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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

越前海岸の旧隧道群その他オイシイやつを山神隊長が絶賛連載中なので、拙ブログでは当分寝かしておく所存(笑)だが、代わりにいかにもウチらしいネタをご紹介しておく。きっと隊長は一切興味を示さなかったか、あるいは気づかなかったかも(笑)。

 

 

 

それは2014年5月24日、北陸OFF1日目の夕刻。南越前町某所、海岸沿いの某国道を北上している最中に突然現れた(いや、見つかった)。誰が見つけたんだっけ…。

 

タメなく、ハイッ。

じゃーん(笑)。

 

仕上がっとる穴、登場(笑)。まさかの石アーチ、要石アリとか、マジか?

 

 

 

 

 

 

そこに群がる、

不審者たち(笑)。

 

ご覧のように、隧道ではありえない。中は倉庫として使われていた(さすがに写真は撮ってない)が、おそらくは天然の洞窟(昔はほぼ海岸線だったはずだ)もしくは防空壕…だったもので、どういう理由でか切石で巻き立てて入り口をしっかりと造ったようだ。崩れそうになってきたとかか?

 

 

 

 

 

 

アーチの奥行きは、わずか切石二個分にすぎないが、

それでも紛うことなき、真正の石造アーチだ~。

 

 

 

 

 

 

さすがに、私有地である可能性が高いので、

詳しい場所や地図は控えておく。まあでも某国道とかってアレしかないしな。

 

 

実は、ストビューでも見える。果たして、山神隊長は通りすがりに気づかれたかな?って、挑戦状みたいになっとる(笑)。

 

 

 

 

 

ちなみにこの日のネタで記事にしているのは、向井野橋梁のみ。

 

 

以上。

 

 

2020年9月22日、謹慎明け東濃~中濃徘徊の2日目。この日のネタで記事にしているのは白川付知林道シデノキ廃道とその周辺飛水峡の飛騨川右岸歩道とメインターゲットのみだが、今宵ご紹介するのは、通りすがりに見つけた、個人的に好きなタイプ(笑)の小ネタ。

 

他に当てはまらないので、一応「気になった社寺」テーマに格納しておく。

 

 

 

 

 

 

最初の写真は…このアングルにしておこうか。

通りすがりにこれを見て、思わず停まった次第。場所はコチラ

 

 

 

 

 

 

 

 

何が気になったかといえば、

この急な、かなり急な石段。どんなに急なのかわかりやすいアングルは、後ほど。

 

 

 

 

 

 

 

石段の登りはじめには、

南無阿彌陀佛と刻まれた、大きな石碑。

 

残念ながらそんなに真剣に見なかったので、細かい文字まではわからず。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、「中腹」には、

岩屋と祠。

 

でもわたくし、その脇の石段の急さのほうが気になって(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

ではここでようやく、急すぎる石段がよくわかるアングルで。

これ、勾配何度あんのよ(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、実はここのキモは…さらにアングルチェンジして、

ここなんだな~。

 

 

 

 

 

 

 

 

「中腹」にあったものよりも大きな岩屋があり、

赤いよだれかけをお召しになった、かわいらしいお地蔵様?が。小さめの石仏をすべてお地蔵様で片づける、不勉強なわたくし(笑)。

 

岩屋の前にあった幟に「岩神子安観音」と書かれていたおかげで、こうして記事タイトルにできる。ありがたや(笑)。

 

子安観音とは、「安産や幼児の成長を守護するという観世音菩薩」だそうで、ということは、お地蔵様じゃなくて観音様?

 

 

 

 

 

 

 

 

わたくしに安産祈願は必要ないんだが(笑)、わけもわからず手を合わせた。

 

そのあと、

お地蔵様?観音様?目線で一枚。バチあたりか(笑)。

 

 

こんな脱線をしばしばするんだけども、こういうのが楽しいんだな~。ほんの数分の道草だけど、こうしてちゃんとネタにもなったし(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

岩屋の前には、

朝顔が咲いておりました。もう11時前なのに(笑)。

 

 

 

 

 

以上。

拙ブログには珍しく、花の写真で〆。

 

 

 

2012年3月17日、神奈川県西部彷徨。この日のネタで記事にしているのは、旧・笹子橋千束橋めがねみちトンネル善波隧道。今宵ご紹介するのは、善波隧道から47分後に訪ねた物件。

 

 

 

 

 

神奈川県道70号秦野清川線を北上中。

峠のワインディングの先に、見えてまいりましたね~。あっこれ、主要地方道ですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

こいつに会うために、

わざわざこの険道(ってほどでもないけど)を走ってきたのだった。結果、さほど面白い物件じゃなかったけど(笑)。

現在地コチラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お名前は…って、

扁額がなーい。

 

脱落したのか、最初からなかったのか。でも幸い県別マップルには「塩水トンネル」という名前が書いてあり、すでにそれがわかった状態で来ていたので、まあ落胆はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

帰ってから調べたところによると、

延長25m、幅員4.5m、有効高3.3m。そして建造年は、昭和10年だと。そこまで古そうに見えないが、幾度かの改修を経ているのか。

 

もしも当初から扁額があったのだとしたら、戦時中の金属供出で失われた可能性はある。けど、なんかそうじゃなさそうな気がするな…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしかすると、

当初は素掘りだったかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一枚目の写真からこの最後の写真を撮るまでの間、

所要時間、三分弱。

 

 

熟練の空き巣くらいの速さ(笑)で、ここを後にした。この日は基本、ずーっと雨だったもので…。

 

 

 

 

以上。

 

 

 

 

 

2021年3月14日に敢行した、SFAM(篠山・福知山・綾部・舞鶴)遊撃。以前記事にしたのは一発目に訪れた大橋だが、今宵はほぼラスト近くに訪れた物件をご紹介。

 

 

 

まずはこれ。

川と並走しているS字カーブの景。

 

 

 

 

 

 

狭い道だが、

これは京都府道564号松尾吉坂線という、れっきとした府道である。

 


 

 

 

 

そんなS字カーブ真ん中の直線部分に

なんだか親柱的なモノと欄干的なモノが。場所コチラ

 

地図でわかる通り、この府道がJR小浜線を跨ぐ跨線橋になっているところなのだが。ここが気になってチェックしに来た次第だ。

 

 

 

 

 

 

サイドアングルで確認すると…

おおっ、アーチ橋!

 

 

 

 

 

 

石アーチ…じゃないな。

コンクリブロック…かな。

 

国鉄小浜線のこの区間が開業したのは1922(大正11)年。この跨線橋が開業当時からのものとすれば、コンクリブロックなら年代的にも辻褄が合う。

 

しかし…電化されたのは喜ばしいけど、いろいろ邪魔だのう…(笑)。

 

 

 

 

 

 

線路の逆方向を見れば、

それを裏付けるように、同じくコンクリブロック造の吉坂トンネル。

 

日なたと日陰でちょっと見た目の判断が難しいが、どうやら同じブロックで建造されているように思える。同時に施工されたのではないだろうか?

 

 

 

 

 

橋上から眺める、吉坂トンネル。

あれを抜ければ福井県だ。

 

 

 

 

 

 

こちら、東舞鶴(松尾寺)方面。

最初の写真でわかる通り、府道と河川をまとめて跨線させている。このパターン、他で見たことあったかなあ。

 

 

 

 

 

 

で、個人的に愛しいのが、

このささやかな高欄。ちゃんと「橋」であることを主張しているのがイイんだな~(病)。

 

親柱には何も情報がなく名称不明だったのだが、ここもまた全国Q地図でお名前が判明。その名は「青葉橋1」だった。(「1」ってどういうことだ?「青葉1号橋」みたいなことか。)

 

 

で、その建造年は…大正14年。あれ?小浜線開業後?同じブロックとか言って、またポンコツ炸裂か?(笑)

 

 

でも大変失礼ながら…ここのデータ(というか参照元のデータが、だろうが)、現地情報と食い違ってるケースをいくつか発見してたりする。なので、ここについても多少の疑義が生じる(勝手に言いがかり・笑)。わたくしはやはり、「同時施工説」を推したい。

 

 

 

 

 

 

そんな、「青葉橋1」。

いつも思うことだが、「気になったところをチェックしに行く」っていうのは、自分の嗅覚の答え合わせ的なニュアンスが強くって、やっぱり面白い。

 

 

ここは、アタリだった(笑)。

 

 

 

 

以上。

 

去る7月7日、アルゼンチンの元F1ドライバー/元政治家のカルロス・ロイテマンが亡くなった。享年79歳。

(写真はネットからお借りしました)

 

体調が悪いというのはネットニュースで見ていたものの、持ち直して退院したということだったので、その後気にしてなかったのだが、再度容態が悪くなっていたようで…。なので、訃報には驚いた。

 

 

ロイテマンは1972年~82年にブラバム、フェラーリ、ロータス、ウィリアムズからF1に参戦、通算12勝という立派な戦績を残している。わたくしが最初にF1に興味を持ったのが1978年なので、個人的にはその時の…すなわちニキ・ラウダのチームメイトとしてフェラーリで走っていた時の印象が強い。

特筆すべきは、デビュー戦でポールポジション獲得という離れ業を演じていることで、これは1950年・F1初年度のジュぜッペ・ファリーナを除けば、確かF1史上初の快挙だったんですな。

 

 

もちろんリアルタイムでレースを観たことはなく、総集編の映像なんかでしか知らないのだが、この人は典型的な「王者になり損ねた人」のキャリアだったと思う。エース待遇の時にはマシンがいまいち、勝てるマシンを持っている時にはチームメイトが手強くて…って感じか。

 

 

思えば、この人のチームメイトって、めちゃめちゃ凄いメンツで。ブラバムのころのことはわからないが、フェラーリでの77年は先述のラウダ、78年はジル・ヴィルヌーヴ、79年のロータスではマリオ・アンドレッティ、ウィリアムズでの80、81年はアラン・ジョーンズ、82年はケケ・ロズベルグとか、エグすぎる(笑)。ヴィルヌーヴ以外は全員ワールド・チャンピオンであり、しかもラウダ、ジョーンズ、ロズベルグはいずれもロイテマンと組んだ年に王者になっている。

 

 

…という事実だけを見れば、ロイテマンの評価って微妙になるのかもしれないが、これだけのメンツの相方を務めて引けを取らなかったというのは一流の証だし、80年と81年については、潮目のアヤによっては連続で王者になっていてもおかしくない内容だったのだが…80年は相方のジョーンズに、そして81年は古巣であるブラバムのネルソン・ピケに、それぞれ王座をかっさらわれた。嗚呼…。

 

 

F1引退後は政治家に転身し、出身地であるサンタフェ州の知事を務めたり、一時は大統領候補に名が挙がったりしてたはず。政治の世界からいつ引退したのかは知らないが、けっこう人気あったようだ(知らんけど)。

 

 

 

こんなご時世だが、コロナではなく消化器系の出血による死亡とのこと。改めて、「アルゼンチンの鷹」の冥福を祈りたい。