「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)

という本を読みながら、

エイブラハムという霊的なグループが伝えてくる、

「引き寄せの法則」と呼ばれるものについて、まとめて書いています。

 

鵜呑みにしないで検証しましょう

宇宙の法則の定義(エイブラハム)

引き寄せの法則とは何か?(エイブラハム)

思考と引き寄せの法則の関係(エイブラハム)

思考と現実の関係(エイブラハム)

という記事の続きです。
 
「それ自身に似たものを引き寄せる」
「類は友を呼ぶ」という
「引き寄せの法則」は、
思考に対しても働いています。
現実というのは、

思考の結果として現れるものなので、

引き寄せの法則を上手に活用することで、
結果としての現実もコントロールしましょう、
というのが引き寄せの法則を使った技術や方法論です。

 

望んでいるものでも望んでいないものでも、

関心を向けているとそれが現実として現れるけれども、

時間というクッションがあるから、すぐ現実化する訳ではないので、

方向転換をするチャンスがあります。

 

何かが起こった時には、その時の感情を見ると、
方向転換をしたほうがいいのかが分かります。

 

あなたはもっとうまくやれたはずだとか、
自分は愚かだった、
自分はダメな人間だと考えたとする。

しかし、あなたは立派にやっている、
あなたは賢明だし、
永遠に価値ある存在だというのが
「内なる存在」の見方だから、
あなたとあなたの「内なる存在」の見方には
決定的な不一致が生じる。

それであなたはその不一致を
「ネガティブな暗い感情」という形で感じ取る。

一方、あなたがプライドを持ち、
自分自身や誰かを愛しているとき、
あなたの見方は
「内なる存在」のそれにずっと近くなるから、
誇りや愛情や感謝という「明るい前向きの感情」を抱く。

あなたの「内なる存在」あるいは
「ソースエネルギー」は、
いつもあなたにとっていちばんためになる見方をするし、
あなたの見方がそれに一致すれば
肯定的な引き寄せの力が働く。

言い換えれば、
あなたの気分がよければそれだけ
あなたの「引き寄せの作用点」もいいし、
いいことが起こる。

あなたの見方と「内なる存在」の見方の
波動の相対的な関係。

これがいつでも利用できる素晴らしい「指針」なのだ。 
 
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著) より

 

という箇所をご紹介しましたが、

ネガティブな感情は内なる自分と不一致を起こしている時に、

感じています。

その時は、方向転換をした方がいいということになります。

 

思考を監視しようとするよりも、
自分の感情に関心を向けたほうがよろしい。

あなたのなかでも広やかで古くて賢明で
愛情あふれる「内なる存在」、
その部分の見方と調和しないことを考えると、
あなたは違和感を覚えるだろう。

だからすぐに思考を
別のもっと心地よい、したがって、
自分に役立つものへと振り向けることができる。

あなたがたは
この物質世界の身体に宿ろうと決めたとき、
「感情という素晴らしいナビゲーションシステム」を
利用できることを知っていた。

感情という指針を使えば、
いつも存在する素晴らしい感情を通じて、
自分がより広い知恵の方向から外れているか、
それとも一致しているかがすぐわかる。

望む対象のほうへ思考を向けていれば、
明るい前向きの感情を覚える。

望まない対象のほうへ思考を向けていると、
ネガティブな暗い感情になる。

あなたがたは、
なんであれ自分が思考を向ける対象を引き寄せる。

そのとき自分がどう感じるかに関心を向けてさえいれば、
自分という強力な磁力を持った「存在」が
どんな方向から対象を引き寄せているか、
いつでも簡単にわかる。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著) より

 

思考を監視するのは大変なので、

感情を見ましょう!ということで、

思考はいらないのです!とは言っていません。

”望む対象のほうへ思考を向けていれば、
明るい前向きの感情を覚える。
望まない対象のほうへ思考を向けていると、
ネガティブな暗い感情になる。”

という様に、

思考の方向性が分かりますよ!ということです。

 

感情と言うのは勝手に湧き上っている様に感じますが、

思考に左右されています。

 

例えば、バラの花束を見るとします。

美しいなと感じる人がいますが、

この世の全ての人が同じ様に感じる訳ではありません。

派手過ぎて、あまり美しいと感じられない人もいるでしょう。

昔、恋人にバラの花束をプレゼントしたのに、

こっ酷くフラれたことがあったので、

バラの花束を見る度に、怒りや憎しみが湧き、

美しいなんてとてもじゃないけど感じられない!

という人もいるかもしれません。

 

美しいと感じている人は、

美しいという設定がその人にあるから、

そう感じているのであって、

バラは棘があるのだから、

美しさと同時に悪意の象徴である!とか、

創られた美しさであって、自然な美しさではない!と、

誰かに刷り込みマインドコントロールに掛けたら、

その人はバラの花束を見ても、

美しいとは感じなくなると思います。

(これが設定の変更です!簡単ですね!)

 

設定変更という言葉で、

引き寄せ界隈にマインドコントロールの手法が、

横行している様です。

 

霊的に成長するということは、

ネガティブ、ポジティブ両方の見方を同時に捉える様になり、

そこをスタートに、視野を拡大していくのです。

そうすることで、様々な立場の人の考えや、

様々な感情に寄り添える様になりますよね。

多様性を尊重する世界を創るということは、

自分自身の視野を拡げていくということでもあるのです。

何度もご紹介していますが、

「22を超えてゆけⅡ太陽の国へver.2 6と7の架け橋」(辻麻里子著)

下記の様な箇所があります。

 

自分の内側から 外の世界を見るというベクトルだけで、
その反対の視点をまだ獲得してはいないのだ。
ミクロコスモスでありマクロコスモス、
個であり全体、
全体であり個であることを理解するには、
世界を反転させ
双方向のベクトルを束ねることである。

どちらか一方に固執することなく、
包括的な視点に立つことが重要なのだ。
360度の球体の視点を獲得できれば、
多次元的な意識に到達できるだろう。

今まで常識的に信じていたことも、
角度を変えて見ることが重要である。

 

多次元的な意識に到達しましょう!

というのが、

地表で生きる私たちの目標でもあります。

 

一番良いと決めたことを、思い込ませる、

自分を洗脳する、暗示に掛けるみたいな手法が、

当たり前の様に引き寄せ界隈では使われている様です。

これは、視野を狭めるものです。

 

今まで生きて来た中で、

社会や親や他の人達から刷り込まれた、

常識や価値観、思い込みなんかを手放していきましょう!

というのが私たちの目指すところです。

設定の変更と呼ばれるものには、

真逆の方向に進んでいるものが多い様に感じます。
カルト系の手法というか。

アムウェイとかなのかは分かりませんけれども…。

かなり危ないものを取り込んでいる様子です。

 

設定を変更するのは、自分自身の善悪判断で、

これは悪いことだと決めていたものに対して、

善いという見方を探していくのです。

自分が善いと決めたことを刷り込むことではないです。

それは悪いという見方も出来るんですよ。
 
例えば、相手が不機嫌だったり、
ネガティブな感情を持っていたりするのは、
相手の問題であるというのは、
全くその通りなんだけど、
相手が不機嫌なのかどうか、
ネガティブな感情を持っているのかどうかというのは、
相手本人にしか分からないことです。
 
こちらが勝手に、あの人は不機嫌だなとか、
ネガティブな感情を持っているわと、
決めつけているだけで、
本人は機嫌が良いかもしれないし、
ポジティブな感情で一杯かもしれません。
 
こちらの善悪基準で、相手はこうであると判断している、
ゲスパーしているということに気付いていません。
相手の感情や考え方捉え方は相手のもので、
こちらが押し付けるものではありません。
 
問題があるのは、相手が不機嫌である、
ネガティブな感情を持っていると捉えている、
自分自身であって、鏡の様に、
自分の内側を投影しているのです。
 
どうして、本当にそうかどうかも分からないのに、
不機嫌であると感じたり、
ネガティブな感情を持っていると感じたのでしょうか?
本人にしか分からないことなのに、
分かった気になるのは何故ですか?
それが本当のことだと、どうやって確認するのですか?
実際に確認して、相手の本当の気持ちまで、
味わって分かりましたか?
相手自身に成り代わって、相手の感情を味わったのですか?
 
こういう思い込みをスルーしている人が、
とても多いですけれども、
こんなに世の中、超能力者が多い訳がないですよね?
それとも私が知らないだけで、
皆さん超能力者なんでしょうか?
(私は一種のメンヘラなんだと受け止めていましたが)
 
例えば、あなた方は、ここに書いていることをパクって、
ネタに乗っかってツイートしたり、
商売に利用したりしていますよね?
悪いことだとは思いもしないからこそ、
出来ているんですよね?
だけど私にとっては、それは悪い事なのです。
同じ行動を見ても、私とあなたでは、
真逆の捉え方をしています。
 
ここを覗きに来て、パクって、ネタに乗っかるということは、
依存して、私に影響を受けていて他人軸の状態です。
これはよろしくないですよ!と伝えています。
また、私が大事に心を込めて書いたブログ記事を、
盗むという行為は、
その因を自分自身に創っていて、
いつかの時に、あなたが大事にしているものを、
盗まれるという形で返ってくることになりますよね?
その大事なものは、お金かもしれないし、
心かもしれないし、家族に関することかもしれないし、
何かは分かりませんけれども、
私が大事に心を込めているのと同じ位の、
何かを盗まれますよ!
それでいいんですか?と問いかけています。
私は、見て見ぬ振りをしたくないし、
盗ませたくなるような記事を書いているという、
責任もありますので!
忠告をしていますよ。
私にとって悪いことをしているあなた方は、
善い事をしている得をしていると思っているんですよね?
あなた悪いことをしているよ!と言われても、
身に覚えがないわ!と思う訳ですよね!
 
それぞれ自分の内側を投影しているので、
捉え方が変わってくるのです。
 
 
「感情という素晴らしいナビゲーションシステム」は
非常に役立つ。

なぜならあなたが気づいていようがいまいが
「引き寄せの法則」はいつも働いているから。

そしてあなたが望まない何かに思考を向け、
その思考に焦点を定めていると、
「法則」によって
どんどん似たようなものが引き寄せられてきて、
最終的にはそれと一致する出来事や状況を
経験することになる。

ただし
「感情というナビゲーションシステム」に気づいて、
自分がどう感じているかを敏感に感じ取っていると、
早期の微妙な段階で
自分は望まないものに関心を向けていると気づき、
自分が望むものを引き寄せるように
思考の方向を転換できる。

自分の感情に敏感でないと
自分が望まない方向で考えていることを認識できず、
望まない方向の大きくて強力な対象を
引き寄せてしまう。

引き寄せたあとになってからでは、
対処はとても難しい。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

という教えがありますが、

こういう部分が、
ワクワクしていればいいんだ!と言う様な、

間違った解釈にも繋がっているのかな?と思います。

 

物事には、ワクワクする見方とワクワクしない見方の、

二つが同時にいつも存在しているので、

ワクワクしない時には、

その物事に対して、否定的な見方をしている、

ということですから、

工夫をして、ワクワクする様な見方を見つけようね!

というのがワクワクの使い方です。

 

ワクワクしないなら、ワクワクする様な別の物事について考えて、

ワクワクし続けよう!とやっても、

またその物事について考えたら、ワクワクしない!となります。

終りがないので、見方そのものをひっくり返すことで、

ワクワク出来るようになり、

引き寄せもひっくり返すことが出来るのです。

(視野もここで拡がります)

 

選択肢を増やす為のヒントという記事では、

「サラとソロモン」 (エスター&ジェリー・ヒックス著)より、
下記の箇所をご紹介しました。
 
「そんなこと、わかっているわ、ソロモン。
だからソロモンからの助けが必要だったんじゃない。
わたしがつながることができるように」

でもね、サラ、
僕も君を助けることはできないんだ。

君自身が、
《それがどういう感じがするかという実感》を
自分で見つけ出さなければいけないんだ。

「ソロモン、わたしにはわからない」

覚えているだろう、サラ、
《苦しみの鎖》につながっていながら、
同時に《幸せの流れ》につながることはできないっていうことを。

一度にどちらか一方にしかつながれないんだ。

不快な状況を見ていて、
それが君をいやな気分にさせている時、
君がそのいやな気持を感じているということ自体が、
その時点で君が《幸せの流れ》につながっていない
ということを、君に教えているんだ。

そして、
《幸せ》の自然な流れにつながっていない時には、
君は他人に与えられるものなんか何も持っていないんだ。

「そんなのひどい。
それじゃあ人を助けることなんてできないじゃない。

助けが必要な人を見つけても、
その人が助けが必要だということを
ただ見ているだけで、
わたしがその人を助けられなくなるなんて、
そんなのひどい。

それじゃあ、いったいぜんたい、
どうやって人を助けたらいいの?」

一番大切なことは
《幸せの流れ》にずっとつながったままでいることだってことを、
覚えておかなければいけない。

だから、君の考えを、
自分がいい気持ちでいられるようなところに
ずっと向けておかなければならない。

ということはつまりね、
現在の状況について意識するよりも、
自分と《幸せの流れ》のつながりをもっと
意識しなくちゃいけないんだ。

それが鍵だ。

きのう起こったことを思い出してごらん。

ゾーイーお婆さんとの間で
何が起こったか話してごらん。

「うん。学校の帰り道、
家に向かって歩いていたら、
ゾーイーお婆さんが自分の家の前の道を
よろよろ歩いていたの。

手足がまったく不自由みたいなのよ、ソロモン。
ほとんど歩けないくらい。

本物の枯れ木で作った古い杖を使って、
歩く時自分を支えているの

それから、何が起こったの?

「う~んと、別に何も起こらなかった。
ただ、わたし、
こんなに手足が不自由なのは
悲しいなあって思ってたの……」

それから何が起こったの?

「ええと、何も起こらなかったわ、ソロモン」

ちょうどその時、
君はどんなことを感じていた、サラ?

「ええと、わたしはほんとうに
いやな感じがしてた。

ゾーイーお婆さんのことを、
ほんとにかわいそうだと感じてた。

お婆さんたら、階段を登る時に
自分の体を引っ張り上げるのでさえ大変なの。

年を取ったらわたしも
あんなふうになっちゃうのかと思ったら、
わたし怖くなっちゃった」

ほら、それが、この出来事全体の中で
一番重要な点だ。

もし自分がいやな感じを
感じていることに気づいたら、
それは《幸せの流れ》との
つながりを断った状況にいる
ということなんだ。

本当はね、
人は自然に《幸せの流れ》に
つながっているものなんだよ。

つながるために努力なんかしなくていいんだ。

どう感じているかに意識を向けることが
重要なのは、
つながりが断たれた時に
すぐにそれに気づけるからなんだ。

つながりが断たれている状態が
いやな気持ちというものなのさ。

「でも、つながったままでいるためには、
わたしは何をすればよかったの、ソロモン?」

『つながったままでいる』ということを
最優先させている時には、
つながったままでいられるような考えを
どんどん思いつくものなんだ。

けれども、そのことが
一番重要なことだってことを
真に理解するまで、
ほとんどの人は、
ありとあらゆる種類の無駄な探求をしている。

今から、いくつかの考えを言ってみるから、
それを聞いた時、
どんな感じがするかに注意を払ってごらん。

それが君を《幸せの流れ》につなげるか、
つながりを断ってしまうかどうか。

「いいわよ。」

『あのかわいそうな老女を見てごらん。
ほとんど歩くことさえできやしない』

「う~ん、それはすごくいやな感じがする」

『ゾーイーお婆さんに、
いったい何が起こるかわからない。
階段をひとりで登ることだって、
もう今はできない。
もっとひどくなったら、
彼女はどうするのだろう?』

「それは、つながりを断ってしまう。
簡単にわかる」

『彼女のひどい子供たちは、
いったいどこにいるんだろう。
どうして、彼女のところにきて、
世話をしてあげないんだろう?』

「わたしもそのこと考えたことがあったの。
これもつながりを断ってしまう」

『ゾーイーお婆さんはしっかりしたお年寄りだ。
独立していることが好きな人だと思う』

「う~ん。その考えはずっといい感じがする」

『誰かが彼女の世話を
してあげようとしたとしても、
たぶん彼女はそれを望まないだろう』

「うん。その考えもずっといい感じがする。
それに、それはたぶん本当だと思う。
わたしがお婆さんのために
何かやってあげようとすると、
お婆さんは怒るのよ」

ゾーイーお婆さんの言いかけたことを
待ちきれなくて言ってしまおうとすると、
ゾーイーお婆さんがどんなにイライラするかを、
サラは思い出しました。

『この素敵なお年寄りは、
長い充実した人生を送ってきた。
彼女が不幸せだということを
示す根拠は全くない』

「それはいい感じがする」

『彼女はたぶん
自分が生きたいと思っている通りに
生きているのだろう』

「それもいい感じがする」

『彼女は今まで見てきた
いろいろなことについて、
面白い話をたくさんすることができるにちがいない。
私は時々彼女を訪ねて、何か聞いてみたい』

「それはすごくいい感じがするわ、ソロモン。
ゾーイーお婆さんも喜ぶと思う」

だからね、サラ、同じ対象を見ても、
たくさんの異なった状況を見つけて
焦点を当てることができるんだ。

そして、君が感じている感じ方から、
役に立つ状況を選んでいるか、
役に立たない状況を選んでいるかがわかるんだ。
 
”《それがどういう感じがするかという実感》を
自分で見つけ出さなければいけないんだ。”
”だからね、サラ、同じ対象を見ても、
たくさんの異なった状況を見つけて
焦点を当てることができるんだ。
そして、君が感じている感じ方から、
役に立つ状況を選んでいるか、
役に立たない状況を選んでいるかがわかるんだ。”
とありますが、
その人が嫌な行動を取らない様になるのだとか、
別の行動を取る様になるのだといった風に、
自分に思い込ませるのではなくて、
いい感じがする様な捉え方を見つけることが出来るまで、
様々な角度でそれを眺めてみる、
というのが必要になります。
 
相手が不機嫌だ、ネガティブな感情を持っているのだ、
という様に感じる時には、
それは相手がそうである訳ではなくて、
受け取っている自分がそう捉えることを選んでいるのです。
 
自分を変えるということは、
いい気分になる様な捉え方を探すことで、

相手のことを変えるのではなくて、

相手はそのままでいることを尊重しています。
相手を変える必要なんてなく、
自分の捉え方を変えれば問題などなくなるのです。
 
エイブラハムは以下の箇所で、
「プラスとマイナスは引き合う」
ことについて説明しています。
 

ジェリー エイブラハム、
あなたの言葉と矛盾するんじゃないかと
思う言葉があります。
「自分にないものに引かれる」という言葉です。
これは「似たものが引かれ合う」という
あなたの教えと
違うようですね。
でも、反対のもの、
自分にないものに引かれるということが
あるんです。
例えば、外交的な男性が内気な女性と結婚するとか、
外交的な女性が物静かな男性に魅力を感じるとか。

エイブラハム あなたが見るものも
知っている人もすべて、
波動という信号を出している。
その信号が一致しなければ、引き寄せは働かない。
だから、いくら違っているように見える人たちも、
引かれ合うなら支配的な波動が似ているはずだ。

それが「法則」だから。

人のなかには「欲する対象への波動」と
「欲するが欠落している対象への波動」があり、
経験はすべて支配的な波動と一致している。

例外はない。

「調和」という言葉で考えてみよう。
二人がまったく同じなら、
両者の意図は満たされない。

言い換えれば、
売りたい者と売りたい者が一緒にいても
うまくいかない。

だが、
買いたい者を引き寄せれば「調和」がもたらされる。

物静かな男性が外交的な女性に引かれるのは、
もっと外交的になりたいという気持ちがあるからで、
だから実際には自分の意図する対象に引かれているのだ。

磁力を帯びた鉄鍋はほかの鉄製品(ボルトや釘や鉄鍋)を
引き寄せるが、
銅やアルミの鍋は引き寄せない。

ラジオを98.7メガヘルツのFM放送に合わせたら、
630キロヘルツのAM放送の信号は受信できない。

両方の周波数が合わなくてはならないから。

宇宙のどこにも、
反対の波動が引き合う証拠はまったくない。
それはあり得ない。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より


またサラッとぶっ込んで来ているのですが、

エイブラハムたちの領域では、

正反対のものも同じものの括りになるのです。

 

私たちは地表上で善人もいれば悪人もいる、

正反対の人達が沢山一緒に住んでいると思っていますけれども、

恐らくエイブラハムたちにしてみれば、

地表上の人達はみな似た者同士だね!同じ羽毛の鳥たちだね!

という様に思っているのではないかな?と感じます。

同じという括りがどの辺りまで広がっているのか?

ということで、

ECTON─エクトンが描く意識の地図(リチャード・ラビン著)から、
下記の様な説明をご紹介しましたが、

 

あなたの真実は、あなたのものです。

自分自身が自分の創造者だということを
理解し始めたとき、
あなたは孤独を感じます。

私がこの現実全体を創り出しているですって?

私が見るもの、
出逢う人すべて私の一部ですって?

エチオピアで飢餓に苦しんでいる
子供たちも私の一部?

どこかの大統領も私の一部、
このテーブルも私なのだろうか……と。

たぶん、そうです。

どの範囲まで皆さんは、
自分の創造性を
受け入れる気持ちがあるでしょう?

 

”どの範囲まで”という言葉が出てきます。

霊的な領域の範囲と私たち物質次元の範囲というのは、

違う様に見えてしまうので、

霊的な存在達のメッセージに対して、

私たちの理解が追い付かないことがあります。

 

エイブラハムたちは、

 

(九)原子の法則

振動の全オクターブは、正が反を呼び、
プラスがマイナスを引きつけるのである。
陽電子は陰電子を呼んでバランスをとっているのである。
だから、原子の法則は、積極消極の法則と統合しているのである。 
 
「秘教真義」(M・ドーリル博士著)より
 
すべての宇宙サイクルにおける
あらゆるものは振動の法則に従っており、
この振動法則はまたリズムによって規制されている。

科学では、電子は負(マイナス)電荷だと言っているが、
マイナス同志の電子には同類反発の斥力が働くのが普通なのに、
なぜお互いに群をなして集っているのかの
説明をしてくれない。

相反するものが引き合うというのが、
宇宙法則の一つである。

プラスがマイナスを引きつけるのである。
 
「秘教真義」(M・ドーリル博士著)より
 
という正が反を呼び、プラスがマイナスを引きつけるという箇所も、
似たもの同士という括りで捉えています。
 
例えば、
ツイッターで、自分と相互の関係で、
しょっちゅういいねやRTをしている仲間とは、
似た者同士、引き寄せ合っていると感じていますが、
あなたは私のブログ記事を読んで腹を立てていて、
私に対しては似た者同士とは感じられません。
 
あんたなんて私とは正反対だわ!似てないわ!
ムカつく!と思っていますけれども、
何故か引き寄せが働いて、
あなたはこのブログ記事を読んでいるのです。
(私は読んでくださいとお願いなんてしていないのに!)
 
その関係もエイブラハムは似た者同士だね!と言っている訳です。
あなたの内側の何が引き寄せたのかな?と内観していみると、
見えて来るものがあるかもしれません。
 
 
引き寄せ信者というのはあらゆるものが引き寄せで出来ている!と、
思い込んでいますけれども、
そのあらゆるものという範囲をどこまで広げているのかな?
ということに違いが生じて、
私は共鳴しているドーリル先生の教えを元に、
似たものが引き寄せられるだけではない、
正が反を呼ぶという法則もあるし、
原因と結果の法則も働いていると考えています。
その原因があるから結果に現れるという部分も、
エイブラハムたちはその原因はあなたに似たものだね!
と括っているのだと思います。
 
 
「秘教真義」(M・ドーリル博士著)には下記の説明があります。
 
いろいろの法則は、その表現過程において
互いに応変の修正変更はあるが、
これらの諸法則は一つの大法則に共通の淵源をおいている。

法則は調和である。

多くの法則が互いに対立している様に見え、
時には争いのもとになっている様に見えるが、
全体としては、すべての法則がその源である神において
大調和をしているのである。

二つの法則が互いに相克するかも知れないし、
あるいは現に相克していて二つの法則の
効力を無に相殺し、あるいは中止させていても、
それも法則のもたらす結果であって、
法則を無視してそうなっているのではない。

因果の法則は、全宇宙の粗大な物質から
精妙な霊にまで普及しているところの、
神(無限)の大法則である。

形而上学者にならんとする前に、
宇宙の法則を学ばなければならない。

また、アデプト(聖大・大先達)になる前に、
すべての宇宙法則を知悉しなければならない。

形而上学者は、あらゆるものがいかにしてなり、
どんな過程を経てきたかを探求しているのであり、
何事かが実現するとその原因、理由を追求するのである。

形而上学徒は単に物質的原因のみを探求しないで
非物質的な面のものも調べる。

彼らは自己が調査している事柄の原因、主因は
物的非物的の二面からなることを
知っているからである。

エイブラハムたちは上記で、

”「調和」という言葉で考えてみよう。”
と言っていますけれども、

ドーリル先生もまた、

”法則は調和である。”

と言っていて、
”多くの法則が互いに対立している様に見え、
時には争いのもとになっている様に見えるが、
全体としては、すべての法則がその源である神において
大調和をしているのである。
二つの法則が互いに相克するかも知れないし、
あるいは現に相克していて二つの法則の
効力を無に相殺し、あるいは中止させていても、
それも法則のもたらす結果であって、
法則を無視してそうなっているのではない。”

ということです。

 

下記は、銀河ネットワークさんの過去のブログ記事になります。
 
本来私達はエネルギー的存在(意識的存在)で各個人は、
この宇宙で特定の領域座標を持って存在しています。
座標とは通常、x y z の3つの座標で表現しますが、
これらは、過去・未来・現在や
陰・陽・統合などに変換することも出来ます。

その中でも第三の軸z(現在・統合)がとても重要です。

そして、他にこれらの軸の背後全体に、
第四の軸(客観的領域・宇宙意識)も存在しています。

愛の周波数は銀河の意識レベルでは重要なエネルギーで、
視点を変えて定義してみると、
全てを受容し変換できるエネルギーと表現することが出来ます。

全ての事象・体験・感情を受容(受け入れる・認める・ゆるす)する
という意識に自分の中で変換した瞬間に、
z軸(現在・統合)の座標が変化し、
別のホログラムの中に存在することが可能になります。

すると、自分の周り(スクロール)が変化します。
(他人・環境等の自分に対する態度・言葉・感覚・雰囲気など)

これらは、よく他人や環境は自分の鏡の存在
という形から確認することが出来ます。

今世、自分達の経験している体験・出来事は、
かつて銀河系内で克服する事が出来なかった宿題の総決算
ということですので、
身に覚えのない出来事(陰)が沢山登場します。

でもスクロールの定義を理解していれば
自分の現実を変えることが可能になります。

 

”身に覚えのない出来事(陰)が沢山登場します”とありますが、

引き寄せの法則だけを考えると、

今の思考や少し前の思考だけが現実を創っていると捉えてしまいますが、

原因と結果の法則もありますので、

あらゆる全ての目の前に起こってくることを、

完璧にコントロールすることなど出来ず、

思わぬ出来事も多々起きて来るものなのです。

 

ちなみにこのスクロールの部分が、

平行次元の移行ということになります。

全てを受け入れる事、許す事をした時に、

平行次元を上方に移行していきます。

 

私は私!人それぞれ真実は違うのだから、

私は間違っていない!

という場合、受容、許容しているのでしょうか?

 

私を楽しませてくれるあなたは善い人だわ!

あの人は不機嫌で、ネガティブだわ!

と言う場合、受容、許容しているでしょうか?

 

この問いというのは、

二元性の克服、恐怖心の克服、

感情のコントロール、傲慢さの克服なんかの、

集大成になりますので、

じっくり取り組んで下さいね!

 

 

思考を完璧にコントロールしたから、

これから先に起きて来ることも全部、

コントロール出来るのだ、という思い込みは、

逆に言えば突発的な出来事が起きたら、

自分には対処出来ない、

予測のつかない出来事は怖いと言っているのと、

同じことです。

 

経験をコントロールするというのは、

どんなことが起きたとしても、

それに対してネガティブな感情が湧いたら、

すぐに思考を転換して、

肯定的な側面で捉える様にすることで、

その経験を善いものとすることが出来る、

という意味です。

 

計画書を作って、その通りに物事を起こすことが出来る!

という意味ではありません。

 

「ハトホルの書」(トム・ケニオン&ヴァージニア・エッセン著)には、

下記の様な教えがあります。

 

まずお話ししておかなくてはいけないのは、
外面的に生活が順調であることは
なんら霊的進歩の基準にはならない
ということです。

「正しいこと」をしていれば
人生は完璧になると
信じている人々がいるようです。
そういう人にかぎって、
否定的なことが起きると
それは何かの間違いだと
思い込んでしまいます。

こうした考えは、
わたしたちの解釈とは異なります。

人が人生で出遭うのは
「表層的出来事」であり、
それは意識の表層部分
(つまり三次元の現実ということです)
で起こっているということを
理解しなければなりません。

ものごとの表面下には、
意識そのものの深層から影響を及ぼしてくる
巨大な見えない力が存在します。

意識は、あなたをとおして
表面化するかもしれず、
文化をとおして表面化するかもしれず、
あるいは地球の変動をとおして
表面化するかもしれず、
さらには宇宙の想像もできないほど
膨大な力をとおして
表面化するかもしれないのです。

 

あらゆる出来事は、あなた一人の力で
つくられているわけではありません。

(ただし、それらの知覚は
疑いなくあなた一人によるものですが)。

 

個の力、文化の力、
地球あるいは宇宙を基盤にした力など、
さまざまな力の相互作用が、
あなたの運命を決定する
表層的出来事を創造しているのです。

 

あなたの人生で顕在化する力のいくぶんかは、
あなたの側における
思考や感情や行為の結果であり、
もとをたどれば
あなたが自分の意識という土壌に播いた種です。

 

”あらゆる出来事は、あなた一人の力で
つくられているわけではありません。”

とありますが、

現実というのは、自分とその他の存在達との、

共同創造になります。

全てのものごとが自分の思惑通りに出来るなら、

自分の思惑通りに他の全ての存在を動かすことになります。

でも実際はそんなことは出来ません。

計画書通りにうまく物事を運ばせることが出来る、

という風に思い込む人は、

他の人達もまたそれぞれが現実を創っている、

ということを無視しています。

 

エイブラハムたちが伝えている、

三つの「宇宙の法則」をご紹介しました。

 

第一の法則が「引き寄せの法則」。

第二の法則が「意図的な創造の方法論」。
第三の法則が「許容し可能にする術」。

 
この三番目の許容し可能にする術という部分は、
とても重要なことなんだけど、
この部分まで到達していない人が、
引き寄せカウンセラーを名乗って、
他人にお金を貰ってアドバイスをしているのね。
 
この三番目の法則というのは、
上の二つをマスターしてから、
最期に理解しましょうということなので、
時々触れつつも、後でまとめようと思っていますが、
ここを理解しているかどうかで、
解釈がまた変わってきます。
 
 

「秘教真義」(M・ドーリル博士著)には、下記の説明があります。

 

自己の行為によって創られた因を
適当にチェックする能力を
もたないということが、
形而上学徒に最大の間違いを
おこさせることになるのである。

その原因は、望んだ結果がとうてい得られない様な
無効なものだったかも知れない。

その反応は、調和がもたらされるべきところに
混乱を来たらしたものだから、
望んだ目的とは反対の悲惨な結果となってくるのである。

普通には、形而上学徒は発現せんとする原動力を、
現実の活動力によって止めたり、
バランスをとったりしてその原動力を相殺している。

原動力が弱められると、
エネルギーの無駄使いがなくなり、
目的が自然的・調和的方法で実現し得る様になる。

あまりに多くを実現することは、
時には大変な致命傷となることがある。

ある考えが心の中におかれると、
それは何らかの形で結果をもたらす。

心に発現しているすべての観念を
こまかい点まで熟慮しないと、
現実化せずに心象として残ってしまう。

その理由は、想念が結果として実現化する時に
各観念は、その究極の実現結果に対して
各分野の役割をはたすわけだからである。

 
両極をいつも捉えることが出来ないと、
偏った解釈をしてしまって、
最終的には思わぬところに向かってしまうことになります。
 
塞翁が馬と言いますが、
goo辞書では、” 人生の禍福は転々として予測できないことのたとえ”
とあります。
今の自分が善いことだと考えていることは、
不幸の始まりかもしれないし、
今の自分が悪いことだと考えていることは、
幸福の始まりかもしれない、
ということもあるのです。
 
目先の善悪判断で決め付けても、

その思う通りに物事が運ぶという保証は全くないのです。

 

けれども、何かが起こった時に、

自分の感情を見て、ネガティブになっていたのなら、

ポジティブな感情になれる様な捉え方を見つけて、

思考を転換することで、

変化し続ける状況に対応することが出来ますよ!

ということなのです。

 

この仕組みが分かれば、恐れることは何もないし、

必死で計画書を作る必要もなく、

自分の計画通りに周囲の人が動く様に、

コントロールする必要もなくなるのです。