2014年7月19日、二度目のニコイ前日の王滝~高山遊撃にて。この日のネタで他に記事にしてるのは、川合隧道、大島橋、氷ヶ瀬隧道、小谷沢の水路橋、オケジッタバス停、日和田3号トンネル、舟渡橋、松橋、十三墓バス停。だいぶ増えたな(笑)。
今宵ご紹介するのは、この日6年ごしに「再発見」した隧道であります。これには二つの意味があるんだが、詳しくはおいおい。
まずはこれ。
狭くて長い、コンクリートトンネル。
…ん?長い?
君キミぃ、アソコはなにかね?
はい、ここが第一のポイント。
ここを訪ねたのは我がキャリア(謎)最初期の2008年8月13日で、その際にもアレには気付いたはず(通り抜けてるから当然だ)なんだが、なぜかスルーしていた。で、ここの地図をご覧いただくとわかるように、ひと続きで「王滝トンネル」と書かれている。
なので、わたくしこのトンネルを「王滝トンネル」として記録していたが、この日6年ぶりの再訪でしげしげと観察してみたら…
なにこれ?
なぜか王滝トンネル(だと思ってる)なのに、「薬罐渕」という扁額を見つけた。そう、ここが第二のポイントなんだが、実は観察眼など皆無だった初訪問時には、この扁額自体を見落としていたんである。
ちなみにこれが、2008年初訪問時の写真。ポータルのモルタルが塗り直されてるっぽいこと以外は変わりないようだが、
その小ささとイレギュラーな位置のせいで、笠石部分に埋め込まれた扁額には気づかなかったんだな~。愚かな。
この二点を踏まえると、残念な事実がハッキリした。つまり今見ているのは王滝トンネルではなく、「薬罐渕」トンネルという別のトンネルであった、と。なんたるボンクラなんだねキミぃ!
いやはや…と自分にあきれつつ、さっそく入洞してみれば、
見間違えようもない、やっぱ完全に別のトンネルじゃないのさ。初訪問時には疑問に思わなかったんだろうか?さすがにもう記憶がナッシン。
抜けて振り返ると、
こちらにも当然?「薬罐渕」の扁額があった。こういう流れで訪問してれば前回もわかっただろうけど、あの時はすぐに車で抜けちゃったからな~。
で、向き直って、
コッチこそが本物の王滝トンネルに違いない。
うむ、やはりそうだった。
でもなんであっちは表札みたいに「薬罐渕」だけで「トンネル」とは書かれないんだろうかね?
まあ記事タイトルはわたくしなりの好みで「隧道」としたけどね(笑)。
覗き込む王滝トンネル洞内。
「平成16年度道路施設現況調査(国土交通省)」に掲載されたスペックは、延長379m、幅員4.7m、有効高3.5m。
そして薬罐渕(ヤカンブチ)トンネルは、
延長48m、幅員4.8m、有効高3.5m。
ちなみに、いずれも昭和52年という建造年となっているのだが、
実は紹介済みの氷ヶ瀨隧道も含め、昭和50年5月に完全廃止された王滝森林鉄道の隧道を道路転用したものである。
さて、車で通り抜ける前にちょこっとだけ紹介しておくが、
薬罐渕隧道の東側で、王滝川はこういう神秘的な姿になっている。「自然湖」と呼ばれているエリアである。
ここは、1984(昭和59)年の長野県西部地震で発生した土石流…いわゆる「伝上崩れ」によって王滝川が堰き止められてできた湖。「自然湖」という俗称は、ある意味皮肉でもあるなあと。この立ち枯れた木々が美しくもあるし、もの悲しくもある。わたくしの好きな場所だ。お宝もあるし。
さて、薬罐渕隧道と王滝隧道を
一気に車で抜けてしまう。
で、こちらが、
王滝隧道の西側坑口である。
初訪問時にはコッチ側は撮影すらせずに先へ進んでいた。当時はその程度の熱量しかなかったわけだが。
つまり整理すると、初訪問時に王滝隧道だと思って撮ってた一枚の写真(本記事四枚目の写真)は実は薬罐渕隧道で、王滝隧道に関しては全く記録できていなかったことになる。
「知らなかったのに実は撮ってた薬罐渕隧道」と、「撮ってたつもりが実は撮れてなかった王滝隧道」。これらが、冒頭に書いた「再発見」の意味である。いや~、この日気付けてよかったわ。
以上。