「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本を教科書にして人間関係の中での、

転換のプロセスの活用法をご紹介しました。
記事を書いている最中に、色々気になったことがあったので、
次のテーマに進む前に、ちょっと書いておきますね。
 
 
 
暗黙の了解の様に、引き寄せの法則の情報を発信している人たちが、
○○さんが言うようにといった説明をしているのを、
よく見かけていて、
その〇〇さんが全く誰だか分からなかったので、
ネットで調べてみて、いくつか確認しました。
 
達人?と呼ばれる様な、
引き寄せだとか潜在意識だとかの情報を発信している人の中には、
様々な気付きを得て、

もしかしたら覚醒しただとか悟っただとか、

そういった状態なのかな?と感じる人もいます。

でも、その情報を元にして「○○さんが言うように…」といった、

商売をやっている人には感じたことはないです。

絶対にいない!という訳ではないのでしょうし、

(私が確認出来たのはほんのごく僅かな人だけなので)

スピ系の商売をしちゃいけない!という訳でもないです。

でも、商売をしている人は、表面だけ、上っ面だけ、

手軽にまとめられたメソッドを暗記して、

宇宙法則や真理のほんの一部を垣間見て、

自分は凄いんだと思い込んでいる人ばかりです。

 
今まで、ネット上で、この方の情報は本当に分かりやすい、
共感できる、同じ様に感じられる、勉強になる、
という風に感じた人は何人かいるのだけれども、
連絡先が分からない人ばかりでした。
そういえば、誰もツイッターやっていないですね。
ツイッターでこの人悟っている!と感じた人を、
見つけたことはないですしね。
 
あるカウンセラーは日本以外の国に住んでいて、
帰国した時には、セッションを行ないますとのことだったので、
実際に会ってお話してみたいなと、
セッションを申し込もうかと思った事があります。
(滅茶苦茶高い!)
でも結局、もう、他の人をサポートする様な仕事はしません、
セッションは行ないませんとのことで、
申し込むことが出来ませんでした。
だから、私がいいなと感じる人は、
その情報で商売している人はいません。
 
引き寄せの法則でも、法則を本当にマスターしていて、
金銭的にも豊かに暮らせているのであれば、
その情報でお金を取る必要があるのかな?と思います。
法則を上手に活用して金銭的に豊かに暮らすことが出来ていないから、
有料で情報を売っているんですよね?
私はそう感じるのですが…。
違いますかね?
 
お金を払って教えて貰おうと思っている人は、
よく考えてみて下さい。
 
その教えてくれる人が、
豊かさを実現しているなら、
こういう商売をするのだろうか?と。
情報を売る様になって、お金儲けをしているから、
その結果、豊かになったというのであれば、
先に豊かさを実現していた訳ではないですよね。
 
引き寄せの法則で豊かになりました!
だからその情報をシェアしますね!
というのは分かります。
私がネットでいくつか確認した情報は、
豊かになったからその経験を発信したという状態で、
発信した情報自体を販売はしていませんでした。
 
既に豊かさを実現した人なのに、
引き寄せの法則を有料で教えますっておかしくないですか?
有料にしないといけないくらい、お金が必要だってこと?
その人の実現した豊かさってなんでしょうね?
まだ足りてはいないってことですよね。
まだその人が望む豊かさは実現されていないということです。
 
ツイッターでおすすめに流れて来た、
”覚醒者”の人のセッションが、
1時間5万5千円だったんだけど、
私は高い!と感じましたが、普通なのかね?
この”覚醒者”というのも同じで、
もし本当に覚醒しているのであれば、
そんな高額なセッションを行なうのかな?と思うんですよ。
 
ここでお伝えしたいのは、
本当に悟ったとか覚醒したとかいう人は、
引き寄せだけとか霊能力だけということではなくて、
宇宙法則や真理を理解していて、
統合意識領域に到達している状態です。
それぞれの表現の仕方は違いますが、
自他同一とか、上の如く下も然りとか、
「22を超えてゆけⅡ太陽の国へver.2 6と7の架け橋」 (辻麻里子著)から、
何度もご紹介している下記のような説明の理解に至っています。
 
ゼロポイントの奥義とは、
内側の世界と外側の世界を反転させること。
個であり全体、
全体であり個という視点を獲得することにある。 
 
われわれは、ミクロコスモスであり、マクロコスモスでもある。
 
「22を超えてゆけⅡ太陽の国へver.2 6と7の架け橋」 (辻麻里子著)より
 

個であり全体、

全体であり個という視点を獲得することにある。
とあります。
 
商売をやっている人の多くは、片側しか見えておらず、
両極を捉えている人がいません。
 
ちなみに、悟りたい覚醒したいと熱心に瞑想を行なっても、
瞑想だけで到達できるものではないですよ?
コツコツと実践を積み重ねていくしかないです。
私は瞑想をしようとすると必ず寝てしまうので、
瞑想していますって言う人は素晴らしいなと思います。
横になるからいけないのかな?と座って挑戦しても寝るし、
立って行なっても、
一瞬寝てしまってガクンと体が前のめりになったので、
倒れたら危ない、怖いと思って諦めました。
瞑想は出来ないので、最近はヒーリングミュージックの様なものを、
流してリラックスしたり、音楽付きの綺麗な映像を見たりしています。
てかむしろ、眠る為に瞑想することもあって、
中々眠れない時も、瞑想しようとするとすぐ眠れるっていう感じで、
助かっています。
凄く気持ちよく眠れます。

 

その悪霊は、彼女に、
彼女のところへ来ているのは、
マスター(大師、大聖者)であると言ったのである。

彼女は実際は、そんなことを
よく知らなかったのである。

知っていれば、その様な嘘にだまされることは
なかったのである。

彼女は無言の態度をとったのである。

ほとんどの人々が沈黙と言っていることは、
わたしにとっては非常に危険なことに思われる。

一般の人々はそれによって、
自分自身が何をされてもかまわない
完全な道具としてしまっているのである。

自分自身を護るだけの力と知識とがないと、
何ものかがやって来て、しがみついて来て
あなたを喜ばすのである。

不在者治療をする場合で沈黙に入る唯一の時間は、
意志と強さと明確な目的とをもっている時である。

神がかり的霊媒になろうとして坐ることは、
一種の沈黙に入ることであるが、
これは危険なことなのである。

彼らはそこに坐って何かを得ようと意志しているのである。

何回も何回も長時間にわたって坐っていれば、
必ず何かがやって来るのである。

あなたが見ようと思っていることは、
例の彼女にもやって来た力であり、
彼女を高めた力である。

最初の内は、すぐにあなたを高めてくれる様な
真の聖者は誰もいないのである。

精霊どもはその人のプライド(誇り)と
エゴ(自我)とに働きかけるのが
その人を支配する最良の確かな方法であることを
よく知っているのである。

その様な精霊どもは、神秘学徒の誰か、
特に財産家をとりあげて
「あなたは過去には大師(マスター)であった」
などと言うのである。

もし、その人が過去世で大聖者の境(神秘一体境)にまで
達していたならば、それを失なうことはないのである。

そして人生から人生へと化身しても、
そのことを知りながら生まれ更るので、
自分の達したものを失なうことはないのである。

一部の人々は、この宇宙意識を
霊的に与えられたものとして
素直に受け取るが、多くの人は、失敗するのである。

もし、本当に霊界の大聖者(アデプト)の一人が
あなたのところへ来ているのなら、
そのかたはあなたの魂を得意がらせる様なことは
されないのである。
 
例の婦人は、ある程度真実のことを
聞かされたのであるが、
また、大聖者が来て話をしているのだとも
聞かされたのである。

もし、大聖者の誰かがあなたのところへ来たなら、
その人は決して自分は聖者(大師、マスター)だとは
言わないのである。

我々がその人が聖者(マスター)や大聖者(アデプト)
でないということを知ることの出来る唯一のことは、
その人が「自分は聖者(大聖者)である」
と言うということなのである。
 
「療法の眞義」(M・ドーリル博士著)より
 
という箇所をご紹介しています。
 
ある引き寄せで商売をしている人は、
瞑想をすることで何かしらの霊能力を得ようとしていましたが、
そういうのは真似しないようにしましょう。
何かを得ようとじっと待っていれば、
”必ず何かがやって来る”とあります。
 
引き寄せの法則で考えてみても、
自分の自尊心を満足させようとして、
何かを待っているのなら、
同じ様なものしか来ないことが分かるでしょう。
 
私は瞑想をオススメしません。
必要な方もいらっしゃるでしょうけど、
瞑想よりは内観の方が大事だと思っていますし、
気持ちを落ち着かせる為なら深呼吸で充分です。
 

ジェリー 今していることより
少し余分に実行し、
少し豊かになるというふうに、
現状から少し前に進むのは簡単ですが、
「量子的飛躍」というのはどうでしょうか?
言い換えれば、
それまで見たこともないようなことを
実現するってことです。
そんなことを創造するには、
どうすればいいですか?

エイブラハム なるほど。
要点がわかったようだね。

少しだけ前進するほうが簡単なのは、
今持っている信念を認めて
ちょっとだけ先へ進めるほうが
簡単だからだ。

それなら信念をまったく入れ替えるのではなく、
少し拡大するだけだ。

「量子的飛躍」とは、
ほとんどの場合、現在の信念を完全に捨てて、
まったく新しい信念を採用することを意味する。

量子的飛躍は、創造の方程式の
信念の部分を強化するだけでは達成されない。

量子的飛躍は欲求の部分を強化することで
達成される。

前に話した、子どもを押しつぶしそうになった
自動車を持ち上げた母親は、
「量子的飛躍」をしたと思うだろう?

それがジムでのことだったら、
それほど重いものが持ち上がると
信じさせるには、非常に長い時間をかけて
少しずつ信念を変えていかなくてはならないだろう。

だが、欲求が非常に強力だったから、
その瞬間に「量子的飛躍」が起こった。

わたしたちは「量子的飛躍」をあまり勧めない。

欲求のほうを過激に推し進めて
驚異的な結果を生み出すには、
きわめて極端でおおげさなコントラストが必要だからだ。

だが、ほとんど例外なく
結果は一時的なもので終わる。

信念とのバランスで、
結局は元の位置に戻ってしまうためだ。

それよりも徐々に望む方向に
信念の橋を架けていくやり方のほうが、
もっと満足できる結果になる。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 
エイブラハムたちも、
”「量子的飛躍」をあまり勧めない”
と伝えています。
”欲求のほうを過激に推し進めて
驚異的な結果を生み出すには、
きわめて極端でおおげさなコントラストが必要だからだ。
だが、ほとんど例外なく
結果は一時的なもので終わる。
信念とのバランスで、
結局は元の位置に戻ってしまうためだ”
とあります。
 
例えば、五次元の意識と周波数に強制的に引き上げたとして、
それを維持出来る様な思考習慣がないのなら、
簡単にまた元の位置に戻ってしまいます。
 
小学1年生を強制的に6年生に進級させたとして、
果して一緒に勉強できるのでしょうか?
6年生の同級生と楽しく過ごせるでしょうか?
それが本当に幸せなことなのでしょうかね。
 
”それよりも徐々に望む方向に
信念の橋を架けていくやり方のほうが、
もっと満足できる結果になる”
とありますよね。
意識と周波数を少しずつ上昇させて、
定着させて、というのを繰り返して、
後で振り返ってみると、随分成長したなと分かるのです。
 
 

引き寄せカウンセラーの多くは、

思考が現実化することを引き寄せの法則だと言っています。

そうではなくて現実化する前の、

内面的なもの、霊的なものに絶えず引き寄せの法則は働いていて、

いつも私たちは影響を受けていますよ!ということなんですよ。

 

「引き寄せの法則」とは、
「それ自身に似たものを引き寄せる」
ということだ。

「類は友を呼ぶ」とあなたがたが言うのは、
実は「引き寄せの法則」のことなんだよ。

 

「引き寄せの法則」

(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 

「類は友を呼ぶ」というものが引き寄せの法則です。

 
この記事を読んであなたは嫌な気分になったとします。
「偉そうに!」
「まるで自分が正しいかのように振る舞って!」
とてもネガティブな気分になっています。
ネガティブな捉え方をしているからですね。
そこからまた、ネガティブな気分になる何かが、
引き寄せられてくるので、
またネガティブな気分になって、ネガティブな思考が続きます。
 
思考が現実化するというのは、
 
(一)意識想念の法則

現在意識的な想念がなければ何も創造されない。

すべてのものは、宇宙心か宇宙心の単位である
人の心かの意識的想念によって顕現されているのである。

凡ての主観的創造は、意識単位(人)か全体心(宇宙)かの
いずれかの思考の結果なのである。
 

「秘教真義」(M・ドーリル博士著)より

 

という意識想念の法則のことですが、

引き寄せの法則というのは、

現実的なものごとが引き寄せられる、

現実化するというだけではなくて、

現実化する前の段階でも法則が働いていますよということなのです。

 
こうと決めたら願いは叶いますよ!
という風に発信する引き寄せカウンセラーも多いですよね。
 
エイブラハム達は、
 
人生を生きて望むことと
望まないことに気づくなかで、
あなたは一種の「波動の預託口座」を開設する。

その口座には、
あなたが望むことと
あなたの波動がマッチして
体験が実現可能になるまで、
願望の対象が預けられている。

しかし、望んでいることが実現する前に、
それについて
明るくていい気分になる方法を
見つけられなければ、
それは閉じたドアの向こうにあるだけで、
ドアは開かない。

だが、考えていることの肯定的な側面を探せば
─そして思考プロセスを占領している
さまざまな可能性のなかで、
肯定的な側面を意図的に選べば
─ドアは開いて、
望むすべてが簡単に
経験のなかに流れ込んでくる。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
こうと決めたら自動的にそれが実現するのではなくて、
”あなたが望むことと
あなたの波動がマッチ”したら、
体験が実現可能になるというのです。
 
だから、 望んでいることについて、
明るくていい気分になる方法を見つけだしたり、
肯定的な側面を探し続けることがとても大切になります。
ここを伝えず、
(理解していないのだと思います)、
いつか叶いますと言い続けるカウンセラーに、
お金を払うのはもうやめて、
もっと自分の人生に向き合うことをおススメしますよ!
カウンセラーの意見を聞いて、それから思考を整えるとやると、
あなたの人生にそのカウンセラーも引き込んでしまいますよね。
もっとシンプルにしたらどうかなと思います。
 

わたしたちはあなたがたに「永遠なる宇宙の法則」を
もっと明確に理解してもらいたいと思う。

そして物質世界の人生の表現を通じて、
その法則をもっと意図的、効果的に、
また満足がいくように応用してもらいたい。
そのための力になりたいと願っている。

「宇宙の法則」には三つある。

第一は「引き寄せの法則」だ。
この法則を理解して効果的に応用できるようにならなければ、
第二の法則である「意図的な創造の方法論」と
第三の法則である「許容し可能にする術」も活用できない。

第二の法則を理解して活用するためには、
第一の法則を理解して効果的に活用しなければならない。

また第三の法則を理解して活用するには、
その前に第二の法則を理解して活用できなければならないのだ。

第一の「引き寄せの法則」というのは、
「それ自身に似たものを引き寄せる」ということ。

「なんだ、簡単なことではないか」と思うかもしれないが、
これは宇宙のなかで最も強力な法則
─あらゆるとき、あらゆるものに働く法則だ。
この強力な法則に影響されないものはいっさいない。

第二の「意図的な創造の方法論」というのは、
「わたしが考え、信じ、あるいは期待したことは、
実在する」ということだ。

要するに何かを考えると、望んでも望まなくても
それが存在として現れる。

だから「意図的に」思考を作用させること、
それが「意図的な創造の方法論」の内容だ。

この法則を理解して意図的に応用しないと、
あなたが望むとおりの創造はできない。

第三の「許容し可能にする術」というのは、
「わたしがありのままのわたしで、
他者がありのままの他者であることを許容し、
可能にしよう」ということだ。

たとえ他者がありのままのあなたを認めなくても、
他者がありのままであることをあなたが認めるなら、
あなたは「許容し可能にする者」になる。

だが、まずなぜ自分の今の人生があるのかを
理解しなければ「許容し可能にする者」にはなれない。

あなたが思考を通じて(あるいは関心を向けることを通じて)
他者を自分の人生に招き入れなければ、
他者はあなたの経験の一部にはならないし、
あなたが思考を通じて(あるいは観察することを通じて)
ある状況を人生に招き入れなければ、
その状況はあなたの経験の一部にはならない。

そのことを理解できたときに初めて、
あなたはこの人生の表現へと身を投じたときに望んでいた
「許容し可能にする者」になれる。

この三つの強力な「宇宙の法則」を理解し、
意識して応用できれば、
あなたは喜びに満ちて自由に、思いどおりの人生経験を
創造できる。

人生で出会う人も状況も出来事もすべて、
あなたが自分の思考を通じて
経験のなかに招き入れたのだということが理解できれば、
この物質世界の身体に宿る決意をしたときに
意図したとおりの人生を送れるようになるだろう。

だから力強い「引き寄せの法則」を理解し、
自分の人生経験を
「意図的に創造」しようという意志を持てば、
いずれは「許容し可能にする術」の完全な理解と
応用だけが生み出す比類ない自由に導かれる

 

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

 

第一の法則が「引き寄せの法則」。
第二の法則が「意図的な創造の方法論」。
第三の法則が「許容し可能にする術」。

とあります。

 

あるカウンセラーは、

引き寄せを使うとエネルギーがなくなるそうです。

それは法則ではないですよね。

こういう人は生霊を飛ばしていますから、

エネルギーがなくなる様に感じる訳です。

外側を変えようとして執着する形で、

意識想念の法則を使っているんですね。

法則は善にも悪にも使えますので、

自分の立ち位置を確認することは本当に重要で、

誤った教えを盲信して突き進めば身を滅ぼすことになります。

 

引き寄せの法則自体は、科学的に証明されていないですよね。

wikiの引き寄せの法則には、

”引き寄せの法則を裏付ける実証的な科学的根拠はない”

とあります。

”支持者たちは、引き寄せの法則が真実である論拠として、
科学の理論を持ち出している。

しかし、実証可能な科学的根拠はなく、

多くの研究者が、支持者たちによる科学的概念の誤用を批判している”

とあります。

 

wikiの無意識(潜在意識)でも、

”科学的に定義されない”という説明がありますよね。

”科学的対象として客観的把握が困難であるとしても、

「意識を意識する者には、意識の存在は自明である」という命題もまた

真理であると考えられることから(主観的把握)、

科学的客観的には観察されないにしろ、

心の概念と同じように意識の概念も存在していると

最初から前提している心理学も多い。

少なくとも一般人は意識が無いとは考える人は少ない。

そのため科学的に証明されていなくても、

意識は自明のものとして扱われたりしている。

もちろん意識もまた存在しないと考える学派もあり、確定していない。 ”

とあります。

 

歴史のふるいを通り抜けてきた
オカルト的・魔術的・宗教的なものの多くは、
宇宙の法則に関する科学的知識の集合体だ。

ところが近年、それらが
科学の主流から外されてしまった。
物理的側面が過度に重視されるようになったためだ。
 
有史以来、あるいはエジプト期、シュメール期、
バビロニア期に端を発すると思われるいわゆる
「オカルト」は、文字を持たない人々にも
容易に理解できるような形に符号化された古代の科学に
他ならない。

しかしそれらの多くは、幾世紀もの時間を経るうちに
迷信へと変質し、その真の意味は
すっかり忘れられてしまったようだ。

「シリウス・コネクション」(マリー・ホープ著)より
 
「シリウス・コネクション」では、

科学的知識、古代の科学という表現がありますが、

科学的なものという解釈自体は否定していないですよ。
 
繰り返しになるが、魔術とは、
進歩した科学についての、
それを操作する機械や技術を持たなかった人々に
伝わる民族的記憶だと、私は考えている。
 
もう少し時代が下ると同じものが
「超自然」と呼ばれるようになる。

例えば今、地球規模の大災害が起こり、
医学や科学・工業技術が完全に駄目になったとしよう。
 
数世代後の人々の目には
コンピュータ、レーザー光線、
ジェット機などといったものは
魔術と映るのではないだろうか。

悪魔のわざだと恐れる人もいるかもしれない。

「シリウス・コネクション」(マリー・ホープ著)より

 

今日、物理学者たちが
微粒子や量子の研究を通して
ようやくその謎を解く
糸口をつかんだばかりの神秘的な次元、
それを一手に引き受けていたのが魔術だった。

今日、「科学」の妥当性・有用性を認めない、
という人はまずいないだろう。

科学の内容を理解していなくても、
またその宗教信条のために科学への積極的関与を
潔しとしない人であっても、
とにかく「科学」を認めている。

しかし「魔術」となると、
途端に胡散臭いものを見る目付きに変わる。

「シリウス・コネクション」(マリー・ホープ著)より

 

もしかしたらこの先に、

科学的に証明されるとしても、

今現在、科学的に証明された様に語っては、

ダメでしょう、商売しちゃダメでしょうと思います。

 

ツイッターの人達って特に、そういう越えちゃいけない境界が、

曖昧だなと感じるのですが、

例えば、自分の持っている本のページをスクショして、

○○って書いてありますよね!みたいに発信する時、

その本のタイトルと著者名は明記しないんですよ。

私はツイッターを始めて、こういう人達が沢山いるのを見て、

本当に吃驚しましたよ。

まるで自分のモノの様に扱うんですよね。

著作者に対する敬意なんてまるでない。

だから簡単に、他人のブログ記事をパクるのでしょう。

 

宇宙には著作権なんてないんだ!なんて言ったり。

でも逐一、アカシックレコードという霊的な情報領域に、

書き込まれていますから、

そういった人の行ないも、他の存在達に筒抜けになっています。

 

ヒーラーも、ガンを治します!肩こりも完治します!

とか言ったりする。

フォロワーの誰もそれを指摘しない。

ぶっちゃけて言いますけれど、民度が低いなと。

あそこで、楽しく遊べるという感覚がよく分かりません。

2ちゃんで遊んでいた私が言う事じゃないですけどねw

 

インスタなど他のSNSはやっていないので、

実際に比べてどうだということは分かりませんが、

無責任に投稿しているイメージがあります。
私の勝手な想像ですが、
2ちゃんは豆腐メンタルだとキツいし、
自分語りは敬遠される感じで、
チラシの裏にでも書いとけとか、自分の日記帳に書けとか、
相手にされないし、
スルースキルがないと荒らしにいちいち反応しちゃうし、
空気読めないと半年ROMれだし、
そういう雰囲気が合わない人は、
ツイッターで好きなことを好きなだけ呟く、
というのが合っているのだと思います。
でもインターネットを利用している、
という意識が低いんじゃないかな。
自分の日記帳ではないし、
色んな人が読んでいて、
自分のファンばかりではないですよね。
あなたのパクった情報の元の発信者も、
読んでいるかもしれないですよね。
 
訳者(林鐵造先生)はしがきより

本書は、治療家向きにも書かれているが、
ここで読者諸氏にお願いしておきたいことは、
法令(医師法等)に背反しない範囲で、
真に霊的向上を期せられる様に
応用いただきたいということである。

我々のブラザーフッドは、
物質界の法則や社会秩序をことさら破ることは、
宇宙法則にも反することであるとの
基本的考え方に立っているのである。
 
「療法の眞義」(M・ドーリル博士著)より
 
という説明があります。
宇宙にはルールなんてない!とか言って、
法を破る事を勧めたり、
信号なんて守らなくていいとか、
好き勝手に生きていいんだ!
それが宇宙だ!とやる人もいますけど、
そうじゃないですよ。
宇宙こそ、きっちりと法則によって規制されていますからね。
 
宇宙法則や真理を、
言い訳に使う人もいますが、
騙されない様にして下さい。
 
「シリウス・コネクション」には下記のような教えもあります。
 

魔術的・錬金術的儀式の究極の目標は
精神的変成だ。

それは「物質的実存」
と呼ばれる周波数内に肉体となった
我々人間の霊魂が、
本来持っているメンタルな力を
十分に実現するところに生み出される。

この実現が達成できれば、
宇宙への扉は開かれ、そこから我々は
尽きることのない叡智への探求、
宇宙の創造主の子供たちとの
啓蒙と愛の共存へと入って行ける。

しかし、万が一この探求の背後にある意図が
不純なものであれば、我々は
みずからのエゴの罠におち、
幻覚の迷路に迷い込むことになるだろう。

「シリウス・コネクション」(マリー・ホープ著)より

 

探求の背後にある意図が不純なものなのか、どうか、

というのが大事なので、エゴの克服が必要になると、

ここでも書かれています。

 
 
引き寄せの法則を本当に理解した人というのは、
二元性を統合した人で、

個であり全体、

全体であり個という視点を獲得”した人のことです。
というのも、
そうでなければ、矛盾が生じて、
上手に活用することが出来ないからです。
 

上手に活用するというのは、

意図的に創造出来る状態です。

自分はこうしたいと望みがはっきりしていて、

許容し可能にしています。

 

本物だなと感じた人達は皆、

自分自身の創造に集中していて、

他の人がどうだとか気にしていません。

あなたも出来るんですよと伝えて、

その人も意図的に創造出来ることを信じています。

その人が創造出来るように、意図して、

ポジティブに解釈しているんですね。

その人の創造を、思考を上手に活用することで、

後押ししている。

そうやって、世の中に貢献するのです。

依存させない、他者に惑わされない、

というのまた、

許容し可能にするという状態ですね。

 
私もここ最近の出来事から、
ネガティブなことを考えたら、
ネガティブな現実を経験することになるのだから、
もう馬鹿馬鹿しい。
嫌いな人のことについて考え続けて、
自分の人生に招き入れてしまって、
嫌いな人をは私の経験の一部にするなんて、
もううんざりと思いました。
思考がもったいないから、
楽しい事、いい気分になることを考えるようにしたいと、
本気で考えるようになっています。
 
 
人間関係について、法則を上手に活用するには、
第三の「許容し可能にする術」を理解する必要があります。
カウンセラーやアドバイザーなんかは、
自他の境界線が曖昧で、この許容し可能にする状態にいません。
 
”わたしがありのままのわたしで、
他者がありのままの他者であることを許容し、
可能にしよう”とありますが、
許容してたら、カウンセリングやアドバイスなんて、
出来ないですよね。
その人の善悪の基準があって、
善い方に導いてあげる!と思っているから、
商売しているんですよね。
 
大事なのは、
”人生で出会う人も状況も出来事もすべて、
あなたが自分の思考を通じて
経験のなかに招き入れたのだ”
という箇所です。
お客さんに対して、あなたの内側に、
それを引き寄せるものがあったから、
そういう経験をしているんですよ!
とアドバイスしている時、
何故、あなたの人生に、
そのお客さんが現れたの?という、
カウンセラー自身の課題も出現していますよね。
 
例えば、正しさに拘る人を見た時、
その人の考えは間違っている!
どうして正しさに拘るかって言うと…と、
自分ではない他者について説明して、
その他者について分かったような気持ちになって、
上から目線でアドバイスをするとします。
 
鏡が理解出来ると、
そのカウンセラーは正しさに拘る人が、
気になってしまったんだ、目に付いたんだ、
そのカウンセラーの何がそうさせたんだろうね?
となる訳です。
正しさに拘る人と感じるのはそのカウンセラーの問題であって、
それが事実かどうかは本人にしか分からないのです。
カウンセラーには、
その人が正しさに拘る様に見えて、
その行動が”正しくない”と感じているのだ、
というのが、カウンセラーの発信内容から分る事実です。
 

人々はいい人間でいたいと望むからこそ、

何が良いことなのかを決めるために、周りを見渡して、

他の人々の生き方観察しているんだ。

 

自分たちの周囲の状況を眺めて、

その状況の中に良いことだと思えることと、

悪いことだと思えることの両方を見ている。

 

「それが悪いことなの?

それのどこが悪いのか、わたしにはわからない」

 

僕が気がついたことはね、

人がいろいろな状況を眺めている時、

それが良い状況でも悪い状況でも、

ほとんどの人は自分がどう感じているかについて

意識していないということなんだ。

 

そしてそれが、

ほとんどの人にとって問題を起こすことになるんだ。

 

自分が見ていることが

自分をどのような気持ちにさせているかを意識している代わりに、

いい人間になりたいという気持ちから、

人々はいつも悪いことを探し出しては、

それを遠ざけようとばかりしているのさ。

 

それがどうして問題かっていうとね、

人々が「悪いこと」だと思っているものを

遠ざけようとしている間中ずっと、

その人たちは《苦しみの鎖》に

つながってしまっているからなんだ。

 

人々は、

自分がどんなふうに感じているのかを意識していることよりも、

いろいろな状況を観察したり

分析したり比較したりすることの方に

ずっと関心があるんだ。

 

そして、たいていの場合、

その状況が彼らを《苦しみの鎖》の中に

引きずり込んでしまうんだ。

 

「サラとソロモン」(エスター&ジェリー・ヒックス著)より

 
という箇所をご紹介しました。

”人々はいい人間でいたいと望むからこそ、

何が良いことなのかを決めるために、周りを見渡して、

他の人々の生き方観察しているんだ”

とありますね。
 
例えば、そのカウンセラー自身が、
何が正しくて何が正しくないかということが、
気になって仕方がなくて、
でも正しさに拘るのは悪い事だと思っているから、
自分が我慢していることを行なっている人を見ると、
許せない気持ちになってしまう、
といったことがあります。
 
この例というのは、私の経験から、
そうではないかな?と考えたことを書いていますから、
これもまた鏡で、
この記事を読んだあなたは、
ああ、そういう経験を思い出しているんだなと、
他人の事として受け止めればいい訳です。
それを、自分のことを言われている様に感じて、
「勝手に決めつけてムカツク!」
「分かった様なことを言って!」とか怒るから、
一層ネガティブなループにハマってしまうのです。
もし、腹が立つなら読まないでねという忠告は、
その為ですよ。
下降スパイラルにハマってしまうでしょう。
 
よく人の噂話が好きな人達は、
○○さんって××なんだよね!と聞いた時に、
そうなんだー!と同調したり、
そうそう、それに△△だよね!と付け足したりして、
その××という見方に乗っかって話しますよね。
鏡が分かってくると、
沢山いる人の中からあなたは○○さんが気になったのね!
あなたには××って見えてしまうんだ!なるほどね!
という話になるのです。
○○さんをテーマにしてその人自身の話をしている、
という風に解釈します。
そこにはいない○○さんのことはどうでもよくて、
今目の前でその噂話をしているその人自身が、
自分の内側について、他人のことの様に話している、
というのが事実で、
それを見ている私は、どう感じるのか?
というのが一番大事な部分なのです。
 
カウンセラーとかアドバイザーなんていう仕事をしている人は、
いつも、外側の誰かを見て、
自分ではない誰かのことだと判断しているので、
自分自身のことはまるで見えて居ない状態になってしまいます。
もし、それは自分のことだという視点で捉えだした時、
個であり全体、
全体であり個という視点を”獲得できるでしょう。
その時には、今の商売をそのまま続けるかどうかは、
分かりませんけれども。
 
引き寄せと鏡の法則について という記事を以前書きました。
 
あなたが誰か困っている人に出会ったとしよう。

お金がないとか、交通手段がない、
食べ物がない、という人だ。

あなたはそういう人を見て悲しくなり
(それはあなたがその人の欠落状態に着目し、
欠落に対応する波動を起こすから)、
悲しい気持ちでお金や食べ物をあげようとする。

そのときあなたが伝えている波動は、
こんなふうに言っているのと同じだ。

「あなたは自分でどうすることもできないようだから、
わたしがしてあげよう」。

あなたの波動は「幸せの欠落」に焦点があり、
したがってお金や食べ物をあげたとしても、
あなたの支配的な波動は「欠落を永続させる」ほうへ働く。

そこで、ちょっと時間をとって、
その人の境遇がよくなることを想像してみるといい。

その人が成功して幸せになることを考え、
それがあなたのなかの支配的な波動になってから、
そのときの感情をベースに行動して、
何かを提供したければする。

こうすれば、
あなたがその人に関心を向けたときの
支配的な波動によって、
相手からも幸せと一致する波動を引き寄せる。

わたしたちに言わせれば、
それだけで価値ある与え方なのだ。

問題は「与えるのと受け取るのとどちらが上か」
ではない。

「望ましいことに焦点を定めるのと、
望まないことに焦点を定めるのと、
どちらが上か?」

「成功を信じて相手を励ますことと、
現状を重視して押しつぶすことと、
どっちが上か?」

「自分の『内なる存在』とかみ合ってから
行動するのと、
かみ合わないままに行動するのと、
どっちが上か?」

「相手の成功を促すことと、
失敗を促すことと、どっちが上か?」

それが問題なのだよ。

他人に与えることができる
最大の贈り物は、
相手の成功を期待することだ。

人生の見方は人の数だけあり、
さまざまに違っている。

あなたは誰もが同じで、同じことを望み、
同じことを獲得する世界を創るために
生まれてきたのではない。

自分が望む生き方をし、
人もそれぞれ望む生き方をすることを
認めるために、この世界にいる。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 

鏡の法則というのも、

外側のものを理解する時は、

自分の内側にあるものしか理解出来ないということになります。

誰かを見て、可哀想だ、困っている人がいる、
とネガティブに感じたしたら、
もともとネガティブな思考を重ねてきたから、
その結果として、ネガティブに感じる経験をしている、
ということになります。
可哀想な人、困っている人を創っているのは、
自分自身なのです。
 
その人に求められてもいないのに、
助けてあげなきゃと思うのは、
”「あなたは自分でどうすることもできないようだから、
わたしがしてあげよう」。”
と言っているのと同じです。
自分がそう言われて嬉しいのでしょうか?
 
”あなたの波動は「幸せの欠落」に焦点があり、
したがってお金や食べ物をあげたとしても、
あなたの支配的な波動は「欠落を永続させる」ほうへ働く。”
その人を見てネガティブな気分になった時は、
否定的な見方をしているということになります。
 
悟っている、覚醒している人というのは、
困っている人という解釈はしないんですよ。
 
例えば、今私が全速力で走ったとして、
物凄く息苦しくなってゼーゼーハーハーしているとします。
私は急に走りたくなって、走った後は苦しいけれども、
走ったという達成感があって、辛い訳ではないです。
休んでいれば呼吸も落ち着くでしょう。
ゼーハーするのは運動不足なので仕方ないです。
でも、走った直後の私を見たあなたは、
何か悪い病気か発作かと思って、
とにかく助けなきゃと救急車を呼んで、
大騒ぎをします。
大丈夫ですか?今すぐ助けますからね!と。
親切で行なっていることですけれども、
私は何も困っていないし、
確かに今、苦しいけれども、
自分で対処出来るのが分かっているので、
助けは必要ないのです。
私が困っていて苦しんでいて、
助けが必要だと感じたのは、
あなた自身の問題であって、
私の問題ではないですよね。
誤解させて申し訳ないかもしれないけれども。
 
その苦しんでいる部分だけを見たら、
とても大変なことに感じるけれども、
全体で見たら、
幸せに至る前のほんの些細なことかもしれません。
 
ジェリー わたしは素晴らしい人生を
楽しんでいますが、周りの世界には
とても辛い思いをしている人たちがいます。
誰もが苦痛のない人生を送るために、
わたしには何ができるのでしょうか?

エイブラハム あなたには
他人の経験を創造することはできない。
他人に代わって思考することはできないから、
それぞれが考える思考、発する言葉、あるいは行動が、
その人たちの「内なる存在」からの
感情的な反応(苦しみ)を引き起こしている。

その人たちは望まないことに思考を向けることによって、
自分で苦しみを創造している。

さて、あなたに何ができるかと言えば、
喜びの実例を示すことだ。

望むことだけを考える者、
望むことだけを口にする者、
望むことだけを実行する者、
─したがって、
喜びの感情だけがわく存在になってみせることだ。

ジェリー それならできます。
自分は自分が望むことや喜びに焦点を定め、
人がそれぞれ経験するのを受け入れることを
学べばいいんですね。
それではわたしが人の辛い体験に焦点を定めると、
自分でも辛い体験を創造してしまいますか?
そうしたらその辛い体験の例を示すことになりますね。

エイブラハム 誰か辛い思いをしている人と出会い、
その辛い状況を見たあなたは、
その人が辛い状況から脱出する方法を
見つけることを願うとする。

それなら、その人の苦痛は
一瞬あなたをかすめるだけで、
あなたはすぐにその人の楽しい状況に思考を向ける。

そのあと、その人が辛い状況を見事に解決することに
揺るがぬ関心を集中していれば、
あなたは苦痛を感じないし、
その人が解決策を見つけるきっかけになることも
できるだろう。

それが真の励ましだ。

しかし、その人の苦痛や苦痛の原因となっている
状況にだけ焦点を定めていたら、
あなた自身のなかにそれと一致する波動が起こり、
望まないことを引き寄せて
あなたも苦痛を感じ始めるだろう。

ジェリー それでは、自分が喜びを求め続けることが
鍵なんですか?
そういう実例を示し、
人の場合はそれぞれが自分で(どんな方法であれ)
選んだ体験をするのを許容する
─心から許容する─それでいいんですか?

エイブラハム 実際、人の場合はそれぞれが
自分で引き寄せた体験をするのを見ているしかない。

あなたが人に代わって考えたり
波動を起こしたりすることはできないからだ。

したがって、
人に代わって何かを引き寄せることもできない。

真に「許容し可能にする」とは、
人が何をしようと、
自分自身はバランスをとって自分の喜びを
感じていることだ。

あなたがバランスのとれた状態で、
自分自身の「内なる存在」とつながり、
宇宙の素晴らしい生命の源と調和し、
そのうえで他人に関心を定めれば、
その人たちのためにもなる。

その人たちの関心の対象となるあなたが
心地よければ、
それだけあなたの前向きな影響力は大きくなる。

人がそれぞれ望む(あるいは望まない)
生き方をすることを
「許容」できるようになれば、
人が何をしていてもそれで自分が
ネガティブな感情になることはない、
とわかるだろう。

あなたが「許容し可能にする者」になったら、
すべての人の体験を眺めて喜びを感じるだろう。

あなたの質問に答えて三つの「法則」のうちの
重要なことを説明しているうちに、
話が一巡したようだ。

「引き寄せの法則」はあなたの思考の
波動に応じて働く。

意図的に心地よい思考を選ぶことで、
あなたは「内なる存在」、
真のあなたという存在につながることができる。

あなたが真の自分とつながっていれば、
あなたが関心を向ける人たちは
誰でもその恩恵を受ける。

そしてもちろんあなたは喜びを感じる!

やがて、あなたは自分の感情に敏感になり、
思考を意図的に方向づけることに習熟して、
いつも前向きの引き寄せが働く状態になるだろう。

そのときに初めて、
あなたは人がそれぞれ選んだ体験を
創造するのを安らかに見られるようになる。

自分は望まないことに影響されないこと、
すべては自分の思考を通じて
招き寄せていることを理解したとき、
あなたは(どんなに近しい人であっても)
他人の生き方に二度と脅かされなくなる。

他人の生き方が
あなたの体験に入り込むことはないのだから。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 


”しかし、その人の苦痛や苦痛の原因となっている
状況にだけ焦点を定めていたら、
あなた自身のなかにそれと一致する波動が起こり、
望まないことを引き寄せて
あなたも苦痛を感じ始めるだろう。”
とあります。
苦痛が目に付くというのは、
その人自身がネガティブな方に思考を向けているからです。
 
肯定的な側面を探すには、
「もしも?」というゲームを
するといい。

言い換えると、
社会のなかで力を失った人たちが
人生の状況を全然コントロールできずにいる例に
目を向けるのではなく、
力がわき出るようなストーリーを語るのだ。

無力な被害者のストーリーを語って
自分も被害者意識を拡大するのではなく、
違ったストーリーを語ってみよう。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
とありました。
違ったストーリーを語りましょうということでしたよね。
 
この「もしも?」のゲームをするときには、
自分が見たいと思うことを探しなさい。

明るくていい気分になることを
探しなさい。

逃げ道のない状況は絶対にない。

それどころか途中には何百、何千もの
実際的な選択肢があるものだ。

だが、多くの人は習慣から
「ない」という視点を選択し続け、
結局もはや選択肢がないという
望まない状況に落ち込んでしまう。

「申し分のない状態」や
繁栄や成功や幸福の証拠を
見つけようという意志を持ち続けていれば、
その波動に自分を同調させることになる。

だから、人生は明るい気分のいい
経験だらけになる。

今日はどこに行くにしても、
何をするにしても、
きっと見たいことを見つけるぞ、
と決意しなさい。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
困った状況にあると感じる人を見たとしても、
”逃げ道のない状況は絶対にない。
それどころか途中には何百、何千もの
実際的な選択肢があるものだ。”
ということなのです。
 
その別の見方を自分の中から探し出すのです。
 
自分が経験していることは、
自分で選択して創り出しています。
今、目の前に、
困っていると感じる人を登場させたのは、
どうしてなのでしょうか?
別の見方を探して、
意図的に自分の人生を創造する必要があるんです。
もし、困っている人のままにしておけば、
また別の困っている人を、
自分の人生経験に登場させ続けます。
私たちは思考で、様々な可能性を創り出せます。
思考はいずれ、現実となります。
この世界から困っている人をなくすには、
どうしたらいいと思いますか?
 
固定観念に囚われたままだと、
別の見方を探し出すことは出来ません。
ポジティブな見方をしてみようと、
自分と向き合う時、
とても苦しいことも沢山あります。
新しい見方を探し続けて、
光を闇に転換するというのが、
私たち人間の役割です。
別のストーリーを語ってみましょう。