2013年8月25日、京都府南丹方面彷徨でゲットしたネタ橋。
今いるのは、京都府道12号綾部宮島線。眼前には
大野隧道、昭和35年製。フェイクではあるが、切石ふうのアーチ環がなかなか渋い。こっちは西側坑口。
って、橋の記事やのに、なんで隧道が出てくんの?と。
それはですね。
切っても切れない仲だから。
場所はコチラ。
というわけで、ほぼ出オチ物件なんですがあ(笑)。
由良川沿いの断崖を貫く大野隧道には歩道を作るスペースがなく、苦肉の策として設けられた自転車・歩行者用桟橋が今回のお題、その名も「大野虹の湖歩道橋」。
もうあまり話すこともないな(爆)。
橋上より眺める由良川。
この日はずっとスッキリしない天気やったな~。
隧道側っていうか…岸側。
このときわりと念入りにチェックしたけど、断崖に旧道の痕跡は発見できなかった。旧道っつっても車道でなく、歩行者のための、って意味。もしあったとしたら、かなりクリティカルな道だったに違いない。
この橋は、2回曲がっている。
コレみたい…でもないか(笑)。あんなに高くもないし狭くもないしヤバくもないし。
はい、東側へやってきました。
向かって左の親柱、「平成二年十一月竣工」。そして右側は…。ひらがなで書くと長いな(爆)。
東側の位置関係、こんな感じになっております。
コレはコレで、いいじゃな~い。
ちなみに大野隧道の東側坑口には、西側と違うところが一か所ある。それは…
答えは扁額。西側はまっとうに「大野隧道」だったが、東側の扁額には「瑞雲洞」と。
千早洞、撥雲洞、花山洞、由良洞(ウッ、どれも記事にしてない)…。明治~大正期の隧道には「ナントカ洞」という呼び方のついたものがいくつかあって、得体の知れない格式の高さ、プレミアム感(笑)を醸し出しているが、昭和中期ごろのトンネルでも「ナントカ洞」と扁額が掲げられたものが散見される。
こういうのってどういうふうに誰が決めるんかな~?このトンネルには別名をつけよう!みたいなのも誰が判断するんでしょうね~?
最後に、東側からの遠景を。