「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)

という本を読みながら、

エイブラハムという霊的なグループが伝えてくる、

「引き寄せの法則」と呼ばれるものについて、まとめて書いています。

 

鵜呑みにしないで検証しましょう

宇宙の法則の定義(エイブラハム)

引き寄せの法則とは何か?(エイブラハム)

思考と引き寄せの法則の関係(エイブラハム)

思考と現実の関係(エイブラハム)

 
「引き寄せの法則」について、
エイブラハムたちは、
「それ自身に似たものを引き寄せる」
「類は友を呼ぶ」ということだと伝えていますが、

相反するものが引き合う、

プラスがマイナスを引きつけるという性質についても、
似たものを引き寄せているんだよ!と言ってます。
 
 
善悪二元論についてという記事を書いていますが、
例えば、嫌いな人というものを例にして考えます。

嫌いな人に対して好きな人も発生するという表裏一体があり、

これは単純に嫌いに対する反対語として好きがあるよねということで、
嫌いな人(1人)、好きな人(1人)という感じで、
二人の人を比較している状態です。
 

また、嫌いな人がいるという経験に対して、

好きだと思えるような捉え方もある(反面教師とか)という表裏一体があり、
これは自分の内側の中で相反する捉え方がある、ということで、
一人の人に対して、嫌いと好きという見方がある、
嫌いと感じる感情と好きと感じる感情の二つを比較している状態です。
 
もう一つ、自分の嫌いな人でも、
他の人たちの中には好きな人もいるであろう、

というような自分(内側)と外側の人とで相反するといった表裏一体、

自分と自分以外の人という比較があります。

 
誰かが善悪判断をしている時には、
それがよく目について、ジャッジするのはやめよう!と、
伝えたりしますけれども、
もし、善悪判断は悪いものだという考えに基づいて、
誰かにやめよう!と言うなら、
自分自身もまた、善悪判断をしていますよね。
そして、そういう自分の内側を見る為に、
気付く為に、
善悪判断をしている人を引き寄せたとも言えます。
 
善悪二元論というのは、
善いという見方と悪いという見方が別々に存在している様に、
捉えている状態で、
実際は一つの物事に対して、片側ずつしか見えていない状態です。
あることに対して、善い悪いとは思っていないから、
善悪判断してないでしょ!ということではなくて、
善悪とか優劣を付けて判断している状態です。
 
悪いという風には思わないけど、
不快とは感じるのよ!という場合、
不快と不快でないもの(心地良いとか好きとか)を、
比較していて、不快なものは悪い、そうでなければ善いと、
やっぱり善悪判断をしています。
善い悪いを使わないから、善悪判断をしていない!
という訳ではないんだよね。
二つの状態を比較して、優劣を付けている、
どっちかが善いのだと決めつけている状態を、
善悪二元論と伝えています。
 
不快と感じるのも、不快ではないと感じるのも、
どちらでも善いのですが、
(単なる感情だから)
そう感じる理由があるのだ、
それは自分自身の中に、そうでなくてはいけない、
決まりがあるのだということに気付く為には、
内観が必要です。
 
内観する時には、
不快だと感じたなら、
どうして不快と感じたの?と、
自分に問いかけていく必要があります。
不快だから必要ないんだと決める前に、
不快という見方しか出来ないのは、
どうしてかな?別の見方を自分に許す事は出来ないのかな?
と自分の内側を確かめてみるのです。
 
これを行なわないと、
結局ひっくり返すこと、
引き寄せの作用点の転換が行なえません。
否定拒絶して、遠ざけようとしてしまうので、
いい気分を感じることは出来ないのです。
 
 
引き寄せの法則の働き方として、
自分がいい気分でいる時には、
何かあったとしても、
ポジティブな肯定的な見方、捉え方をして、
いい気分を持続させられることが多く、
いい気分でない時には、
同じ出来事でもネガティブな否定的な見方、
捉え方をすることが多くなります。
 
いい気分だからいい気分に合ったものを、
引き寄せられるという面と、
いい気分だから肯定的に捉えて、
またいい気分に合った引き寄せのきっかけになる、
という流れが出来ます。
 
いい気分でない時にはその逆で、
いい気分にはなれない様なことが引き寄せられ、
何を見ても否定的に捉えて、
またいい気分になれない様な引き寄せのきかっけになる、
という流れが出来ます。
 
いい気分か?いい気分でないか?というところを見ると、
どんな引き寄せが起きて来るのかが分かるので、
いい気分でない時には、
いい気分になれる様な捉え方、見方に変えて、
引き寄せの作用点を変える様にします。
自分の気分をいつも客観的に眺める様にして、
現実化する前に素早く、柔軟に対応し続けることで、
いい気分になれる様な引き寄せを持続させることが出来ます。
 
わたしたちは「欲する」とか「望む」という言葉を、
「ある対象に関心あるいは思考を向け、
同時に明るい前向きの感情を体験する」
という意味で使うことにする。

ある対象に関心を向け、
そのことに明るい前向きな感情だけを覚えるなら、
その対象はすぐあなたの経験のなかに
現れるだろう。

だが聞いていると、
物質世界にいるあなたがたは
「欲する」とか「望む」という言葉を使いつつ、
でも実現するはずないと
「疑い」や「不安」を抱いている場合がある。

だが、わたしたちの見るところ、
暗いネガティブな感情を抱きながら
純粋に何かを望むことはできないのだ。

純粋な欲求は常に明るい前向きな感情を伴う。

この点では「欲する」とか「望む」という言葉の
使い方で、
わたしたちに同意できない人たちがいるかもしれない。

そういう人たちは、「欲する」というのは
欠如しているという意味でもあるから、
この言葉は矛盾しているではないか、と言う。

わたしたちもそう思う。

だが問題は言葉やレッテルにはなく、
その言葉で表現している感情の状態にある。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
”わたしたちは「欲する」とか「望む」という言葉を、
「ある対象に関心あるいは思考を向け、
同時に明るい前向きの感情を体験する」
という意味で使うことにする。
ある対象に関心を向け、
そのことに明るい前向きな感情だけを覚えるなら、
その対象はすぐあなたの経験のなかに
現れるだろう。”
”純粋な欲求は常に明るい前向きな感情を伴なう。”
という箇所について、
明るい前向きな感情の時というのは、
下記でご紹介した、
 
例えば何かが起こり、
あなたはもっとうまくやれたはずだとか、
自分は愚かだった、
自分はダメな人間だと考えたとする。

しかし、あなたは立派にやっている、
あなたは賢明だし、
永遠に価値ある存在だというのが
「内なる存在」の見方だから、
あなたとあなたの「内なる存在」の見方には
決定的な不一致が生じる。

それであなたはその不一致を
「ネガティブな暗い感情」という形で感じ取る。

一方、あなたがプライドを持ち、
自分自身や誰かを愛しているとき、
あなたの見方は
「内なる存在」のそれにずっと近くなるから、
誇りや愛情や感謝という「明るい前向きの感情」を抱く。
 
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著) より
 
”あなたがプライドを持ち、
自分自身や誰かを愛しているとき、
あなたの見方は
「内なる存在」のそれにずっと近くなるから、
誇りや愛情や感謝という「明るい前向きの感情」を抱く。”
という箇所と同じですよね。
 
”自分自身や誰かを愛している”という状態で、
肯定的に全てを受け止めている状態ですね。
これを単にワクワクする!と翻訳しているのが、
引き寄せ界隈だと思います。
自分自身や誰かを愛している時というのは、
誰かを変えようとしたり、避けようとしたり、
という状態ではありません。
 
”でも実現するはずないと
「疑い」や「不安」を抱いている場合がある。
だが、わたしたちの見るところ、
暗いネガティブな感情を抱きながら
純粋に何かを望むことはできないのだ。”
という箇所と、
”例えば何かが起こり、
あなたはもっとうまくやれたはずだとか、
自分は愚かだった、
自分はダメな人間だと考えたとする。”
”それであなたはその不一致を
「ネガティブな暗い感情」という形で感じ取る。”
という箇所も同じことですよね。
望みの方に向いていない時は、
自分を否定的に捉えていて、
その考え方によってネガティブな暗い感情になっています。
いい気分ではないので、
いい気分になる様な考え方を見つけます。
 
前向きな感情と
ネガティブな感情の違いがときに微妙であるように、
欲することと必要とすることとの違いも
非常に微妙な場合があることを覚えていよう。

自分が欲することに焦点を定めていると、
「内なる存在」は前向きの明るい感情を送ってくる。

必要なことに焦点を定めていると、
欲することに焦点を定めているのではないから、
「内なる存在」はネガティブな暗い感情を送ってくる。

そのときあなたは欲することの「欠落」に
焦点を定めている。

そして「内なる存在」は
あなたの思考が対象を引き寄せることを
知っている。

「内なる存在」はあなたが欠落を
望んでいないことを知っている。

「内なる存在」は
あなたが何を欲しているかを知っていて、
その違いをわからせようと指針を送ってくる。

解決策に焦点を定めているときには、
前向きの明るい気持ちになる。

問題に焦点を定めていると、
ネガティブな暗い気持ちになる。

その違いは微妙だが重要だ。

なぜなら前向きの明るい気持ちでいるときには、
欲していることを経験に引き寄せているのだから。

ネガティブな暗い気持ちでいるときには、
望まないことを経験に引き寄せている。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
”あなたがプライドを持ち、
自分自身や誰かを愛しているとき、
あなたの見方は
「内なる存在」のそれにずっと近くなるから、
誇りや愛情や感謝という「明るい前向きの感情」を抱く。”
という状態なのは、
”自分が欲することに焦点を定めている”とき、
”解決策に焦点を定めているとき”
になります。
この”前向きの明るい気持ちでいるときには、
欲していることを経験に引き寄せている”ことになります。
 
”例えば何かが起こり、
あなたはもっとうまくやれたはずだとか、
自分は愚かだった、
自分はダメな人間だと考えたとする。”
”それであなたはその不一致を
「ネガティブな暗い感情」という形で感じ取る。”
という状態なのは、

”欲することの「欠落」に焦点を定めている”とき、

”問題に焦点を定めている”とき、
になります。
”望まないことを経験に引き寄せている”ことになります。
 
あるものごととか誰かに対して、
いい気分なのか、いい気分でないのか、
という自分の感情に目を向けて、
いい気分でない時には、
その捉え方を変えるということをします。
この捉え方を変えた時、
自分やその他の存在や出来事を肯定的に捉えています。
 
「欲する」とか「望む」という言葉で、
ここでは表現されていますけれども、
「自分はどうしたいのかな?」という問いかけで、
欲するものや望むものが見えてきます。
 
幸せになりたいのか?不幸になりたいのか?
健康になりたいのか?病気になりたいのか?
お金持ちになりたいのか?貧乏になりたいのか?
どっちがいい気分がして、どっちがいい気分がしないのか?
という差は分かると思います。
 
私の経験から言うと、
究極に追い詰められた時ほど、
「こうしたい!」「これが欲しい!」という、
どうしても譲れないものが出てきます。
 
少し前に、うとうと寝て居たら、
物凄い大きな音の雷が鳴って、
びっくりして飛び起きたことがありました。
この時、寝ぼけていたので、
雷ではなくて、この世の終わりがやってきて、
地面が割れて大きな地震が来たのだと勘違いしました。
それで大声で悲鳴を上げてしまいました。
(近所迷惑になりそうなくらい)
雷だと分かってホッとしたのだけど、
私って人生あきらめているつもりだったけど、
「まだ死にたくない!」と思ったので、
まだまだ終わりにしたくないんだ!と、
よく分かりました。
この場合、「死にたくない!」と考えると、
恐怖心を伴なってネガティブな感情になります。
「生きたい!」と考えると、
明るくポジティブな感情になります。
 
何かのきっかけで本心が湧き出るんですね。
その時に自分の思考の方向を確認して、
ネガティブな方へ向いていたら、
ひっくり返すようにします。

 

先日、きゅうりの糠漬けを作ろう!と思い立って、

きゅうりを漬けました。

娘に出したら、「わぁ!きゅうりの糠漬けが食べたい!と、

思っていたところなんだ!」と大喜びしました。

 

そう言われてびっくりしたのだけど、

私はどうしてもきゅうりの糠漬けが作りたいわ!と強く思って、

とにかく作りたくて仕方ないんだけど、

とても前向きで楽しい気分だったのよね。

 

これは、娘が食べたいと思ったから、

私が作りたくなったのか…。

私が作りたくなったから娘が食べたくなったのか…。

(卵が先か…鶏が先か…のやつです)

 

この特殊能力(?)は私も子どもの頃にあって、

学校で今日はハンバーグが食べたいな!と、

味や匂いまで強烈に具体的に想像している時、

(お腹が空いちゃう!)

必ずその日のメニューになっていて食べることが出来ました。

 

いつも、私が食べたいと思ったから、

お母さんが作ってくれたのかな?

お母さんが作ろうと思ったから、

私は食べたくなったのかしら…と不思議に思っていました。

 

人のなかには「欲する対象への波動」と
「欲するが欠落している対象への波動」があり、
経験はすべて支配的な波動と一致している。

例外はない。

「調和」という言葉で考えてみよう。
二人がまったく同じなら、
両者の意図は満たされない。

言い換えれば、
売りたい者と売りたい者が一緒にいても
うまくいかない。

だが、
買いたい者を引き寄せれば「調和」がもたらされる。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

きゅうりの糠漬けが食べたい!「欲する対象への波動」と
きゅうりの糠漬けが作りたい!「欲するが欠落している対象への波動」

ということでしょうかね?

この時、私がきゅうりの糠漬けを食べたいのだから、

ママ作ってよ!とか、ママが作りたくなったらいいのに!

という風には娘は思っていなくて、

(まぁ作るのは私なんだけど)

「私はきゅうりの糠漬けが食べたい!」と思っていたということ。

そして私も、娘に食べさせたいから作ろうではなくて、

きゅうりの糠漬けが作りたい!とまず思ったということ。

(ペロっと食べるのは娘なんだけど)

相手をどうにかしようではなくて、

私はこうしたい!と思っていました。

 

 

子どもたちが小さい頃に、

声かけをどうしたらいいのか?ということを、

試行錯誤していて、育児系の情報から、

「肯定語 否定語」というものを、

「Iメッセージ YOUメッセージ」というものと、
知りました。

 

これは引き寄せや霊的な学びにも

役立つ知識だと思うので、

調べてみるのをオススメします。

 

「肯定語 否定語」というのは、

「○○しちゃダメ!」と否定するのではなくて、

「〇〇しよう!」」と肯定する形にするということです。

 

「走っちゃ駄目よ!」ではなくて、

「歩こうね」とか、「ゆっくり行こう」と言い換えてみる、

みたいな感じです。

時間がある時に、こういう場合はどう言ったらいいのかな?

これは否定語かな?肯定語かな?と、

随分悩みました。

咄嗟に出る言葉というのは、否定語が多いんだよね。

 

二十の宇宙法則について16という記事では、

否定消極の法則をご紹介しました。

 

(十六)否定消極の法則

人間そのものは、否定的力によって
自己が断続的奴隷状態にある責任をとる、
唯一の表現物である。

否定消極は、否定消極の上に育ち成長する。

だから人間の否定的想念が
自分自身の中に否定消極を育て成長させ、
それに応じて自己を強く、より強く束縛する。

この問題を解決するには、
自分のこころをいつも積極的調和的思念で
充満しておくことである。 

 

「秘教真義」(M・ドーリル博士著) より

 

放っておくと勝手に否定的な思考になってしまうので、

いつも意識的に肯定的に捉える様にする必要があります。

この肯定的というのは、

ネガティブな気分になりやすいから、

いつもポジティブなことを考えよう!という意味ではなくて、

ものごとの否定的なネガティブな側面で捉えやすいので、

ひっくり返して肯定的なポジティブな側面で、

捉えるようにしましょうということです。

 
 

「Iメッセージ YOUメッセージ」というのは、

私を主語にして話すか、

あなたを主語にして話すかということです。

 

何かを伝える時に、

「私は〇〇したい」「私は〇〇だと思う」

という風に私を主語にするか、

「あなたは〇〇して」「あなたは〇〇だ」

という風にあなたを主語にするかで違います。

 

自分軸か?他人軸か?ということになるのだけど、

何かを解決する時に、

自分がこうしたいのだと考えるのか、

あなたがこうしてくれたらいいのにと考えるのか、

という感じです。

 

「あなたの態度が酷いわ!」ではなくて

「私は傷付いたわ」と言うとか。

「黙ってよ!」ではなくて、

「私は静かにしたいの」と言うとか。

 

自分軸と他人軸についてという記事を書きましたが、

自分で自分をコントロールするのか、

他者をコントロールしようとするのかの違いと、

私は解釈していますが、

相手を動かそうとするのか、自分の気持ちを伝えるのか、

同じことを伝えようとしても違ってきます。

 

例えば、

「彼が私に優しくしてくれることを望む」

「彼女が嫌な態度を取らないことを望む(否定語込み)」

「彼が怒ってないって分かることを望む(否定語込み)」

「彼が確実に私を好きって分かることを望む」

というのって、

あいつがー!こいつがー!ばっかりですよね!

 

この場合、

「彼が私に優しくしてくれなかったら嫌だ」

「彼女が嫌な態度を取ったら嫌だ」

「彼が怒ってたら嫌だ」

「彼が確実に私を好きでないと嫌だ」

ということになりますよね。

 

でも、私を主語にして、

 

「私は自分を大事にしたい、優しくしたい」

「私は他の人と楽しく過ごしたい」

「私は穏やかに過ごしたい」

「私は自分を愛したい」

という感じで言い換えてみることも出来るのです。

 

「彼が私に優しくしてくれることを望む」

ということは、私はどうしたいってこと?
というところまで内観して(望み出し?ですか???)
自分を主語に置き換えた形にして、
思考を向けるようにします。

 

「彼が私に優しくしてくれることを望む」

と考えた時と、
「私は自分を大事にしたい優しくしたいんだ!」
と考えた時と、どっちの方が、
いい気分がしますか?
 
彼が!と考えた時に、自分の主導権を、
誰かに明け渡している様な、不安な気持ち、
情けない気持ちになりませんかね?
私が!と考えた時に、
明るい強い気持ちになりませんか?
 

自分の望みを誰かに叶えてもらうことで、

得ようとするのではなくて、

私はどうしたいのか?という部分に意識を向けるのです。

 
 

この違いが分からない、引き寄せカウンセラーは、

多いですね!

(ここを読んでいるあなたのことですけどね!)

 

弁解する様なツイートを繰り返す人もいますが、

私は誰にでも読める様にこのブログ記事を公開していますので、

もしかしたらお客さんたちも読んでいるかもしれない、

という風に、少し視野を拡げることをおススメします。

 

何か間違えたな?と感じたら、

 

ごめんなさいと謝って、

直ぐに方向転換する、

素直さ、柔軟性はとても大事です。

 

他者をコントロールしようとする、

という意識を持っている引き寄せ界隈の人は、

元々、念が強いというのかな…、

ご自身も引き寄せ力が強い!と思っているのでは?と、

感じますけれども…。

 

例えば、あの人嫌い!と思った人が、

遠くへ行ったり、良くないことが起きたりしていませんか?

私の引き寄せのお陰だわ!と思っていますか?

 

こういう人は、

引き寄せの法則を、悪用していて、

中には生霊を飛ばしている人も、結構います。

執着心が強いんですよ。

そして、相手のせいだ、相手を変えようという発想をします。

 

人を呪わば穴二つと言いますが、

生霊を飛ばすのは、

魂が身体から抜けかかっている状態なので、

最終的には大病を患って死んだり、

事故に遭って入院したりという様な形で、

ツケを払うことになります。

 

自分の思考のコントロールというのはとても重要で、

法則を使える様になればなるほど、

注意して観察する必要が出てきます。

そうしないと、自分の命に関わることになるからです。

 

こちらも気付いているので忠告していますが…。

 

ここを読まないという選択肢もあることを、

思い出して下さいね!

腹を立てて逆恨みする状態が、

自分にとっていい気分なのか?

内観してみて下さいね。

どうなんでしょうね…。