引き寄せの法則について続けて記事を書いています。

今は、お金と引き寄せの法則に関する箇所を、

ご紹介しているところです。

 

引き寄せの法則というのは、

似たものを引き寄せるという法則で、

思考に対しても働くので、

ネガティブな気分になることを考えていると、

どんどんネガティブな考えが引き寄せられてきて、

そのまま関心を向け続けていると、

現実として経験するようになります。

ネガティブな気分になるということは、

自分が望んでいないことを考えている、

ということでもあります。

考え続けると、望んでいない事を経験する、

ということですね。

 

だから、望みの方に思考を向けよう、

とエイブラハムたちは伝えていて、

その望んでいることについて考えると、

ポジティブな気分になりますよ、
ということになります。
 
あらゆるものには二極ある、
というのも宇宙法則ですが、
エイブラハムたちは、

 

すべての物事は実際には
─望むことと望むことが欠けているということの─
二つの事柄だから、
自分ではポジティブな面に
ピントを合わせているつもりで、
実はネガティブなほうに
ピントが合っていることもあり得る。

「もっとお金が欲しい」と言っても、
実際には必要なだけのお金がないという事実に
ピントを合わせていたりする。

ほとんどの人は病気だと感じているときに、
健康になりたいと口にするのものだ。

言い換えれば、
望んでいないことへの関心がもとで、
望むことを口にする。

願望にピントを合わせているように見える言葉でも、
実はそうではないことが多い。

何かを口にしているとき、
自分がどう感じるかに
意識的に気づくことによってのみ、
ポジティブに引き寄せているか
ネガティブに引き寄せているかがわかる。

そして何を引き寄せているか、
すぐにはその徴候が見えなくても、
思考は似たような思考、
波動、エネルギーを寄せ集めている。

そして、
やがては何を引き寄せているかが明白になる。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 

といった形で、

この二極あるということを、
”─望むことと望むことが欠けているということの─
二つの事柄”と表現しています。
 
恐らくこの部分で、
引き寄せの法則は願いを叶える法則、

という風に広まっているのかな?と思いますが、

学べば学ぶほど、その解釈を疑問に感じています。
 

goo辞書では、

 

願う:望みがかなうように請い求める。望み求める。

 

望む:物事がこうであればいい、自分としてはこうしたい、こうなりたい、

また、なんとか得られないものかなどと、心に思う。

 
とあります。

願いが叶うだとすごく受動的な感じがして、
望むだと能動的な感じがします。
願いが叶うのを待っているのは他人軸、
望むのだから実現するという捉え方は自分軸、
という違いがありますよね。
 
エイブラハム達は意図的に創造しようと伝えています。

 

そう、あなたは自分の経験を

自分で創造している。

自分の経験は
自分で引き寄せているといってもいい。

創造とは、
何を望むかを明らかにして、
それを追いかけて捕まえることではない。

創造とは、
望むことに焦点を定め
─経験したいと思う事柄に
思考を正確に同調させて─
「引き寄せの法則」によって
それが引き寄せられてくるように仕向けることだ。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 

”創造とは、
何を望むかを明らかにして、
それを追いかけて捕まえること”

という風に捉えているのが、

引き寄せ界隈の多くの人かなと思います。

でも、

”創造とは、望むことに焦点を定め
─経験したいと思う事柄に思考を正確に同調させて─
「引き寄せの法則」によって
それが引き寄せられてくるように仕向けること”

とエイブラハムたちは教えていますね。

 

願いが叶う、叶わないという点での二極もありますが、
叶ったか、叶わなかったかというのは結果論ですよね。
叶ったを選択した、叶わなかったを選択したのではなくて、
何かを選択した結果が叶った、または叶わなかったとなりますよね。
 
”望むことに焦点を定め
─経験したいと思う事柄に思考を正確に同調させて─”
というのは、意図的にあることを選択するものです。
 

あらゆるものには二極あるということを理解しないと、

もし望まない事を考えていたとしても、

転換しようとは思えません。

そして出来ないと結局、

望まないことを経験することになります。

その結果、願いが叶わないという状態になりますね。

 
願いが叶わなかったというのは、
望むことに焦点を定めていなかった、
経験したいと思う事柄に思考を正確に同調させていなかった、
ということです。
 
 
人間だとしたら、人間以外が発生して、

男性だとしたら女性が発生する、

右だったら左という様に二極あります。

ものごとの見方だと、

肯定的な見方と否定的な見方が発生して、

行動だったら積極的な行動と消極的な行動がありますよね。

必ず二極が発生しているのが法則です。

 

何かを見ている時に、自分がこうである、と捉えた時、

それは内側の反映になります。

 

一見自分の外側で起きているかに見える出来事は、
実際のところあなたの内側に反応を生み出すきっかけ、
触媒であるにすぎません。

出来事そのものは本質的には空です。

それは引き金であり、あなたの意識のなかに
何らかの反応を引き起こすのです。

人は人生というイニシエーションの過程を通過しながら、
しばしば困難として立ちはだかる無数のものごとに
感覚的、感情的に反応します。

それは人であることの本性です。

もしそうした感覚・感情反応を自覚しつつ、
それを自己への思いやりをもって体験し、
愛によって自身の内側を見つめるなら、
あなたの苦しみをつくり出している
二極性をそこに認めることができるでしょう。

その二極は、あなたの意識のもっと深いレベルにある
信念と選択とに支配されているのです。
 
「ハトホルの書」
(トム・ケニオン&ヴァージニア・エッセン著)より

 

二極と上記にも出てきますね。

 

たとえば四人が集まり、
何かが起こったとすると、
その出来事に対して四つの感情体験が生じ、
それらはいずれも各自の認識において
正しいことになります。

一見客観的と見なされる一つの出来事について、
四つの認識結果が生まれるということです。

この点は
どうしても明確にしておきたいところです。

わたしたちは人生での出来事を
全部あなたがつくり出している
と言っているわけではありません。

なかにはそういうケースも存在しますが、
ここでわたしたちがお伝えしたいのは、
人生におけるさまざまな出来事の
中心となるような、すべての体験に対する
内的姿勢をつくり出しているのは
あなた自身であるということです。

あなたが自分の体験をどう認識するかは、
あなたの信念、意図、受けとめ方や感じ方、
あるいは密かな予定表や、
その出来事に対する
感覚・感情などにもとづいているのです。

 

「ハトホルの書」
(トム・ケニオン&ヴァージニア・エッセン著)より

 
”たとえば四人が集まり、
何かが起こったとすると、
その出来事に対して四つの感情体験が生じ、
それらはいずれも各自の認識において
正しいことになります。
一見客観的と見なされる一つの出来事について、
四つの認識結果が生まれるということです。”
とあります。
人それぞれ捉え方が違い、
別にそこに善悪、優劣、正誤はありません。
 
その外側に対する自分の捉え方を、
よく観察してみましょう。
何が反映されているのか?
もしネガティブな気分になるとしたら、
それに対して否定的に捉えていて、
自分が望んでいないことを考えています。
 
別の角度から捉えることを挑戦して、
こうとも言える、別の見方をすればこうかもしれない、
といった形で少しずつ転換していき、
ポジティブな気分、
ホッとする様な考え方を探し出すと、
それに対して肯定的に捉えることが出来て、
自分が望んでいることを考えている、
という風になります。
 
 
鏡の法則を知ることがスタートという記事を書きましたが、
自分が外側に捉えていることは、
内側の反映なんだなということを理解して、
だから様々な別の捉え方も出来るのだ、
もっと肯定的ないい気分になる見方を探そうとすると、
ポジティブな気分になり、ポジティブな思考になります。
 
下記の有名なコップの例えでは、
 
たとえば、コップのなかに2分の1、 水が入っているとする。
半分残っているという捉え方と、
半分なくなったという捉え方がある。 
 
加算的な考え、減算的な考え、
この双方のベクトルを統合して、
2分の1「在る」という視点を持つことが
ゼロポイント的な発想の真髄でもある。
プラス思考でもマイナス思考でもなく、
なにも足さず、なにも引かず、
ただ「在る」姿を淡々と捉えること。
 
それが、ゼロポイントの意識状態に
到達することなのだ。
 
「22を超えてゆけⅡ太陽の国へver.2 6と7の架け橋」
(辻麻里子著)より
 
まだ半分もあるというポジティブな捉え方と、
もう半分しかないというネガティブな捉え方がある、
ということですよね。
両方の捉え方があることを知れば、
ポジティブな捉え方をすると明るくていい気分になるぞ、
というのが分かって、
ポジティブな考え方に振り向けることが出来ると思います。
 
 
以前もご紹介していますが、
下記は、銀河ネットワークさんの過去のブログ記事です。
 
私達は日常の中で、
それぞれ他者と別の領域(意識次元)と
地球での共通の領域(三次元領域)と
双方同時に自分の視界を通して認識し存在しています。

ですから、各事象に対して個々での感じ方が異なっています。

このことは、高次の情報に対しても同様で、
自分の許容範囲でしか理解することが出来ません。

自分の視界はホログラム(鏡)に例えることが出来ます。

自分に起こる出来事(物理的・感情的)や他者は、
自分の鏡(反映)であるといわれています。
 
「鏡」=「か我み」で、
鏡の出来事の「我(エゴ)」を取ると「鏡」=「神」になります。

要約すれば、他人や自分に起こる出来事に対して、
自分中心(我)の視点で善悪・価値判断しないで、
自分の視界の全てに対して尊い存在なのだという意識で
物事を処理しながら生活することが重要だということです。
(互いの主張を認め否定しない)

別の言い方では
「悟り」=「差取り」(物事・善悪・価値判断の差を取る)になります。

肉体的な霊的トレーニングやワークをいくら実践していても、
根本的な意識波動を変えない限り、
陰領域(過去領域)とのネットワークとコンタクトすることになります。

この課題を日常実践していくと、
スターシード・ワンダラーの方々は自然にスイッチが入り、
高次情報を受信・受容・変換・供給することが出来るようになり、
次第に必要な情報は即受信可能になり、
不要な心配や疑問を投げかけなくなります。
 
”「鏡」=「か我み」”
”「我(エゴ)」を取ると「鏡」=「神」になります”
”「悟り」=「差取り」(物事・善悪・価値判断の差を取る)になります”
と言う箇所が物凄く好きなので、
よくご紹介しているのですが、よくパクられる箇所です。

 

鏡=か我み→我(エゴ)を取って神

 

悟り=差取り
というのは覚えやすいですよね。
 
”各事象に対して個々での感じ方が異なっています”
とあり、だから様々な捉え方が出来ますね。
 
”自分の視界はホログラム(鏡)に例えることが出来ます。
自分に起こる出来事(物理的・感情的)や他者は、
自分の鏡(反映)であるといわれています。”
自分の反映なので、
捉え方を変えることで、
内側のネガティブな考え方自体が、
変わっていきますので、
結果的に闇を光に転換して、
ネガティブを手放したという状態になります。
 
内観をしようというのは、この部分で、
別の捉え方を探して、
視野を拡げる、
意図的に自分の人生経験を創造していく、
ということに必要なのです。
 
 

コップの例えでよく思い出すのだけれども、

もう半分しかないというネガティブな捉え方を息子はよくして、
まだ半分もあるというポジティブな捉え方を娘はよくします。
二人の性格が反対だなと思うのですが、
ポジティブならそれでいいのか?というと、
娘のそれが短所として現れた時には、
大雑把だったり、いい加減だったり、見通しが甘かったり、
という感じになって、信用出来ない事があります。
息子はネガティブな心配性だから、
確認をしっかり行なって忘れ物やミスがなくて、
信用できるという長所として現れるのです。
だからどっちかが優れていて、
どっちかが劣っているとは言えないなと、
いつも思っています。

 

 

ホ・オポノポノという有名な心の浄化方法がありますが、

”問題は外部の現実ではなく自分自身であり、

全ての責任は自分自身の投影とされ、完全な自己責任の立場に立つ。”

とwikiに説明があります。

なので、自分自身を癒すことで、外側が変わります、

というテクニックなんだけど、

外側を変える為に、必死でごめんなさいとか唱えたり、

浄化しようと考えるのは、これもまた他人軸なんだよね。

 

どの立ち位置で受け止めるかで、ひっくり返ってしまいます。

スピ系の人でも、引き寄せ界隈の人でも、
他人軸の人がとても多いです。
立ち位置が違えば、解釈が正反対になります。
自分軸にするには、
外側に感じた何かというのは、
全部自分の問題だと分かる必要がありますね。

外側はただそこにあるだけ、

意味付けしているのは自分自身なのです。

 

 

例えば、ホ・オポノポノを熱心に行なっている信者さんが、

他人に投影している人を見て、

「それはあなたの投影だよ!あなたは内観して変わるべきだ!」と、

言ったとしたら、

それこそ、その人の投影だよね!ということなのね。

他人に投影している人を創り出したのは誰なのか?

 

何時であれ、他の人々と関わる時に、

自分と離れた「彼ら」という見え方がするときは、

自分の内側を探るチャンスです。

 

「彼ら」は自分のどの側面を反映しているのか、と。

 

誰かに腹が立ったり、誰かと問題を起こすとき、

私たちはよく「私だったらあんなことはしないのに」と言います。

 

でも、多くの場合、自分が同じようなことをする可能性があるか、

あるいは過去にそのようなことをして

それを認めたくない時に「あんなことはしない」と怒ります。

 

「ECTON─エクトンが描く意識の地図」(リチャード・ラビン著)より

 

誰かや何かに引っ掛かりを覚えた時、

ネガティブな気分になった時こそ、

チャンスと言えます。

 

波動の不一致は常に
ネガティブな感情を引き起こす。

そして、ネガティブな感情は常に、
思考を転換して「本当の自分」と
今の願望の波動を調和させるための
方向指示器として役立つ。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
方向指示器として役立っている、ということです。
 
多くの人たちはネガティブな感情を
望ましくないものだと思うが、
それよりも自分がどちらの方向に
焦点を定めているかを知るための
大切な導きだと思ってほしい。

この導きによって
わたしたちは波動の方向を、
どちらの方向から願望を引き寄せているのかを
知ることができるのだ。

これは「転換しなさい」と知らせる信号だから、
「警告のベル」とよんでもいいが、
わたしたちはむしろ「導きのベル」とよびたい。

「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
 
「警告のベル」「導きのベル」という表現もありました。
 

エイブラハム 人生の経験は、いつだって
自分が欲しいものを探すのに役立ってくれる。

自分がこんなのは絶対に「嫌だ」と思うときでさえ、
その瞬間には何が欲しいのかが
以前よりはっきりと見えるはずだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

何が欲しいのか?を知る為には、
対比させる嫌なものも存在するんですね。
 
 
エイブラハムたちは、深く掘り下げることは、
あまり勧めていません。
ポジティブな思考を選択しようと心掛けることで、
いつか深く掘り下げなくてはいけない状況になっても、
上手に転換出来る様になるからだと思います。
 
あなたが誰か困っている人に出会ったとしよう。

お金がないとか、交通手段がない、
食べ物がない、という人だ。

あなたはそういう人を見て悲しくなり
(それはあなたがその人の欠落状態に着目し、
欠落に対応する波動を起こすから)、
悲しい気持ちでお金や食べ物をあげようとする。

そのときあなたが伝えている波動は、
こんなふうに言っているのと同じだ。

「あなたは自分でどうすることもできないようだから、
わたしがしてあげよう」。

あなたの波動は「幸せの欠落」に焦点があり、
したがってお金や食べ物をあげたとしても、
あなたの支配的な波動は「欠落を永続させる」ほうへ働く。

そこで、ちょっと時間をとって、
その人の境遇がよくなることを想像してみるといい。

その人が成功して幸せになることを考え、
それがあなたのなかの支配的な波動になってから、
そのときの感情をベースに行動して、
何かを提供したければする。

こうすれば、
あなたがその人に関心を向けたときの
支配的な波動によって、
相手からも幸せと一致する波動を引き寄せる。

わたしたちに言わせれば、
それだけで価値ある与え方なのだ。

問題は「与えるのと受け取るのとどちらが上か」
ではない。

「望ましいことに焦点を定めるのと、
望まないことに焦点を定めるのと、
どちらが上か?」

「成功を信じて相手を励ますことと、
現状を重視して押しつぶすことと、
どっちが上か?」

「自分の『内なる存在』とかみ合ってから
行動するのと、
かみ合わないままに行動するのと、
どっちが上か?」

「相手の成功を促すことと、
失敗を促すことと、どっちが上か?」

それが問題なのだよ。

他人に与えることができる
最大の贈り物は、
相手の成功を期待することだ。

人生の見方は人の数だけあり、
さまざまに違っている。

あなたは誰もが同じで、同じことを望み、
同じことを獲得する世界を創るために
生まれてきたのではない。

自分が望む生き方をし、
人もそれぞれ望む生き方をすることを
認めるために、この世界にいる。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 

鏡の法則というのも、

外側のものを理解する時は、

自分の内側にあるものしか理解出来ないということになります。

誰かを見て、可哀想だ、困っている人がいる、
とネガティブに感じたしたら、
もともとネガティブな思考を重ねてきたから、
その結果として、ネガティブに感じる経験をしている、
ということになります。
可哀想な人、困っている人を創っているのは、
自分自身なのです。
 
その人に求められてもいないのに、
助けてあげなきゃと思うのは、
”「あなたは自分でどうすることもできないようだから、
わたしがしてあげよう」。”
と言っているのと同じです。
自分がそう言われて嬉しいのでしょうか?
 
”あなたの波動は「幸せの欠落」に焦点があり、
したがってお金や食べ物をあげたとしても、
あなたの支配的な波動は「欠落を永続させる」ほうへ働く。”
その人を見てネガティブな気分になった時は、
否定的な見方をしているということになります。
 
 
例えば怪我をしている人が目の前にいるとします。
なんて可哀想なんだろう、痛そうだ、
あんな怪我をするなんて不幸だ、
みんな何故助けてあげないのか?
といった形で、
ネガティブな気分になったとします。
 
可哀想な人を見て可哀想に感じるのが、
悪い事なのか!
当たり前のことじゃないか!と、
思うかもしれません。
 
でも、怪我をした人を見て、
どう感じるのかというのは、
自分の内側の投影なのです。
 
今まで一度も怪我をしたことがない人は、
その痛みを想像することも出来ないし、
もっと酷い怪我をした人なら、
大した事なくて良かったねと思うでしょう。
 
あの怪我した人を助けてあげたい、
癒してあげたいと思うなら、
それは自分の中にある、
隠された気持ちが浮かび上がって来たもので、
癒さなければいけないのは自分自身なのです。
怪我はその人自身の問題なのに、
代わりに解決してあげようと思うのは、
感情移入して自他の境界線を引けていない証拠です。
 
あの人の怪我を治してあげる為に、
内観しようというのは間違いです。
あの怪我人を見た事で、
自分自身の見えなかった問題が浮かび上がってきた、
だから内観して、癒されていない部分と向き合おう、
ということなのです。
 
もし、自分と向き合って、
癒さなければいけなかった何かを変化させた時には、
怪我の人はあなたの前で怪我人を演じる必要がなくなるので、
怪我の原因の一つがなくなったから、
もしかしたら怪我が治るきっかけの一つになるかもしれません。
でも怪我を治すか治さないかは、
本人が決めることであって、
怪我していない外側で見ている誰かが、
介入することではないのです。
 
 
でもこれは助けを求められているのに、
見て見ぬ振りをしなさい、
ということではないです。
 
怪我をしたのはその人の問題だけれども、
病院への道を訪ねられたら教えたり案内すればいいし、
荷物が重くて大変そうなら、手伝いを申し出てたり、
電車やバスで見かけたのなら、席を譲ったらいいいと思います。
 
 
ジェリー わたしは素晴らしい人生を
楽しんでいますが、周りの世界には
とても辛い思いをしている人たちがいます。
誰もが苦痛のない人生を送るために、
わたしには何ができるのでしょうか?

エイブラハム あなたには
他人の経験を創造することはできない。
他人に代わって思考することはできないから、
それぞれが考える思考、発する言葉、あるいは行動が、
その人たちの「内なる存在」からの
感情的な反応(苦しみ)を引き起こしている。

その人たちは望まないことに思考を向けることによって、
自分で苦しみを創造している。

さて、あなたに何ができるかと言えば、
喜びの実例を示すことだ。

望むことだけを考える者、
望むことだけを口にする者、
望むことだけを実行する者、
─したがって、
喜びの感情だけがわく存在になってみせることだ。

ジェリー それならできます。
自分は自分が望むことや喜びに焦点を定め、
人がそれぞれ経験するのを受け入れることを
学べばいいんですね。
それではわたしが人の辛い体験に焦点を定めると、
自分でも辛い体験を創造してしまいますか?
そうしたらその辛い体験の例を示すことになりますね。

エイブラハム 誰か辛い思いをしている人と出会い、
その辛い状況を見たあなたは、
その人が辛い状況から脱出する方法を
見つけることを願うとする。

それなら、その人の苦痛は
一瞬あなたをかすめるだけで、
あなたはすぐにその人の楽しい状況に思考を向ける。

そのあと、その人が辛い状況を見事に解決することに
揺るがぬ関心を集中していれば、
あなたは苦痛を感じないし、
その人が解決策を見つけるきっかけになることも
できるだろう。

それが真の励ましだ。

しかし、その人の苦痛や苦痛の原因となっている
状況にだけ焦点を定めていたら、
あなた自身のなかにそれと一致する波動が起こり、
望まないことを引き寄せて
あなたも苦痛を感じ始めるだろう。

ジェリー それでは、自分が喜びを求め続けることが
鍵なんですか?
そういう実例を示し、
人の場合はそれぞれが自分で(どんな方法であれ)
選んだ体験をするのを許容する
─心から許容する─それでいいんですか?

エイブラハム 実際、人の場合はそれぞれが
自分で引き寄せた体験をするのを見ているしかない。

あなたが人に代わって考えたり
波動を起こしたりすることはできないからだ。

したがって、
人に代わって何かを引き寄せることもできない。

真に「許容し可能にする」とは、
人が何をしようと、
自分自身はバランスをとって自分の喜びを
感じていることだ。

あなたがバランスのとれた状態で、
自分自身の「内なる存在」とつながり、
宇宙の素晴らしい生命の源と調和し、
そのうえで他人に関心を定めれば、
その人たちのためにもなる。

その人たちの関心の対象となるあなたが
心地よければ、
それだけあなたの前向きな影響力は大きくなる。

人がそれぞれ望む(あるいは望まない)
生き方をすることを
「許容」できるようになれば、
人が何をしていてもそれで自分が
ネガティブな感情になることはない、
とわかるだろう。

あなたが「許容し可能にする者」になったら、
すべての人の体験を眺めて喜びを感じるだろう。

あなたの質問に答えて三つの「法則」のうちの
重要なことを説明しているうちに、
話が一巡したようだ。

「引き寄せの法則」はあなたの思考の
波動に応じて働く。

意図的に心地よい思考を選ぶことで、
あなたは「内なる存在」、
真のあなたという存在につながることができる。

あなたが真の自分とつながっていれば、
あなたが関心を向ける人たちは
誰でもその恩恵を受ける。

そしてもちろんあなたは喜びを感じる!

やがて、あなたは自分の感情に敏感になり、
思考を意図的に方向づけることに習熟して、
いつも前向きの引き寄せが働く状態になるだろう。

そのときに初めて、
あなたは人がそれぞれ選んだ体験を
創造するのを安らかに見られるようになる。

自分は望まないことに影響されないこと、
すべては自分の思考を通じて
招き寄せていることを理解したとき、
あなたは(どんなに近しい人であっても)
他人の生き方に二度と脅かされなくなる。

他人の生き方が
あなたの体験に入り込むことはないのだから。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

 
何故、本人自身が解決できるのだと信じることが出来ずに、
求められてもいないのに助けてあげなきゃと思うのか。
それは自分自身が自分に対してそう思っているからです。
 
自分ではどうすることもできない、
力がない、
誰かに助けてもらわないと駄目だと、
自分を信じることが出来ていないのです。
 
それを外側の人に投影して、
鏡のように自分の内側を映して、
助けが必要な困った人として捉えているのです。

 

”あなたは人がそれぞれ選んだ体験を
創造するのを安らかに見られるようになる。
自分は望まないことに影響されないこと、
すべては自分の思考を通じて
招き寄せていることを理解したとき、
あなたは(どんなに近しい人であっても)
他人の生き方に二度と脅かされなくなる。
他人の生き方が
あなたの体験に入り込むことはないのだから。”

ということが理解できているのは自分軸です。

 

他人の創造をどうにかしようと思ったり、

影響を受けてしまうのは他人軸です。

「許容し可能にする」ということが出来ていないのね。

 

 

エイブラハム達は、下記の様に、「宇宙の法則」の定義について、

説明をしていました。

 

「宇宙の法則」には三つある。

第一は「引き寄せの法則」だ。
この法則を理解して効果的に応用できるようにならなければ、
第二の法則である「意図的な創造の方法論」と
第三の法則である「許容し可能にする術」も活用できない。

第二の法則を理解して活用するためには、
第一の法則を理解して効果的に活用しなければならない。

また第三の法則を理解して活用するには、
その前に第二の法則を理解して活用できなければならないのだ。

第一の「引き寄せの法則」というのは、
「それ自身に似たものを引き寄せる」ということ。

「なんだ、簡単なことではないか」と思うかもしれないが、
これは宇宙のなかで最も強力な法則
─あらゆるとき、あらゆるものに働く法則だ。
この強力な法則に影響されないものはいっさいない。

第二の「意図的な創造の方法論」というのは、
「わたしが考え、信じ、あるいは期待したことは、
実在する」ということだ。

要するに何かを考えると、望んでも望まなくても
それが存在として現れる。

だから「意図的に」思考を作用させること、
それが「意図的な創造の方法論」の内容だ。

この法則を理解して意図的に応用しないと、
あなたが望むとおりの創造はできない。

第三の「許容し可能にする術」というのは、
「わたしがありのままのわたしで、
他者がありのままの他者であることを許容し、
可能にしよう」ということだ。

たとえ他者がありのままのあなたを認めなくても、
他者がありのままであることをあなたが認めるなら、
あなたは「許容し可能にする者」になる。

だが、まずなぜ自分の今の人生があるのかを
理解しなければ「許容し可能にする者」にはなれない。

あなたが思考を通じて(あるいは関心を向けることを通じて)
他者を自分の人生に招き入れなければ、
他者はあなたの経験の一部にはならないし、
あなたが思考を通じて(あるいは観察することを通じて)
ある状況を人生に招き入れなければ、
その状況はあなたの経験の一部にはならない。

そのことを理解できたときに初めて、
あなたはこの人生の表現へと身を投じたときに望んでいた
「許容し可能にする者」になれる。

この三つの強力な「宇宙の法則」を理解し、
意識して応用できれば、
あなたは喜びに満ちて自由に、思いどおりの人生経験を
創造できる。

人生で出会う人も状況も出来事もすべて、
あなたが自分の思考を通じて
経験のなかに招き入れたのだということが理解できれば、
この物質世界の身体に宿る決意をしたときに
意図したとおりの人生を送れるようになるだろう。

だから力強い「引き寄せの法則」を理解し、
自分の人生経験を
「意図的に創造」しようという意志を持てば、
いずれは「許容し可能にする術」の完全な理解と
応用だけが生み出す比類ない自由に導かれる

 

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 

第一の法則が「引き寄せの法則」。
第二の法則が「意図的な創造の方法論」。
第三の法則が「許容し可能にする術」。

とあります。

 

”第二の法則を理解して活用するためには、
第一の法則を理解して効果的に活用しなければならない。
また第三の法則を理解して活用するには、
その前に第二の法則を理解して活用できなければならないのだ。”

とありますね。

 

”この三つの強力な「宇宙の法則」を理解し、
意識して応用できれば、
あなたは喜びに満ちて自由に、思いどおりの人生経験を
創造できる”

”だから力強い「引き寄せの法則」を理解し、
自分の人生経験を
「意図的に創造」しようという意志を持てば、
いずれは「許容し可能にする術」の完全な理解と
応用だけが生み出す比類ない自由に導かれる”

 

理解して、意識して、意図的にといった言葉が、

繰り返し出てきています。

引き寄せの法則を上手に活用する為には、
経験を通して理解して、
意識的に意図的に選択していくことが必要です。
単に暗示に掛けたり、概念として知っている、
くらいでは身に付かないですよね。
 
 

ほとんどの人は、
自分が見ることに反応して波動を出している。

だから心地よいものを見ると喜びを感じるが、
そうでないものを見ると喜びは感じない。

それに、ほとんどの人は
自分の感情をコントロールできるとは思ってもみない。

感情という反応を起こす状況を、
自分でコントロールできないからだ。

あなたが気づいたように、
ほとんどの人に喜びが欠けているのは、
自分の経験をコントロールできないと信じているからだ。

それから言っておくが、
その人たちの喜びが欠けていることに
注目し続けていると、
あなたの喜びも消えてしまうよ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

 

”自分の感情をコントロールできるとは思ってもみない。”

とあります。

 

可哀想に感じる人を見て可哀想に感じるのは当たり前じゃないか!

助けてあげたい、癒してあげたいと思うのは、

人として当然のことでしょう!と思います。

その感じ方を変えることが出来るとは思ってもいません。

捉え方、見方を変えるだけで、

感じ方が変わるなんて、あり得ないと思うかもしれません。

何故かというと、実践していないからです。

 

 

ジェリー もう一つ、話し合いたい
大きなテーマは人間関係です。
友達が独自の考えや信念を持ち、
「不適切な」行動をするのを黙認する、
つまり「許容し可能にする」のが
困難な時期がありました。

エイブラハム その場合、「許容し可能にする」
という言葉はどういう意味で使っている?

ジェリー わたしは、
彼らはわたしが望むとおりに考え、
行動すべきだと思っていました。
そうでないと非常に気分が悪く、
ときにはとても腹が立ったのです。

エイブラハム あなたは彼らの行動を見、
話すことを聞いて、ネガティブな気持ちになった。
それは、あなたが「許容し可能にする」状態にはなかった、
という信号だ。

ジェリー それに当時わたしは自分がとても
鷹揚で気前がいいと思っていました。
言い換えれば、自分が自己中心的な人間のはずがないと思い、
他人ももっと鷹揚に気前よくすべきだと思っていたのです。

ところがそうではないので、
非常に気分が悪かった。

それがらデヴィット・シーベリーの
『自分が好きになる生き方』(三笠書房)という本を読み、
「自己中心的」ということに対する見方が変わりました。

そして、その新しい見方で自分の不快感を
理解できるようになりました。

エイブラハム 自分が欲することに関心を向けること、
自分に対してそれを「許容し可能にする」のは
大切なことだ。

それを自己中心的と非難がましくよぶ人もいる。

だが健康な見方で自分を見ない限り、
自分が何かを欲することを「許容し可能に」しない限り、
また欲するものが手に入ると期待しない限り、
決して意図的な創造はできないし、
十分に満たされる経験もできないだろう。

普通「許容し可能にする」ことを
自分に認めないから、
他人にも認めない、という場合が多い。

自分のいいところをいちばんに認めない者が、
他人のいいところも認めない。

だから自分を受け入れ、肯定し、評価し、
欲求の実現を可能にすることが、
他人を評価し、肯定し、欲求の実現を可能にする
第一歩なのだ。

それは、自分の基準から見て
自分が完璧になるまで、
あるいは他人が他人の基準で完璧になるまで
待ちなさいということではない。

完璧という終点はあり得ない。

あなたがたは常に変化し、
常に成長する存在だから。

そうではなくて、自分のなかに
自分が見たいと思うものを見る意志を持ち、
他人のなかにも
自分が見たいと思うものを見る意志を持つ、
ということだ。

わたしたちはよく「自己中心的になる」ことを
教えると非難される。

確かに、そのとおりのことを教えている。

あなたがたは
自己という立場からすべてを認識するのであり、
自分よりもっと大きくて賢い「内なる存在」とのつながりや
協調を主張するくらいにしっかりと
自己中心的でなければ、
他人のために役立つこともできない。

自分の感情に気を配るほど
自己中心的であって初めて、
強力な「ソースエネルギー」と調和するために
感情というナビゲーションシステムを
活用することができるし、
そうすれば、幸運にもあなたの関心の対象となる人は
誰でも利益を得る。

誰かがあなたのなかの何かを否定すると、
それはその人の目に表れ、
あなたは自分が非難されていると感じる。

だが、それは否定する者のほうに欠落があるので、
あなたのほうに何かが欠けているのではない。

その人たちは他人の欲求を
「許容し可能にすること」ができず、
そのためネガティブな気持ちになっている。

原因はあなたの不完全さではない。

ファッションと同じで、
こんなのは見たくないという恰好をしている人を見て、
ネガティブな暗い気持ちになる理由は、
相手ではなくてあなた自身にある。

また、自分が楽しいと感じるものだけを
見ようと決意すれば、
楽しいものだけが目に入るようになり、
前向きの明るい気持ちになることだけを
経験できる。

「引き寄せの法則」によって、
あなたの欲求と調和するものだけが
引き寄せられてくるからだ。

感情の力を理解することで、
自分の思考を望むほうへ
方向づけることができるし、
そうすれば他人がどんな行動をしようと
心地よくいられるわけだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 
”誰かがあなたのなかの何かを否定すると、
それはその人の目に表れ、
あなたは自分が非難されていると感じる。
だが、それは否定する者のほうに欠落があるので、
あなたのほうに何かが欠けているのではない。
その人たちは他人の欲求を
「許容し可能にすること」ができず、
そのためネガティブな気持ちになっている。
原因はあなたの不完全さではない。”
この箇所を読んで、そうだ、そうだ、
私が悪いんじゃない、相手が悪いんだと思うとします。
 
あらゆるものには二極ありますので、
これをひっくり返すと、
”あなたが誰かのなかの何かを否定すると、
それはあなたの目に表れ、
誰かは自分が非難されていると感じる。
だが、それは否定するあなたのほうに欠落があるので、
誰かのほうに何かが欠けているのではない。
あなたは他人の欲求を
「許容し可能にすること」ができず、
そのためネガティブな気持ちになっている。
原因は誰かの不完全さではない。”
となります。
 
あなたが誰かを否定している時に、
問題があるのはその人自身ではなくて、
あなた自身の捉え方です。
それが理解出来るのか?
 
何かを誰かに言った時に、
瞬時にひっくり返して自分はどうか?と、
内観出来るのか。
 
 

ジェリー わたしたちが
大事に思っている人の身が心配で、
ついつい悪いことを予想してしまうことがあります。
人の人生に問題が起こるのではないかと
考えているだけで、
実際にその人に
不運なことが起こる場合がありますか?

エイブラハム あなたがたは
他人の経験を創造することはできない。
他人に代わって波動を出すことは
─そこがその人の作用点になる─できないからだ。

しかし、あなたがたが長い期間、
何かに思考の焦点を定めていて、
その思考が強力になり、
さらに強い感情を伴う場合、
それが相手の思考に影響を及ぼすことはあり得る。

ほとんどの人はたいてい
自分が見ることに反応して波動を出している、
ということを思い出してごらん。

だから心配するあなたの不安そうな表情を見れば、
あるいは心配して書き送る言葉を目にすれば、
相手の思考も
望まない方向へ向く可能性はある。

誰かの役に立ちたいと思ったら、
その人が望むとおりの姿で見てやることだ。

そういう影響なら与えたいのじゃないか。

ジェリー 誰かに「プログラム」されて
何かを信じるように仕向けられているとしたら、
そしてその信念がもう自分の人生にとって
望ましいものではないと気づいたら、
その信念を消すことはできますか?

エイブラハム ネガティブな暗い影響の原因は、
大きく言って二つある。

一つは他人の影響。
もう一つは自分自身の過去の習慣だ。

時間とともに思考のパターンができるので、
新しい欲求に調和した新しい考え方をするよりも、
つい古いパターンどおりの思考に落ち込みやすい。

これは関心を新しい方向に向けるために
意識してちょっとした努力をするかどうか、
つまり意志の問題だ。

あなたの言う「プログラム」とは、
自分が何かに焦点を定め、
その焦点に「引き寄せの法則」が作用して
力強く成長した結果にすぎない。

また「プログラム」の一部は
単に現在の社会への健やかな同化にすぎない。

だが、実際にあなたがたの
成長の妨げになるものもある。

練習を積めば二つの違いがわかるようになるし、
自分の思考を自分が選んだ方向へと
向けられるようになる。

実はそれが「意図的な創造」ということだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 
 
身体の状態が感情を左右している、
と言う人もいます。
ドーリル先生は感情が身体の状態を左右する、
と教えています。
 
この場合、身体=物質的な部分、
感情=霊的な部分となり、
霊的なものが先か、物質的なものが先か、
と考察してみればどちらが先なのか、分かると思います。
 
思い込みを手放して、
他の角度からものごとを捉えてみること、
外側に影響されずに、自分の内側と向かい合う事、
それを続けて行く必要があります。
 
 
わたしたちの教えは
自己中心的だとよく非難されるし、
確かにわたしたちの教えは自己中心的だが、
それは自己中心的な人生観以外の人生観は
あり得ないからだよ。

自己中心的というのは「自分自身を意識する」
ということ。

どんな自分自身を思い描いているかということだ。

自分に焦点を定めているか
他人に焦点を定めているかにかかわりなく、
あなたは常に自己中心的な視点で
行動するし、
あなた自身の感情が「引き寄せの作用点」になるのだ。

だから自分の視点に立って、
自分が心地よく感じる生き方に
焦点を定めていれば、
「引き寄せの作用点」は、
あなたが心地よく感じるものを
引き寄せるように働く。

だが、自己中心的ではなくて、
心地よく感じる生き方ではなく
心地よくない生き方に焦点を定めれば、
「引き寄せの作用点」は、
あなたが心地よくないと感じるものを
引き寄せるように働く。

自己中心的で、
自分がどう感じるかを重視し、
自分の「内なる存在」と
本当に結び付いた生き方のほうへ
思考を方向づけない限り、
他人に何かを与えることもできない。

誰でも自己中心的だ。

それ以外の生き方はあり得ない。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
ここでの自己中心的な生き方というのは、
自分軸という形で私は解釈しています。
自分と他者の境界線を引いて、
他者の感情を自分のものとしない、
自分の感情を他者に投影しない。
 

”自己中心的で、
自分がどう感じるかを重視し、
自分の「内なる存在」と
本当に結び付いた生き方のほうへ
思考を方向づけない限り、
他人に何かを与えることもできない。”

とあります。

 

ハイジャックを計画している人間は
その思考を強化するが、
ハイジャックを「恐れている」人間もまた
その思考を強化する。

望まない対象でも、そこに関心を向ければ
対象の力はどんどん強まる。

だからネガティブな情報を
いっさい自分の経験に持ち込みたくないと思う人は、
そもそもマスコミの報道など見ないだろう。

さまざまな意図があり、
さまざまな意図の組み合わせがあるから、
一般的に何がある事件を引き起こしているかを
指摘することはとても難しい。

だが、確かに報道が
悪い状況を促進しているとはいえるだろう。

多くの人が自分の望まないことに思考を向ければ、
その人たちは望まないことの創造に
力を貸すことになる。

その人たちの感情的なパワーが
世界の出来事全体に大きな影響を与える。
それが大衆の意識の働きだよ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

”多くの人が自分の望まないことに思考を向ければ、
その人たちは望まないことの創造に
力を貸すことになる。
その人たちの感情的なパワーが
世界の出来事全体に大きな影響を与える。
それが大衆の意識の働きだよ。”

他者の問題は他者の問題なのだけれども、

それを見た時にネガティブな感情になるとしたら、

問題に感じる状況を更に後押ししています。

 

 

具体的に何かを望んでも望まなくても、
違いはない。

引き寄せられてくるのは
あなたが関心を向ける対象の
エッセンスである波動だ。

だから本当に心から望むことは実現する。
そして本当に心から嫌だと思うことも実現する。

何かについて感情的に
激しい思考を抱かないでおくには、
最初からそんな感情的な思考を持たずにいるしかない。

初めはそれほど激しくなくても、
のちに「引き寄せの法則」によって
どんどん激しくなってしまうからだ。

新聞で誰かが泥棒にあったという記事を
読んだとしよう。

事件について読んだり聞いたりしただけなら、
詳しい内容を読んで激しい感情を抱かない限り、
引き寄せが働くほどの状態にはならない。

だが、詳しい状況について読んだりテレビで見たり
誰かと話したりして感情的な反応が起こると、
自分も同じような経験を引き寄せるきっかけになる。

今年は国民の何パーセントが泥棒の被害にあうだろう
という数字を聞けば、
その確率がかなり高いこと、
また大勢の人がそういう思考に刺激されるために
確立はますます高くなっていくことが理解できるはずだ。

そういった「警告」は
あなたを泥棒から守るどころか、
被害にあいやすくする。

泥棒がどれほど多いか気づき、
そちらの方向に何度も何度も関心が向けられて、
やがて感情を伴って考えるようになり、
それどころか予想までする。

あなたがたがいろいろと望まない目にあうのも
不思議ではない。

望まないさまざまな事に多くの「関心」を
向けているのだから。

障害事件があったと聞いたら、
こういうふうに考えるといい。

「それは誰かの経験だ。自分はそれは選ばない」。

そして、自分が望まないことについての考えは捨てて、
望むことについて考える。

望むと望まざるとにかかわらず、
あなたの思考が実現するのだから。

あなたがたくさんの他人がいる環境に生まれたのは、
ともに素晴らしい経験を創造したいと願ったからだ。

あなたは大勢の人たちのなかから
一緒に前向きの創造をしたいと思う人たちを
選んで招き寄せることができるし、
人生で出会う人たちのなかから
自分が創造したいと思う経験を
引き寄せることができる。

望まない人や経験から
避けたり隠れたりする必要はないし、
そんなことはまず不可能だ。

だが、自分が楽しいと思う人や経験だけを
招き寄せることは不可能ではない。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

 

”「それは誰かの経験だ。自分はそれは選ばない」。
そして、自分が望まないことについての考えは捨てて、
望むことについて考える。”

 

もしネガティブな感情が湧いたとしたらそれは、

”思考を転換して「本当の自分」と
今の願望の波動を調和させるための
方向指示器として役立つ”ようにさせます。

ネガティブな感情というのは、
”波動の方向を、
どちらの方向から願望を引き寄せているのかを
知ることができるのだ。
これは「転換しなさい」と知らせる信号だから、
「警告のベル」とよんでもいいが、
わたしたちはむしろ「導きのベル」とよびたい。”
とありました。
 
”自分がこんなのは絶対に「嫌だ」と思うときでさえ、
その瞬間には何が欲しいのかが
以前よりはっきりと見えるはずだ。”
”「それは誰かの経験だ。自分はそれは選ばない」。
そして、自分が望まないことについての考えは捨てて、
望むことについて考える。”
ということなのです。
 


”人生の見方は人の数だけあり、
さまざまに違っている。
あなたは誰もが同じで、同じことを望み、
同じことを獲得する世界を創るために
生まれてきたのではない。
自分が望む生き方をし、
人もそれぞれ望む生き方をすることを
認めるために、この世界にいる。”

とありました。

多様性を認めるということは、

他者が自分とは違っても、自分にとっては悪い様に見えても、

他者の創造を尊重することです。

 

 

ジェリー しかし、ときどきはどうしても
一緒に過ごさなければならない相手がいて、
その人が言ったりしたりすることで
嫌な気分になる、
こちらは相手が望むとおりになれないとか
望むとおりのことができなくて罪悪感を覚え、
それでも相手をなんとか喜ばせたいと思う、
そんなときはどうすればいいんですか?

エイブラハム 確かに不幸な人に囲まれていて、
あるいはあなたが思うのとは違うことを
要求する人たちとかかわって、
それでも前向きで幸せな気分でいるのは
とても難しい。

だが、わたしたちがあなたがた
物質世界の存在を見て気づいたのは、
不愉快な経験がほんの5分か10分で終わっても、
そのときにネガティブな気持ちになるだけでなく、
あとあとまで思い返したり考えたりして
嫌な気持ちをひきずる人が多い、
ということだ。

たいていは
実際に起こっているネガティブなことより、
前に起こったネガティブなことを考えて
嫌な気持ちになっている。

一人でいるときには
自分が考えたいと思うことだけに焦点を絞れば、
あなたがたのネガティブな感情の大半は
消すことができる。

それに短時間、困った人と出会ったり、
人生のごく一部で実際に
他人から嫌がらせをされる経験があっても、
嫌な体験にはあまり関心を向けないでいられるようになる。

そうすれば嫌な思考はすぐに消えるから、
「引き寄せの法則」によって嫌な体験が
引き寄せられてくることもない。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
 
”自分が考えたいと思うことだけに焦点を絞れば”
とあります。
思考を意図的に選択するということですよね。
ネガティブな気分になったら、
これは望まない事を考えているのだから、
別のいい気分になる考え方をしてみようと、
思考を転換する、というのを習慣にします。
 
 
ジェリー 誰かと一緒にいるとき、
相手がわたしの欲求に強く反対したら、
それでも効果的に創造することは可能ですか?

エイブラハム 自分の欲求に焦点を定めておけば、
人の反対は無視できる。

だが、人の反対に対抗しようとすれば、
自分の欲求から焦点がずれるから、
創造にも影響が及ぶ。

自分の欲求に焦点を定めておきたければ、
反対にぶつからなくて済むように、
その場から立ち去るほうが簡単だ。

だが反対されるかもしれない相手と
離れなければならないとすると、
街にはあなたの考えに全面的に賛成ではないという人が
必ずいるだろうから、
街を出なければならない。
さらには国からも出なければならず、
地球上にいられなくなるだろう。

だが、反対者から離れる必要はない。

ただ自分の欲求に焦点を定め、
あくまでもその焦点を明確にしていれば、
どんな状況でも前向きに創造することができる。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
ツイッターでも現実的な生活でも、
嫌な人から離れて好きな人だけで固まっていれば、
嫌な気分にはならないと信じている人もいます。
でも、あらゆるものには二極あるのが法則なので、
自分の意見に反対する人は必ず発生します。
反対する人がいてもいいし、
嫌だなと思う人がいてもいいのです。
だから好きな人もいる。
嫌だなと思う人を別の捉え方をして、
好ましく感じる様な見方もできる。
(だからといって好きになる必要もないです)
自分がいい気分になる思考を選択する、
思考習慣を変えるという意志を持ちます。
 
外側に問題があるのではなくて、
その問題を創り出しているのは自分自身だ、
ということに気付くのが、
鏡の法則の理解です。
自分で問題を創ったのだから、
解決することも出来ます。
それは思考を転換するということです。