2014年7月19日、6年ぶりの王滝村。わたくしと王滝村とのかかわりは何度か書いたので割愛するが、久しぶりに戻ってきて嬉しかった~。
そしてやってきましたのは、
このトンネル。
お名前は
氷ヶ瀬隧道。
これは東側坑口。このような小ぎれいな姿だが、この道と隧道はもと王滝森林鉄道本線の廃線跡が転用されたもの。隧道は車道化にあたり拡幅を受けているために、往年の姿は留めていない。
ここはねえ・・・
隧道もさることながら、
ほらね?
って、どこがやねん!
・・・と言いたいだろうが、ちょいと待ちなっサーイ(笑)。
引いて見たらわかる。
これ。
どうでしょう。
隧道のある光景としては相当に異様。すぐ脇を流れる王滝川の水面よりも、隧道のほうが低い。そのために高いフェンスでもって川と仕切られている。
なんじゃあこりゃあ。
そもそも、撮影地点も隧道から急激に上がった場所になるのだが、
そこから横の王滝川を見ると、
このようなダイナミックな堰堤が。
つまり、川の上流側はさらに高い、っていうこと。
先ほど、この道は王滝林鉄の車道化だと書いた。
もと鉄道にしちゃあこんな急勾配、あり得ない。
どういうことか。当然、理由がある。
1984年(昭和59年)9月14日、午前8時48分に発生した、長野県西部地震。ここ王滝村直下を震源とした、M6.8の地震である。
当然ながら甚大な被害を被った王滝村だが、特に御嶽南斜面から伝上川にそって体積約3450万立方メートルの土砂が時速80km以上で駆け下った山体崩壊により、ランプの一件宿として密かな人気であった濁川温泉は壊滅、王滝川はせき止められ、この一帯の地形は激変した。当然ながら、それにともなって川の流れも、そして道路も。
つまり、氷ヶ瀬隧道西側からは、本来の道=林鉄路盤も、本来の川床もすっかり埋まって、自然の猛威で強制嵩上げされてしまってるってこと。
それが、現在の姿の理由である。いや・・・震えるねえ・・・。
ちなみに、わたくしが初めて御嶽に仕事に行ったのはこの地震の5年後で、村内でもその爪跡はまだまだ感じられた。特に、現在でもはっきりと見えるが、この時の山体崩壊(伝上崩れ)の爪跡は当時さらに生々しく、村の人たちの記憶も生々しかった。思えば、いろいろな話をうかがったなあ・・・。
最後に、パノラマ。
以上、完結。