2021年3月14日に敢行した、SFAM(篠山・福知山・綾部・舞鶴)遊撃。その一発目に訪れた物件をご紹介。関西以外の方には雑な書き方で申し訳ないが、兵庫県と京都府にまたがるいわゆる丹波エリアから、日本海に面した港湾都市・舞鶴にかけての徘徊である。
ここは、以前にストリートビューで見つけていたもので、めったに訪れないこの地域、この機会に訪ねておこうと真っ先にやってきた。
まずはこれ。
ああ~、これこれ!と。場所コチラ。
手前に写っているのは、県道の歩道部分。一見してわかるとおり、車道としての役割は隣の新橋に譲り、歩行者のための橋として余生を送っているようだ。そしてもう一つの目的も?
改めて、正対。
しみじみ、いいねぇ~。
ほぼ間違いなく戦前橋であろう橋としての雰囲気の良さはもちろん、無造作に置かれたプランターとか、(観賞的には本来ないほうがいいのだろうが)地域のゴミ庫が置かれてたりとか、日常的に暮らしの中で使われ続けている濃密な生活感が。うーん、幸せな橋だと思う。
お名前は、
(見にくいだろうが)大橋。おお~、これまたいい名前だ。
お誕生日は…これまた見にくいが
「昭和六年三月架」。やはり戦前、昭和ひとケタ橋だった。
この年代のコンクリート橋梁が放つ、えもいわれぬ渋みと味わい。
ほんと好き。大好物だ。
渡って振り返り正対。
「不純物」であるはずのゴミ庫とホース格納箱が、なぜかしっくりと収まっているのが不思議だ。
ところでこのホースってどう使うんだろう。川から直接取水するんだろうか?
右の親柱には、
「おをはし」。「は」は変体仮名だが、変換不可。
左の親柱には、
先ほどとは違う流麗な書体でお誕生日が。
いや~それにしても、
この意匠、いいね~。
そしてこの佇まい。
個人の意見だが、絶品だ。
へたくそな写真で申し訳ないが、
新旧の大橋。
その新・大橋(ただし正式名は単なる「大橋」)より望む、旧・大橋。
県道との合流の線形が斜めになってくれたからこそ、生き延びることができた、ということなのかな。
新旧切り替えの時期が知りたいのだが、
新橋の親柱にはお誕生日が見当たらなかった。
悔しいので銘板を探し…おお、あった。
「1975年3月」とある。案外古い!
これを供用時期と見なせば、旧橋が一線を退いてから早や46年が経過しているってことか。そうなのか~…。
堪能した。
いや~、キックオフとして最高な、
とっても素敵な橋だった。
以上。