暴力的な場面に遭遇しない方法補足・赤ペンという記事を書きましたが、

該当する人に顕著な反応がありましたので、

これから先も、

あまりに酷いストーカー化したパクリの人には、

同様にその人自身をお題にした記事を書こうと思います。

(今後書く必要がなくなればいいのですが…)

 

私の良心として、ブログタイトル、アカウント名等は、

書きませんけれども、

それは今の時点ではの話であって、お約束はしません。

状況によっては、書きますし、

記事やツイートのコピペで検索しやすくする場合もあります。

癖になっている人はどうぞご注意下さい。

 

 

こういったことを行なう時、

自分自身がどんな気持ちでいるのか?

物凄く注意深く観察しています。

神経を使うので、積極的に行ないたくはないです。

 

私は未熟者なので、感情を動かさず、

必要なことを伝えたり、

どんな立場の人に対しても、

思いやりや優しさを持って対処できるのか?

といったことに自信を持っていません。

 

指摘している時に、いい気分になっていないか?

見下していないか?

馬鹿にするような気持ちは湧かないか?

怒りに任せて感情的に書いていないか?

怨みや憎しみや不満などの気持ちは湧いていないか?

といったことを、自分の隅々までチェックします。

また、

指摘している人が逆ギレして一層粘着するかもとか、

別の誰かが、パクリパクリ言ってばかりで、

誰も見てねーよ、精神病なのか?と言うかもしれない、

(見てるから精神病なのか?と思ったのでしょうけど)

といった想像もします。

そうなったとしても、自分の行ないに、

自信を持って納得できるのか?という自問自答もします。

 

ここしばらく、引き寄せの法則について書いていますが、

私が一番中心に置いている、意識している宇宙法則は、

原因と結果の法則です。

 

原因と結果の法則の働き方として、

まず今まで積み重ねてきた悪因を全て善因に変える様に対処すると、

言い換えると、カルマを解消すると、

原因に対しての結果の関係がはっきりし、

今、目の前に起こったことは、どんな原因から来ているのか?

というのが、すぐ分かる様になります。

 

何故、分かる様になったのかと言うと、

これは私の場合ですが、

ネガティブな、怒りや心配、不安などを強く感じると、

すぐ目の前で現象化するのです。

すぐです。

初めは偶然かと思っていたのですが、

何度も繰り返すうちに、これは法則だ、

ネガティブな選択をすれば、

びっくりするくらいのネガティブな結果が返ってくるのだ、

ということがはっきり分かって来るのです。

なので、もし、
怒りや不満などでいっぱいになっていたら、
自分の命に関わる様な、恐ろしいブーメランがすぐ返ってくるのです。
 
だから、自分の感情のコントロールにはとても気を使い、
ネガティブな気持ちになったらすぐ、
見方を変えて肯定的に捉えられる様な考え方を探します。
 
ストーカー化した嫌いだなと思う人について考えて、
何年にも渡る悪質なパクりについて、
肯定的な見方を探し、ポジティブな明るい前向きな気分で、
記事を書くということです。
これが上手くいかないと、
速攻で現象としての、恐ろしい出来事が起きてきたり、
体調を崩して、寝込んだりします。

 

 

自分が考えることが現実になるので、

何に関心を向けるかという部分をコントロールすれば、

それが現実として現れて、
自分の経験もコントロール出来るのですが、
それは本当なのか?と半信半疑の、

引き寄せで商売している人も結構います。

 

ある引き寄せカウンセラーは、

引き寄せの法則や不思議なことは、

あると思う程度(ありますとは断言できない)の、

理解度なのに、商品を売っています。

 

何故、その様な状態なのか?というと、
カルマを解消していないので、
現実として現れて来ることの原因が、
自分ではまだ把握出来ないんですね。
エイブラハムたち風に表現すると、
過去に道をきちんと敷いてこなかったという状態です。
 
カルマを解消すると、
あれがこう来たかという原因との関係が、
よく分かるようになります。
逆に言うと、いくつかの選択肢の中で、
何を選ぶのが最善なのかとか、
これを選んだらこういう結果になる、
というのが分かる様になります。
未来予知といった風に詳細に分かるのではなくて、
ネガティブな結果かポジティブな結果かみたいな、
ことなんだけどね。
私の子どもたちも、流石にこれを選んだら、
ブーメランがやばいのは分かるから、選ばない、
という様なことを度々言っています。
 
他の人達はどうして分からないの?
と聞いて来ることもありますね。
それぞれの段階があるからと、
経験しながら分かるんだよ、と答えていますけど。
子どもたちはたまたま、私を通して、
積極的に学ぶ機会に恵まれただけなんですよね。
 
 
 
スピ系教祖様が教祖として一部の(小さな)界隈で、
君臨する為には、
それを持ち上げる信者も必要になります。
裸の王様になったのは、教祖様自身の選択でもあるけれども、
いい気にさせて持ち上げている信者たちもまた、
裸で歩いているのを許しています。
 
本当に支配者層に従いたくないのなら、
自分が頂点に立ったピラミッド構造を作り、
信者達に持ち上げられる状況に、
満足できるとは思えません。
あなたも私も同じ、地球の仲間だよね、
といった気持ちがあるのなら、
自分が他より凄いのだといった発信は、
あり得ないはずです。
 

例えば、

真実について発信するという場合、

私ほど真実を伝えている人はいないでしょうとか、

誰よりも真実について語っています、

といった表現をしたとします。

 

他者と比較していて、自分が上であり、

読んでいる人に対して、

どう思われるのかということを、

コントロールしようとしています。

自分ってこんな人なんだよー、

他の誰かよりこんなところが優れているよー、

といった形でアピールするんですね。

他人軸です。

 

自分軸だと、私にとっての真実をお伝えします、

といった表現をします。

あくまでも、自分自身は真実だと考えているけれども、

それを読んだ他の人にとっては違うかもしれない。

でも、それはそれで構わない。

自分自身がどうあるのか?自分にとってどうなのか?

といったことが大事なのだ、

という様な気持ちでいます。

 

私ほど真実を伝えている人はいないでしょう、

といった言葉は、

人より上に立ちたい、立っているのだという気持ちがあり、

上下関係を創っているのが分かりますよね。

 
自分の身内、仲間、好感を持つ人に対しては、
上下はないよと言うけれども、
自分が嫌いな人は見下している訳です。
支配者層と変わりません。
 
また、そういう人を崇拝する信者というのも、
上に立つ人を創るということは、
自分より劣っていると感じた人のことを、
見下すということでもあるし、
自分自身も上に立つこともある、
上に立ちたいという気持ちがある、
ということでもあります。
これも支配者層と変わりません。
 
従わないとはどういうことなのでしょうか?
行動することが大事なのではありません。
あなたの思考はどうなのですか?
ということが大事なのです。
 

私ほど真実を伝えている人はいないでしょう、

という言葉を聞いたとしたら、
一体それが事実だと、

どうやって調べたのだろう?と思います。

疑問には感じないのでしょうか?

誰と誰を比べてそう思ったのか?

何を真実としているのか?

どのくらいの範囲の人の中から、

そう感じたのか?といったことが気になってしまいます。

なんて曖昧なことを事実の様に言うのだろう、
どうしてそんなことを信じられるのだろうとびっくりします。
 
ここでは真実ということを例にして書きましたが、
心の内では上下関係を創っていて、見下す人がいる場合、
私ほど〇〇な人はいない、といった表現をしています。
人と比べて自分は〇〇だと言っているのです。
自分軸だと、比べる必要がないことを知っていますので、
こういった表現はしません。
 
 
 
自分が何をすべきか、どういう方向に進むのか、
魂の使命は何かなんていうことは、
誰かに教えてもらうことではありません。
自ずと分かってきますと書きました。
 
例えば、占い師に、
あなたは人に伝える使命がありますと言われたとします。
本当にその通りだと感じて占い師を信じ切っていたので、
上記の部分を読んで、否定された気分になり、
腹が立ちました。
 
もしここで、自分が今、怒りを感じていること、
読んでいた文章の怒りを感じた箇所を、
自覚して把握することが出来たなら、
その時点で、自分を客観視することが出来ます。
 
自覚をしていないと、怒りはまた、
同じ様な思考を引き寄せるので、
どんどん拍車が掛かります。
この記事は凄く不愉快だ。
この記事を書いた人は性格が悪い。
書いている内容におかしい部分が沢山ある。
精神疾患に違いない。
と、ブログ記事や記事を書いている私個人へ、
怒りの矛先が向いてきます。
 
怒りが湧いた時点で、
腹が立ったんだな、怒っているなと自覚して、
どうしてそうなのか?と自問自答したなら、
文章やブログ記事はきっかけに過ぎず、
自分の内面を映した鏡だということが分かります。
 
怒りを感じたことを自覚出来ないと、
怒りを感じさせたブログ記事や、
その記事を書いた人自体に、
原因があって、悪いんだという様に、
自分以外に責任がある様に感じます。
 
例えば、占い師に、
あなたには盗むという使命がありますと言われたら、
それを受け入れて信じていたでしょうか?
たまたま自分にとって都合が良い、
信じたいなと思える様な内容だったから、
当たっている様に感じたのではないでしょうか?
コールドリーディングという手法がありますよね。
占い師や霊能者、スピ系カウンセラーなんかは、
よく使っています。
 
占い師に言われたから信じたのだとしたら、
それはどうしてなのか?
言われたら信じたい言葉と、
信じたくない言葉があるとしたら、
それはどうしてなのか?
どうして信じる必要があるのか?
 
下記をご紹介しましたが、
 

ジェリー 誰かに有効性を示すために、
その「法則」というか原則を検証したいと思って、
「この法則で何ができるかを見せてあげよう」
と言うとしたら、それは「引き寄せの法則」の効力に
影響を及ぼしますか?

エイブラハム そこで問題なのは、
何かを証明しようとすると、
望まないこと対抗しなければならなくなることだ。

だから、自分のなかでその対抗相手と同じ波動を
活性化させてしまい、
望むことの実現が難しくなる。

それに相手が強い疑念を抱いていれば、
その影響であなたも疑念を抱くようになる
可能性があるので、勧められない。

言葉で誰かに何かを証明する必要はない。
あなたの存在そのものが─あなたの生き方が─
人を高揚させるわかりやすい例になればいい。


ジェリー エイブラハム、わたしたち、
つまりこの物質世界に暮らす者の多くが、
自分にいいことが起こるのを正当化しなくてはならないと
思っているようなのですが、
どうしてだとお感じですか?

エイブラハム 一つには、
リソースには限りがあると誤解しているからだ。

それで、なぜ他人ではなくて
自分がリソースを獲得できたのかを
説明しなくてはならないと思う。

もう一つの要素は、「無価値」という信念にある。

あなたがた物質世界の次元には、
「あなたには価値がない、
だから自分の価値を証明するために
この世に生まれた」
という非常に強力な考え方がある。

だが、あなたがたは自分の価値を証明するために
この世に生まれたのではない。

あなたがたには価値がある!

あなたがたは楽しい成長、
拡大を経験するために生まれて来た。

あなたがたの欲求の力によって、
そして「許容し可能に」する力によって
─ここで話をしている「法則」を高く評価する、
まさにそのことによって─
あなたがたはこの時空という現実に出現した。

だから、物質世界に存在していることが
あなたがたの価値の証明であり、
自分の思いどおりの人間になり、
思いどおりに行動し、
欲しいものを手に入れるにふさわしい証明なのだよ。

自分は「無価値」だと考えると
とても嫌な気持ちになるのは、
その思考が「内なる存在」の考え方と
まったくずれているからだと気づけば、
思考の方向を改善しようと思うだろう。

だがそこが理解できれなければ、
他人を喜ばせようとじたばたしてしまう。

しかも、あなたに対する他人の要求には
一貫性がないから、
結局、あなたはわけがわからなくなって失敗する。

正当化したくなるのは
ネガティブなモードに入っているためで、
自分の欲しいものに
思考の焦点を定めていないからだ。

欲しいものに思考の焦点を定める代わりに、
自分が欲求を持つのは正しいのだと
他人を説得しようとする。

だが、そんな必要はない。
欲求を持って当然なのだから。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

”もう一つの要素は、「無価値」という信念にある。
あなたがた物質世界の次元には、
「あなたには価値がない、
だから自分の価値を証明するために
この世に生まれた」
という非常に強力な考え方がある。”
とあります。
 
占い師に”あなたは人に伝える使命があります”と言われたから、
私は人に伝える必要があるのだ、と、
”正当化したくなるのは
ネガティブなモードに入っているためで、
自分の欲しいものに
思考の焦点を定めていないからだ。
欲しいものに思考の焦点を定める代わりに、
自分が欲求を持つのは正しいのだと
他人を説得しようとする。
だが、そんな必要はない。
欲求を持って当然なのだから。”
 
占い師に言われたから人に伝えるのでしょうか?
この時点で、占い師にコントロールされています。
占い師としては、この人をコントロールして、
自分は当たる占い師だと思われることが目的だから、
その人が喜びそうな好みそうなことを言いますよね。
 
信じた人は、自分がこうしたいと思うことを、
素直に受け止めることが出来ずに、
こうする必要があるのだからやっているのだと、
理由をつけようとしています。
 
でももし、
あなたには盗むという使命がありますと言われたら、
占い師に言われたからこれが使命なのだと言って、
泥棒になるのでしょうか?
もしそうしたとしたら、占い師に言われたから、
使命だから仕方ないと言い訳するのでしょうか?
 

”言葉で誰かに何かを証明する必要はない。
あなたの存在そのものが─あなたの生き方が─
人を高揚させるわかりやすい例になればいい。”

とあります。
自分の感情を観察していないと、
結局、ネガティブになったことも分からないし、
自分が何を望んでいるのか欲しているのかも分からない、
と言う状態に陥ってしまいます。
 
 
パクるなと書いていて、
遠まわしに伝えていても、
まるで伝わらない。
インターネットで一方的に発信している以上、
様々な立場、意識状態、理解度の人達が、
読みに来ますし、

その人たちがどのように受け止めるかは、

その人たちの自由です。

 
どんなに言葉を尽くしても、
こちらの伝えたい真意は、
伝わらないかもしれませんが、
できるだけ、表現できる様に、
言葉を選んだり、例えを用いたりして、
努力はします。
まるで伝わらなかった時には、
もっと焦点を絞って、具体的な表現などで、
(一応ブログ名、アカウント名などは出しませんが)
理解しやすい様に工夫します。
 
私は自分の真意が伝わらない場合は、
読む人が悪いのではなくて、
私自身の工夫や技術が足りないと思います。
 
自分軸か他人軸かといえば、
自分軸の場合は、読む人がどのように、
受け止めるかはその人達の自由、
思った様に理解されないのなら、
もっと工夫をしようと考えます。
他人軸だと、
書いた人の気持ちを、想像出来ないのか?
読む人達が悪い!となります。
 
 
例えばホースに穴が開いているとします。
この時に、何故穴が開いてしまったのだろう。
穴が開いてしまうなんて、ツイていない。
といった風に否定的な捉え方をするなら、
暗いネガティブな気持ちになります。
 
ホースに穴が開いていること自体に、
善いも悪いもありません。
でも、悪いことだという風にしか捉えられないとしたら、
善悪二元論で裁いています。
問題があるという風に考えてしまうのです。
否定的に捉えて、暗いネガティブな気持ちになったまま、
ホースを新しいものに取り換えたとします。
 
行動を通じて創造するのではなくて、
思考を通じて創造するので、
いくら行動してもネガティブな感情のままだったら、
またネガティブな暗い感情になる様な出来事が起きます。
 
ホースに穴が開いていることは、
きっかけに過ぎなくて、
ものごとをネガティブに捉えている自分を、
見せてくれているのです。
 
もし、ものごとを肯定的に捉えていて、
ポジティブな明るい気持ちでいたのなら、
ホースに穴が開いたことも、
否定的に捉えることはなく、
解決策に思考を向けますので、
新しいホースを購入しようと前向きに考えます。
 
行動を通じて創造するのではなくて、
思考を通じて創造するので、
ポジティブな感情でいたら、
またポジティブな感情になる様な出来事が起きます。
 

思考の結果が現実に反映されるので、

もし、ネガティブな感情になったのなら、

思考を転換してポジティブな感情になる様な考え方を探すことで、
現実の経験もコントロール出来ます。

これをエイブラハムたちは道を敷くと伝えていますね。


他人軸で捉えるのか、

自分軸で捉えるのかということで、

その人の表現の仕方も変わりますし、

発信した内容の受け止め方も変わります。

 

私は下記の

「宇宙の羅針盤・上」(辻麻里子著)の観覧車の例えば、

一番イメージにしっくりきています。

 

たとえば、観覧車を例にあげますと、

手前側から見ている人はその観覧車は右まわりにまわっている

と言うかもしれませんが、

反対側から観覧車を見ている人は、

それは左まわりにまわっていると言うでしょう。

 

平面の図形に関して、右まわり左まわりという発想は、

裏から見るか表から見るかで、回転方向が全く逆になります。

 

厳密に言えば これは回転の説明ではありませんが、

たとえば、家の中にいる人はこの扉は押す扉だといい、

家の外にいる人はこの扉は引く扉だと主張するように、

視点をどこに置くかで変わってきます。

 

ご自分の立ち位置を

客観的にとらえることが、

この宇宙では大切になります。

 

しかし、ひとつの視点にとらわれることなく、

重要なのはすべてを包括してとらえることです。

 
立ち位置が違えば、

同じものを見ても、正反対の状態になって、

いつもひっくり返ってしまうというのも仕組みです。

 

ひっくり返っている子は、
まわりをみんな
負のスパイラルに巻き込んでゆく。

大切な人を苦しめてしまう。

きっと、これから先もずっとそう。

だって反対まわりなんだから。

きれいなもの、
大好きなものを壊してしまうでしょ。

でも、壊されても壊されても、
またつくればいいの。
ただ、それだけのことよ。

だって、ひっくり返っていることに、
本人が気づくしか方法はないの。

だれも真実を
教えてあげることはできないのよ。

ねえ、大人になるって、
ひっくり返っていることに
気づくことでしょ?」

「宇宙の羅針盤・上」(辻麻里子著)より

 

私とは反対周りに進んでいる人達が、

悪質なストーカーなのですが、

その人たちが邪魔しようと足を引っ張ろうと、

私は、ただコツコツと自分がしようと思ったことに、

意識を向けて積み重ねていくだけです。

 

ひっくり返っているよとこちらでは、

何度もお伝えしますけれども、

本人が気付く以外にはどうしようもありません。

早く大人になるといいですね。