「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)
「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)
という本を教科書にしてきて、昨年からは、次のステップとして、
「理想のパートナーと引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)
という本をご紹介しています。
例の悪霊につかれた婦人の場合は
「わたしは聖者である」と言って
彼女の信用を得たのである。
そして、彼女を支配し、彼女に取りついたのである。
彼女はそれらのために扉を開けたのである。
そして彼らは真理へのまっすぐな道を進ませる代りに
「この道を降りましょう」と言ったのである。
彼女は彼らに抵抗し、わたしに助けてくれと
泣きついて来たのである。
こんな場合にわたしが直してやる唯一の理由は、
そんな状態に知らず知らずに陥った
という場合だけなのである。
何者といえどもその人がみずから選んだものを
取り去ることが出来ないのである。
しかし、今の婦人の場合は、
自分が選んだのでなく、
自分の無知の故にそこにはまり込んだのである。
もし、人がこの様なことを知っていながら、
尚かつ悪霊どもと交わるのは、
ブラックブラザーフッド(悪霊同胞団)と
結びつくことなのである。
そんな人がその中へ入ってしまってから
引き返らせれば、死んでしまうのである。
だから、そんな人には、
この世にいる間に苦しませておく方が
かえってよいのである。
その方が、彼らも死をもってそれから逃れるのよりも、
意識的に、その様なものと交わることの
恐ろしさというものを学べるのである。
あなたは、自分のまくところに従って
刈らねばならないのである。
わたしが、今ここで言っていることは、
神の道から悪霊の道へと
転落した魂のことなのである。
そんな人は、自分に大衆を隷属させ、
尊敬を受けたいので、
個人的霊能力を得るために
ネガテブ(悪)の法則に従いますと
悪魔と契約した人なのである。
「療法の眞義」(M・ドーリル博士著)の下記をご紹介しますね。
引き返らせれば、死んでしまうのである。
だから、そんな人には、
この世にいる間に苦しませておく方が
かえってよいのである。
その方が、彼らも死をもってそれから逃れるのよりも、
意識的に、その様なものと交わることの
恐ろしさというものを学べるのである。”
因果法則に関する非常にすばらしいことは
”人(エゴ)は過去に積んだ原因の結果に遭遇して、
過去を否定し、自己の現在と未来とのすべてを
神聖法則と調和する様にできる、
偉大な能力を持っている”ということである。
「秘教真義」(M・ドーリル博士著)より
というドーリル先生の教えもあります。
やらかしたことを、否定する、というのは見て見ぬ振りをする、
という意味ではなくて、
それをエイブラハム達がいうところの転換をして、
善因としていけますよ、という意味です。
この転換は、何度もご説明していますが、二元性を克服しないと難しいです。
半分水の入ったコップの例えをご紹介しています。
たとえば、コップのなかに2分の1、 水が入っているとする。半分残っているという捉え方と、半分なくなったという捉え方がある。加算的な考え、減算的な考え、この双方のベクトルを統合して、2分の1「在る」という視点を持つことがゼロポイント的な発想の真髄でもある。プラス思考でもマイナス思考でもなく、なにも足さず、なにも引かず、ただ「在る」姿を淡々と捉えること。それが、ゼロポイントの意識状態に到達することなのだ。「22を超えてゆけⅡ太陽の国へver.2 6と7の架け橋」(辻麻里子著)より
超ポジティブな俺は、水を全部飲んだってコップはまだ残っていると考えるぞ!と、
本来の意味を捻じ曲げて、やたらポジティブであることが善いのだ!と、
思い込んでいます。
善い見方と悪い見方があって、善い見方が出来る人は素晴らしい!
なんて話ではないんですよ。
それこそが二元論なんですね。
自分の中で、ネガティブな見方も出来るし、ポジティブな見方も出来る、
という話です。
お前の見方はネガティブだな?俺はポジティブ!なんてやるのは、
別々のコップの話になるんですよ。
ここで大事なのは、物事のネガティブな側面を見ていることに気付いたら、
反対側のポジティブな見方も存在するのが法則なんだから、
瞬時に反転しましょう、ということなのです。
引き寄せの法則で言えば、波動を変えて、
違うものを引き寄せてくる、ということになるし、
原因と結果の法則で言えば、
”過去を否定し、自己の現在と未来とのすべてを
神聖法則と調和する様にできる”
ということになります。
エイブラハム達が伝える引き寄せの法則でも同じ様に教えているのですが、
私たちに必要なのは、
自分が誰かと比べてポジティブであることを自慢に思って、
マウントを取ることではないんですね。
日々の生活の中で、ネガティブに感じるようなことが起きた時に、
どう対処するのか?ということが重要なのです。
あなたは水と油を混ぜることは出来ない。
あなたの心がいつも心配と苦しみと
破壊的な考えで一ぱいであったら、
聖意識という油と不調和想念という水とは、
混ぜることは出来ないのである。
聖なる霊法則と調和して生きるには、
まず、正しいことを考えはじめるべきであり、
自分の内の否定的考え方、
怒り、憎しみ、恐れなどを廃して、
正しい想念をもちはじめねばならないのである。
イエスが「汝を軽蔑する者に善をなせ」
と言ったのはこんな理由からである。
もし、他人があなたに善をなせば、
それを自己の当然の権利として受けるべきである。
私は、他人が私のために立派なことをしてくれても
大騒ぎをしない。
その理由は、他人が私のために善事をしてくれると
当然の期待をしているからである。
もし、他人が私のために善事をしてくれなかったら、
私の方に何か到らぬことがあったからだと
自分で思うだろう。
我々が善悪の結果を予想するところに、
我々大多数のトラブルがあるのである。
誰かが私に善いことをしてくれれば、
それは、私の意識の中にそれを引きよせる様な
何かの状況があったから、その人が私に
それをしてくれたのだと私は思い、
その人は私のためにそのことが実現される
チャンネル(通路)になったのだと思うのである。
私は、他人が私にしてくれたことを別の人に回すのである。
私は善念に対して善念を返そうとは望まないのである。
我々の働きは、不調和、悪念を向けられたのに対して
善念を返し、悪念を変化させて完全化することにあるのである。
もし誰かが私に何か善いことをしてもらいたいと言ったら、
彼らが私を通して流れる何か善いことがあると
心内に感ずるからなので、
それが達成されることを知っているのである。
もしあなたが全世界に善事を発出するならば、
それがあふれ流れる様にして、あなたに帰ってくるであろう。
人間の破ることの出来る唯一の法則は、
人が作った法則なのである。
我々が破ることが出来ない法則を破ろうと試みることは、
その法則に対して自分達自身を破っているのである。
「秘教真義」(M・ドーリル博士著)より
”我々の働きは、不調和、悪念を向けられたのに対して
善念を返し、悪念を変化させて完全化することにあるのである。”
とあります。
これが転換で、水が半分入ったコップの例えの教えになります。
二元論者はこれが全く理解できないんですね。
二元性を克服するにはどうしたらいいのか?といったら、
自分の中にあるネガティブ、悪想念を認めて、受け入れて、
それを反転させるような別の考え方を探しだすことを、
根気よく続けるしかないです。
まず、これが出来ない。
ネガティブなものが自分の中にあることを認められないんですね。
以前、原因と結果の法則について長々とまとめて書いてきました。
原因と結果の法則、因果応報について詳しい解説は、
ずっと昔に行っています。
原因と結果の法則をベースにして、内観すると、
カルマを解消できるので、次の段階の引き寄せの法則の学びに入れます。
ジェリー 今までいろいろ考えてきたのですが、
人間関係に対する正しい自然なアプローチって、
なんなのでしょうね?
地球上のほかの動物たちを見てみると、
ほとんどは一夫一妻じゃないですよね。
メスのゾウはほかのどんなオスとでもいっしょになるし、
オンドリは自分の群れのメンドリに近づこうとするオンドリがいれば
死に物狂いで闘うじゃないですか。
配偶者については人間もほかの動物のように行動すれば、
「適者生存」の動物たちのように、
人類ももっと強くてもっとパワフルになるんじゃないかと思うんですが、
どうでしょう。
「見えない世界」の視点からすると、
関係性への正しいアプローチと間違ったアプローチが
あるのでしょうか?
それから、何が自然なアプローチなのでしょう?
エイブラハム 人類の生存を保証するだけの自然な力は
十分に働いているよ。
変化も多様性もバランスも十分だ。
あなたがたには飢えや渇きを満たそうとする
自然な衝動があり、
それと同じ様に種の生存を保証する性的衝動や
つがいを作ろうとする衝動もある。
わたしたちが人間関係に関心を向けるのは、
あなたがたの行動をなんとかしなければ
種としての存在が危ういからではない。
人類という種は危機に瀕してはいない。
わたしたちに関心があるのは、
あなたがたが楽しく生き延びられるかどうか、
ということだ。
わたしたちには、あなたがたがコントラストに満ちた経験や
人間関係から創造した「波動の預託口座」の全貌が見える。
だから、あなたがたがその拡大・成長した「波動」に
自分を調和させる方法を見つけられるように、
お手伝いしたいのだよ。
そうすればあなたがたは今すぐに、拡大・成長した自分を
十分に楽しく生きることができる。
あなたがたがなんらかの経験をきっかけに
もっといいことを望むときには、
その願望の実現を自ら「許容・可能」にしなくてはいけない。
そうでないと喜びが減少してしまう。
簡単に言えば、人生があなたを拡大・成長させるのに
追いつかなければ、喜びは感じられないのだ。
物質世界の存在として現れているあなたがたについて、
わたしたちが知っている間違いのない正確で
ありのままの真実がある。
こういうことだ。
・あなたがたは「ソースエネルギー」の延長である
・あなたがたが物質世界に焦点を結んだ目的は
コントラストを経験することである
・あなたがたがコントラストに満ちた経験を選択する目的は、
生きることについて新しい考え方や決断をすることである
・生きることについての新しい考え方や決断は宇宙の拡大・成長と等しい
・宇宙の拡大・成長は生きることの必然的な結果である
・物質社会で生きることで、あなたの「見えない世界」の部分が
拡大・成長する。
喜びを経験しようと思うなら、
その拡大・成長と歩調を合わせなくてはならない
・喜びはあなたがたとわたしたちの最も自然な性質である
・人間関係はあなたがたのコントラストのベースである
・したがって、人間関係はすべての拡大・成長のベースである
・したがって、人間関係はあなたがたの喜びのベースである
・喜びを「許容・可能にする」思考が見いだせないなら、
あなたは「既にそうなっている本当の自分」から自分を引き離している
・人間関係のおかげで、あなたがたは拡大・成長する
・人間関係のせいで、自分の拡大・成長を
「許容・可能」にしないでいることも多い
・喜びの状態にあることが自然だ
・成長しつつある状態が自然だ
・自由な状態が自然だ
・以上はあなたがたが人間関係について理解しなければならない、
最も大切なことである
「理想のパートナーと引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
思い出してほしい。
すべての物事は実は二つの事柄だ。
望むことと、
望むことが満たされていないことである。
これは棒の両端のようなものだ。
一方の端はあなたが望むことで、
もう一方の端は
望むことが満たされていない状態だ。
だから「身体的な幸福」という
棒の一方の端は「元気」で、
もう一方の端は「病気」である。
「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
間違った思い込みその③
望まないことに強力に圧力をかければ、
望まないことは消えてなくなる。
あなたがたは「引き寄せの法則」」をベースにした宇宙に
生きている。
つまり、宇宙のベースは「加えること」であって排除ではない、
ということだ。
言い換えれば、「加えること」と引き寄せをベースにした宇宙では、
「ノー」ということはあり得ない。
望むものを見て「イエス」と言えば、
その対象があなたの波動に取り込まれる。
あなたが出す波動の一部、
つまり引き寄せの作用点の一部になり、
つまりは引き寄せが始まる。
だが、何かに対して「ノー」と叫んでも、
その対象はあなたの波動に取り込まれ、
引き寄せの作用点の一部になり、つまりは引き寄せが始まる。
「理想のパートナーと引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
あなたは、焦点が定まっていない。
自分にとっての真実は何か、
あなたには確信がない。
宇宙というのは、巨大なコピー機にすぎない。
あなたの考えを何枚もコピーするだけだ。
すべてを変える方法はひとつだ。
あなたの考えを変えるしかない。
「神との対話」(ニール・ドナルド・ウォルシュ著)
という説明もありましたが、
ノー!いらない!バイバイ!と言っているものをコピーしているのね。
望まない方の端ではなくて、反対の望む方の端を見ないと、今、皆さんはここにいます。
お金が足りないとか、人間関係が嫌だとか、
自分が好きじゃない、あるいは不安でたまらないという
身体状態にあるかもしれません。
ここで皆さんは矛盾した経験をして、
もっといい経験をしたいという願望のロケットを常に打ち出しています。
今は以前よりももっとたくさん
ロケットを打ち出しているでしょう。
自分が何を望まないかがわかれば、
何を望むかももっとはっきりするからです。
そして皆さんのなかの「源(ソース)」は
そのロケットを飛ばすだけではなく、
新しく拡大した皆さんと同じ波動になります。
そこで皆さんにお尋ねしたいのは、こういうことです。
「たった今、皆さんは
──考えたり話したりしていることによって──
自分に追いついていますか?
人生が仕向けてくれた自分に追いついていますか?」
もしそうなら、皆さんは調子が合っているし、
つながっているし、活性化しています。
明るく素晴らしい気分でいるでしょう。
もしそうなら、皆さんは拡大バ―ションの自分になることを
自分に「許容・可能に」しているのです。
そのとき皆さんは世界を「源(ソース)」の目で見ています。
ネガティブな気分でいるとしたら、
それは何かに関心が向いていて、
それが効いているということです。
言い換えれば、
それは皆さんがでっちあげたものではないということです。
皆さんはそれを見ている。
意図的に「本当の自分」から
自分を引き離そうとしているわけではないでしょう。
しかし、ネガティブな気分になるときはいつでも、
そうなっているのです。
皆さんは自分を「本当の自分」から引き離しています。
「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)
”自分が何を望まないかがわかれば、
何を望むかももっとはっきりするからです。”
という箇所は転換の話になっていて、二元性を克服していないと、
望む方に転換することが出来ません。
二元性を克服していない人というのは、ジェリー しかし、配偶者は一人が自然なんですか?
それとも複数が自然なんでしょうか?
男性は一度に複数の妻を、女性は一度に複数の夫を
持つべきなのでしょうか?
今のわたしたちの社会ではそれはいけない、
ということになっていますが。
エイブハム 今の質問から、もう一つのとても大きな、
非常に誤った思い込みが浮かびあがるね。
間違った思い込みその⑬
正しい生き方と間違った生き方がある。
そしてすべての人が正しい生き方を発見し、
同意して、次のその正しい生き方を他人に強制すべきである。
すさまじい不調和と混乱の核心にあるのが、
「どんなことについても正しい決断はたった一つだ」
という、この間違った信念なのだ。
幸いこの間違った信念を強制する方法はないがね。
もしそんな方法があったら、間違いなく「存在」の
終わりにつながるだろう。
言い換えれば、拡大・成長はすべてコントラストが生み出す新しい意図やアイデアから生まれるのだから、
コントラストが消滅すれば拡大・成長も止まる。
だが、そんなことは決して起こらないから、心配はいらない。
完璧にバランスのとれた多様性が確立し、
「宇宙の法則」に従って流れている。
わたしたちがこうしてあなたがたと話しているのは、
人類の生存や「永遠」のためではない。
何一つ危機に瀕しているわけではないからね。
そうではなく、こうして話してあげていることを
理解することが、
あなたがたが「楽しく」生きていくための
基礎になるからだ。
人生の何かをきっかけにして「波動の預託口座」にむけて
願望を発射すると、
「感情というナビゲーション」と働いて、
その願望と波動を調和させやすくしてくれる。
願望を実現して楽しく拡大・成長するためには、
その調和が不可欠だ。
それ以外の方法や掟はあなたがとはなんの関係もない。
あなたがたを取り巻く法や掟は、
宗教的なものでも世俗的なものでも、
「源(ソース)のより広い視点」と
調和していない人たちによって書かれている。
それにだいたいは、「何が望ましくないか」
という視点に立っている。
だから、多くの人たちがとてつもない時間を費やして、
どの法や掟が正しくて
どれが間違っているかと激しく議論することになる。
そんなことをしている間は、より広い視点には到達できない。
そういう人たちは、「源(ソース)」と分離しているために
感じる自分のネガティブな感情を、
議論を正当化するために使おうとする。
自分の行動が正しいかどうかを気にするのではなく、
自分が愛を感じられるような思考、
言葉、行為を見つけることで
自分の「源(ソース)」と調和するように心がければ、
この地上でおびただしい数の──さまざまなことを信じ、
さまざまなやり方で行動している──
生きとし生けるものと平和に共存することが可能だと
わかるだろう。
「源(ソース)」との調和を「許容・可能」にする生き方に
焦点を絞ることができれば、
たとえほかの人たちがあなたとは違う行動を選んでも、
あなたは正しい生き方についてすべての人と
合意する必要がなくなり、真に自由になる。
ただ一つの正しいやり方は終焉につながるだろう。
多くの正しいやり方は永遠の拡大・成長を「許容・可能」にする。
人が周りの人々をコントロールする法や掟が必要だと思うのは、
周りの人たちの行動が自分にネガティブな影響を与えると
信じているからだ。
だが、自分の思考によって招き寄せないかぎり、
どんなことも自分の経験のなかに現れはしないとわかれば、
他人の行動のコントロールなどという不可能な仕事から
手を引いて、
自分自身の思考を方向づけるという
はるかにやさしい仕事をすればいい。
ここで「許容・可能にする術」のことを思い出してほしい。
波動のなかで「既にそうなっている自分」や
望むすべてとの波動の調和を「許容」可能のする術」のことだ。
この広大で多様性に富んだ物質世界には、
あなたがたが求めるすべてを供給する力がある。
そして、あなたがたが目にするすべての恐ろしいもの、
忌まわしいものは、
誰かが本来あるはずの「よいあり方(ウェル・ビーイング)」を
「許容・可能」にしないから生じる。
「引き寄せの法則」は波動という性質を持つすべてを
律している(そして、すべては波動である)。
あなたがたがその法則を発動させる必要はない。
法則は法則として常に働いている。
「許容・可能にする術」に関心を向け、理解し、
応用すれば、ほかの人たちが何をしていようと、
あなたは楽しく生きられる。
だが、これだけは覚えておきなさい。
楽しい人生を送っていない人に
関心を向けているとき、
あなたは「許容・可能にする術」を実践していない。
「理想のパートナーと引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
コピーの例えがありましたが、
鬱の人は半分水の入ったコップを見てネガティブになって、
半分しかないと言う、
ということを考えている時、他人に思考を向けているので、
自分の経験に引き込んでいるよということになります。
何かしら自分の考えを把握する時にいつも、
他人と比較する癖がついているんでしょうね。
”「許容・可能にする術」に関心を向け、理解し、
応用すれば、ほかの人たちが何をしていようと、
あなたは楽しく生きられる。
だが、これだけは覚えておきなさい。
楽しい人生を送っていない人に
関心を向けているとき、
あなたは「許容・可能にする術」を実践していない。”
とありますね。
実際は自分が感じているネガティブな感情を、
他人のものとすることで、正当化していると言えます。
自分の思考の問題に他人がどうなのか?は全く関係ありません。
二元性の克服と自他の境界線というのは密接に関わりあっていて、
二元性を克服できない人は、すぐ他人がどうなのか?という話をします。
”正しい生き方と間違った生き方がある。
そしてすべての人が正しい生き方を発見し、
同意して、次のその正しい生き方を他人に強制すべきである。”
という間違ったい思い込みの説明がありました。
この文章も、他人がどうなのか?という話になっていますよね。
他人軸ですね。
”正しい生き方と間違った生き方がある。” というのが二元論です。
コップの例えでは、
鬱の人は半分しかないと言う(間違った生き方)という解釈ですね。
”同意して、次のその正しい生き方を他人に強制すべき”という箇所は、
自他の境界線が引けていませんよね。
人それぞれであることが分かれば、他人はどうなのか?というのは関係ない、
考えてもキリがないということも分かります。
これを理解する為には、まずあらゆるものには相反する二つの見方が存在する、
つまり自分の中にも二つの見方が発生するのだ、
ということを理解している必要があります。
例えば、人の長所と短所いうのは表裏一体です。
うっかりミスの多い人がいるとします。
ある人にとってはそれは短所に見えますが、
ある人にとっては隙があって親しみやすく長所に見えます。
同じ特徴に対してネガティブな見方とポジティブな見方が発生するのです。
好きな人に対しては長所に目が行くけど、
嫌いな人に対しては短所に目が行くと思いがちですが、
そうではなくて、自分にとってそれが善いと感じられるものだから長所に見えて、
自分にとってそれが悪いと感じられるものだから短所に見えるのです。
そしてそれは投影しているもので、
自分の性格でこれは善いと決めている特徴を目にすると、
長所だと感じられ、
これはダメだと悪いと決めている特徴は短所に感じられるのです。
うっかりミスなんてしてはダメだと思っていたら、
誰かがうっかりミスをしたら、短所に感じますし、
自分が気にして嫌だなと思っている特徴を何度も見せる人のことは、
嫌いになります。
うっかりミスをするくらいの方が隙があって親しみやすいなと思っていたら、
自分のミスも許して受け入れて笑ってスルーするのと同じ様に、
誰かがミスしても長所にすら感じて、その人に対して好感を持ちます。
人に対する好きや嫌いも自分の投影で、
自分が受け入れているものを見せる人は好きだけど、
否定し拒絶しているところを見せる人は嫌いになります。
自分の内側がどうあるのか?ということで、
他人がどう見えるかが変わってしまうのです。
誰かに絶対的な長所があって、絶対的な短所がある訳ではないです。
誰かのその特徴を自分の都合によって、ポジティブに解釈したり、
ネガティブに解釈しているだけなのです。
言い換えると、自分が許容可能にしていない特徴を見たら、
嫌いに感じるし、短所に見えるのです。
自分はこう感じる、こう考えるという結果が、
誰かに対しての印象だということが分からないと、
自分の内側の反映だということが分からないと、
他人から何かがやってきて自分に入り込むと思い込んでしまいます。
”人が周りの人々をコントロールする法や掟が必要だと思うのは、
周りの人たちの行動が自分にネガティブな影響を与えると
信じているからだ。
だが、自分の思考によって招き寄せないかぎり、
どんなことも自分の経験のなかに現れはしないとわかれば、
他人の行動のコントロールなどという不可能な仕事から
手を引いて、
自分自身の思考を方向づけるという
はるかにやさしい仕事をすればいい。”
とありました。
例えばネガティブな人の考えを読んで、自分はどうだろう?
とひっくり返して、自分に思考を向けられる時、
自他の境界線を引けています。
この人はどうしてこんなことを考えるのだろう。
こうしたらいいのに。
こういう考えが間違っている、
とやり始めると、自他の境界線は引けていません。
他人の経験を自分の経験に引き込んでいるのね。
また、ネガティブな考えの人というのは、
私にそのネガティブな考えを押し付けようとするし、
私が押し付けられたことに気付かなかったら、
ずっとネガティブを受け続けるし、
こういう人のせいで私の人生までネガティブになるのだ、
といった考えをする人もいますけれども、
これも同じく、自他の境界線が引けていなくて、
妄想で自分の内側にあるネガティブを、
他人から押し付けられたものとして受け止めて、
自分がそれを選択しているのにも関わらず、
他人のせいでネガティブになっていると思い込んでいるのね。
内観の段階で、どうしても自分の内側のネガティブを認められないと、
そうやって他人のせいにして、なんとか納得しようとします。
”そういう人たちは、「源(ソース)」と分離しているために
感じる自分のネガティブな感情を、
議論を正当化するために使おうとする。”
という説明がありましたね。
ここら辺も、簡単に自分は今、どんな気分か?という方、
感じ方に注目するように心がけると、
他人がどうなのか?何を言うのか?どんな考えなのか?
という妄想に囚われなくなります。
ただ、自分の感じ方を押し殺して、見ないようにしていると、
その切り替えが出来ないんでしょうね。
こういう人はまず、どこからが事実で、どこからが自分の想像なのか?
ということを分けていった方がいいでしょう。
例えば、自分はどう感じていたか?ということだけでなく、
相手から見たらどう見えていたか?も分かるし、
更に第三者から見たらどう感じるかも分かる、
ということを言う人がいるとします。
ここで事実は何か?と考えると、
自分はどう感じたか?だけです。
その人が確認できるのはそれだけです。
相手から見たらどう見えていたかが分かるというのは、
妄想であって、
もし相手から感想を聞いたとしても、
本当にそうなのか?事実なのかは確認できません。
絶対に。
まして第三者なんていう、現実的にどこにも存在しない人が、
どう感じるのか?なんてことは分かる訳がなく、
想像すること自体が無駄なんですね。
これは全て自分がどう感じるかを投影しているだけです。
相手から見たらどう見えていたか? → こう見られたい
更に第三者から見たらどう感じるか → こう感じて欲しい
という自分の希望が投影されているんですね。
これは”他人の行動のコントロール”ということになります。
不可能な仕事をしているんですね。
ここら辺の区別がつかないと、まず自分の感情を把握するのが、
難しいでしょう。
スピリチュアルな物事というのは、飛び級なんてないんですよ。
基本をまず丁寧に実践して、そこから積み上げます。
ここを読んだからといって、実際に活かせる訳がないです。
内観をしない、出来ない、自分と向き合わない、
そんな人はお話にならないので、
スピリチュアルなんかに興味を持たずに、
現実的な生活だけに頑張ってくださいね。