感情がナビゲーションシステム(エイブラハム) | 猫は地上の天使です

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「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)

という本を読みながら、

エイブラハムという霊的なグループが伝えてくる、

「引き寄せの法則」と呼ばれるものについて、まとめて書いています。

 

鵜呑みにしないで検証しましょう

宇宙の法則の定義(エイブラハム)

引き寄せの法則とは何か?(エイブラハム)

思考と引き寄せの法則の関係(エイブラハム)

思考と現実の関係(エイブラハム)

という記事の続きです。
 
「それ自身に似たものを引き寄せる」
「類は友を呼ぶ」という
「引き寄せの法則」は、
思考に対しても働いています。
現実というのは、
 
(一)意識想念の法則

現在意識的な想念がなければ何も創造されない。

すべてのものは、宇宙心か宇宙心の単位である
人の心かの意識的想念によって顕現されているのである。

凡ての主観的創造は、意識単位(人)か全体心(宇宙)かの
いずれかの思考の結果なのである。
 

「秘教真義」(M・ドーリル博士著)より

という意識想念の法則により、
思考の結果として現れるものなので、
引き寄せの法則を上手に活用することで、
結果としての現実もコントロールしましょう、
というのが引き寄せの法則を使った技術や方法論です。

 

望んでいるものでも望んでいないものでも、

関心を向けているとそれが現実として現れるけれども、

時間というクッションがあるから、すぐ現実化する訳ではないので、

方向転換をするチャンスがあります。

 

まずは、本当に思考が現実に反映されているのかな?

 

ということ、

「引き寄せの法則」という

「それ自身に似たものを引き寄せる」
「類は友を呼ぶ」
は本当なのかな?ということを、
現実的に確認してみましょう。
 
そうすることで、確信が持てるようになります。
 
自分の人生の主人公は自分自身で、
周囲の状況に振り回されるのではなくて、
自分が思考の方向性を定めて、
自分の経験をコントロールするのです。

これは、悪いことが起きない様にすることではなくて、

どんなことが起きてもポジティブに捉え続ける、
ということです。
何が起きても悪い経験にしない!と決めるんですね。
 
例えば、コップを割ってしまった時に、
「なんてツイていないんだ!」とか、
「お気に入りのコップだったのに!」とか、
悪いことが起きた、これは悪い引き寄せだ!という様な、
思考に囚われてしまう時があります。
でも、善いだの悪いだのを決めているのは、
自分自身であって、
コップが割れたこと自体は善い事でも悪い事でもないのです。
だから悪い事だと捉えていることに気付いたら、
でも!と、ポリアンナみたいに「よかった探し」をして、
瞬時にひっくり返してしまえば、
引き寄せの流れを変えることも出来ますよね。
「でも!キレイに割れたから片付けやすくてよかった!」
「でも!怪我しなくてよかった!」
いくらでも理由を作ることが出来ます。
元々ただ起こっただけの事に、
意味を付けるだけなのですから、
自分が好きなように捉えてよいのです。
 
こういう時、
例えばテストで100点取った時に、
転んでしまったとします。
「えへ!興奮し過ぎて転んじゃった!」
といった様に笑ってスルー出来ます。
テストで0点取った時に、
転んでしまったとします。
「テストの点数が悪い上に、
転ぶなんて最低だ!恥ずかしい!
なんてツイていないんだろう。
私って本当にダメなヤツだ!」
と底の底まで落ち込んで行きます。
 
勝手ですよね。
同じ出来事なのに、
その時の気分で、
受け取り方が真逆になることもあるのです。
 
引き寄せ界隈の設定の変更の例として、
自分にとって不快な行動を取った人に対して、
「その人は不快な行動を取らない」
「穏やかで優しい態度を取る」
といった自分の都合の良い設定にする、
自分にそう思い込ませるということをするそうです。
 
エイブラハムたちが伝えている引き寄せの法則では、
「不快な行動」という見方を変えて、
別の見方にしてみよう!ということになります。
 
「不快な行動」と別の「不快でない行動」を比較するのではなくて、
その行動そのものの二つの相反する見方があることに、
目を向けるのです。
 
例えば、キツい言動が不快に感じるなら、
意志表示のはっきりした人だわ、
私にだけでなく他の人にも同じ様に接するのだろう、
嫌われる可能性もあるのに、
自分の意志を貫くなんて、潔くてかっこいいかも!
という風に捉えることも出来ます。
 
媚びて八方美人の人が不快に感じるなら、
誰にでも合わせられるなんて柔軟性があるな。
私は嫌な人にいい顔するなんてとても出来ないから、
自分の感情をコントロール出来るなんて、
凄いな!
許容範囲が広い人なのかもしれない!
という風に捉えることも出来ます。
 
何故「不快な行動」と感じたのでしょうか?
それが鏡で投影です。
自分が認めたくない、見たくない部分を、
その不快な行動から感じ取った為に、
嫌な気分になったのです。
自分が自分に認めていない、
これは悪いことだと決めている行動を取る誰かに対して、
「不快な行動だわ」
=「あれはしちゃいけないのに、何であんなことをするのかしら!」
と感じているのです。
 
それを無視してなかったことにしようとするのは、
 
もっとはっきり言うなら、あなたが何かを見て
「ノー、そんな経験はしたくない、消えてくれ!」
と思ったとしても、
実際にはあなたはそれを自分の経験のなかに
呼び込んでいる。

万有引力を基盤としたこの宇宙では、「ノー」はないのだ。

関心を向けるのは、
「イエス、望まないことよ、わたしのほうへおいで!」
と言っているのと同じことなのだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
とある様に、
「イエス、望まないことよ、わたしのほうへおいで!」
と言っているのと同じことです。
つまり、
自分にとって不快な行動を取った人に対して、
「その人は不快な行動を取らない」
「穏やかで優しい態度を取る」
といった自分の都合の良い設定にする、
自分にそう思い込ませるということを、
カウンセラーがお客さんに教える場合、
カウンセリングを行ないながら、
お金を貰いながら、
お客さんに望まないことを引き寄せる方法を、
教え込み、マインドコントロールを行なっているのです。
 
今、引き寄せ界隈で流行っている手法というのは、
昔よりもっと酷い内容になっていて、
いくつものスピリチュアル的なタブーを、
重ね掛けしている悪質な、呪術的なものになっています。
誰が広めたのかは分かりませんけれども、
上っ面だけで分かった気にならずに、
自分のその手法というのは、
整合性が取れているのか、
矛盾点はないのか?しっかり内観して、
整理してみてください。
 
取り返しがつかなくなっている人が、
とても多いです。
 
法則というのは善にでも悪にでも使えますので、
自分の立ち位置やどの方向に向かっているのかを、
しっかり見極めることがとても大事で、
基本中の基本なのです。
 
何度かご紹介していますが、
「宇宙の羅針盤・下」(辻麻里子著)では、
下記のような説明があります。
 
試練や苦しみは人間が作り出したものです。
 
試練や苦しみはなく、ただ現象が起きた時に、
これは試練だとか苦しみだという観念を人間が作り出したのです。
 
たとえば、転んだ時、倒れたという経験をしただけで、
歩くことと、転ぶことに、たいした違いはありません。
 
悲しみから人を救うのではなく、
これは悲しいことではないかもしれない、
という知恵をもたらし、
とらわれや固定観念から人々を解放することです。
 
物事を反転させた時に、
そこに気づきと喜びがあるのです。
 
この星の人は、ひっくり返っていることに気づいていません。
 
人は、気づきを気づきとして理解できません。
 
光は光として……そのままの状態で……
通すことができる光の図形を夢のなかで授けたのです。
 
今、地上にいる人たちは、
霊的な進化のレベルにおいて、さほど違いはありません。
 
ただ、途中で詰まっている、曇っているだけなのです。
 
知性のゆがみ、感性のゆがみによって、
地球人類はバランスを崩しているのです。
 
知性と感性の二本の柱が支えになって、
その真ん中に魂の柱が天上に向かって伸びあがり、
この二つが両輪になって魂は進化してゆくのです……。
 
”たとえば、転んだ時、倒れたという経験をしただけで、
歩くことと、転ぶことに、たいした違いはありません。”
という様に、私たちは考えることが出来ません。
転ぶことはネガティブな事だと決めつけているのです。
それは誰が決めたのでしょうか?

 

でも、実際は、例えば何かに夢中になっている時に、

転んだとしても、そのことにあまり気に留めずに、

スルーしてしまったり、

ドジ!と笑って終ってしまったり、

別に悪いことだといちいち気にしないことも、

沢山あると思います。

 
エイブラハムたちも、”歩くことと、転ぶことに、
たいした違いはないんだよ!”ということを伝える為に、
引き寄せの法則として技術や方法論を教えています。
相手を自分好みに変えようとしたり、
嫌な事をなかったことにしようとは、
言っていません。
(他の引き寄せは分かりませんが)
 
今起きたことは、本当に悪い事なの?と、
自分に問いかけてみて、
捉え方を変えていく必要があるのです。
ポリアンナです。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)には、
感情について下記の説明があります。
 

あなたがたの感情は、
「内なる存在」とあなたがたとの関係を示す
物質世界での指標である。

言い換えれば、
ある対象に思考の焦点を定め、
それについて具体的な見方、
具体的な見解を持ったとき、
「内なる存在」もそれに焦点を定め、
ある見方、ある見解をとる。

そのときにあなたが何を感じるかで、
両者の見方が一致しているかどうかがわかる。

例えば何かが起こり、
あなたはもっとうまくやれたはずだとか、
自分は愚かだった、
自分はダメな人間だと考えたとする。

しかし、あなたは立派にやっている、
あなたは賢明だし、
永遠に価値ある存在だというのが
「内なる存在」の見方だから、
あなたとあなたの「内なる存在」の見方には
決定的な不一致が生じる。

それであなたはその不一致を
「ネガティブな暗い感情」という形で感じ取る。

一方、あなたがプライドを持ち、
自分自身や誰かを愛しているとき、
あなたの見方は
「内なる存在」のそれにずっと近くなるから、
誇りや愛情や感謝という「明るい前向きの感情」を抱く。

あなたの「内なる存在」あるいは
「ソースエネルギー」は、
いつもあなたにとっていちばんためになる見方をするし、
あなたの見方がそれに一致すれば
肯定的な引き寄せの力が働く。

言い換えれば、
あなたの気分がよければそれだけ
あなたの「引き寄せの作用点」もいいし、
いいことが起こる。

あなたの見方と「内なる存在」の見方の
波動の相対的な関係。

これがいつでも利用できる素晴らしい「指針」なのだ。

 

こちらは、「神との対話」(ニール・ドナルド・ウォルシュ著)から、

下記の箇所、

あなたは、焦点が定まっていない。
自分にとっての真実は何か、
あなたには確信がない。

宇宙というのは、巨大なコピー機にすぎない。
あなたの考えを何枚もコピーするだけだ。

すべてを変える方法はひとつだ。
あなたの考えを変えるしかない。

 

宇宙は巨大なコピー機だということ、

また、「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)の、

下記の箇所、

 

何かを見て、それを経験したいと思い、
「うん、あれが欲しい」と考えると、
あなたは向けた「関心」を通じて、
その対象を経験のなかに招き寄せる。

だが何かを見て、それは経験したくないと思い、
「ああ、とんでもない、あんなのは嫌だ!」
と思っても、向けた「関心」を通じて、
対象を経験のなかに招き寄せてしまう。

万有引力を基盤としたこの宇宙では、例外はない。

関心を向けると、対象があなたの波動に取り込まれる。

関心や認識が長期間持続すると、
対象が「引き寄せの法則」によって
あなたの経験のなかに取り込まれる。

「ノー」はあり得ない。

 

ノーはないという部分と同じことです。

 

創造主や大元の自分というのは、

あらゆる全てを肯定しています。

だから、否定的に物事を捉えている時に、
不快な感情が湧きあがるのです。
 
例えば、あなたは私のこのブログ記事をイライラしながら読んでいて、
私のことが大嫌いで、消えてしまえばいいのに!と、
思っています。
すごく嫌な気分で、ネガティブな暗い感情が湧きます。
 
物事にはポジティブ、肯定的な見方と、
ネガティブ、否定的な見方の二つが、
いつも同時に存在しているのに、
私のブログ記事を読む時には、
ネガティブな否定的な見方をしていて、
全てを肯定している創造主や大いなる自分との見方と、
不一致を起こしている為に、
ネガティブな感情が起きるのです。

 

じゃあ、どうしたら良いのでしょうか?

シュレッダーにかけて、排除しますか?

 

「引き寄せの法則」は
常にあなたの波動に作用しているから、
あなたが望むものを創造するプロセスにあるか、
それとも望まないものを創造しているかは、
感情に気をつければわかる。

このことを知っていると、
とても役に立つ。

物質世界にいるあなたがたは、
強力な「引き寄せの法則」を学び、
自分が思考の対象を引き寄せていることを
理解し始めると、
自分の思考をいちいち監視したり
警戒したりするかもしれない。

しかし人はいろいろなことを考えるものだし、
「引き寄せの法則」は
ますます多くの思考を引き寄せるから、
思考は監視しきれるものではない。

思考を監視しようとするよりも、
自分の感情に関心を向けたほうがよろしい。

あなたのなかでも広やかで古くて賢明で
愛情あふれる「内なる存在」、
その部分の見方と調和しないことを考えると、
あなたは違和感を覚えるだろう。

だからすぐに思考を
別のもっと心地よい、したがって、
自分に役立つものへと振り向けることができる。

あなたがたは
この物質世界の身体に宿ろうと決めたとき、
「感情という素晴らしいナビゲーションシステム」を
利用できることを知っていた。

感情という指針を使えば、
いつも存在する素晴らしい感情を通じて、
自分がより広い知恵の方向から外れているか、
それとも一致しているかがすぐわかる。

望む対象のほうへ思考を向けていれば、
明るい前向きの感情を覚える。

望まない対象のほうへ思考を向けていると、
ネガティブな暗い感情になる。

あなたがたは、
なんであれ自分が思考を向ける対象を引き寄せる。

そのとき自分がどう感じるかに関心を向けてさえいれば、
自分という強力な磁力を持った「存在」が
どんな方向から対象を引き寄せているか、
いつでも簡単にわかる。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

思考はいらないの元になっていそうなのが、

この教えですよね。

思考を監視し続けるのは大変だから、

感情をチェックした方が、

思考の方向性を把握することが出来ますよ!

ということで、

思考なんていらないんだよ!

感情のままに生きればいいんだよ!という風には、

伝えていないんですよ!

 

大体、もし思考が本当にいらないものだとするなら、

思考など持たずに私たちは生れてきているはずです。

 

思考なんていらない!とやるのも、

思考は悪いものだという善悪二元論に基づくものです。

 

”ない”という捉え方自体が、

”ある”と比較しないと生まれてこないもので、

もし”ない”の方が優れていると感じるのであれば、

それは善悪二元論に基づくもので、

統合意識領域には至っていません。

 

今、引き寄せの法則について、

エイブラハムの教えからお伝えしていますけれども、

やっぱり根底のテーマというのは、二元性の克服になり、

統合意識を構築して行きましょう!という話になります。

 

それを理解せずに、引き寄せの法則を悪用する人たち、

というのは、

思考はいらないと思っている訳ですから、

本当にそうなのかな?と確かめる為に、

来世は虫からスタートして、

コツコツ積み上げるのも善いのではないかな?と思います!

 

エイブラハムたちは、

いい気分がするのか?嫌な気分がするのか?

ということを見ると、

肯定的に捉えているのか?否定的に捉えているのか?

といことが分かりますよね!と教えています。

 

ここの解釈というのが、

好きな人を見ていればいい気分だし、

嫌いな人を見ていれば嫌な気分になる、

という様に、

異なる二つのものを比較して、

いい気分か?いい気分がしないか?とやってしまうと、

嫌なものは見ない様にしよう!

排除しよう!

シュレッダーにかけよう!

になってしまうのです。

 

そうではなくて、一人の人に対して、

好きだなと感じられる見方を選択しているのか、

嫌だなと感じられる見方を選択しているのか、

ということなのです。

 

これは二元性を克服していないと、

理解出来ないことだと思います。

 

エイブラハムは簡単にこのことについて触れていますが、

エイブラハムたちにしてみれば、簡単な些細なことかもしれませんが、

今までこうだと思っていたことに対して、

見方を変えるというのは、

自分の価値感や思い込み、刷り込みなんかを、

変えていくことになりますので、

一日二日で達成出来ることではないと思います。

 

嫌いな人は嫌い!でもいいのだけれども、

せめて、別の見方もあるんだよね、

私は嫌いという見方の方がしっくりくるけれども、

あの人のことを好きな人もいるんだよね、

くらいには捉え方を拡げた方が、

この先楽に生きられると思います。

 

まず、嫌いな人がいる自分を許しましょう。

嫌いな人には、自分が見たくない部分を投影しているので、

嫌いな人が存在することを許せない!と感じます。

 

でも、嫌いなあの人のことを好きな人もいるのです。

 
自分は嫌いという風にしか感じられないけれど、

そんな自分も許して受け入れよう!

ダメだと否定するのはやめよう!

あの人は排除しなくても、自分は影響を受けることはない。

あの人はあの人のままで良いのだ!と思える様になると、

二元性を克服しつつあります。

 

そのなかにはあなたが肯定する(そして経験したいと願う)
こともあれば、
否定する(経験したくないと思う)こともある。

この物質世界に生まれたとき、
あなたがたは自分の好みに合うように
変われと世界に命じようとは思っていなかったし、
自分が肯定しないものをすべて排除し、
自分が肯定するものを付け加えよう、
というつもりもなかった。

あなたがたがこの世界に生まれたのは、
自分の周囲に自分が選択する世界を
「創造」するためであり、
同時に世界が─ほかの人々が選択するとおりに─
存在することを「認める」ためだった。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

”この物質世界に生まれたとき、
あなたがたは自分の好みに合うように
変われと世界に命じようとは思っていなかったし、
自分が肯定しないものをすべて排除し、
自分が肯定するものを付け加えよう、
というつもりもなかった。
あなたがたがこの世界に生まれたのは、
自分の周囲に自分が選択する世界を
「創造」するためであり、
同時に世界が─ほかの人々が選択するとおりに─
存在することを「認める」ためだった。”

とあります。

 

善悪二元論で裁いて生きるということは、

自分の選択肢を狭めて、窮屈に生きていくことです。

 

嫌な事を排除するのではなくて、

思考を変えましょうということなのです。

 

その思考を変える時に、

思考を監視するのは大変なので、

今いい気分がしているのか?していないのか?を見ます。

いい気分の時には、肯定的に捉えている、

思考がOKの方に向いているので、いい気分がします。

いい気分がしない時には、否定的に捉えている、

思考がNOの方に向いています。

感情を見て、思考がどっちなのかを見極めて、

思考を変えるというのが流れになります。

でも!とよかった探しをするんですね。