなんて、もっと早く掘ってもよかったくらいでしょうよ。
大雨警報のもと、大部分のターゲット隧道を断念し続けたこの日最後に、怨念・煩悩を浄化する素敵な出会いに感謝(笑)。その意味でも非常に印象に残っている隧道なのだった。
以上。