2025年7月10日、久々のお出かけにて訪ねた橋をご紹介。結果この一件のためにわざわざ出かけたわけだが、個人的にはそれで損したとかは全然思わない、いい物件だった。執拗に似た感じの写真を貼るが、なんせ好きなんだな、と生暖かくご覧いただければ。
お昼前に、
最寄り駅に到着。関西圏以外の方にはなかなかに難読かもしれない。
そこから歩くこと20分(日陰を求めての寄り道休憩含む)で、
逢いたかったやつ!一目見て古い橋、わたくし的にどストライクな感じだ。現在地こちら。
ちなみに、なんでこの橋にわざわざ?という点は、特に意味はない。単にQ地図様で見つけて、逢いたい!となったから、ただそれだけ。
実はこの周辺に他に複数のターゲットを見つけていて、本来は併せて訪ねたかったんだが、他の物件群はある程度まとまった地域にあったのに対してこれだけ少し離れてたので、酷暑を考えればこの離れ物件一件をメインにして、行けそうなら他も、という計画とした(結果頓挫したのはダイジェストで書いたとおり)。
はい、この辺からはコメント少なめの手抜きで。
お名前は、
河原橋。
河川名は
飛鳥川。
橋上の様子。
これでも意外と車が通る。
上流側の景。
そして下流側の景。
渡って対岸より。
かなでの橋名、
「かはらはし」。「かわはら」かと思っていた。てか。Q地図様ではそうなっとったぞ。
で、残る一か所の親柱前には、
お地蔵様と、岡寺への道標が建っていた。いい感じですな~。
岡寺はここからおおむね飛鳥川を遡った南東方向約3kmにある古刹。「右」とあるから元は橋を渡った正面(東詰)に建っていたものではないかと思われる。てか、他に何か刻まれてないか見るの、忘れた…。
そういや折しも自転車で通りかかったおばあさんが、「お地蔵さ~ん、お地蔵さ~ん」と鼻歌を歌いながら渡っていったっけ。手は合わさへんのかい(笑)。
それらに存在感を奪われている親柱、
「昭和七年五月架橋」と。素晴らしい!戦前橋なのにすべての情報が揃ってる!銘板たち、金属供出を逃れたのだろうか?
最後に、下流側の新河原橋より。
意外とわたくし、奈良県北部(平野部)はあんまり回ってないんだよな…。こういう味のある橋、奈良県でもけっこう少なくなってきてるので、このエリアもしっかり網羅していかないと。
ここまでのところで、もう暑さにヘロヘロ。結果的にここで止めといて正解だったと思う。
以上。