「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)
という本を読みながら、
エイブラハムという霊的なグループが伝えてくる、
「引き寄せの法則」と呼ばれるものについて、まとめて書いています。
という記事の続きです。
という記事の中で、
エイブラハム風に言えば、
惰性で創造する人と、意図的に創造する人という風に、
分けられると思います。
許容し可能にすることが出来るかどうかで、
自分の経験が変わってきます。
あなたがたがこの経験のなかへ生まれ出たのは、
「許容し可能にすること」を教えるためだ。
だが、教える前にまず知らなければならない。
普通、このテーマはこんな場合に取り上げられる。
「誰かがわたしの好まないことをしている。
どうすれば、わたしの好む行動を
させられるだろうか?」
ここで理解しなければ、こういうことだ。
世界のすべてに同じことをさせようと
努力するよりも、
あるいはあなたが好むことをさせようとするよりも、
誰でも当人の好きなように振る舞い、
行動し、
所有する権利があることを認め、
あなたは思考の力を通じて
自分と調和することだけを
引き寄せるほうがずっといいのだ。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
あなたはあなた、
私は私とそれぞれを尊重して、
境界線を引くことが出来るか?
これを善悪二元論で裁く人というのは、
自分だけが幸せになればそれでいいのか?
不幸な人を見捨てるのか?と怒る訳です。
こういう場合、境界線を引いていない状態で、
人それぞれ幸せに感じることが違う、
ということが理解出来ていないのと、
投影していること、鏡であることが分からない状態、
つまり、不幸な人というのは、その人から見た姿であって、
本人が本当に不幸かどうかは分からないのに、
自分にとって不幸に見える人が可哀想だと、
押し付けているということが分かります。
「許容し可能にする者」とは、
「意図的な創造の方法論」を学び、
間違った創造をしない域に達した者といえるだろう。
その人は意図的、意識的に楽しく創造する。
そうなって初めて満足できる。
何かを欲し、その実現を可能にして、
成果を受け取るときにのみ、
満足できるからだ。
だから、物質世界を経験していくなかで
欲する対象に思考をしっかりと向け、
力強い「引き寄せの法則」を活用し、
自分と相性のいい出来事や状況や人を
次々と経験のなかに引き寄せていけば、
あなたの人生には喜びと自由の好循環が始まるだろう。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
天国を生きる人というのは、
”間違った創造をしない域に達した者”といえると思います。
エイブラハム あなたが望まないものを
押しのけることは不可能だ。
なぜなら、押しのけようとすれば
逆に対象の波動を活性化し、
引き寄せることになるからだ。
この宇宙のすべての基本は引き寄せの力だ。
言い換えれば、排除ということはない。
望まないものに「ノー!」と叫んでも、
実はその望まないものを自分の経験に
招き寄せてしまう。
望むものに「イエス!」と言えば、
その望むものを自分の経験に招き寄せるのだ。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
排除しようとすればするほど、
自分の現実に出現させる様になります。
エイブラハム どんな対象でも関心を向ければ、
対象の振幅は大きくなる。
関心がその対象の波動を活性化させ、
活性化された波動に「引き寄せの法則」が作用する。
ハイジャックを計画している人間は
その思考を強化するが、
ハイジャックを「恐れている」人間もまた
その思考を強化する。
望まない対象でも、そこに関心を向ければ
対象の力はどんどん強まる。
だからネガティブな情報を
いっさい自分の経験に持ち込みたいくないと思う人は、
そもそもマスコミの報道など見ないだろう。
さまざまな意図があり、
さまざまな意図の組み合わせがあるから、
一般的に何がある事件を引き起こしているかを
指摘することはとても難しい。
だが、確かに報道が
悪い状況を促進しているとはいえるだろう。
多くの人が自分の望まないことに思考を向ければ、
その人たちは望まないことの創造に
力を貸すことになる。
その人たちの感情的なパワーが
世界の出来事全体に大きな影響を与える。
それが大衆の意識の働きだよ。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
望まないことに思考を向けているので、
望まないことの創造に力を貸しています。
結果的に支配者層に協力しているんですね。
更に、貨幣制度なんて必要ないんだ!と、
怒り、否定していながら、
お金がない、あの支払いがあって困った、
といったお金についても否定的に捉えていると、
一層、お金にまつわる苦労が、
自分の現実に創造されます。
恐らく、苦しい現実、地獄の様な毎日を、
送るのではないでしょうか?
本当に必要ないと思ったら、
それについて考えることもなくなるものです。
教祖様とそれに依存する信者さんたちが、
熱心にここを読みに来ては、
反論していますので、書いておきますね。
私なりの親切ですが。
思考を転換することをオススメします。
天国はすぐそこにありますので、
目を開いて探して下さい。
図星だからいちいち反応する、ジェリー エイブラハム、
実生活の日常的な体験について、
いくつか質問をしたいんですが、
そういう具体的な状況に
「許容し可能にする術」を
どう適用するか教えてもらえますか?
まず、身体的健康のことなんですが、
わたしは子どものころ、
長い間、極端に病弱でした。
それから少し大きくなったとき、
もう病気は嫌だと思い、それ以来、
基本的にはとても健康になりました。
この極端な病弱と健康という二つの状況と、
「許容し可能にする術」はどう関係するんでしょうか?
エイブラハム 何か欲しいという決断をすると、
「意図的な創造」の方程式の半分は満たされる。
あなたは感情を込めて考えた。
それが「欲する」ということだ。
意図的な創造の方程式のもう一方には
「許容し可能にする」あるいは期待する、
出現させるということがある。
「わたしは望み、
その実現を『許容し可能にする』、
だからそれは実現する」
と言うときには、何を欲するにしても
非常に迅速な創造ができる。
ほかのことを考えて押しのけたりせず、
実現に抵抗しないことで、
文字どおり自分に対して実現を
「許容し可能にする」わけだ。
「許容し可能にする」状態になれば
ネガティブな気持ちにはならないと前に言った。
「許容し可能にする」状態は
ネガティブな気持ちから解放されている。
したがって、何かを手にいれようと意図し、
それについて前向きな気持ちだけを感じれば、
それが「許容し可能にする」状態だ。
そうなれば、あなたの希望どおりになる。
わかるだろうか?
病弱な状態から脱して健康になるには、
健康について考えなければならない。
病気のときにはどうしても
病気に目が向くから、
現在の状態を超えたところを見たいと思い、
そこに焦点を定める意志を持つ必要がある。
未来の健康な身体をイメージするか、
過去のもっと健康だったころを思い出せば、
あなたの思考は欲求と一致する。
そうなれば、状態の改善を「許容し可能にする」
ことになる。
重要なのはもっと心地よい思考を探して
実行することだ。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
”そこに焦点を定める意志を持つ必要がある。”
という箇所で、
意識的に選択することが分かると思います。
”重要なのはもっと心地よい思考を探して
実行することだ。”
という箇所なんだけど、
とにかく練習が必要だと私は思います。
普通に生活していると、
自然と否定的な思考に囚われてしまうので、
いつも感情を観察して、
意識的に肯定的な見方を選択し続ける必要があるのです。
前向きな感情と
ネガティブな感情の違いがときに微妙であるように、
欲することと必要とすることとの違いも
非常に微妙な場合があることを覚えていよう。
自分が欲することに焦点を定めていると、
「内なる存在」は前向きの明るい感情を送ってくる。
必要なことに焦点を定めていると、
欲することに焦点を定めているのではないから、
「内なる存在」はネガティブな暗い感情を送ってくる。
そのときあなたは欲することの「欠落」に
焦点を定めている。
そして「内なる存在」は
あなたの思考が対象を引き寄せることを
知っている。
「内なる存在」はあなたが欠落を
望んでいないことを知っている。
「内なる存在」は
あなたが何を欲しているかを知っていて、
その違いをわからせようと指針を送ってくる。
解決策に焦点を定めているときには、
前向きの明るい気持ちになる。
問題に焦点を定めていると、
ネガティブな暗い気持ちになる。
その違いは微妙だが重要だ。
なぜなら前向きの明るい気持ちでいるときには、
欲していることを経験に引き寄せているのだから。
ネガティブな暗い気持ちでいるときには、
望まないことを経験に引き寄せている。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
家にテレビはあるのだけど、
家族みんな観るのを忘れています。
あんなテレビ番組はくだらないとか、
サッカーがどうとか、
全く話題にも上がりません。
興味がまるでないので、考えることがないのです。
例えば、ワクチン。
子どもたちと相談して、意志を尊重したので、
打ちたくないと言ったから打たせませんでした。
周囲の友達との関係に変化があるのか?と、
何度か聞いたのだけれども、
特に詮索されることもなかったそうです。
関心を向けていないから、現実に現われないのです。と考えていることに気付いたのだけど、
その時は、イライラするような嫌な気分でした。
更に、以前散々探し回って一着も想定している様な服が、
見つからなかったことを思い出して、
どんどん気が重くなりました。
そうか、普通に無意識に、
否定的に捉えていることが多いのだなと気付いたので、
では肯定的に捉えてみようと転換することにしました。
よく、暗示や思い込みの様な手法で、
「気に入った服が見つかった」「気に入った服がある」
という様に、思考を上書きして認識を変更しよう、
みたいなことをする場合があります。
これは、普段からちょっとした嘘を吐いて、
それについて特に罪悪感も持たず、
自分さえ良ければそれでいい、得するならそれでいい、
といった生き方をしている場合には、
ある程度有効な方法だと思います。
でも、自分に嘘を吐かない、
ちょっとした違和感も見過ごさずに内観する、
ということを繰り返すと、
見つかってもいないのに、
「気に入った服が見つかった」「気に入った服がある」
とやるのは、嘘を吐いているのが分かるので、というのは否定的で問題に思考を向けています。
もし、相手の問題が続くようなら、
と考えて買い物した場合の結果はどうか?
どんな気分になっているか?自分がそれを真実とするのか、
確信を持つのか、それだけです。
実はその望まないものを自分の経験に
招き寄せてしまう。”
という状態になって、