新しいストーリーの例(エイブラハム)という記事を書きましたが、
該当する界隈に顕著な反応があり、
あまりに酷いストーカー化した、カウンセリングをしたり、
引き寄せ商品を販売しているパクリの人たちがいますので、
その人たちお題にした記事を書こうと思います。
今回も、ブログタイトルやアカウント名等は、
書きませんけれども、
それは今の時点ではの話であって、お約束はしません。
状況によっては、書きますし、
記事やツイートのコピペで検索しやすくする場合もあります。
癖になっている人はどうぞご注意下さい。
引き寄せの法則を上手に活用するには、
ものごとは肯定的な側面と否定的な側面、
思い出してほしい。
すべての物事は実は二つの事柄だ。
望むことと、
望むことが満たされていないことである。
これは棒の両端のようなものだ。
一方の端はあなたが望むことで、
もう一方の端は
望むことが満たされていない状態だ。
「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
肯定的な側面という端と、
「引き寄せの法則」は
常にあなたの波動に作用しているから、
あなたが望むものを創造するプロセスにあるか、
それとも望まないものを創造しているかは、
感情に気をつければわかる。
このことを知っていると、
とても役に立つ。
物質世界にいるあなたがたは、
強力な「引き寄せの法則」を学び、
自分が思考の対象を引き寄せていることを
理解し始めると、
自分の思考をいちいち監視したり
警戒したりするかもしれない。
しかし人はいろいろなことを考えるものだし、
「引き寄せの法則」は
ますます多くの思考を引き寄せるから、
思考は監視しきれるものではない。
思考を監視しようとするよりも、
自分の感情に関心を向けたほうがよろしい。
あなたのなかでも広やかで古くて賢明で
愛情あふれる「内なる存在」、
その部分の見方と調和しないことを考えると、
あなたは違和感を覚えるだろう。
だからすぐに思考を
別のもっと心地よい、したがって、
自分に役立つものへと振り向けることができる。
あなたがたは
この物質世界の身体に宿ろうと決めたとき、
「感情という素晴らしいナビゲーションシステム」を
利用できることを知っていた。
感情という指針を使えば、
いつも存在する素晴らしい感情を通じて、
自分がより広い知恵の方向から外れているか、
それとも一致しているかがすぐわかる。
望む対象のほうへ思考を向けていれば、
明るい前向きの感情を覚える。
望まない対象のほうへ思考を向けていると、
ネガティブな暗い感情になる。
あなたがたは、
なんであれ自分が思考を向ける対象を引き寄せる。
そのとき自分がどう感じるかに関心を向けてさえいれば、
自分という強力な磁力を持った「存在」が
どんな方向から対象を引き寄せているか、
いつでも簡単にわかる。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
思考はいらないの元になっていそうなのが、
この教えじゃないかな?と思っています。
明るい前向きの感情を覚える。
望まない対象のほうへ思考を向けていると、
ネガティブな暗い感情になる。”
別のもっと心地よい、したがって、
自分に役立つものへと振り向ける”
いつも存在する素晴らしい感情を通じて、
自分がより広い知恵の方向から外れているか、
それとも一致しているかがすぐわかる。”
望むことは肯定語、
望むことが満たされていないことだと否定語になります。
善悪判断をやめるというのは、
どうしてかというと、
片方を善いという見方をしている時、
悪いという見方も同時に発生している、
ということは、
物事は善いという見方も悪いという見方も、
両方出来るもので、
絶対的な善や悪というものが存在しないからです。
自分にとっての善いや悪いがあってもいいのだけれども、
他の人にとってはそうではないし、
自分が成長していく過程で、
善いと思ったものが悪いと感じたり、
悪いと思ったものが善いと感じたり、
変化する場合もあるのです。
悪いものが悪いということはない、
いい気分がしないということが、
悪いというもの、
そんな気分になっちゃいけないものではないのです。
エイブラハム 人生の経験は、いつだって
自分が欲しいものを探すのに役立ってくれる。
自分がこんなのは絶対に「嫌だ」と思うときでさえ、
その瞬間には何が欲しいのかが
以前よりはっきりと見えるはずだ。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
嫌だと思った時、
棒の端が分かった訳だから、
反対側が何か?というのも捉えやすくなります。
多くの人たちはネガティブな感情を
望ましくないものだと思うが、
それよりも自分がどちらの方向に
焦点を定めているかを知るための
大切な導きだと思ってほしい。
この導きによって
わたしたちは波動の方向を、
どちらの方向から願望を引き寄せているのかを
知ることができるのだ。
これは「転換しなさい」と知らせる信号だから、
「警告のベル」とよんでもいいが、
わたしたちはむしろ「導きのベル」とよびたい。
「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
望ましくないものだと思うが、”
波動の不一致は常に
ネガティブな感情を引き起こす。
そして、ネガティブな感情は常に、
思考を転換して「本当の自分」と
今の願望の波動を調和させるための
方向指示器として役立つ。
「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
「引き寄せの法則」の力を理解すればするほど、
意図的に思考を方向づけようと思うだろう。
望むか望まないかにかかわらず、
考えていることが実現するのだから。
あなたは考えを向ける対象を
経験のなかに招き寄せ始める。
例外はない。
望む何かについて少し考えると、
「引き寄せの法則」によって
その考えはだんだん大きくなり、
ますます力強くなる。
望まない何かについて考えると、
「引き寄せの法則」によって
その考えもまただんだん大きくなる。
考えが大きくなれば、
それだけ大きな力を引き寄せるようになり、
やがては確実にそれを経験することになるだろう。
何かを見て、それを経験したいと思い、
「うん、あれが欲しい」と考えると、
あなたは向けた「関心」を通じて、
その対象を経験のなかに招き寄せる。
だが何かを見て、それは経験したくないと思い、
「ああ、とんでもない、あんなのは嫌だ!」
と思っても、向けた「関心」を通じて、
対象を経験のなかに招き寄せてしまう。
万有引力を基盤としたこの宇宙では、例外はない。
関心を向けると、対象があなたの波動に取り込まれる。
関心や認識が長期間持続すると、
対象が「引き寄せの法則」によって
あなたの経験のなかに取り込まれる。
「ノー」はあり得ない。
もっとはっきり言うなら、あなたが何かを見て
「ノー、そんな経験はしたくない、消えてくれ!」
と思ったとしても、
実際にはあなたはそれを自分の経験のなかに
呼び込んでいる。
万有引力を基盤としたこの宇宙では、「ノー」はないのだ。
関心を向けるのは、
「イエス、望まないことよ、わたしのほうへおいで!」
と言っているのと同じことなのだ。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
とありました。
ゲームをやめなさい!ノー!と言えば、
望まないことを創造し続けていますよ、
ということだから、
否定語(望まないこと)ではなくて、
肯定語(望むこと)で考えよう、
ということになります。
ジェリー つきあう人たちが
(望むと望まざるとにかかわらず)
引き寄せることは、
どの程度わたしたちとかかわってくるのでしょうか?
言い換えれば、つきあう人たちが引き寄せることは
─わたしたちが望むことでも望まないことでも─
どのくらいわたしたちの人生に持ち込まれるのでしょうか?
エイブラハム あなたの関心が向けられない限り、
何もあなたの人生には持ち込まれない。
だが、ほとんどの人たちは、
自分がつきあう人のどの部分に関心を寄せるかを意識して
選んでいない。
言い換えれば、他人のすべての部分に注意を向ければ、
そのすべてを自分の経験のなかに
招き入れることになる。
いちばん好きなところにだけ関心を向ければ、
その部分だけを自分の経験に招き入れることができる。
人生で出会う人は、あなたが引き寄せたものだ。
信じられない場合もあるかもしれないが、
その人たちとともにする経験も、
すべてあなたが引き寄せている。
人生経験はすべて、
あなたが自分で引き寄せなければ
起こらないのだから。
ジェリー するとネガティブなものを
はねつける必要はないってことですか?
ただ、望むものを引き寄せればいいということ?
エイブラハム あなたが望まないものを
押しのけることは不可能だ。
なぜなら、押しのけようとすれば
逆に対象の波動を活性化し、
引き寄せることになるからだ。
この宇宙のすべての基本は引き寄せの力だ。
言い換えれば、排除ということはない。
望まないものに「ノー!」と叫んでも、
実はその望まないものを自分の経験に
招き寄せてしまう。
望むものに「イエス!」と言えば、
その望むものを自分の経験に招き寄せるのだ。
ジェリー 聖書にある「悪に抵抗してはいけない」
というのは、
そういう意味なのかもしれませんね。
エイブラハム 何かに抵抗すれば、
そこに焦点を定めて押しのけようとすることで、
対象の波動を活性化する。
したがって、その対象を引き寄せてしまう。
だから、望まないからといって、
抵抗したり押しのけたりしないほうがいいのだ。
それに「悪に抵抗してはいけない」と
言った人は、
人間が「悪」とよぶものは存在していないことを
理解している賢者だったのだろうね。
ジェリー それでは、あなたの言う「悪」とは
どんなものなのですか?エイブラハム?
エイブラハム わたしたちの語彙に「悪」という言葉が
存在する理由がない。
なぜなら、わたしたちの認識の対象には、
「悪」というレッテルを貼るものがないから。
人間が「悪」という言葉を使うときは、
普通「善と対立するもの」を指している。
人間は自分たちが考える「善」あるいは「神」と
対立するものを指して「悪」と言うね。
自分たちが欲するものと調和しないもの、
それが「悪」だと。
ジェリー それでは「善」は?
エイブラハム 「善」とは、これが欲しいと
人々が信じているものだよ。
善悪とは、
欲しいか欲しくないかを区別する方法にすぎない。
そして、欲しいか欲しくないかを決めるのは、
欲求を持つ個人だけだろう。
ところが、人間が他人の欲求に介入すると
ややこしいことになるし、
他人の欲求をコントロールしようとすると、
もっとややこしいことになる。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
”言い換えれば、排除ということはない。
望まないものに「ノー!」と叫んでも、
実はその望まないものを自分の経験に
招き寄せてしまう。
望むものに「イエス!」と言えば、
その望むものを自分の経験に招き寄せるのだ。”
とあります。
これは別々の棒を比較しているので、
もしこの二つを一つの棒として考えるなら、
その部分だけを自分の経験に招き入れることができる。”
商売で行なっている人がパクリをしている、
ということで問題に感じるのは、
自分の行ないに自信がないのに、
信じていないのに、
お客さんからはお金を取っている、
ということが一番に挙げられます。
自分自身で詐欺行為、
人を騙しているということを、
分かっているということです。
ハリウッドに千里眼の出来る或る婦人がいた。
医師は、その婦人にもう数箇月の寿命だと言っていた。
彼女の体からたえず活生命力が
洩れ出ていたのである。
どうして洩れたのか。
それは、彼女が何かの方法で
ネガテブの法則を知り、
ネガテブの法則を使うことを教わって
それを悪用したものだから、
頭部から太陽叢へ行っている
大きな四次元管が破れてしまって、
生命力が洩れ出る様になり、
次第に肉体が悪化して、
もはや、長く肉体生命を保てないまでに
なったのである。
彼女は、わたしのところへ治療を受けに来た。
わたしは、その管の故障を直すことが出来たし、
その大きなナデス(管)を悪くさせた悪因を正すことも出来た。
彼女が「わたしは直してもらわねばならない」
と言ったので彼女を直してやった。
すると肉体的に健康を回復したが、
しばらくしてからまたやって来て
「ドーリル先生、わたしを千里眼が出来る様に、
もう少し管を開くことが出来ませんか」
と言った。
「わたしは、自分の能力を
他人治療の建設的な目的のためにのみ
使っているが、もし、あなたの管を破ると、
自分の能力を破壊的に使うことになり、
その結果にわたしが責任を持たねばならないのです」
とわたしが答えた。
彼女は「それでは、わたしはもう一度、
前に教わった法則を使ってみて、
出来るかどうかやってみましょう」
と言って帰って行った。
そして彼女は、自分の思うとおりになったのだが、
しばらくしてから病気が再発し、
わたしのところへ来た。
そして「わたしを直してくれませんか」
と言うので、
「それは出来ません」
とわたしはことわった。
わたしが最初に彼女を直した時は、
そこに聖なる力をもたらしたからなのである。
それを彼女が、その聖なる力を斥けて
悪法則を使ったのである。
聖なる力がある
ということが分ればこそ、
それをことわることが出来るので、
その存在すら気付かない者は、
それを拒否することも
出来ないのである。
人間は、時々は、身をもって教訓を
学ばさせられるものである。
最後に一つ、皆さんに言っておこう。
もし、皆さんが心に静穏と平和の心を
持っていれば、
もし皆さんが自分の心に入ってくる
否定的想念を斥けたなら、
もし、皆さんが
他人に対する破壊的否定的ことばを
つつしんだなら、
これらの破壊的想念、
言語を斥けることが多ければ多いほど
よいのだが、
もし、あなたが、他人が話す外界、
内界のことについて、
調和的なことしか聞かない様にしていれば、
あなたは、まもなく、
自分の肉体と心に偉大なことがやって来、
大きな変化が生ずるのに気付くであろう。
そして、偉大なる想念が
聖なるところからあなたに流れ入って、
あなたの肉体はよりよくなり、
より完全となるであろう。「療法の真義」(M・ドーリル博士著)には、
”「わたしは、自分の能力を
他人治療の建設的な目的のためにのみ
使っているが、もし、あなたの管を破ると、
自分の能力を破壊的に使うことになり、
その結果にわたしが責任を持たねばならないのです」
とわたしが答えた。”
とあります。
悪いことに利用すると分かっていて、
積極的に行なったり、それを助けたりすれば、
自分がその責任を負うことになります。
そこに聖なる力をもたらしたからなのである。
それを彼女が、その聖なる力を斥けて
悪法則を使ったのである。
聖なる力がある
ということが分ればこそ、
それをことわることが出来るので、
その存在すら気付かない者は、
それを拒否することも
出来ないのである。
人間は、時々は、身をもって教訓を
学ばさせられるものである。”
正しい方法があると分かっているのに、
彼女は彼らに抵抗し、わたしに助けてくれと
泣きついて来たのである。
こんな場合にわたしが直してやる唯一の理由は、
そんな状態に知らず知らずに陥った
という場合だけなのである。
何者といえどもその人がみずから選んだものを
取り去ることが出来ないのである。
しかし、今の婦人の場合は、
自分が選んだのでなく、
自分の無知の故にそこにはまり込んだのである。
もし、人がこの様なことを知っていながら、
尚かつ悪霊どもと交わるのは、
ブラックブラザーフッド(悪霊同胞団)と
結びつくことなのである。
そんな人がその中へ入ってしまってから
引き返らせれば、死んでしまうのである。
だから、そんな人には、
この世にいる間に苦しませておく方が
かえってよいのである。
その方が、彼らも死をもってそれから逃れるのよりも、
意識的に、その様なものと交わることの
恐ろしさというものを学べるのである。
あなたは、自分のまくところに従って
刈らねばならないのである。
わたしが、今ここで言っていることは、
神の道から悪霊の道へと
転落した魂のことなのである。
そんな人は、自分に大衆を隷属させ、
尊敬を受けたいので、
個人的霊能力を得るために
ネガテブ(悪)の法則に従いますと
悪魔と契約した人なのである。「療法の眞義」(M・ドーリル博士著) より
という教えを何度もご紹介していますが、
取り去ることが出来ないのである。”
尚かつ悪霊どもと交わるのは、
ブラックブラザーフッド(悪霊同胞団)と
結びつくことなのである。
そんな人がその中へ入ってしまってから
引き返らせれば、死んでしまうのである。
だから、そんな人には、
この世にいる間に苦しませておく方が
かえってよいのである。”
真実の求道者は幼な子の様にならなければ
ならない。
天国に入るためには、
自己の霊的進歩を妨げる
いささかの障害があってもいけないので、
従来の古い先入観や信仰はきれいさっぱりと
洗い流して純真な幼児の心に
ならなければならないのである。
幼児というものは人生に対する何らの先入観的な
考え方や信仰というものがないのである。
そして、その心は、他の教えがいささかも
書きこまれていない白紙の様なものである。
天国に入る唯一の道は、
真理に対する幼児の様な柔軟性、
率直生ということなのである。
第六節のわたしを信ずるこれらの小さい者の
一人をつまずかせる者は、
海の深みに沈められるがよいというイエスの言葉の
これらの小さい者とは、
イエスの教えをきく子供たち、
つまり、新改宗者たちのことである。
自分の所へ真理と知識を求めてくる者に対して、
偽りのことを教え、
つまずかせる教師は、自分自身の魂を
悪に縛りつけるだけでなく、
他人の魂に対してまで偽りという鎖をつけることに
なるのだから、
死よりもなおひどい悪果を受けるだろうところの
業因をつくっているのである
人間が生きることに関するある一定の法則が存在する。その法則は、宇宙の諸天体を運動させている法則と同様に
不変不動の法則である。
いかなる者といえども、
宇宙法則の中の部分的一法則のいささかなりといえども
破ることは絶対に出来ないのである。
もし、そうしようとすれば、その人はその法則に対して
自分自身を犯しているのである。
ある著名な哲学者がいみじくも、
”人間の犯すことのできる唯一の法則は、
人間の作った法則のみである”と述べているのである。
だから、
もし人間が破ることのできる法則があるとすれば、
それは法則そのものではないのだということが容易に分かるであろう。
出生の瞬間から死の最後までの人間の一生の一刻一刻は、
大宇宙法則とその無数の分則とによって
規制されているのである。
人間がこの法則をより多く理解するにつれ、
よりよく自分の人生を支配規制できる様になり、
さらには宇宙の大計画と調和し得る様になるのである。
この世の中には偶然の出来ごとなんて一つもないのである。
すべてのことは、この世のはじまりから
宇宙計画の一部分としてあるのである。
あらゆることは法則に従っており、
この法則は常に細分化し、拡大し、拡張しつづけているのである。
しかし、法則そのものの基本的性質を変えることは
絶対にあり得ないのである。「秘教真義」(M・ドーリル博士著)より
コーヒーメーカーを逆さにセットして、
入らないですよね。
「今日は、密教的発達をとげる場合に
一番の妨げとなるものについて話そう。
”妨げになる”と言っても、ただ、人間が
その制御支配方法を知らないから
妨げとなるにすぎないのであるが、
その妨げとなるものは”人間の感情”である。
もろもろの人間感情が人の修行発展を
妨げるのは、感情が屡々人間の理性をくらまし
働かなくするからである。
理性の作用が抑圧されれば、
感情がその人を百パーセント支配する
というわけである」
「今の人類の現在の心的発達程度では、
人間は多かれ少なかれ感情のとりこになっている。
いつだろうと、理性の力が弱まったその時は、
必ず感情がその人の心を支配し心的平静を失わせてしまい、
理性が心の主となっている時には絶対にしない様な
愚行をすることになるのである。」
「修練を積んだ神秘学徒は、自分は如何なる種類の感情の
主人公であると悟了しており、感情に従わさせられる代りに
感情を支配使役している。
感情支配の第一歩は、恐怖感の克服である。
そして、感情の支配者は自己自身の支配者なのである。
人間の心の情緒的側面が
外的刺激にあまりにも良く反応するので、
情緒的な宗教の聖職者達がいろんな霊験を発揮するのである。
あらゆる宗教は、
恐怖、愛、憎悪=怒りといった人間感情に
基礎をおいて成り立っている。
こんなわけだから、その宗教の神々も
自分達を拝む信者達の態度と性質とを反映して、
怒りの神、愛の神、復讐の神、たたりの神
などとなるのである。
本当の神は、礼拝されることを要求しない。
その理由は、神そのものの中に
”拝む”ということのすべて、
即ち、拝む者と拝まれる者とが
一体となって内在するからである」
「感情を支配するために、
それを鎮圧したり粉砕したりする必要はない。
偉大なる聖者大師達はまた、
最も大なる情緒的心情の持主であるが、
いつも自己の感情を自由自在に
制御しておられるのである。
修行を積んで聖者大先達(アデプト)と
あがめられる人達も情緒的感情を
超越しているのではない。
その人達はむしろ、
感情そのものの中に入ってゆき、
自分の意志で自由自在に感情のしがらみから
脱出されるのである
この様に
アデプトと呼ばれる聖者達は、
その人が感情が意志や知性を
支配利用する代りに、自分の知性と意志とでもって
自己の感情を支配し、使役するのである」
「普通一般には、感受性のより強い人は
感情的により複雑である。
だから、感受性の強い人は、
感受性の弱い人よりは自己の感情の発露に
注意しなければならない」
「感情は屡々、神を理解する障害として働く。
人間の感情は、その性質上自分の気に入ったものだけを好む。
だからその結果として、
そんな人達の考える神々は、
怒りによって動かされ、信者達の好みによって
愛したり憎んだりする感情的な神なのである」
「自分の感情を支配している人は、
自己の理性の力をより充分に使うことが出来る。
人間は自らの理性を充分に働かすことによって、
自分達の人生そのものは、”理性の力によって
被造物を創造した神”そのものを指向しているのだ
ということを悟るであろう。
また、もし、神が感情的に右往左往動揺ばかりしていたとしたら、
神の指示とか法則とかいったものが
いつも変更ばかりしているわけだから、
この宇宙には一定不変のものは何も出来なかったであろうということも
分ってくるであろう。
感情支配の出来る人はまた、
神は法則によって働いているのであり、
その法則が人間を束縛しているのと同様に
神自身をも規制しているのだということが
納得できる様になるだろう。
そしてまた、神自身も法則に従うのでないと、
法則に基礎をおいて存在している
凡ての創造物が分解消滅してしまい、
混沌たる原始的暗黒のみが全宇宙を
支配する様になるであろうということも、
直ちに理解できる様になるのである」
「理性が目ざめ、悟った人は、
神の凡ての創造物について、
神と共通的な理性という一つのものを使っているのだから
神の様になることが出来るのである。
この様に理性の力によって人間は、
全ての存在の根元に近づき、遂には神と調和し、
神と一体となることが出来るのである」
「感情は理性の力を失わせるものだから、
神と人との間を遮閉する
大きな障害となるのである。
感情情緒の支配克服によってのみ、
人は神の子としての自分の正しい地位を
確保できるのである。
感情は単に感情にすぎず、
感情以外の何ものでもないことを認め、
それを意志でもって善導することによって
自己の感情の克服を図らなければならない。
感情に使われ、ふり回されるのではなく、
感情を善用しなければならない。
そのためには正義が一つの方針となる。
感情的にどうあろうと正しきを
行なわなければならない。
そうすれば、望ましい結果を将来にもたらす
善因を積んだことになるのである」
「秘教真義」(M・ドーリル博士著)より
行なわなければならない。”
どう感じるかは
常に自分が選んだ思考で決まるし、
感じ方は自分ではどうしようもないからだ。
「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
あなたは素晴らしい存在だ。
もう他人にコントロールされる赤ん坊ではない。
物質世界の環境に適応し、
今─この本を読みながら─
自分という存在のパワーをフルに認識している。
もう荒れ狂う海に浮かぶコルクのように
「引き寄せの法則」に翻弄されることはない。
ついに自分の運命をコントロールする方法を
思い出した。
初期設定どおりの反応で
今の人生をそのまま受け入れるのではなく、
強力な「引き寄せの法則」を活用して
人生を意図的に導く力を取り戻そうとしている。
それにはこれまでとは違うストーリーを
自分に語らなければならない。
今まであった人生、今ある人生の
ストーリーを語るのはやめて、
自分が望む人生のストーリーを
語り始めなければならないのだ。
意図的に生きるには、
意図的に考えなくてはいけない。
そのためには
思考の正しい方向を決める基準点が必要だ。
あなたがこの世に生まれ出でたときと同じく、
必要な二つの要因は今もそろっている。
まず「引き寄せの法則」
(最も強力で一貫した宇宙の法則)が
すべてを律している。
そしてあなたのなかには、
きちんと出来上がって、
方向をフィードバックしようと待機している
「ナビゲーションシステム」がある。
あなたがしなければならないのはただ一つ。
一見すると小さな、
しかし人生を一変させること。
それは、
「新たなやり方で
自分のストーリーを語ること」だ。
自分が望むストーリーを語るのだ。
あなたが人生のストーリーを語るとき
(あなたは毎日言葉で、思考で、
行動で、人生のストーリーを語っている)、
あなたは明るくていい気分でいなくてはいけない。
どの瞬間もどんなことに関しても、
あなたはポジティブな側にも
ネガティブな側にも
焦点を定めることができる。
宇宙のすべての粒子には、
─時の果てまでのすべての瞬間には─
「望んでいる」と
「望みが満たされていない」
という両面があって、
波動しつつあなたが選択するのを
待っている。
あなたはいつもこの二つの選択肢を前にして、
すべてについて
望む状態に焦点を定めるか、それとも
望みが満たされていない状態に焦点を定めるかを選ぶ。
なぜなら、
すべての物事は実は二つの事柄から
成り立っているからだ。
あなたが「望むこと」、
そして「望みが満たされていないこと」
の二つである。
自分が今どちらかに焦点を定めているかは、
自分の感じ方で見分けることが出来る。
そして、その選択はいつでも変えられる。
「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
「引き寄せの法則」に翻弄されることはない。”
意図的に考えなくてはいけない。
そのためには
思考の正しい方向を決める基準点が必要だ。”
バシャールたちからの影響により、スピリチュアルな世界を好む方々においては
ワクワクして生きることが定番になっています。
不安な気持ちと、ワクワクな気持ちは、
同質なものであるから、不安な気持ちを、
ワクワクな気持ちに置き換えればいい
といいます。
そして、日々、ワクワクしながら過ごすことによって、
さらにワクワクすることが増えてゆき、
夢が叶ったり、目標に到達したり、
成功を手にするでしょう、というものです。
かなり大雑把な要約ではありますが、
だいたいこのようなところです。
しかし、これには根本的に大事なところが抜けています。
それを見逃しているが故に、
ワクワクしながら過ごしているというのに、
ちっとも思い通りにならないじゃないかと、
失望してしまっている方が多いそうです。
その結果、スピリチュアルなものなど信じられない
何の役にも立たないと、以前よりもさらに
塞ぎ込んでしまっている方も多いそうです。
根本的なこととは、何かと申しますと、
霊的真理、宇宙の法則を学んだ上でのことです。
想いはエネルギーで、想った通りになるのですが、
自分自身の言動、行動、想念が
自分自身にそのまま返ってくるということを、
よく知らなければなりません。
そして、いまここにある自分自身という存在は、
遠い過去からの集大成であるということ、です。
この世界に生まれてきて、
たった10~80年ほどの人生がすべてではない、
ということです。
3次元領域システムの世界は、
輪廻転生の繰り返しの旅の領域です。
その長い繰り返しの間に背負ってしまったカルマ(業)を、
断ち切らなければなりません。
3次元領域システム内での学びを終える、
といったほうがよろしいかもしれません。
バシャールたちがメッセージを伴ってやって来たのは、
ベストタイミングです。それは、
私たち地球人類の多くが、もうすぐ、
3次元領域システム内での
学びを終える段階に入ったからです。
その最終段階に入りましたので、
バシャールたちは、そろそろ、
生きることの本当の意味を知るときじゃない?
とメッセージを伝えてきました。
人生は苦しむためのものではなく、
楽しむためにあるのだと。
ただ、そのためには、霊的真理を学びなさい、
宇宙の法則を知っていなければなりませんよ、
という但し書きがあるのです。