「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

「お金と引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)

という本を教科書にして引き寄せの法則について、

ご紹介してきました。

 
エクトンという存在とのチャネリングの本を持っているのですが、
そちらのお金についての教えがとても面白く、
エイブラハムの教えに通じるものがあるので、
こちらもご紹介したいなと思います。
テーマは変えようかとも思ったのですが、
今までと同じく、引き寄せを赤ペンにしておきます。

 

 

エクトンのツイッターをフォローしているのですが、

そちらで下記のHPが紹介されています。

 

 

私は出版されている書籍4冊を持っているのですが、

2冊は絶版の為、ダウンロードが出来るそうです。

 

この2冊は特に面白いので、

機会があればご紹介しますね。

 

今回は「ECTON─エクトンが描く意識の地図」 (リチャード・ラビン著)

からご紹介します。

 

まずECTONという存在についてですが、

下記のような説明があります。

 

 

私がチャネルする存在(personality)は、
自分をエクトンと呼びます。

エクトンのチャネリングは、8年前、
ごく自然に起こりました。

そのとき、私は友人に誘導されて、
ベッドの上で瞑想状態へと入って行きました……

不意に天井の方へ漂っていく微妙なエネルギー……
触れることはできないけれど
感じることはできる雲のようなものを感じました。

この、パワフルで優しいエネルギーの雲は、
私の愛の中へ入ってもいいかとききました。

「OK。やろうじゃないか」と思いました。
以来、大変なローラーコースターに乗りっぱなし。

(笑)

エクトンと共に生きていると、
祝福されていると感じると同時に、
なかなか難しいと感じる面もあります。

彼の知性、正直さに触れ、
たくさんの人々が彼によって
助けられるのを目の当たりにするのは喜びです。

でも、エクトンと生きていくときには、
自分の設けた制限内に留まっていることが
もはやできません。

意識を拡大せざるを得なくなります。

エクトンと私の意見が、
いつも一致するわけではありません。

でも大抵の場合、
ハートと頭の間での恐ろしい葛藤を乗り越えると、
エクトンの言っているポイントが何か分かり、
結局彼に同意することになります。

こうして私は、成長してきたように思います。

より拡大し、もっと目を覚ましてきました。

もし皆さんも目覚めを望むなら、
エクトンがその手助けをするでしょう。

正直なところ、エクトンがどんな存在か、
私には分からないのです。

天井の方にあった雲、という以外、分かりません。

(笑)

エクトンが、私とは別のパーソナリティをもった存在である
という見方もできますが、
私の内部のまだ発見していない部分である可能性もあります。

私のクライアントの半数は、
エクトンを「リチャードとは別の存在である」
と感じ、
残りの半数は「リチャードの深層意識の一側面である」
と感じています。

私としては、外部の存在としておくのが
一番ぴったりするので、
そう信じることを選択しています。

「ECTON─エクトンが描く意識の地図」(リチャード・ラビン著)より

 

チャネリングしている存在について、

鵜呑みにするのではなくて、

色々な見方が出来る中で、

リチャードさんとしては、

”外部の存在としておくのが
一番ぴったりするので、
そう信じることを選択しています。”

ということだそうです。

 

エクトンの教えには、

自分の選択、自分の責任といったことに、

フォーカスしていることが多いかなと感じます。

リチャードさんのこの説明もそれを表していますよね。

 

エクトンは、素晴らしく賢明です。

でも、皆さんや私よりも、
賢明で知的で愛にあふれている
ということはありません。

エクトンのような存在は、明らかに、
この惑星で起こりつつあるとてもドラマチックな変化を
サポートするためにきています。

マフー、バシャール、ラムサ、ラザリスなどは、
すべてチャネルを通してやって来る
アメリカでもポピュラーな存在たちです。

アメリカだけではなく日本や他の国々でも、
自分の部屋に友だちを招いて
チャネリングをやっている人たちが、
たくさんいると思いますが、
メッセージは共通しています。

それは、すべてのものへの無条件の愛、
自分が創り出している現実に対する
全面的責任です。

言い換えれば、誰も他の人や他の世界の出来事を
責めることはできません。

すべて、あなたです。

これは、とても大きな責任です。

ほとんどの人はそんな大きな責任を負うのはいやだと
思っています。

だからこの惑星で戦争や争いが起きます。

「私と私以外」、「私たちと彼ら」、という見方。

エクトンや他の存在たちが
共通して言うのは、
私たちと彼らが実は同じ、ということです。

何時であれ、他の人々と関わる時に、
自分と離れた「彼ら」という見え方がするときは、
自分の内側を探るチャンスです。
「彼ら」は自分のどの側面を反映しているのか、と。

誰かに腹が立ったり、誰かと問題を起こすとき、
私たちはよく
「私だったらあんなことはしないのに」と言います。

でも、多くの場合、
自分が同じようなことをする可能性があるか、
あるいは過去にそのようなことをして
それを認めたくない時に
「あんなことはしない」と怒ります。

「私は人を殺すなんて絶対にするわけがない」
と言うかもしれません。

でも、過去世で殺人を犯さなかったと
どうして言えるでしょう。

あるいは次の生、

別の人生で殺人を犯すかもしれません。

「ECTON─エクトンが描く意識の地図」(リチャード・ラビン著)より

 

”何時であれ、他の人々と関わる時に、
自分と離れた「彼ら」という見え方がするときは、
自分の内側を探るチャンスです。
「彼ら」は自分のどの側面を反映しているのか、と。
誰かに腹が立ったり、誰かと問題を起こすとき、
私たちはよく
「私だったらあんなことはしないのに」と言います。
でも、多くの場合、
自分が同じようなことをする可能性があるか、
あるいは過去にそのようなことをして
それを認めたくない時に
「あんなことはしない」と怒ります。”

という箇所がとても好きで、

よくご紹介することが多いです。

 

”メッセージは共通しています。
それは、すべてのものへの無条件の愛、
自分が創り出している現実に対する
全面的責任です。
言い換えれば、誰も他の人や他の世界の出来事を
責めることはできません。
すべて、あなたです。
これは、とても大きな責任です。
ほとんどの人はそんな大きな責任を負うのはいやだと
思っています。
だからこの惑星で戦争や争いが起きます。
「私と私以外」、「私たちと彼ら」、という見方。
エクトンや他の存在たちが
共通して言うのは、
私たちと彼らが実は同じ、ということです。”

とあります。
自他同一ということですよね。
 
また下記もよくご紹介していますが、
 

別の言い方をすれば、
惑星地球の中心から世界を見ることも、
惑星地球の外側から世界を見ることもできる。
そして、双方向の視点を束ねることが重要なのだ。
地球人類はいまだ一つの視点しか獲得していない。

自分の内側から 外の世界を見るというベクトルだけで、
その反対の視点をまだ獲得してはいないのだ。
ミクロコスモスでありマクロコスモス、
個であり全体、
全体であり個であることを理解するには、
世界を反転させ
双方向のベクトルを束ねることである。

どちらか一方に固執することなく、
包括的な視点に立つことが重要なのだ。
360度の球体の視点を獲得できれば、
多次元的な意識に到達できるだろう。

今まで常識的に信じていたことも、
角度を変えて見ることが重要である。

地表面にへばりついていた地球人類も、
宇宙空間から惑星地球を見ることによって、
飛躍的に意識が拡がることだろう。

図形には内側と外側を反転させ、
見る側と見られる側の間に
距離というものを形成する作用がある。
距離があってはじめて認識できる関係がある。
つまり、
惑星の表面にいたら
見ることができない本来の姿というものを、
視点を切り替えることによって
一瞬にして理解することができるのだ

 

「22を超えてゆけⅡ太陽の国へver.2 6と7の架け橋」

(辻麻里子著)より

 
ゼロポイントの奥義とは、
内側の世界と外側の世界を反転させること。
個であり全体、
全体であり個という視点を獲得することにある。 
 
われわれは、ミクロコスモスであり、マクロコスモスでもある。
 
「22を超えてゆけⅡ太陽の国へver.2 6と7の架け橋」 (辻麻里子著)より
 
”個であり全体、
全体であり個という視点を獲得することにある。 
われわれは、ミクロコスモスであり、マクロコスモスでもある。”
という箇所と同じことです。
 
私たち一人一人は小宇宙であって、
全体である大宇宙を創り出す一端でもあります。
 
”すべて、あなたです。
これは、とても大きな責任です。”
 
”私たちと彼らが実は同じ、ということです。”
 
という箇所を受け入れるのはとても難しいものがあります。
必要なのは投影、鏡の理解です。
 

私は、このようなスピリチュアルな世界に入ったとき、
いくつかの過去世を思い出して
再体験しました。

過去世を知る前、自分を本当に神聖な人だ<Mr.Holy>(笑)、
何も悪いことは出来ない人間だと思っていたのですが、
過去世で、とてもひどいことをしていたのを
知ってしまいました。

それが、”判断”から自由になる手助けをしてくれました。

今生、ライフルやナイフで人を殺すことを
選択している人達への批判を、
手放す手助けをしてくれました。

自分自身を自由に感じるためには、
他の人がその人自身のためにしている
あらゆる選択を許す必要があります。

これはとても、挑戦的です。

簡単にはいきません。

でも、人々の行動のすべて、
なんであれ、その瞬間の彼らにとって
適切なことなのです。

考えてみてください。

他の人の行動をあれこれ批判、判断したとき、
結局何が起こるでしょう?

自分の人生に、批判したものと同じ行動、
状況を引き寄せます。

あなたが憎むことを反映して見せてくれる人を
自分の人生に引き寄せます。

私が、もっと若い頃の話です。

アメリカのセントラルパークを
車で運転してい通ると、
実に保守的な人が多かったのです。

世界中の問題だと彼らを大変批判しました。

で、何が起こったでしょう?

そんな気持ちで、レストランに入ると、
いわゆる保守的な人々が私をひどく扱うのです。

数年後、他ならぬ自分自身が

彼らを惹きつけていたことに気づきました。

彼らに対する批判、判断を手放すよう、
彼らが教えてくれていたのです。

エクトンが話すことの多くは、
ひとりひとりが自分の現実に責任がある、
という概念に基づいています。

エクトンが何を言うかは彼の仕事であり、
私にはよく分かりません。

私の役割は、彼が私の体を充分に使えるよう、
肉体の機能を保ち、個人的な批判や判断を
一歩退けて、彼に自由に話させることです。

私の体調がすぐれないとき、
チャネリングでエクトンが入ってくると、
症状が消えてしまいます。

彼が出て行くと、症状は戻ってきます。

私の体が持っているカルマを、
エクトンは持っていない
ということでしょう。

エクトンは私の体を、”彼のホテル”と呼びます。

妙な方法で生計を立てています、私は。

 

(笑)

 

「ECTON─エクトンが描く意識の地図」(リチャード・ラビン著)より

 

”自分自身を自由に感じるためには、
他の人がその人自身のためにしている
あらゆる選択を許す必要があります。
これはとても、挑戦的です。
簡単にはいきません。
でも、人々の行動のすべて、
なんであれ、その瞬間の彼らにとって
適切なことなのです。”

とさらっと書いてありますけれども、

とても重要な箇所です。

 

他の人の選択を尊重する、

ということが出来ない為に、

様々な争いが起きます。

 

ツイッターでは熱心に、

自分が気に入らない人を探しては、

こそこそとスクショして嘲笑している人もいます。

 

元のツイートが削除されてしまう可能性があるから、

スクショしているというより、

本人の気付かないところで、

自分の仲間(フォロワー)に向けて、

一緒になって馬鹿にする、笑うといったことを、

楽しんでいるように見えます。

で、その様な行為は下記に繋がっていきます。


”考えてみてください。
他の人の行動をあれこれ批判、判断したとき、
結局何が起こるでしょう?
自分の人生に、批判したものと同じ行動、
状況を引き寄せます。
あなたが憎むことを反映して見せてくれる人を
自分の人生に引き寄せます。”

とあり、

ここで引き寄せるという表現が用いられていますが、

引き寄せの法則から考えても、

これは事実だろうなと分かりますよね。

似たものを引き寄せてしまうのです。

元々は内側にそれを持っています。

 

”彼らに対する批判、判断を手放すよう、
彼らが教えてくれていたのです。”

とありますが、

この箇所についてはどういうことかな?と、

熟考することをおススメします。

 

自分の中のどの部分が、

その人達を見て見ぬ振りが出来ないと、

思わせているのかな?

自分の中にある同じものは何だろう?と、

内観するのです。

 

”エクトンが話すことの多くは、
ひとりひとりが自分の現実に責任がある、
という概念に基づいています。”

とありますが、

私がエクトンの教えに共感しているのは、

この部分が揺らがないからですね。

誰かのせいにすることは決してないです。


”私の体調がすぐれないとき、
チャネリングでエクトンが入ってくると、
症状が消えてしまいます。
彼が出て行くと、症状は戻ってきます。
私の体が持っているカルマを、
エクトンは持っていない
ということでしょう。”

という箇所も面白いですよね。

 

病気の原因もまた内側にある、

ということを表していると思います。

 

上記でご紹介したものは全て、

私が学んでいるドーリル先生の著書にある、

宇宙法則や真理に基づくものなので、

私にとっては矛盾が生じず、

受け入れやすいものだと感じます。

 

興味を持った方はぜひ一度、

読んでみてほしいなと思います。

オススメです。