先日、おかしな引き寄せの法則の解釈を発見したので、
別に記事にしますね。
★注意喚起★
”広く行き渡るさま。極めて多くの物事にあてはまるさま。 ”
なんかもう悲しい気分になります。
思考は自分でコントロールできるから
感じ方も自分でコントロールできるとわかれば、
あなたは自由に生きて楽しむことができるが、
自分の感じ方は他人の行動や状況に
左右されると信じていたら
─そして他人の行動や状況をコントロールすることは
できないとわかっていたら─
自由だとは感じない。
実はそれが、あなたが言う「苦痛」なのだ。
「お金と引き寄せの法則」
(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より
エイブラハム あなたがたは
他人の経験を創造することはできない。
他人に代わって波動を出すことは
─そこがその人の作用点になる─できないからだ。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
エイブラハム 実際、人の場合はそれぞれが
自分で引き寄せた体験をするのを見ているしかない。
あなたが人に代わって考えたり
波動を起こしたりすることはできないからだ。
したがって、
人に代わって何かを引き寄せることもできない。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
自他の境界線を引くというのが、
彼からの告白を引き寄せるってこと自体が、
他人の人生や心情をどうこう変えてやる!
ゼロポイントの奥義とは、内側の世界と外側の世界を反転させること。個であり全体、全体であり個という視点を獲得することにある。われわれは、ミクロコスモスであり、マクロコスモスでもある。「22を超えてゆけⅡ太陽の国へver.2 6と7の架け橋」 (辻麻里子著)より
「そうだよ。みな、すべて愛なんだ。
すべてが神なんだよ……」
「じゃ、神は宇宙を純粋な愛でつくったの?」
「神が”つくった”というのは、
ひとつの表現であって、じっさいには神が、
宇宙や、石や、きみや、ぼくや、星や、くもに
”変化する”ことなんだよ……」
「ということは……ぼくも神っていうこと?」
アミはやさしく笑って、こう言った。
「海のひとしずくが、たとえおなじ物質で
できていたとしても、海だとは言えないだろう。
きみは神とおなじ物質からできている。
きみは愛なんだよ。
進歩が少しずつ、われわれの真のアイデンティティである
”愛”を認識させていくよ」
「じゃ、ぼくも愛なの?……」
「とうぜんだよ。自分じしんのこと、さし示してごらん」
「よくわかんない、アミ」
「”ぼく”と自分のことを言うとき、
自分のからだのどの部分を指さして言っている?
”自分”と言って指さしてごらん」
自然に胸の中心を指さして”ぼく”と言っているのに
気がついた。
「どうして、たとえば、おなかやのどやひたいを、ささないのかな?」
胸以外のところをさしているのを
想像したら、とてもこっけいに感じた。
「自分でも、どうして胸を指さしたかわからないや」
「なぜならね、そこに、ほんとうのきみがいるんだよ。
きみは愛だ。
そしてそのハートの中に、きみの住まいがあるんだよ。
「アミ 小さな宇宙人」(エンリケ・バリオス著)より
他人の現実を創造出来ると思い込んでいる人は、
”……ぼくも神っていうこと?”
といった状態になっているんです。
”アミはやさしく笑って、こう言った。
「海のひとしずくが、たとえおなじ物質で
できていたとしても、海だとは言えないだろう。
きみは神とおなじ物質からできている。”
ペドゥリートは子どもなので、
アミは優しいですね!
いい大人がこんなことを言っているというのが、
引き寄せ界隈です。
怖い怖い怖い。
変な怪談聞くよりずっと怖いですよ。
ひとしずくのあなたが、私は海よ!と、
言っている状態です。
今度は、因果法則に関連したものとして
形而上学的な面をとりあげてみよう。
人間は、肉体から肉体へと継続している。
肉体から他の肉体へと転生する原因は、
転生の法則が働いた時(適用された時)に
生ずる結果によるのである。
さて、転生がおこる理由は、
別のサイクルからきた
否定的不調和を克服するためであった。
各々の因はそれぞれの結果をもたらし、
各々の結果が実現すると、
それがまた別の新しい因となるのである。
この様にして宇宙のあらゆるものは、
互いに連携し合っており、
各々の要因はそれ自身の特有の影響を
全体に及ぼしており、
宇宙の全体計画の中において、
それも重要性をもっているのである。
例えば全宇宙を大海とすると、
水の一滴一滴は大海の一部分であり、
大海そのものの成立に必須なものなのである。
各水滴は海にとって重要なものであり、
各水滴の運動は他の多くの水滴の運動と
集合化して海そのものの運動となるのである。
各々の部分は完全全体の部分として
必須不可欠なのである。
「秘教真義」(M・ドーリル博士著)よりより
”例えば全宇宙を大海とすると、
水の一滴一滴は大海の一部分であり、
大海そのものの成立に必須なものなのである。
各水滴は海にとって重要なものであり、
各水滴の運動は他の多くの水滴の運動と
集合化して海そのものの運動となるのである。
各々の部分は完全全体の部分として
必須不可欠なのである。”
とあります。
個でありながら、
個が集まって全体になりますから、
一人一人が尊いかけがえのない存在で、
それぞれの自由意志を侵してはいけないんですよ。
各々が自由に選択し、創造することによって、
宇宙そのものの進化発展に貢献するんです。
他人の現実を創造できるという思想は、
許容し可能にすることが出来ていない状態です。
わたしたちが何よりもあなたがたに
思い出させてあげたいと思うのは、
この「許容し可能にする術」における
あなたがたの役割だ。
この「法則」を十分に理解して実際に適用すれば、
すべてが思いどおりになる。
言い換えれば、「引き寄せの法則」は
あなたがたが理解しようとしまいと存在する。
常にあなたがたに作用し、
あなたがたが考えることに
いつも正確に対応した結果をもたらす。
だが「許容し可能にする術」を
意図的に適用するには、
自分がどう感じているかを常に意識し、
思考の方向を選ばなくてはならない。
この「法則」を理解できるかどうかで、
「意図的に」創造するか、
「惰性で」創造するかが決まる。
「許容し可能にする術」を「引き寄せの法則」
「意図的な創造の方法論」の次にもってきたのは、
前の二つの法則を理解できなければ
「許容し可能にする術」は始められないからだ。
「許容し可能にする術」とわたしたちが言うのは、
次のようなことである。
わたしはわたしであり、
わたしはありのままの自分に喜びを感じて、
楽しんでいる。
あなたはあなたであり、
たぶんわたしと違うだろうが、
それもそれでよろしい。
なぜなら、
わたしたちの間に劇的な相違があっても、
わたしは自分が欲することに焦点を定めることができるし、
自分に不快感をもたらすことに
焦点を定めるほど愚かではないから、
ネガティブな暗い感情に苦しめられることはない。
わたしは「許容し可能にする術」を
現実に適用する者として
この物質世界にやってきたのは、
自分が思う「真実」に
全員を従わさせるためではないことを
理解している。
また画一性や同一性を促進するために
やってきたものでもない。
同一性、画一性には、
創造性を刺激する多様性がないことが
理解できないほど愚かではないからだ。
画一性の実現に焦点を定めれば、
わたしは創造の継続ではなく
終焉に向かうことになるだろう。
だから「許容し可能にする術」は、
この地球と地球上の種
さらには
この宇宙自体の存続あるいは生存に
どうしても欠かせないし、
その存続はすべての「源(ソース)」の幅広い視点から
力強く認められている。
物質世界の視点に立っているあなたがたは、
自分自身の成長、拡大を認めないかもしれないが、
そのときには自分が腐りかけているような
嫌な気分になるだろう。
そして他人の成長、拡大を認めないときにも、
自分が腐りかけているような嫌な気分になるはずだ。
気がかりな状況を見て、
しかしそれを止めたり変えたりするために
努力するのではなく、
放っておこうと思うとき、
あなたはその状況を「我慢」している。
これは「許容し可能にする」こととはまったく違う。
「許容し可能にする」とは、
自分と「内なる存在」とのつながりを
維持し続けられる物事の見方を探す術だ。
それはこの時空という現実の世界にちりばめられた
データのなかを選択的に移動しながら、
心地よい物事に焦点を定めることで実現できる。
つまり「感情というナビゲーションシステム」を活用して、
思考が向く方向を決定するということだ。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
現実に適用する者として
この物質世界にやってきたのは、
自分が思う「真実」に
全員を従わさせるためではないことを
理解している。
また画一性や同一性を促進するために
やってきたものでもない。
同一性、画一性には、
創造性を刺激する多様性がないことが
理解できないほど愚かではないからだ。
画一性の実現に焦点を定めれば、
わたしは創造の継続ではなく
終焉に向かうことになるだろう。
だから「許容し可能にする術」は、
この地球と地球上の種
さらには
この宇宙自体の存続あるいは生存に
どうしても欠かせないし、
その存続はすべての「源(ソース)」の幅広い視点から
力強く認められている。”
彼に愛されたい。