追悼、カルロス・ロイテマン。 | 穴と橋とあれやらこれやら

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去る7月7日、アルゼンチンの元F1ドライバー/元政治家のカルロス・ロイテマンが亡くなった。享年79歳。

(写真はネットからお借りしました)

 

体調が悪いというのはネットニュースで見ていたものの、持ち直して退院したということだったので、その後気にしてなかったのだが、再度容態が悪くなっていたようで…。なので、訃報には驚いた。

 

 

ロイテマンは1972年~82年にブラバム、フェラーリ、ロータス、ウィリアムズからF1に参戦、通算12勝という立派な戦績を残している。わたくしが最初にF1に興味を持ったのが1978年なので、個人的にはその時の…すなわちニキ・ラウダのチームメイトとしてフェラーリで走っていた時の印象が強い。

特筆すべきは、デビュー戦でポールポジション獲得という離れ業を演じていることで、これは1950年・F1初年度のジュぜッペ・ファリーナを除けば、確かF1史上初の快挙だったんですな。

 

 

もちろんリアルタイムでレースを観たことはなく、総集編の映像なんかでしか知らないのだが、この人は典型的な「王者になり損ねた人」のキャリアだったと思う。エース待遇の時にはマシンがいまいち、勝てるマシンを持っている時にはチームメイトが手強くて…って感じか。

 

 

思えば、この人のチームメイトって、めちゃめちゃ凄いメンツで。ブラバムのころのことはわからないが、フェラーリでの77年は先述のラウダ、78年はジル・ヴィルヌーヴ、79年のロータスではマリオ・アンドレッティ、ウィリアムズでの80、81年はアラン・ジョーンズ、82年はケケ・ロズベルグとか、エグすぎる(笑)。ヴィルヌーヴ以外は全員ワールド・チャンピオンであり、しかもラウダ、ジョーンズ、ロズベルグはいずれもロイテマンと組んだ年に王者になっている。

 

 

…という事実だけを見れば、ロイテマンの評価って微妙になるのかもしれないが、これだけのメンツの相方を務めて引けを取らなかったというのは一流の証だし、80年と81年については、潮目のアヤによっては連続で王者になっていてもおかしくない内容だったのだが…80年は相方のジョーンズに、そして81年は古巣であるブラバムのネルソン・ピケに、それぞれ王座をかっさらわれた。嗚呼…。

 

 

F1引退後は政治家に転身し、出身地であるサンタフェ州の知事を務めたり、一時は大統領候補に名が挙がったりしてたはず。政治の世界からいつ引退したのかは知らないが、けっこう人気あったようだ(知らんけど)。

 

 

 

こんなご時世だが、コロナではなく消化器系の出血による死亡とのこと。改めて、「アルゼンチンの鷹」の冥福を祈りたい。