「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)

という本を読みながら、

エイブラハムという霊的なグループが伝えてくる、

「引き寄せの法則」と呼ばれるものについて、まとめて書いています。

 

鵜呑みにしないで検証しましょう

宇宙の法則の定義(エイブラハム)

引き寄せの法則とは何か?(エイブラハム)

思考と引き寄せの法則の関係(エイブラハム)

思考と現実の関係(エイブラハム)

という記事の続きです。
 
 
「引き寄せの法則」「意図的な創造の方法論」

「許容し可能にする術」に加えて、

「節目ごとの意図確認プロセス」で、

物事を引き起こすための総合的な処方箋が、

完成するとありました。

 

今までご紹介してきた箇所で、

自分が「意識して」望んだことを実現するために

「意図的に」法則を活用する方法を、

まとめて貼り付けておきます。

 

これは、後で自分が読み直す時に、

便利だと思うから行ないましたが、

巷で流行っている引き寄せの法則に疑問を感じ、

上っ面スピのワクワク楽しい物質欲満載のメソッドに、

嫌悪感を持つ様な方には、オススメかなと思いました。

 

「今の自分の現実」と感じるものに
左右されずに自分が選ぶ状況を実現し、
宇宙の力にアクセスして
望む対象を引き寄せるプロセスを、
あなたがたに教えてあげよう。

わたしたちの見るところ、
あなたがたの現状
─あなたがたの自分の「現実」とよぶもの─
と、
あなたがたの本当の現実には非常に大きな隔たりがある。

たとえあなたが健康でない身体や、
自分が選びたくない大きさや形や活力の身体に
宿っているとしても、
また楽しくないライフスタイルで暮らしていても、
恥ずかしいと思う自動車を運転していても、
楽しくない人たちと交際していても……
それがあなたの現状に見えていても、
本当はそれと違っていていい、
ということをわからせてあげたい。

あなたの現状とは、ある時点での
自分自身についての感じ方なのだ。

強い感情を引き起こさない思考には、
大きな磁力はない。

言い換えれば、
あなたの思考のすべてには
潜在的な創造力というか
可能性を引き寄せる磁力があるが、
強い感情と組み合わさった思考が
いちばん強力だということだ。

すると、あなたの思考の大半は
あまり大きな力を持っていないことになる。

多かれ少なかれ、既に引き寄せたものを
維持しているだけだろう。

そこで自分が望む状況や出来事を
人生経験に引き寄せるために、
毎日10分か15分、
偉大で力強くて情熱的で前向きな感情が
わき起こる力強いことを
意識的に考えるとしたら、
その実践にどんな価値があるかわかるだろうか?
(わたしたちはとても大きな価値があると思う)

ここで、毎日少し時間を割いて、
健康で豊かで前向きな活力ある生き方
─あなたが考える完璧な人生経験のすべて─を、
人生経験のなかに意図的に引き寄せるやり方を
教えてあげよう。

そうすれば、物事も友人たちも
変わるだろう。

あなたが意識的に受け取る気になれば、
自分が創造したものの果実を
受け取るだけでなく、
新たな視点も手に入れることになり、
そこでまたあなたの意図が変わるだろう。

それが進化ということであり、
成長ということなのだ。
 
そのプロセスとはこういうことだ。

あなたは毎日一種の
「創造のワークショップ」に参加するのだ。

長時間ではなく、15分からせいぜい20分でいい。

ワークショップは毎日同じ場所で行う必要はないが、
気が散ったり邪魔が入ったりしない場所がいいだろう。

これは意識を変性させるものでもなければ、
瞑想状態に入るものでもない。

ただあなたの「内なる存在」が
感情によって確認してくれるとおりに、
望む対象に曇りのない思考を向ければいい。

このプロセスを始める前に重要なのは、
「幸せな気持ちでいる」ということ。

不幸な気持ちでいたり、
何の感情も覚えないでいたのでは
引き寄せの力は働かないから、
ワークショップはあまり意味がなくなる。

わたしたちが「幸せな気持ち」というのは、
うれしくて跳んだり跳ねたりするような
状態のことではない。

高揚した軽やかな気持ち、
すべてが順調だという気分のことを指している。

そこで、なんでもいいからそういう幸せな気持ちに
なれることをすればいい。

どうすれば幸せな気持ちになれるかは
人によって違う。

エスターなら、高揚した楽しい気分になるには
音楽を聞くのがいちばんの早道だ。

だが音楽ならなんでもいいわけではないし、
毎回同じ音楽が効果があるというのでもない。

あなたがたのなかには動物と遊んだり、
流れる水のそばにいたりするのがいい、
という人もいるだろう。

とにかく幸せな気持ちなれたら、
静かに腰を下ろしなさい。

これから、いよいよワークショップを始めるのだ。

このワークショップでのあなたの仕事は、
人とのつきあいやさまざまな物理的な環境を通じて、
実生活の経験から集めたデータを吸収し、
同化することだ。

ここであなたは集めたデータを基に、
あなたが満足できる楽しい自画像を作り上げる
作業をする。

ワークショップの外側にある人生経験には、
とても大きな価値がある。

あなたが何をしているにせよ
─仕事に行き、うちで家事やいろいろなことをし、
配偶者や友人や子どもたちや両親とつきあい─
日々動き回っているとき、
自分のワークショップで使うデータや見方を
集めようという意識さえ持っていれば、
毎日がおもしろいと気づくだろう。

あなたはポケットにお金を入れて、
何か買いたいものがないかなと
ショッピングに出かけたことはあるだろうか?

お店には買いたいと思わないものが
たくさんあるだろうが、
あなたはお金を出しても欲しいと思うものを
探すはずだ。

そんなふうに、毎日の人生経験を
見回しなさい。

ポケットには、
収集したいデータと交換するための
何かが入っているという気持ちで。

例えば、
楽しい性格の誰かと出会うかもしれない。

あとでワークショップで使うために
そのデータを収集しよう。

誰かが運転している自動車が
いいなあと思うかもしれない。

そのデータも収集しよう。

楽しそうだと思う職業があるかもしれない。

なんであれ、「いいな、楽しそうだな」と思ったら、
それを覚えておく(書き留めておいてもいい)。

自分の人生経験にもあったらいいなと思うことがあれば、
自分の記憶の貯金箱にそのデータを
集めておく。

そしてワークショップでそのデータを
吸収同化してあなたの自画像を作るのだ。

すると、その自画像を出発点として、
いいなと思ったもののエッセンスが
経験に引き寄せられてくる。

あなたの本当の仕事は
─ほかのどんな活動をしても─
ワークショップで使うことを意識して、
欲しいものをさがすことであり、
そしてそのデータを使って
自分に関するビジョンを創造し、
それを通して欲しいものを引き寄せることだ。

それがしっかり理解できれば、
あなたはなんにでもなれるし、
なんでもできるし、
なんでも手に入れられることがわかるだろう。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

★創造のワークショップ★
 
さて、あなたは幸せな気分でどこかに腰を下ろし、
ワークショップを始める。

例えば、こんなふうに。

わたしはここにいるのが好きだ。
この時間の価値と力を認識している。
わたしはここにいて、とてもいい気分だ。

わたしは自分を総合的なパッケージのようなもの
だと思う。

わたしが自分で選んで
創り出す自分自身のパッケージだ。

そのわたしはエネルギーに満ちている。

疲れを知らず、なんの障害もなく
軽やかに人生を生きていく。

軽やかに自動車に乗り降りし、
建物や部屋に出入りし、
会話に加わっては離れ、
人生経験の場面を出入りする自分が見える。

なんの苦労もなく、快適で幸せに生きている
自分が見える。

わたしには、
今の自分の意図に調和した人たちだけを
引き寄せる自分が見える。

そして一瞬ごとに、
自分が何を望んでいるかがますます明確になる。

自動車に乗ってどこかに移動するとき、
生き生きと健康で時間どおりに到着する
自分が見えるし、
そこでしようとすることについても
十分に準備を整えている自分が見える。

完璧に自分が選んだとおりの服装をしている
自分が見える。

ほかの人が何を選ぼうと、
またほかの人がわたしの選択をどう考えようと、
そんなことはどうでもいいと知っているのは、
とても快適だ。

重要なのは
自分が自分に満足していることで、
わたしは自分自身を眺めて確かに満足している。

わたしは人生のすべての面で
自分にはなんの制約もないことを認識している。

貯金残高による制約はないし、
人生を生きるうえでの選択にも
経済的な制約はないと知るのは、
実に気分がいい。

重要なのは、「わたしがその経験をしたいかどうか」
ですべてを決断することだ。

「その経験をする余裕があるかどうか」で
決断するのではない。

なぜなら、自分は磁石で、
いつでも自分が選ぶとおりの豊かさ、健康、
人間関係を引き寄せられることを
知っているから。

わたしは絶対的かつ持続的な豊かさを選ぶ。

宇宙の豊かさには限りがないことを
知っているし、
わたしが豊かさを引き寄せたからといって、
ほかの人の豊かさを制約することには
ならないと知っている。

すべての人にとって十分な豊かさがあるのだ。

大事なのはわたしたち一人ひとりがそれを知って、
望むこと。

そうすれば、みんなが豊かさを引き寄せるだろう。

だからわたしは「無限」の豊かさを
選択したが、
だからといって財産を大事にしまっておく
必要はない。

いかなるものを望んでも、
望むものを引き寄せる力が自分にあることを
知っているからだ。

別のものを欲すれば、
またお金は簡単にわたしの元へ流れてくる。

豊かさと繁栄は無限なのだ。

わたしの人生はすべての面において豊かだ。

わたしは自分と同じように
成長を望む人に囲まれている。

その人たちが望むままに、なんになり、
何をし、何を手に入れようとも、
わたしにはそれを受け入れる意志があるから、
その人たちはわたしの元へ引き寄せられる。

もしその人たちの選択が気に入らなければ、
それをわたしの人生経験に
引き寄せる必要はない。

わたしはほかの人たちと交流する。

話し、笑い、その人たちの完璧さを楽しみ、
その人たちはわたしの完璧さを楽しむ。

わたしたちはみなお互いを尊重し、
自分が好まないからといって
批判したり文句を言ったりしない。

わたしは完璧な健康体の自分を見る。

絶対的に繁栄している自分を見る。

活力にあふれ、物質世界の存在になろうと
決めたときに
強く望んだ人生経験を大切に楽しんでいる
自分を見る。

物質世界での存在としてここにいること、
物質的な脳を使い、
「引き寄せの法則」を通して
宇宙の力にアクセスして
決断を下すことは、輝かしい体験だ。

この素晴らしい状態から、
わたしはさらに同じように
素晴らしい多くのことを引き寄せる。

これはとてもいいことだ。
 
これはとても楽しいことだ。
 
わたしはこのプロセスが大好きだ。

では、このワークショップを終えて、
これから
─今日の残った時間に─
もっとたくさん好きなことを探そう。

豊かだけれども病んでいる人を見ても、
うれしいことに
その全体をワークショップに持ち込む必要はなく、
好ましい部分だけを収集すればいい。

だからわたしは豊かさの実例を収集し、
病気のほうは放っておく。

さあ、今日のワークショップの作業は終了だ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
 
 

★意図的な創造を促すエクササイズ★
 

「意図的な創造」を促すための練習がある。
こんなふうにすればいい。

紙を3枚用意して、
それぞれのいちばん上に
自分が欲しいものを書く。

それから最初の1枚の下に、
「欲しい理由」と記入する。

そして思いつくことをすべて書き込む。

自然に思い浮かぶことなら
なんでもいい。

無理はしないように。

何も浮かばなくなったら、
次の1枚に進む。

次に紙を裏返して、
「欲しいものが手に入ると信じる理由」
と記入する。

それぞれの紙の1ページ目で、
あなたの欲求が強化される
(「意図的な創造の方程式の第一の部分)。
2ページ目(裏側)で、
欲しい物が手に入るという信念が強化される
(「意図的な創造」の方程式の第二の部分)。

こうしてあなたは方程式の両方の部分に
焦点を定め、
自分のなかで波動を活性化させる。

これで「創造のプロセス」の両方を達成し、
欲求の実現を受け取る状態ができた。

あとは、それを欲していれば
─そして欲求実現まで期待し続けていれば─
希望はかなう。

いっぺんに創造できる対象の数に
制限はない。

何かを欲しいと思い、
同時にそれが実現すると期待することは、
そう難しいことではないから。

だが、思考の焦点をどう定めるかを
学び始めた最初のころは、
一時に二つか三つに集中したほうが
いいかもしれない。

欲求のリストが長くなれば、
まだ実現していないものを
眺めているうちに
疑問が忍び込む可能性も大きくなる。

だが、このゲームに慣れてくると、
思考の焦点を定めるのが上手になり、
やがては欲しい物リストを
制限する理由はなくなる。

何かを実際に経験するためには、
まずそのことを考えなくてはならない。

思考は招待状で、
招待状がなければ何もやってはこない。

何を欲するかを「意図的に」決め、
次に欲しいもののほうへ思考を
「意図的に」向け、
欲しくないものからは
「意図的に」思考を外すことを、
わたしは勧める。

さらに毎日時間をとって
人生で経験したいと思うことのビジョンを
「意図的」に描くといい。

今度はこれを「意図的な創造のワークショップ」と
よぶことにしよう。

日常の暮らしのなかで、
自分が好きなものに注目するという意識を持とう。

「今日は何をしていても、
また誰と一緒にいても、
自分が好きなものを見つけるぞ」と思う。

こうして意識してデータを集めれば、
「創造のワークショップ」にとりかかるときに、
効果的な創造のための
リソースが用意されていることになる。


「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

下記は、「節目ごとの意図確認」について、
ある一日を例にした説明です。
 
一日のなかで新しい節目を認識するだけではなく、
各節目で自分の意図を確認するとは
どういうことか、例を挙げてみよう。

このプロセスを一日の終わり、
眠りに就く前から始めとする。

眠りの状態に入るというのも
経験の新しい節目であることを認識しよう。

そこで横たわって枕に頭を載せ、
眠りに就く準備をするとき、
その節目の意図を確認する。

「わたしは身体を完璧に休めたいと思う。
十分に休養して新鮮な気持ちで目覚め、
また元気よく一日を始めよう
というのがわたしの意図だ」

翌朝、あなたは目を開き、
また経験の新しい節目に入ったと認識する。

目覚めたあとベッドから出るまでが
一つの節目になる。

その節目の意図を確認しよう。

「こうしてベッドに横たわって、
わたしはこれからの一日を
はっきり描きたいと思う。
意気揚々と胸を弾ませて一日を始めたい。
そう確認すれば、
ベッドから起き上がることには
今日一日に対する新鮮な期待がわくだろう」

ベッドから出て、
あなたは経験の新しい節目に入る。

この節目では
今日一日の準備をするかもしれない。

歯を磨き、シャワーを浴びる節目に入ったとき、
何を求めるかという意図を確認しよう。

「わたしは自分が
素晴らしい身体を持っていることを認識し、
その優れた働きに感謝しよう。
自分なりに最高に見えるように、
要領よく身だしなみを整えよう」

朝食の準備にかかるとき、
この節目に対する意図は
次のようになるだろう。

「わたしは栄養豊かでおいしい食事を
効率よく選んで準備しよう。
それからリラックスして楽しく食事し、
素晴らしい身体で食べ物を完璧に消化吸収しよう。
今の自分の身体にいちばん合った食べ物を選ぼう。
この食べ物でエネルギーを
補充して元気になろう」。

こんなふうに意図を確認すれば、
食事によって活力が満ち、
エネルギーが補充されて元気になるのを
感じるだろう。

それに意図を確認しない場合よりも、
もっと食事を楽しめるだろう。

自動車に乗って目的地に出発するときには、
この節目に対する意図は
無事に目的に到着すること、
ドライブしている間、
元気よく幸せな気分でいること、
ほかのドライバーが何を意図し
何を意図していないかを察知して、
快適に─安全に効率よく─
移動することだと確認しよう。

自動車から降りると、
また新しい節目に入る。

そこで立ち止まり、
今いるところから
目的地に向かって歩く自分を想像しよう。

自分が心地よく歩いているところを
思い描こう。

効率的に安全に次の場所に移動したい
という意図を確認しよう。

深呼吸して身体の活力を感じ、
頭脳が明晰に働いていることを意識して
感じ取ろう。

これから次の節目に入る自分のビジョン
あるいは意図をはっきりさせよう。

スタッフや雇い主に挨拶している自分を
想像しよう。

人々を元気づけている自分、
いつも微笑んでいる自分を
思い描こう。

自分が会う相手は
誰も自分の意図を確認していないことを認識し、
自分は意識し意図的になることで
人生経験をコントロールしていること、
人々の混乱に巻き込まれたり、
他人の意図や影響で右往左往しないことを
わきまえていよう。

一日を通じて
「節目ごとの意図確認」をしていると、
自分の意図が確立していく力強さと勢いを感じ、
自分は輝かしい存在で怖いものは何もないと
感じるだろう。

そして二度、三度と自分の人生経験を
創造的にコントロールしていることを感じれば、
自分はなんにでもなれるし、
なんでもできるし、
なんでも手に入ると思えるだろう。

もちろん、あなたの節目は、
今言ったのとは違うかもしれないし、
日によっても違うだろう。

だが数日もすれば、新しい節目を意識し、
そこで自分がいちばん望むことを確認するのは
とても簡単だと気づくだろうし、
まもなく一日の各節目に
はっきりとよい結果を期待できるようになるだろう。

人によってはメモ帳を持ち歩いて、
節目を意識するごとに
実際に立ち止まって記入して
リストを作るのが効果的、
効率的だと思うかもしれない。

何かを書き留めるのは
焦点を定めるいい方法だから、
「節目ごとの意図確認プロセス」を始めるにあたって、
メモ帳はとても役に立つかもしれない。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
 

常連のパクリの人が、早速、ご紹介した箇所を、

突然降って来た!みたいな感じで、商品化する様子です。

面白いですよね。

 

覗き見の人達はみんな、

わざわざ、敢えて、

閃いたとか、降りて来たとか、湧いたとか、

言い訳するんですよね。

普通のことだと思うんだけど、

普通のことじゃない訳です。

強調しなきゃいけない理由があるんでしょうね。

疑われたら困るという気持ちが、

そうさせるのでしょうか。

 

正義感が強い人、間違いを許せない人からすると、

こういうぼったくりの詐欺師が存在すること自体が、

おかしい!と感じるかもしれません。

撲滅すべきだ!と。

 

私のガイドたちによると、

こういう人がいるから、

自分の間違いや勘違いに気付いたり、

反面教師として見る事で、

自分の進むべき方向が見えてきたりするそうです。

 

誰でも、スピリチュアルな学びの初期の頃は、

自分は特別で物凄い能力があり、

力を誇示してみたいとか、

他の人を”導いてあげる”とか、

思い上がってしまことがありますよね。

傲慢さを克服していない状態なのですが、

これも霊的な学びの道で、

越えなくてはいけない壁になります。

(一番の難関かもしれません)

 

通り過ぎてみると、あららと思いますが、

他人の姿ほどよく見えますから、

かつての自分もそうだったなと思い出すことで、

自分を振り返って気を付けようと思ったり、

そういう間違いを犯す人に対して、

思いやりの気持ちを持ったりします。

 

他人は鏡ですから、

そういう人が存在してくれることによって、

自分の内側と深く向き合い、

沢山の気付きを得るのです。

有難いですよね。

堕ちるしかないというのに…。

 

ここでまとめて貼り付けたのは、

識別力を上げて下さいという気持ちもあります。

 

はっきり名指しはしていませんけれども、

日々、ヒントを入れて記事を書いていますので、

当てはまりそうな人を何人か想像している人も、

いると思います。

 

私は既に書籍化された本の内容を、
ご紹介しているだけですからね。
(長ったらしいレビュー的な気分)
商売もしていませんし。
泥棒が誰だかは分かると思います。
 
 
 
引き寄せ界隈の商売の人で、
悪質なパターンの、
意志を持った霊的な存在を呼び込もうとする方法を、
広めている人達をご紹介しました。
自分の好きな異性のイメージを作って話しかける
 
夢をコントロールすることで、
それが現実に反映させようとする(モテモテになるとか)
 
こういう人たちが行なっているのは、
コックリさん(狐狗狸さん)の様なものです。
 
悪性のエネルギーが強い人(他者をコントロールする人)は、
精霊や自然霊たちが揶揄うことがあります。
神社や寺院、聖地に行って、
素晴らしい体験をした!という様な人の中には、
こうやって揶揄われている場合もあります。
コックリさんの場合も同じです。
 
上記の、タルパ的な遊びや夢の世界で遊ぶ方法も、
彼等に揶揄われているなと感じる人がいるので、
忠告として書いておきます。
悪い例として、見本の人達がいますから、
自分がそれを行なう時の判断材料にして下さい。
(オススメしません)
 
悪性のエネルギーが強いというのは、
自分が得することを中心に考えて、
他者を犠牲にすることに対して、
何の罪悪感も持たない様な人です。
丁度、私がひっそりコツコツ書いているブログ記事を、
自分が考えた、閃いたと言って、noteに流用したり、
言葉だけ変えて、ネタに乗っかったりする様な人たちが当てはまります。
 
自分と同じ様に他者も大事にしよう、
といった気持ちが自然に湧く様な状態だと、
同じことをしても、
最低でも天使界と繋がりますので、
精霊や自然霊に揶揄われるということはないでしょう。
自分に合った存在としか繋がれませんものね。
これも引き寄せの法則で考えても辻褄が合うと思います。
 
精霊や自然霊たちのことが分かってくると、
私が繰り返し危険性について、
忠告している意味も御理解頂けると思います。
 
下記はある方のブログ記事の説明ですが、
 
”精霊や、自然霊の扱いは非常に難しいので、
面白半分に接すると、事故に合って
大怪我をさせられたりと、痛い目に合います。
実践者の面白半分度合いが酷過ぎると、
生命を奪われます。
なぜならば、精霊や自然霊は、基本的に、
人間として転生したことがないので、
加減を知らないからです。”
 
とあります。
 
よく、祟りだーとか言われる様な現象というのは、
精霊や自然霊たちが関わっています。
彼等には善悪判断はないので、
その人に合った現象が起きるのです。
彼等に、志が同じの地球で暮らす仲間だね、
という風に認められた(進化発展の道を歩いている)なら、
その様なことは絶対に起きません。
 
天使たちの様な優しさとかは期待できませんけれども、
命の危険とかはないですし、逆に守ってもらえます。
 
タルパ的な遊びや夢の世界で遊ぶ、
悪性のエネルギーが強い
(でも本人たちはワクワク楽しいノリで生きているから、
光だ善だと思っている)人達は、
コックリさん(精霊や自然霊たちと繋がっている)を、
やっている様な状態ですが、
現実的な生活より妄想に夢中になって、
足が地に着いていない状態です。
 
こういう人が生霊を送って来るのですが、
これも納得で、
魂が抜けかかっているから、
妄想と現実の区別がつかなくなってしまうんですよね。
 
昔、周りの人が何故だかどんどん、
不幸になってしまうママ友がいました。
不幸というのは私から見てなので、
実際はどうか分からないのだけど、
ご主人が難病になったり、身内が離婚したり、
子どものトラブルが続出したりで、
怖いくらいでした。
その全てが、そのママ友が可哀想を演じるのに、
都合がいいんだよね。
突然思い出した様に連絡してきては、
会うまでしつこく誘ってきて、
約束する前に、家に突撃してくることもあり、
仕方なく近所のお店に移動して会ったことがありました。
 
何を話しても噛み合わなくて、
私を見ているんだけど、見ていない様な、
焦点がおかしな目をしていて、
なんかもう気持ち悪いのね。
話の内容も、その人が望む終着点に向かう感じで、
別の捉え方、解決策もあると言っても、すぐ元に戻されるのね。
会った後、凄く疲れて、眠くなって、
子どもと昼寝してしまって、
起きた後、親子で熱が出てしばらく寝込んだことがありました。
 
おかしなエネルギーの人っているというか、
こういうのをエネルギーバンパイアみたいに言いますけど、
吸い取る人っているんですよね。
 
これも吸い取る人が善いとか悪いとかではなくて、
この時のことを振り返ってみると、
私には毅然としたところがなく、
相手に引き摺られて、許してしまったところが、
沢山あったと思います。
相手の顔色を窺って、合わせることで、
吸い取られたのね。
霊的に許可したことで、エネルギーを取られました。
勿論、自己責任です。
私が被害者!ということではないです。
(当時は、被害者!と思っていましたが)
 
霊的に成長するということは、
現実的に周囲の状況に動じなくなることと、
霊的には自分のエネルギーを守ることも、
大事になってきます。
 
エネルギーを吸い取るなんてあり得ない!
という人もいますけれども、
下記の様な話もあるので、
参考にして下さいね。
 
人の「光の卵」のような
エネルギー場が互いにつながりあうと、
エネルギーを求める側から
エネルギーを持つ側へと、
いくつもの「ひも」が送られます。

そしてエネルギーが欠乏している側は、
井戸から水を汲み上げるように
エネルギーを自分に引き込みます。

こうしたことは自己の別の意識レベルで
自動的に起こってしまい、
ふつうは無意識のうちに行われます。

これこそ吸血鬼という言葉のもつ
真の象徴的意味にほかなりません。

つまりエネルギーを人に
「吸われてしまう」ことがありうるのです。

実際に血を吸われるわけではなく、
活力となるエネルギーを「カー」から
吸い取られてしまうということなのです。

これらに対する心構えがなく、
きちんとした理解もないままに、
肉体的、感情的なエネルギーが
枯渇していたり心理的動揺をきたした
クライアントと接すると、
クライアントが帰ったあとに
ヒーラー自身はエネルギーを
使い果したように感じます。

これが看護師や医師そのほか健康管理業務や
医療に携わる人が、
しばしば消耗しきってしまう原因の
ひとつなのです。

そうした職業にある人は、
かれらの「カー」から
癒しのエネルギーを吸い取ってしまう病人に
いつも囲まれています。

輸血と同様、エネルギーの輸注も可能です。

以上がエネルギーの第一レベルで、
人から引き出したり、
枯渇されたりできる活力のことです。

自分の「カー」の存在や、
それがどのように抜き取られているかを
自覚しなければ、
まるで突然自分のプラグが
引き抜かれてしまったように、
エネルギーがからからになっているのに気づくでしょう。

そうなると休養してエネルギーを
補充しなければなりません。

「ハトホルの書」
(トム・ケニオン&ヴァージニア・エッセン著)より
 
カーとは霊とかスピリットとか呼ばれていて、
カーボディ(霊体)からのエネルギー(霊的なエネルギー)を、
吸い取られてしまうということです。
 
カウンセリングやセッション、
ヒーリングなどで、
お客さんが吸い取る場合もありますけれども、
カウンセラーやヒーラーが、
吸い取るパターンもあります。
自分のエネルギーが不足する為に、
接客という形を通して、
エネルギーを集めるのね。
お客さんはどうでしょうか?
お金を払って大事なエネルギーを取られて…。
本当にそれでいいの?と思いますけど。
依存したい人は、喜んで差し出すんだよね。
 
「新しいレムリア」(オレリア・ルイーズ・ジョーンズ著)では、
ヒッチハイカーという言葉で説明されています。
 
あなたが誰かを抱きしめるとき、
両者のハートのチャクラから
エネルギーが混ぜ合わされる。

とくに、あまりよく知らない人たちとは、
エネルギーを交換させるのは
必ずしも賢明ではない。

多くの場合、このような方法で
低い領域から「ヒッチハイカー」と
呼ばれる存在が乗り移ることができる。

我が友人たちよ、
これはとても頻繁にあることで、
私たちは集まりのあとで
人びとがとても疲労しているのを
絶えず目にする。

その時、彼らは多くの人を
自分のハートのチャクラに
近づけることを許すので、
自分に好ましくないエネルギーが
オーリック・フィールド
(訳注 = 生体の周囲に広がる電磁場)
に飛び移ってきている。

それがかなり頻繁に、
以前はまったく普通だった人たちに、
突然精神障害を
引き起こしている。

自己愛を生成できない人たちは、
他人のエネルギーを大量に必要とするそうです。
自分の不足を補うために、エネルギーを吸い取るのです。
自愛!自愛!と言う界隈がありますよね。
元々不足している訳です。

 

そして愛を欲しがる人について
 
それは愛とは何の関係もない。
それは多くの場合、
自己愛をほとんど持っていないために
何らかの愛情を必要としている
エゴである。
 
と説明しています。
いくら相手が寂しがり屋さんなのとか言っても、
むやみやたらと、
エネルギーを与えてはいけません。
 
あなたは自身のエネルギーが
損なわれないように見張って、
保護するようになりなさい。

これはあなたの不滅性を
構築するのに極めて重要なことだ。

あなたたちは皆、
成熟したやり方で
自分のエネルギー・フィールドを
管理する責任がある。
 
とあります。
 
エネルギーを交換する時、
”もし両者の霊的なエネルギーが
まったく同じレベルになければ、
必ずエネルギーを得る人と
吸われる人が存在する。”
とのことです。
 
私の場合だと、
病気や具合の悪い人が、
積極的に会いに来て、
元気になって帰っていくということを、
何度も経験しています。
なので、一方的に奪うような人、
それほど親しくない人は、
基本的にお断りしています。
 
 
よくオカルト系の話で美女がおいでおいでしていて、
ついフラフラ~と付いて行ったら崖だったとか、
キラキラ王子様とダンスしてるつもりが骸骨だったとか、
ありますよね。
 
それを見ている人には美女であり、王子様であるから、
その人によっては真実なんだろうけど、
実際は存在しない美女であり、骸骨です。
 
いくらその先は崖ですよ、
その人は、生きていない骸骨ですよ
と忠告しても、そう見えない人は進むだろうし、

踊るのをやめないでしょう。


例えその先が崖でも、骸骨でも、
本人が幸せならそれでいいのかもしれない。
 
でも、何でもありで自由だというのは、
崖から堕ちることなく飛べるだとか、

骸骨をキラキラの王子様に変えることが出来る、

という意味ではないですよね。

崖は崖だし、骸骨は骸骨のままであり、
でも美女だ、キラキラの王子様だと
思い込むのは自由だという話ですよね。
 
本当の自分の望みとは何でしょうかね?
履き違えないようにしましょう。