「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)

という本を読みながら、

エイブラハムという霊的なグループが伝えてくる、

「引き寄せの法則」と呼ばれるものについて、まとめて書いています。

 

鵜呑みにしないで検証しましょう

宇宙の法則の定義(エイブラハム)

引き寄せの法則とは何か?(エイブラハム)

思考と引き寄せの法則の関係(エイブラハム)

思考と現実の関係(エイブラハム)

道を敷く(エイブラハム) 

欲求の優先順位(エイブラハム)

許容し可能にする人間関係(エイブラハム)

暴力的な場面に遭遇しない方法(エイブラハム)

世界の望まない出来事(エイブラハム)

考え方や習慣を変える(エイブラハム)

望まなくなり成長が止まる時(エイブラハム

最善の行動とは?(エイブラハム)

という記事の続きです。

 

 

最善の行動とは?(エイブラハム)

 

という記事の中で、

同じ状況にいるのに、一方は天国に住んでいて、
一方は地獄に住んでいるのです。
それぞれが自分の思考によって、現実を創っていると書きました。
これを二極化という風にも言い換えることが出来ます。
目覚めた!とか、この世界の陰謀に気付いた!とかが、
天国に生きている訳ではないですよね。

 

エイブラハム風に言えば、

惰性で創造する人と、意図的に創造する人という風に、

分けられると思います。

許容し可能にすることが出来るかどうかで、

自分の経験が変わってきます。

 

あなたがたがこの経験のなかへ生まれ出たのは、
「許容し可能にすること」を教えるためだ。

だが、教える前にまず知らなければならない。

普通、このテーマはこんな場合に取り上げられる。

「誰かがわたしの好まないことをしている。
どうすれば、わたしの好む行動を
させられるだろうか?」

ここで理解しなければ、こういうことだ。

世界のすべてに同じことをさせようと
努力するよりも、
あるいはあなたが好むことをさせようとするよりも、
誰でも当人の好きなように振る舞い、
行動し、
所有する権利があることを認め、
あなたは思考の力を通じて
自分と調和することだけを
引き寄せるほうがずっといいのだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

あなたはあなた、

私は私とそれぞれを尊重して、

境界線を引くことが出来るか?

これを善悪二元論で裁く人というのは、

自分だけが幸せになればそれでいいのか?

不幸な人を見捨てるのか?と怒る訳です。

 

こういう場合、境界線を引いていない状態で、

人それぞれ幸せに感じることが違う、

ということが理解出来ていないのと、

投影していること、鏡であることが分からない状態、

つまり、不幸な人というのは、その人から見た姿であって、

本人が本当に不幸かどうかは分からないのに、

自分にとって不幸に見える人が可哀想だと、

押し付けているということが分かります。

 

「許容し可能にする者」とは、
「意図的な創造の方法論」を学び、
間違った創造をしない域に達した者といえるだろう。

その人は意図的、意識的に楽しく創造する。

そうなって初めて満足できる。

何かを欲し、その実現を可能にして、
成果を受け取るときにのみ、
満足できるからだ。

だから、物質世界を経験していくなかで
欲する対象に思考をしっかりと向け、
力強い「引き寄せの法則」を活用し、
自分と相性のいい出来事や状況や人を
次々と経験のなかに引き寄せていけば、
あなたの人生には喜びと自由の好循環が始まるだろう。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

天国を生きる人というのは、

”間違った創造をしない域に達した者”といえると思います。

 

あらゆることを肯定して、
あらゆるものの中からいつも、
祝福を見出せる人は天国に生きていますし、
同じ状況で、自分が気に入らないものを否定して、
苦しみばかりに目を向ける人は地獄を生きるでしょう。
 
支配者層が悪い、騙されるヤツが悪いと、
自分と他者を分けて自分たちが善とする様な考えは、
否定的な考えから生まれてきます。
許容し可能にはしていないですよね。
 
例えば、貨幣制度なんて必要ないんだ!
騙されるな!言いなりにならずに反対しよう!
と思う場合、全て否定語で語っていますよね。

 

エイブラハム あなたが望まないものを
押しのけることは不可能だ。

なぜなら、押しのけようとすれば
逆に対象の波動を活性化し、
引き寄せることになるからだ。

この宇宙のすべての基本は引き寄せの力だ。

言い換えれば、排除ということはない。

望まないものに「ノー!」と叫んでも、
実はその望まないものを自分の経験に
招き寄せてしまう。

望むものに「イエス!」と言えば、
その望むものを自分の経験に招き寄せるのだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

排除しようとすればするほど、

自分の現実に出現させる様になります。

 

エイブラハム どんな対象でも関心を向ければ、
対象の振幅は大きくなる。
関心がその対象の波動を活性化させ、
活性化された波動に「引き寄せの法則」が作用する。

ハイジャックを計画している人間は
その思考を強化するが、
ハイジャックを「恐れている」人間もまた
その思考を強化する。

望まない対象でも、そこに関心を向ければ
対象の力はどんどん強まる。

だからネガティブな情報を
いっさい自分の経験に持ち込みたいくないと思う人は、
そもそもマスコミの報道など見ないだろう。

さまざまな意図があり、
さまざまな意図の組み合わせがあるから、
一般的に何がある事件を引き起こしているかを
指摘することはとても難しい。

だが、確かに報道が
悪い状況を促進しているとはいえるだろう。

多くの人が自分の望まないことに思考を向ければ、
その人たちは望まないことの創造に
力を貸すことになる。

その人たちの感情的なパワーが
世界の出来事全体に大きな影響を与える。
それが大衆の意識の働きだよ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

望まないことに思考を向けているので、

望まないことの創造に力を貸しています。

結果的に支配者層に協力しているんですね。

 

更に、貨幣制度なんて必要ないんだ!と、

怒り、否定していながら、

お金がない、あの支払いがあって困った、

といったお金についても否定的に捉えていると、

一層、お金にまつわる苦労が、

自分の現実に創造されます。

恐らく、苦しい現実、地獄の様な毎日を、

送るのではないでしょうか?

本当に必要ないと思ったら、

それについて考えることもなくなるものです。

 

 

教祖様とそれに依存する信者さんたちが、

熱心にここを読みに来ては、

反論していますので、書いておきますね。

私なりの親切ですが。

思考を転換することをオススメします。

天国はすぐそこにありますので、

目を開いて探して下さい。

図星だからいちいち反応する、
ということもありますし、
言い訳をして説得したいという気持ちは、
他人軸である証拠ですよね。
私は私の道を歩いていますので、
気にせず、御自分の信じる道を行ってください。
 
 

ジェリー エイブラハム、
実生活の日常的な体験について、
いくつか質問をしたいんですが、
そういう具体的な状況に
「許容し可能にする術」を
どう適用するか教えてもらえますか?
まず、身体的健康のことなんですが、
わたしは子どものころ、
長い間、極端に病弱でした。
それから少し大きくなったとき、
もう病気は嫌だと思い、それ以来、
基本的にはとても健康になりました。
この極端な病弱と健康という二つの状況と、
「許容し可能にする術」はどう関係するんでしょうか?

エイブラハム 何か欲しいという決断をすると、
「意図的な創造」の方程式の半分は満たされる。

あなたは感情を込めて考えた。
それが「欲する」ということだ。

意図的な創造の方程式のもう一方には
「許容し可能にする」あるいは期待する、
出現させるということがある。

「わたしは望み、
その実現を『許容し可能にする』、
だからそれは実現する」
と言うときには、何を欲するにしても
非常に迅速な創造ができる。

ほかのことを考えて押しのけたりせず、
実現に抵抗しないことで、
文字どおり自分に対して実現を
「許容し可能にする」わけだ。

「許容し可能にする」状態になれば
ネガティブな気持ちにはならないと前に言った。

「許容し可能にする」状態は
ネガティブな気持ちから解放されている。

したがって、何かを手にいれようと意図し、
それについて前向きな気持ちだけを感じれば、
それが「許容し可能にする」状態だ。

そうなれば、あなたの希望どおりになる。

わかるだろうか?

病弱な状態から脱して健康になるには、
健康について考えなければならない。

病気のときにはどうしても
病気に目が向くから、
現在の状態を超えたところを見たいと思い、
そこに焦点を定める意志を持つ必要がある。

未来の健康な身体をイメージするか、
過去のもっと健康だったころを思い出せば、
あなたの思考は欲求と一致する。

そうなれば、状態の改善を「許容し可能にする」
ことになる。

重要なのはもっと心地よい思考を探して
実行することだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

”そこに焦点を定める意志を持つ必要がある。”

という箇所で、

意識的に選択することが分かると思います。

 

”重要なのはもっと心地よい思考を探して
実行することだ。”

という箇所なんだけど、

とにかく練習が必要だと私は思います。

 

普通に生活していると、

自然と否定的な思考に囚われてしまうので、

いつも感情を観察して、

意識的に肯定的な見方を選択し続ける必要があるのです。

 

 

前向きな感情と
ネガティブな感情の違いがときに微妙であるように、
欲することと必要とすることとの違いも
非常に微妙な場合があることを覚えていよう。

自分が欲することに焦点を定めていると、
「内なる存在」は前向きの明るい感情を送ってくる。

必要なことに焦点を定めていると、
欲することに焦点を定めているのではないから、
「内なる存在」はネガティブな暗い感情を送ってくる。

そのときあなたは欲することの「欠落」に
焦点を定めている。

そして「内なる存在」は
あなたの思考が対象を引き寄せることを
知っている。

「内なる存在」はあなたが欠落を
望んでいないことを知っている。

「内なる存在」は
あなたが何を欲しているかを知っていて、
その違いをわからせようと指針を送ってくる。

解決策に焦点を定めているときには、
前向きの明るい気持ちになる。

問題に焦点を定めていると、
ネガティブな暗い気持ちになる。

その違いは微妙だが重要だ。

なぜなら前向きの明るい気持ちでいるときには、
欲していることを経験に引き寄せているのだから。

ネガティブな暗い気持ちでいるときには、
望まないことを経験に引き寄せている。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
と言う箇所をご紹介しました。
 
私の場合だと、例えば、テレビ。

家にテレビはあるのだけど、

家族みんな観るのを忘れています。

あんなテレビ番組はくだらないとか、

サッカーがどうとか、

全く話題にも上がりません。

興味がまるでないので、考えることがないのです。

 

例えば、ワクチン。

子どもたちと相談して、意志を尊重したので、

打ちたくないと言ったから打たせませんでした。

周囲の友達との関係に変化があるのか?と、

何度か聞いたのだけれども、

特に詮索されることもなかったそうです。

関心を向けていないから、現実に現われないのです。
 
つまり、自分が関心を向けることで、
許容し可能にして、現実として現われるようになるのね。
 
 
洋服を買いに行って、
欲しい服を探している時に、
「全然見つからない」「気に入った服がない」

と考えていることに気付いたのだけど、

その時は、イライラするような嫌な気分でした。

更に、以前散々探し回って一着も想定している様な服が、

見つからなかったことを思い出して、

どんどん気が重くなりました。

そうか、普通に無意識に、

否定的に捉えていることが多いのだなと気付いたので、

では肯定的に捉えてみようと転換することにしました。

 

よく、暗示や思い込みの様な手法で、

「気に入った服が見つかった」「気に入った服がある」

という様に、思考を上書きして認識を変更しよう、

みたいなことをする場合があります。

 

これは、普段からちょっとした嘘を吐いて、

それについて特に罪悪感も持たず、

自分さえ良ければそれでいい、得するならそれでいい、

といった生き方をしている場合には、

ある程度有効な方法だと思います。

 

でも、自分に嘘を吐かない、

ちょっとした違和感も見過ごさずに内観する、

ということを繰り返すと、

見つかってもいないのに、

「気に入った服が見つかった」「気に入った服がある」

とやるのは、嘘を吐いているのが分かるので、
肯定的に捉えることは出来ないし、
私の場合だと、白々しくてやってられない、
みたいな気持ちになります。
 
この場合は、
「気に入った服が欲しい」「気に入る服を見つけるぞ」
という様に肯定的な見方、解決策の方に思考を向けると、
前向きな明るい気分になりました。
 
「全然見つからない」「気に入った服がない」
というのは否定的で問題に思考を向けています。
その時の感情は、いい気分ではないと思います。
私はイライラしていました。
 
この時、
「気に入った服が見つかるように」みたいな感じだと、
他人軸になりますよね。
引き寄せ勢の方に多いなと思うのですが、
自分軸なら、
「気に入った服が欲しい」「気に入る服を見つけるぞ」
になります。
 
 
例えば、気が重い用事の前に、
お気に入りの喫茶店でコーヒーを飲んだとします。
いつもなら、ホッとリラックスするのだけれども、
その時はすごく緊張していて、
余裕がありませんでした。
 
しばらくして、またお気に入りの喫茶店に行くと、
今度は気が重い用事の時のことを思い出して、
喫茶店から連想してネガティブな気分になるようになった、
ということがあります。
 
肯定的ないい気分でない時に、
行なったことは、
それに関連するものごとに対しても、
次に思い出す時にいい気分がしなくなってしまうのです。
 
日常の中で、細かく自分の感情の動きを観察すると、
以前好きだった場所も、嫌なことがあると、
嫌いになる訳ではないけれども、
否定的な感情が湧くようになるのです。
 
意識して思考を肯定的に向くように、
コントロールしていないと、
すぐ否定的な方に向いてしまうなと、
しみじみ思いました。
 
そのチェックの仕方は、どんな感情を感じているのか?
ということで、
私の場合は胸の辺りの感じ方をよく観察します。
本当に嫌だと、お腹の辺りまでずどーんと重くなります。
本気で嫌!とか、逃げ出したい!といった気持ちになります。
 
重要なのは、それを放置しないことで、
その感情のまま思考を積み重ねて、
関心を向け続けていると、
最終的に現実として経験するようになります。
 
だけど、ネガティブな感情になってもいいんですよ。
それからひっくり返すことで、
自分の望みが分かるのです。
ネガティブな感情を持続させなければ、
現実にはなりません。
 
ネガティブな感情が湧いたら、
それ自体は、悪い事ではなくて、
望みの方に向いていないなと、
一旦立ち止まって、
では、望んでいることな何かな?と、
思考を転換する癖を付けるようにします。
 
 
 
自分の思考が現実を創っているという場合、
自分一人だけで経験することは、
自分の思考が中心となって、
影響を与えていますけれども、
誰かと一緒に経験する現実の場合は、
共同創造になります。
 
私の思考が今の現実を創っている様に、
対する相手の思考も相手の現実を創っていて、
一緒に経験しているのです。
 
例えば、自分の道を邪魔する敵の様な人が、
今、目の前にいるとします。
敵だ!と捉えている時には、
敵としか思えない様な言動を、
相手の人が行ないます。
 
これを内観して、
ずっと深く自分の本当の気持ちを、
探ってみます。
すると、自分が進もうとしている道は、
本当にそれでいいのか?と、自信が持てなくて、
納得して確信したい為に、
道を邪魔する敵を創り出すことで、
「たとえ邪魔されてもこの道を進みたい」と、
はっきり決めたかったのだ!ということが分かります。
決心する為に、邪魔する敵を創り出したのです。
これが自作自演です。
 
それが分かると、
私の現実では、敵という役割を果たしてくれたのね、
有難うという気持ちになります。
 
この時点で、こちらの現実の中の相手の役割は、
変わります。
実際には、相手の言動自体は変わらないかもしれないけど、
こちらの受け止め方は変わるし、
前ほど腹も立たないので、
それに伴って相手も敵意を出すことがなくなり、
結果的に現実が変わった、相手が変わった、
という様に現れてきます。
本当に必要なくなると、
物理的に相手との関係が終って、
会うことがなくなります。
 
反転して見てみると、
相手の現実では、こちらが何かしらの役割を演じています。
共同創造なのね。

もし、相手の問題が続くようなら、

同じ役割を持った別の誰かを引き寄せて、
現実を創っていくでしょう。
 
 
本当にこういった思考が現実になるとか、
引き寄せの法則だとかがあるのか?ということは、
実際に、自分の経験を通して検証していく必要があります。
 
例えば、買い物なら、
「全然見つからない」「気に入った服がない」

と考えて買い物した場合の結果はどうか?

どんな気分になっているか?
 
「気に入った服が欲しい」「気に入る服を見つけるぞ」
と考えて買い物した場合の結果はどうか?
どんな気分になっているか?
 
この場合、
「気に入った服が欲しい」「気に入る服を見つけるぞ」
と思いながらも、
そんなことを考えたって、
どうせ見つかりっこないと否定する場合は、
肯定的な捉え方になっているとは言えません。
 
このように、本気で肯定することが出来ない場合が多いと思うので、
自分が納得できるような、これだと思えるような、
考え方を探す必要があります。
 
これが出来ないのなら、
否定のパターンしか検証していませんから、
否定のパターンだけで、法則なんて存在しない、
と言っている状態になります。
肯定のパターンと比較していないのにも関わらず、
決めつけている状態なので、
自分の中に嘘が生じます。
(更に否定を創りますよね)
 
ちなみに私は、上記の例で、
肯定的な思考で買い物をすると、
気に入った服を見つけただけでなく、
更に、かなりお安く購入できました。
その為に、私自身はこれは真実であると確信を持ちましたので、
日常的に意識的に積極的に感情を観察して、
思考をコントロールしようと改めて思いました。
細かくチェックすると、惰性で否定的に捉えている部分が、
結構あったので、これらを意識的に肯定的に捉えるようにする、
という様に変えて行こうと思います。
 
 
例えば、あなたに透視能力があるとします。
それを確認する為に、
裏返したトランプを透視して、
何のカードか当てる実験を繰り返しました。
初めは10回のうち1回しか当たらなかったのが、
練習するうちに10回中10回とも当たる様になりました。
ここまでくると、確信が持てるようになると思います。
自分には透視能力があると。
でも、それを友達に見せても、
何かトリックがあるのだろう!と、
信じてくれませんでした。
友達が信じてくれなかったら、
やっぱり自分には透視能力はないのだと、
否定するようになりますか?
私は、繰り返し繰り返し、
確実に結果を出しているのなら、
誰かに信じてもらうとか、
信じてもらえないとかそれは関係なくなりますね。

自分がそれを真実とするのか、

確信を持つのか、それだけです。

 

 

例えば、引き寄せの法則なんてないんだ、
と言う時、
自分なりに検証して、はっきりとした、
ないという結果を現実的に出したのだ、
という確信もないのに、
単なる決め付けで言っているのなら、
それが嘘だということが、
自分自身には分かっています。
だから、ないのだと、わざわざ言って回って、
自分の正当性を主張して、
周囲の人に信じてもらいたくなるんですね。
 
もし、自分がそうだと分かっているのなら、
いちいち引き寄せの法則がある!と言う人の、
意見なんか気にしなくなるものです。
 
この場合も、
”望まないものに「ノー!」と叫んでも、
実はその望まないものを自分の経験に
招き寄せてしまう。”
という状態になって、
悪循環にハマってしまいます。
何故、反論したくなるのかな?
何を否定しているのかな?という、
内観が必要ですよね。
 
例えば、そんな法則があるのなら、
今まで自分が苦労してきたことが、
無駄になるじゃないか!みたいな考えがあるとすると、
元々、自分の人生に不満があって、
否定しているから、
引き寄せの法則というものに対して、
投影して、文句を言いたくなっているのです。
 
法則云々を抜きにしても、
意識すればするほど気になる、
ということは分かると思いますし、
気にも留めていないことは、
目に入ることもないし、考えることもない、
ということも分かると思います。
 
法則で言えば、否定すればするほど、
それを引き寄せますので、
オススメはしませんよ、
ということになります。