2012年3月17日、神奈川県西部彷徨。この日のネタで記事にしているのは、千束橋、めがねみちトンネル、善波隧道。今回ご紹介するのは、めがねみちトンネルの70分前、通りすがりに見つけた物件。
なんだが…
コレモンですわ(笑)。
撮影地点はコチラ。向こうに見えるのが県道の橋なんだが、あそこから通りすがりにこの橋を見た時は、「えーと、今のって…橋?」状態だった。
もはや橋上の様子が判然としない状態だが、
この石積み橋脚を見れば、近年の橋でないのは一目瞭然。県道旧道の橋ってことだろうか?
ありがたいことに、えげつない植生…と思いきや、
人が渡れるだけのスペースは残されていた。
これ、明らかに刈り払いされてるな。てことは、辛うじて現役なのか?わたくしの定義するところの半死半生橋、またはリビングデッド橋ってやつですな。
渡って、右岸側より観察。
よく見ると、橋脚だけでなくコンクリ桁もなかなか個性的。もしかしてゲルバー桁か?と元画像をじっくり見てみたが、どうやら違うようだ。
右岸上流側より。
そういえば、現道の橋の名称は笹子橋、河川名は笹子谷とあった。
よって、親柱はおろか欄干の有無さえも判然としないため確定はできないが、ほぼ間違いないだろうということで、記事タイトルを「旧・笹子橋」とした。
記事を書くにあたり、今昔マップで調べてみたら…
1928~1945年の地図において、この橋を通る線形が描かれていた。
前後の1894~1915年と1972~1982年の地図では現在と同じストレートな線形で描かれている。従って旧・笹子橋の架橋時期は、1916(大正5)年~1927(昭和2)の間と推測される。
でも、なぜまっすぐだった道をある時期に曲げて、そして戻したのか?
これまた推測だが、徒歩道を車道化する際に架けられたのが今回のお題の橋で、少しでも橋長を短く抑えるため、あるいは技術的な制約により、道を曲げて少し上流側に架けられたのかなと。その後の道路改修で、徒歩道時代と同じストレートな線形での橋に架け替えられたのだろうと思われるが、果たして?
最後に、現道側からの見え方を。
完璧に廃橋にしか見えない。まさにリビングデッド橋。
でもかつては、この地に自動車交通をもたらした重要な橋だった…のかもしれない。
以上。