「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)

という本を読みながら、

エイブラハムという霊的なグループが伝えてくる、

「引き寄せの法則」と呼ばれるものについて、まとめて書いています。

 

鵜呑みにしないで検証しましょう

宇宙の法則の定義(エイブラハム)

引き寄せの法則とは何か?(エイブラハム)

思考と引き寄せの法則の関係(エイブラハム)

思考と現実の関係(エイブラハム)

という記事の続きです。

 

エイブラハムたちが伝えている三つの「宇宙の法則」をご紹介しました。

第一の法則が「引き寄せの法則」。

第二の法則が「意図的な創造の方法論」。
第三の法則が「許容し可能にする術」。

 

この記事では、「許容し可能にする術」について書いています。

 
わたしたちが何よりもあなたがたに
思い出させてあげたいと思うのは、
この「許容し可能にする術」における
あなたがたの役割だ。

この「法則」を十分に理解して実際に適用すれば、
すべてが思いどおりになる。

言い換えれば、「引き寄せの法則」は
あなたがたが理解しようとしまいと存在する。

常にあなたがたに作用し、
あなたがたが考えることに
いつも正確に対応した結果をもたらす。

だが「許容し可能にする術」を
意図的に適用するには、
自分がどう感じているかを常に意識し、
思考の方向を選ばなくてはならない。

この「法則」を理解できるかどうかで、
「意図的に」創造するか、
「惰性で」創造するかが決まる。

「許容し可能にする術」を「引き寄せの法則」
「意図的な創造の方法論」の次にもってきたのは、
前の二つの法則を理解できなければ
「許容し可能にする術」は始められないからだ。

「許容し可能にする術」とわたしたちが言うのは、
次のようなことである。

わたしはわたしであり、
わたしはありのままの自分に喜びを感じて、
楽しんでいる。

あなたはあなたであり、
たぶんわたしと違うだろうが、
それもそれでよろしい。

なぜなら、
わたしたちの間に劇的な相違があっても、
わたしは自分が欲することに焦点を定めることができるし、
自分に不快感をもたらすことに
焦点を定めるほど愚かではないから、
ネガティブな暗い感情に苦しめられることはない。

わたしは「許容し可能にする術」を
現実に適用する者として
この物質世界にやってきたのは、
自分が思う「真実」に
全員を従わさせるためではないことを
理解している。

また画一性や同一性を促進するために
やってきたものでもない。

同一性、画一性には、
創造性を刺激する多様性がないことが
理解できないほど愚かではないからだ。

画一性の実現に焦点を定めれば、
わたしは創造の継続ではなく
終焉に向かうことになるだろう。

だから「許容し可能にする術」は、
この地球と地球上の種
さらには
この宇宙自体の存続あるいは生存に
どうしても欠かせないし、
その存続はすべての「源(ソース)」の幅広い視点から
力強く認められている。

物質世界の視点に立っているあなたがたは、
自分自身の成長、拡大を認めないかもしれないが、
そのときには自分が腐りかけているような
嫌な気分になるだろう。

そして他人の成長、拡大を認めないときにも、
自分が腐りかけているような嫌な気分になるはずだ。

気がかりな状況を見て、
しかしそれを止めたり変えたりするために
努力するのではなく、
放っておこうと思うとき、
あなたはその状況を「我慢」している。

これは「許容し可能にする」こととはまったく違う。

「許容し可能にする」とは、
自分と「内なる存在」とのつながりを
維持し続けられる物事の見方を探す術だ。

それはこの時空という現実の世界にちりばめられた
データのなかを選択的に移動しながら、
心地よい物事に焦点を定めることで実現できる。

つまり「感情というナビゲーションシステム」を活用して、
思考が向く方向を決定するということだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
という箇所をご紹介しました。
 
”だが「許容し可能にする術」を
意図的に適用するには、
自分がどう感じているかを常に意識し、
思考の方向を選ばなくてはならない。
この「法則」を理解できるかどうかで、
「意図的に」創造するか、
「惰性で」創造するかが決まる。”とあります。
赤い車が欲しいなと思っているのに、
最終的に手にしたのは、
赤いミニカーだったり、
黄色と青が欲しいのに緑だったり、
ということがあります。
 

惰性による創造を止めるという記事を以前書きましたが、

自分を客観視せずに、

外側を観察している状態が当たり前になっていて、

ネガティブな感情になっていることに気付かないまま、

毎日生活していることが多いのではないでしょうか。

 

ジェリー そこで初めにぶつかる難問があります。

自分とは違う考え方をして、
考え方が違うあまりに、
言ってみればこっちのスペースに
侵入してくるような人たちから自分を守るためには、
どうすればいいのでしょうか?

エイブラハム なるほど。
だからこそ「許容し可能にする術」を理解して
受け入れる前に、
まず「引き寄せの法則」と「意図的な創造の方法論」を
理解しなくてはいけないと言ったのだ。

確かに、どうして自分にある出来事が起こるのかが
理解できなければ、心配になるだろう。

あなたが自分の思考を通じて招き入れない限り、
他人はあなたの経験には
入ってはこられないということがわからなければ、
もちろん人がしていることを不安に思うだろう。

だが、自分が思考を通じて
─感情的な思考と大きな期待によって─
招き入れない限り、
何も自分の経験には入ってはこないとわかれば、
積極的にこの精妙な創造のバランスを生み出さない限り、
あなたには何も起こらない。

この強力な「宇宙を貫く法則」を理解すれば、
もう壁やバリケードや軍隊や戦争や監獄の必要は
なくなる。

自分は自由に思いどおりの世界を創造できるし、
他人は当人が選んだ世界を創造していて、
他人の選択に自分を脅かすことはないと
わかるからだ。

それがわからなければ、
絶対的な自由を享受することはできない。

この物質世界には、
あなたが絶対的に同調できることもあるし、
絶対的に同調できないこともあり
─その中間のあらゆることがある。

だが、物事は常に変化し続けているし、
あなたがたは自分が賛成できないことを
破壊したり封じ込めたりするために
この世界にやってきたのではない。

この世界にやってきたのは、一瞬一瞬に、
部分ごとに、日々、年々、歳々、
自分が何を望むかを明らかにし、
思考の力を使ってその欲求に焦点を定め、
「引き寄せの法則」によって
それが自分に引き寄せられることを
「許容し可能にする」ためだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

これは鏡や投影について理解出来ると、

分かってくることだと思います。

 

”自分とは違う考え方をして、
考え方が違うあまりに、
言ってみればこっちのスペースに
侵入してくるような人たちから自分を守るためには、
どうすればいいのでしょうか?”

という質問に共感する人も多いのではないでしょうか?

私もそうだったのですが、

ずかずか押しかけて来る人がいるのに、

向こうから勝手にくるのに、

どうしたらいいのよ?

という風に思っていました。

自分の責任だとは思っていなかったのね。

 

例えば、モラハラっぽい人に、

暴言を吐かれたとします。

あいつが悪いと思いますよね。

自分は悪くない。

でも内観してみると、

劣等感とか罪悪感を抱えていて、

叱られたり罵られたりすることで、

自分にバランスを取っていることが分かります。

引き寄せているんですね。

誰かとの現実というのは共同創造で、

モラハラするのは相手の問題なのだけど、

その人を引き寄せたのは自分の問題なのです。

 

誰かについて語るのは自己紹介という記事を書きました。

 

オレリア─このことについて
私は本当に恐れの問題を抱えていて、
そしてその内容は以下のようなものです。

私や私の使命を
悩ませようとしてきた人たちや、
私をコントロールしようとした人たちがいます。

あなたはそのうちの何人かは
誰のことかよくご存じです。

サナンダ─あなたに彼らと
仲直りしなさいと言ったかな?

オレリア─いいえ。

サナンダ─さっき言ったように、
それは彼らのことではなくて、
あなたのことであって、
あなたの自己との関係だ。

あなたは自分の中で内的なワークを行って、
自分自身と仲直りすることができるだけだ。

鏡のゲームにおいて他人と仲直りすることは
めったにない。

とくに、彼らはたいがい
あなたとはかなり違う見方で
すべてのことを見ることに、
あなたは気づくからだ。

あなたは自分自身を癒せるだけで、
彼らは彼ら自身を癒せるだけだ。

彼らのことはあなたの責任ではない。

実は、あなたがその人たちと
いつか再び会おうと会うまいと
それは問題ではない。

それは彼らに接近することでも、
彼らと関わるすべてを癒すことでもない。

なぜかというと、
このような欲求があるとすれば投影だからだ。
もし彼らが彼ら自身を癒したいのなら、
彼らは自分でそうできる。

とにかくそれは彼らの問題だ。

あなたの責任はあなた自身を癒すことと、
波動の点で一なるものへと進むことだ。

オレリア─間違いなく、それが見逃していた鍵です。
今、理解しました。

サナンダ─そのとおり。
私が言ったのは、
あなたが自分の内側で感情を変化させて癒せば、
次にその人と会うときには
彼らとのエネルギー的反応が
何も起きないということだ。
これはあなたが彼らと和解しようとすることを
意味しているのではない。

また、再び彼らのエネルギーと
関わらなければならなくなる
ということでもない。
オレリア─彼らと一緒に働いて
日常生活で
彼らに会わなければならないときや、
彼らが自宅や近所で
暮らしているときもありますね。

サナンダ─そうであろうとなかろうと、
決して彼らの問題ではなくて、
あなたの問題だ。

そして彼らはただの引き金かまたは鏡だ。

だから、もしあなたが鏡を見なければ、
神はすぐ別の人を送ってよこすだろう。

それも前より大きな鏡を。

それはアダマがこの提案をしたからではなく、
ちょうど今、
あなたの進化でそのタイミングが適切だからだ。
もしこれをやり遂げることを選ばなければ、
その鏡はもっと大きく、
もっと不愉快になる。

アダマがこれをあなたに設定しようと
思っているからではなくて、
あなた自身の神聖な本質が
この段階で
あなたのためにこれを望んでいるからだ。
オレリア─私が今あなたに聞いているのは、
アダマが私に出した課題をやり遂げたいからです。

私は完璧にこなして、
もっと理解したいと思っています。

サナンダ─その上、あなたがこれが
ものすごく楽しくて、
とても元気になることも発見するだろう。
それから、
あなたにとって引き金となった人と
実際につき合いたいと思う場合がある。

だがそうするのは、
自分自身が完全に癒されたあとにしなさい。

その前に彼らに近づくなら、
悲惨な目にあいかねない。

別の人に近づきたいと思うときもある。
それはとくに痛い感情がある場合だ。

あなたは何かを謝りたいと思うかもしれない。
私はあなたがそうすべきだとは言わないが、
あなたのハートはあなたの望むことを
知っているだろう。
あなたは何が正しいのか、
何が合っていて適切かという感情や
感覚を常に持っているだろう。

たいがい、
これらの鏡の経験はもっぱらあなたのためで、
あなたの自己との関係についてのことだ。

神聖な自分と整合していない経験や
迷惑な経験にあって、
自分の内部で
もっと大きな悟りの状態に近づくたびに、
あなたはますます一なるものに近づいている。

すべてのものと一つであることを
感じはじめている。

もはや人生経験や危険をはらんだ出会いを
それほど個人的には捉えなくなる。

あなたは
自分がその経験をつくったと分かるので、
その経験を
簡単に自分のものと認めることができるだろう。

あなたの人生でとても奇妙な、
あるいは厄介な、
挑戦的な、
人という形をとる鏡に直面するとき、
あなたはすぐに自分のものと認めることができて、
このように言うだろう。

「私がその経験を
自分に引きつけることを創造した。

私がそうしたと知っている。

私にとっては重要な癒しなので、
私は今それを自分に与えている」

このように、
これはまさにあなたの威厳を回復すること、
そしてあなたの最も深い真実を見つけ出すこと、
もっと力を与えられて明確になることだ。

それを行うと、あなたはこれ以上、
そのような鏡を
引きつけないことが分かるだろう。

あなたが得る鏡はまったく違ってきて、
それらはあなたの癒された状態を反映するだろう。

鏡はネガティブなものだけではない。

ほら、その他のすべてのことのように、
全部の範囲を表現するからね。

「新しいレムリア」
(オレリア・ルイーズ・ジョーンズ著)より

 

上記の箇所と同じ内容になっています。

こちらは鏡をテーマにしています。

 

自分が引き寄せたのだ。

それはどうして?という風に、

自分の問題として向き合った時に初めて、

解決に向かうと思います。

 

何度かご紹介している

「サラとソロモン」(エスター&ジェリー・ヒックス著)では、

下記の様な説明があります。

 

人々はいい人間でいたいと望むからこそ、

何が良いことなのかを決めるために、周りを見渡して、

他の人々の生き方観察しているんだ。

 

自分たちの周囲の状況を眺めて、

その状況の中に良いことだと思えることと、

悪いことだと思えることの両方を見ている。

 

「それが悪いことなの?それのどこが悪いのか、わたしにはわからない」

 

僕が気がついたことはね、

人がいろいろな状況を眺めている時、

それが良い状況でも悪い状況でも、

ほとんどの人は自分がどう感じているかについて

意識していないということなんだ。

 

そしてそれが、ほとんどの人にとって問題を起こすことになるんだ。

 

自分が見ていることが

自分をどのような気持ちにさせているかを意識している代わりに、

いい人間になりたいという気持ちから、

人々はいつも悪いことを探し出しては、

それを遠ざけようとばかりしているのさ。

 

それがどうして問題かっていうとね、

人々が「悪いこと」だと思っているものを

遠ざけようとしている間中ずっと、

その人たちは《苦しみの鎖》につながってしまっているからなんだ。

 

人々は、自分がどんなふうに感じているのかを意識していることよりも、

いろいろな状況を観察したり分析したり比較したりすることの方に

ずっと関心があるんだ。

 

そして、たいていの場合、その状況が彼らを《苦しみの鎖》の中に

引きずり込んでしまうんだ。

 
二元性を克服出来ていないので、
何が善いのかな?何が悪いのかな?と、
絶えず周囲の顔色を窺ってしまう状態なのです。
 
(すべてのものは、実は両面を持っている。
欲しいという面と、欲しいが欠落している、
存在しない、という両面である)。

自分の感情、気持ちに注意を払っていれば、
自分が欲しいほうに焦点を定めているか、
それとも欠落のほうに焦点を定めているかは
必ずわかる。

欲しいもののことを考えていれば心地よいし、
欠落について考えていれば心地よくないのだから。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

という箇所をご紹介しましたが、

エイブラハムたちはちょいちょい

 

(四)積極消極の法則

積極・消極(プラスマイナス)の二極がないと
何物も存在することは出来ない。

あらゆるものに二極があることが創造構成の基本法則である。

 

「秘教真義」(M・ドーリル博士著) より

 

 

という、

全てのものはポジティブな側面とネガティブな側面の両方があって、

表裏一体であるという法則を紹介しています。

エイブラハムたちはこれについてはあえて法則とか言っていないのですが。

 

私は地表上で生きている人がまず理解することは、

この表裏一体であることだと思います。

でも、この法則の重要度がエイブラハムたちの領域では、

当たり前なので低いのかもしれないなと思います。

(それかチャネラーの都合かもしれないけれども)

これをさらっと流しているので、

片側に偏ってしまう引き寄せ界隈の人がとても多いです。

 

例えば、

過去と向き合う必要はないよ!という、

カウンセラーがいるとします。

もし本当にその人が必要はないと思っているとしたら、

過去と向き合っても、

向き合わなくてもどちらでもいいはずです。

でも、こういう場合大抵、

向き合わないで!と強要します。

それはどうしてなのか?

 

自分が向き合えない何かしらの理由があって、

過去と向き合っている人を見ると、

そのことを思い出させて嫌な気分になったり、

向き合えないことを正当化する為に、

他の人たちにも同じ行動を取る様に強要して、

安心したかったりという気持ちがあります。

 

”わたしはわたしであり、
わたしはありのままの自分に喜びを感じて、
楽しんでいる。
あなたはあなたであり、
たぶんわたしと違うだろうが、
それもそれでよろしい。
なぜなら、
わたしたちの間に劇的な相違があっても、
わたしは自分が欲することに焦点を定めることができるし、
自分に不快感をもたらすことに
焦点を定めるほど愚かではないから、
ネガティブな暗い感情に苦しめられることはない。”
ということをベースにした行動ではないですよね。

 

過去と向き合う事は悪、

過去と向き合わない事は善と振り分けています。

 

過去というのは現在に含まれていますから、

無視する事は出来ないものですよね。

過去にしてきたことが、今、現れて、

これからの未来にも影響を与えます。

逆に、今に現れているのだから、

過去にどんなことがあったとしても、

この瞬間から変えてゆけるとも言えます。

 

他人軸か、自分軸かという部分と、

二元性を克服しているか、

統合意識領域に到達しているかという部分で、

引き寄せの法則の解釈が異なっていると感じます。

 

ほとんどの人が他人の行動を認めようとしないのは、
「引き寄せの法則」を理解していないからで、
望まないことが自分の経験のなかに
滑り込んだり飛び込んだりするかもしれないと
誤解しているためだ。

その人たちは自分が望まない経験をしたり、
他人が望まない目にあったりしているのを見て、
誰も嫌な経験を意図的に選んだりするはずはないのだから、
そのような脅威が実在すると考える。

他人の行動を放っておいたら
自分の経験にも
波及するかもしれないと心配する。

「引き寄せの法則」を理解していないと、
危険を感じて防御的になり、
危機感を基に壁を築こう、
軍隊を集めようとするが、
それは無駄な努力だ。

望まないことに抵抗すれば、
ますますその望まないことが増えていくだけなのだから。

わたしたちがこうして話しているのは、
あなたがたに世界があらゆる明暗のコントラストを
追放させるためではない。

あなたがたが消滅させたいと思うかもしれない
コントラストは、
「すべてあるもの」の成長、拡大の契機だから。

わたしたちがこうして話しているのは、
膨大な多様性が存在するなかで
あなたがたが楽しい人生を送ることが可能だと
わかているからだ。

わたしたちがこうして話しているのは、
「宇宙を貫く法則」を理解して適用したときだけ
経験できる個人的な自由を見いだしてもらいたいからだ。

最初の二つの「法則」を理解し適用するまでは、
「許容し可能にする術」は理解できないし、
適用もできない。

他人の行動や言葉に影響されずに済むことが
理解できるまでは、
あなたがたは他人を認めようという気になれないだろう。

あなたがたの
─あなたがたという「存在」の核心から発する─
感情はきわめて強力で、
あなたがたは自己を維持することを望むから、
その自己を脅かすことは認められないし、
認めようとは思わない。

わたしたちが説明している「法則」は「永遠」、
つまりいつまでも変わらない。

これからの法則は「普遍的」、
つまりどこにでも働いている。

そして「絶対的」、
つまりあなたがたが知っていようがいまいが、
あなたがたがその存在を受け入れようが
受け入れまいが存在する─
そしてあなたがたが知っていようがいまいが、
あなたがたの人生に影響する。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 

恐怖心を煽るのが一番コントロールしやすいと思いますが、

いかにも脅す様な形でなくても、

あちこちに不安になりやすい、心配しやすい様な、

種は沢山落ちています。

でもそれは周囲の問題なのでしょうか?

 

現実として経験に現れるまでには、

時間がかかります。

現実化する前に、ネガティブな感情を感じる度に、

思考を転換すれば、

現実化するのを防ぐことが出来ます。

私も、引き寄せの法則を復習しだしてから、

日常的に無頓着になっていた感情も多かったなと、

反省しています。

大きな落ち込みなどがなくても、

何となく目にするものに対して、

当たり前の様にネガティブに捉えるということが、

(意識しないと否定的になるのが法則なので)

積み重なると、それもまた経験に現れるのです。

もっと注意深くなろうと思いました。

 

目の前の結果である現実を見て、

どんな望みが叶ったのかな?

自分はどんな感情でいたのかな?と、

振り返ってみると、

より気を付けるようになると思います。

逆に言えば、

気を付ければより善くなるんだ!ということですよね。