「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)

という本を読みながら、

エイブラハムという霊的なグループが伝えてくる、

「引き寄せの法則」と呼ばれるものについて、まとめて書いています。

 

鵜呑みにしないで検証しましょう

宇宙の法則の定義(エイブラハム)

引き寄せの法則とは何か?(エイブラハム)

思考と引き寄せの法則の関係(エイブラハム)

思考と現実の関係(エイブラハム)

という記事の続きです。
 
「引き寄せの法則」について、
エイブラハムたちは、
「それ自身に似たものを引き寄せる」
「類は友を呼ぶ」ということだと伝えていますが、

相反するものが引き合う、

プラスがマイナスを引きつけるという性質についても、
似たものを引き寄せているんだよ!と言ってます。
 
感情を観察すると、
思考の方向が分かるのですが、

自分が欲する、望む方向に向いている時、

解決策に焦点を定めている時、
プライドを持ち、
自分自身や誰かを愛している時、
誇りや愛情や感謝という「明るい前向きの感情」になっている、
いい気分がします。
ものごとの肯定的な側面を見ている、
肯定的に捉えている状態です。
 
欲することや望みが実現するはずないと、
疑いや不安を抱いている時、
欠如していると感じる時、
欠落に焦点を定めている時、
自分はもっとうまくやれたはずだとか、
自分は愚かだった、
自分はダメな人間だと考えている時、
ネガティブな暗い感情という形で感じ取り、
いい気分がしません。

ものごとの否定的な側面を見ている、

否定的に捉えている状態です。
 
いい気分でない時には、
思考を変えるのだけれども、
 
関心を向けると、対象があなたの波動に取り込まれる。

関心や認識が長期間持続すると、
対象が「引き寄せの法則」によって
あなたの経験のなかに取り込まれる。

「ノー」はあり得ない。

もっとはっきり言うなら、あなたが何かを見て
「ノー、そんな経験はしたくない、消えてくれ!」
と思ったとしても、実際にはあなたはそれを自分の経験のなかに
呼び込んでいる。

万有引力を基盤としたこの宇宙では、「ノー」はないのだ。

関心を向けるのは、
「イエス、望まないことよ、わたしのほうへおいで!」
と言っているのと同じことなのだ。
 
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
という仕組みになっているので、
肯定語で考えるのか?否定語で考えるのか?と言ったら、
肯定語で考えるようにしましょう。
 
それから、
エイブラハムたちが伝える、三つの宇宙法則の

第三の法則が「許容し可能にする術」だそうですが、

 

第三の「許容し可能にする術」というのは、
「わたしがありのままのわたしで、
他者がありのままの他者であることを許容し、
可能にしよう」ということだ。

たとえ他者がありのままのあなたを認めなくても、
他者がありのままであることをあなたが認めるなら、
あなたは「許容し可能にする者」になる。

だが、まずなぜ自分の今の人生があるのかを
理解しなければ「許容し可能にする者」にはなれない。

あなたが思考を通じて(あるいは関心を向けることを通じて)
他者を自分の人生に招き入れなければ、
他者はあなたの経験の一部にはならないし、
あなたが思考を通じて(あるいは観察することを通じて)
ある状況を人生に招き入れなければ、
その状況はあなたの経験の一部にはならない。

そのことを理解できたときに初めて、
あなたはこの人生の表現へと身を投じたときに望んでいた
「許容し可能にする者」になれる。

この三つの強力な「宇宙の法則」を理解し、
意識して応用できれば、
あなたは喜びに満ちて自由に、思いどおりの人生経験を
創造できる。

人生で出会う人も状況も出来事もすべて、
あなたが自分の思考を通じて
経験のなかに招き入れたのだということが理解できれば、
この物質世界の身体に宿る決意をしたときに
意図したとおりの人生を送れるようになるだろう。

だから力強い「引き寄せの法則」を理解し、
自分の人生経験を
「意図的に創造」しようという意志を持てば、
いずれは「許容し可能にする術」の完全な理解と
応用だけが生み出す比類ない自由に導かれる

 

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 
とあります様に、
他人をコントロールして、自分の望みを叶えるのではなくて、
自分をコントロールする必要があります。
 
考え方は、主語をあなたや彼や彼女にはしないで、
いつも私にする様にします。
 
「私は!」と自分を主軸にした時、
自分に責任が発生するのを感じ取れるでしょうか?
もう誰かや何かのせいにすることは出来なくて、
自分で選択したことなのだと、逃げ場所がなくなります。
 
これが大事な部分で、
原因と結果の法則もありますので、
自分が選ぶこと、責任が生じることも、
しっかり意識していきましょう。
 
霊的なガイドたちも、
こうしなさいとか、こっちを選びなさいとか、
何かをやらせるとかはしません。
いつも、ヒントはくれるけれども、
「あなたはどうしたいの?」と、問いかけます。

自分で選ぶのだけれども、結果的に、

やることになるのよねーみたいな感じで、
やらされているのです!
という人は悪いものに取り憑かれていますよ!
 
この「私はこうしたいのだ!」というのを、
見つけるのは結構大変で、
あれはヤダ、これもヤダと、
やりたくないことは沢山見つかったり、
あの人がこうすればいいのに、
あれさえ変わればいいのにといった、
周りさえ変われば上手くいく、
という様な考えは簡単に見つかります。
 
それをひっくり返して、
自分を主軸にして、
肯定的な言葉で、
自分の欲することや望みを考えるのです。
 
私は結構難しいことが多く練習が必要だと感じます。
言われた事を言われた通りにやるとか、
誰かのせいにするとか、
否定する方が楽なんですよね。
 
いきなりひっくり返すよりは、
少しずつましだなと思える様な考えを出していって、
反対側に動かしていくのがいいと思います。
 
 
思考をひっくり返す時には、
ものごとには肯定的な側面と否定的な側面の、
両方がいつもあるということ、
肯定的な見方も出来るし、否定的な見方も出来ることを、
理解しましょう。
よくあるパターンとしては、
否定的に捉えていることと、
別の肯定的に捉えていることを比較してしまうことです。
 
一つのものごとに対して、
ひっくり返さないと、問題そのものは解決しません。

 

あなたがたのほとんどは、
現状(今の状態)に圧倒的な関心を向けているが、
それでは変化は起こらないか、
起こっても非常に遅いだろう。

いろいろな人々があなたの人生には
現れるだろうが、
経験のエッセンスというか
テーマはほとんど変化しないだろう。

人生に前向きの変化を引き起こすには、
現状を
─それにほかの人たちのあなたに対する見方を─
無視して、
望ましい完璧な状態に関心を
振り向ける必要がある。

慣れてくると、法則の作用点を変更して
人生経験をがらりと変えることができるようになる。

病人は元気になるし、
豊かさに欠ける人は豊かになるし、
困った人間関係の代わりに
良好な人間関係を結ぶことができ、
混乱に明晰さがとって代わる、
などということだ。

今の自分に起こっていることを
ただ眺めるのではなく、
意図的に思考を方向づけることで、
「引き寄せの法則」が働く波動のパターンを変える
きっかけが生まれる。

やがて、あなたが今思っているよりはずっと楽に
─あなたに対する他人の見方に応えるのではなく─
過去や現在とは違う未来を創造できるようになる。

もう他人が見るあなたに留まらず、
自分自身の経験を
意図的に力強く創り出す創造者になれるのだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

上記がよく現実無視と言われるところだと思います。
 
思考の結果が現実として現れる、という仕組みになっていて、
現実というのは、先にあった思考の結果なので、
その起こってしまった現実をどうにかしようとしても、
根本的な原因にはアプローチしていません。
だから、現実に振り回されない様に、
自分の内側の原因を探る様にするのです。
 
この現実無視のパターンとして、
善いイメージを自分に創る、
欲しいものや望みをイメージするといった、
トレーニング的な場合と、
今、実際に目の前で起きていることに対して、
対処する場合があると思います。
 
イメージトレーニングも重要ですが、
これはまた別の記事に書こうと思います。
 
間違えやすいのが、
今、実際に目の前で起きていることに対して、
対処する場合にも、
イメージトレーニングに入ってしまうというか、
いい気分で妄想に浸ると解釈することだと思います。
 
理性的に生きることという記事を書きましたが、
「秘教真義」(M・ドーリル博士著)から下記をご紹介しています。
 
求道にはげむ人々にとっての最良の利器は、
理性の力の発達である。

理性の発達がなければ、
我々が大師を発見しようと望むべくもない。

多くの宗教教師は、理性は信仰によって
克服されるべきであると主張するが、
それは、論理的に全く矛盾する。

人間が真実と虚偽とを見分けることの出来る
唯一の力が理性の働きなのである。

もし、我々がこの理性能力を除外すると、
我々は識別判断能力を失ない、
何を信ずべきかも決めることが出来ないのである。

我々の肉体の心は、
理性の優越性を欠くと感情的となり、
心が動揺ばかり続けていて、
物ごとの本質を明確に見ることが出来なくなる。

だから信仰信念だけでは
絶対に神を見出すことは出来ないのである。

我々の身近の自然現象を見ても、
そこには完全な調和と法則とが働いていることがわかる。

四季はその順序に従って変化する。

植物が芽ばえ、花開き、しぼみ、種子を地に落す。

こんどはその種子があくる年に新しい生命として
芽ばえるというわけである。

植物は向日性をもっていて、
いつも太陽光線を最大限に吸収する様になっている。

ちょっと気をつけてみると、至るところに
正確性と理性の力とが働いていることに気付くのである。

それなのに我々は、神は理性にもとずかず、
神の盲目の信で森羅万象を創造したのだと教えられている。

我々人間が自己の理性を使うまいとすれば、
それは自分自身を神から遠ざけ離すことになるのである。

我々が何ごとをなすにも、例えば田を耕し、
家を建てる様な場合を考えてみても、
こうすればこうなるという風に
理性を使ってやっているのである。

自己の理性能力によって、農夫は、いつ種をまき、
いつ取り入れをするかを知るのである。

この理性の力は、教育により、
経験・観察によって伸びるものであるにも拘らず、
我々が神を理解する場合には、
理性を使わず、目を閉じたまま、
盲人の様に道を歩くのである。
 
”我々の肉体の心は、
理性の優越性を欠くと感情的となり、
心が動揺ばかり続けていて、
物ごとの本質を明確に見ることが出来なくなる。”
とありますが、
思考を監視しないで、感情を見るという時、
感情のままに生きる!という風には言っていませんよね。
 
自分が今、何を感じているのかな?と、
観察するということは、
理性的になるということでもあります。
客観視出来ない状態だと、
感情のままに心が動揺ばかり続けてしまう状態になります。
 
現実を無視するというのは、
目の前の現実に目を瞑って見ない様にして、
妄想の世界に生きるということではなくて、
その起きた現象そのものに動じない、
冷静に客観的に、それに対して、
自分はどう感じているのかな?と観察してみる、
ということです。
 
現実というのは、言い換えれば、
自分の内側の反映であり、鏡です。
引き寄せの法則や原因と結果の法則といった、
様々な法則が働いた結果であり、
元は自分が種を蒔いたものである、
ということと、
それに対する反応というのも、
自分自身の内面によるものである、
ということになります。
もしいい気分でいるなら、
肯定的に捉えられるし、
いい気分でなかったら否定的に捉えてしまう、
ということが起きてきます。
 
 
私は下記の実験の話が好きなのだけれども、
 
催眠は、催眠実験の方向に従っておこるのである。

例えば医師が氷を取って催眠状の人の腕において、
赤熱の鉄をおいたと言えるのである。

そうすると、そこに火傷現象がおこり、
本当に焼けた鉄をあてた様に火ぶくれが生ずるのである。

これはもう何百回となく実験されているのである。

氷は火傷を起せないが、
その人の想念が焼くのである。

彼は自分の想念を働かせて、
それを存在する様にしたのである。

それから、その催眠状にある人が、
そこにはもう赤熱の火球がなくなったと言われると、
そこにはもう火熱も火傷も火ぶくれも
なくなってしまうのである。

彼はそれは氷だったと告げられたのである。

彼が実際のことに気付くと、
火傷も火ぶくれも魔法の様に消えてしまうのである。

根本的なことは、ことばそのものには、
個人の意志と意識とによって、
それに力を与えない限りは、
何らの力もないのだということを
この催眠の例が証明しているのである。

「ヨガの真義」(M・ドーリル博士著)より

 

これについては、

私も何度か手に出来た火傷を内観することによって、

治療したことがあります。

ちょっとした水ぶくれ程度だけれども、

氷をつけてもこれは熱いものだと思い込むと、

火傷してしまうことがあるんだよね、

思考が現実を創っているんだよね、

という風に思い出して、

だから逆に、

私は熱いものを触った時に火傷が出来ると信じているから、

皮膚に火傷を創ったんだなと考えました。

自分が信じていることが現実になって、

自分の身体にまで影響を与えているんだな。

私の思考を変えた途端に、火傷が治るということも、

起こるんだな。

そういう実験は沢山されているんだな。

といったことが、

本当にそうだと確信を持てた時に、

水ぶくれがなくなりました。

 

後、切り傷も内観して治ったことがあります。

思考を変えると、

変えた途端に、現実にすぐ反映されるのです。

傷や火傷が消えるということが起きます。

 

だからといって、

他人の火傷を治してあげようとか思わないし、

ヒーリングします!とかもやらないし、

毎回毎回そうやって火傷を治せる自信もありません。

 

私が本当にそうだと感じたことだけ、

納得出来たことだけが、現実になるのです。

そして、火傷はそうやって治せばいいよ!と、

オススメしている訳でもないですからね!

 

面白いなという話で、

火傷になった時に、冷やす派の人と、

温める派の人がいて、

どっちも効果が出るみたいです。

私は、

その人が信じていることが現実になるという風に、

解釈しています。

 

これは、例えば、

火傷が出来てしまったら、あの薬を塗って、

〇日経ったら治ると思い込んでいるとしたら、

そうでない方法もあるかもしれない、

と別の思考を取り入れるきっかけになるのでは?と思います。

 

氷を当てて火傷を創る実験の話はすごく面白くて、

真実だと自分に取り入れることが出来たから、

自分の現実にも反映させることが出来たのね。

 

「引き寄せの法則」のおかげで
似たような思考があなたのもとに集まり、
思考はますます強力になる。

そして強力になればなるほど
─現象化が近づけば近づくほど─
そのときに覚える感情も比例して大きくなる。

あなたが望む対象に焦点を定め、
「引き寄せの法則」によって
似たような思考がどんどん引き寄せられると、
あなたの感情はますます明るく肯定的になる。

だから対象への関心を増やせば、
創造のスピードを速めることができる。

あとは「引き寄せの法則」が働いて、
あなたの思考の対象のエッセンスを
引き寄せてくれる。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

これはそうだと大きく感情が動いて、

本当のことだと信じられると、

現実にすぐ反映されます。

 

娘を出産してすぐに、

脳神経科の先生に呼び出されて、

脊椎に障害がある可能性があって、

脳に影響を与えて、将来半身不随になる可能性がありますと、

話されたことがあります。

 

私の家族は大騒ぎで、とんでもない子を産んでくれた!

母体に原因がある、お前のせいだ!と、

散々責められました。

どうしてくれるんだ!障害児なんか産んで!と。

あんな苦しい思いをして産んで、

母親のせいだなんだと、こんな風に責められるのか!と、

呆然としました。

でも、内観して、

私は娘を授かって本当に嬉しいし、

自分で子どもが欲しいと決めたし、

後悔はないし、

娘も私を母親として選んで産まれてきてくれたのだから、

何が起きてもきっと意味があるんだ。

私は全てを受け入れるし、恨んだり怒ったりしない。

覚悟を決めて娘を育てようと思ったのね。

 

退院後、大学病院とか小児科の先生にも診断してもらったのだけど、

どうしてそんなことを言われたのか分からない、

まったく異常なんかない、

何の心配もいらないと言われて、

その後も順調に成長して元気に育っています。

 

私の遺伝で、熱性けいれんを何度も起こした為、

脳波の検査を何年もしたので、

脳神経科にはずっと通院していたのだけど。

 

大難が小難になったというか、

私が覚悟を決めなかった場合と、

覚悟を決めた場合の二つの現実を、

実際に目でみて比較できるわけではないので、

例えば霊的な面を考えないのなら、

誤診でよかったねとなると思うのだけど。

私は大きな選択をした、

現実がひっくり返ったと感じたのね。

(霊的な分かれ道だと感じた)

 

また別のパターンだと、

息子が公園でボール遊びをしていたら、

退屈した友達が石を投げだして、

息子の顔に当たって、大出血したことがあったのね。

 

私は、その時、公園にいたので、

慌てておんぶをして近所の整形外科に連れて行きました。

 

その日はとても風が強かったのだけど、

ある古い風の神様を祀っていて、

伝説がある神社を参拝した後で、

恐怖心でいっぱいになりました。

 

もしかしてあの神社に行ったせいで、

祟りか何かが起きたのかもしれない。

私が神社参拝なんて訳の分からないことをしているせいで、

子どもが怪我をしたのではないか?

といった感じでずっと自問自答をしていたのだけど、

でもやっぱり、自分が今までしてきたこと、

あの神社をどうしても参拝する必要があると感じて、

行く選択をしたこと、

霊的なガイド達のこと、

全てが嘘や幻想で、思い込みで、

間違ったことだとは思えない。

この出来事を悪い事にはしたくない。

自分が現実を創っているのだし、

全ては上手く行っていて、

偶然なんて一つもないのだから、

私は神や宇宙や自分を信じる方を選択するし、

どんな結果になっても受け止める!

そう覚悟したのね。

 

病院に行ったら、子どもが怪我している!

大変だ!と騒然となったのだけど、

もしかしたら手術とか?みたいにドキドキしたのだけど、

先生が処置をしたら、

「なんだこれ、絆創膏貼っときゃ治るよ!

よかったね!」と笑って、

目の下をちょこっと切っただけだったのよね。

結局、笑い話になっちゃって。

気が抜けたというか、びっくりしました。

 

でも、もし万一、当たった場所が悪かったら、

目を傷つけていて、

とんでもない結果になっていたかもしれないから、

私は最初、風が吹いていたせいで、

息子に石が当たって怪我をしたと思ったけれども、

息子に当たる石が風のお陰でズレて、

大怪我にはならなかったという風にも解釈出来るなと。

そう考えると、

風の神様を参拝したことも、

逆に守って貰えたのかもしれないと思えたし、

何故かその日は、どうしても息子が遊んでいる公園に、

一緒に行かなきゃと思って、

娘を連れていったので、

もしあの場に私がいなかったら、

もっと大変だったと思うから、

全てが完璧な流れで上手くいっていたんだ、

と言う風に思えたのね。

 

これも、私が覚悟していない現実と、

覚悟した現実を比較できないので、

大袈裟に騒いだだけで、大した怪我じゃなかった、

ということでしょ?という解釈も出来るのだけど、

私は受け入れて腹を括った瞬間に、

ひっくり返ったと感じられたのよね。

 

その後、息子は自分が怪我をしたという経験で、

怪我をさせた友達のことを、

あれこれ想像して、

怪我をした方はそのうち治るけれども、

怪我をさせた方は心に傷が出来て、

これから先も苦しい思いをするかもしれないね、

という様な話をして、

相手の立場を思いやるとか、

許しといったことを学ばせてもらいました。

すごく貴重な経験で、大きく成長したんだよね。

 

私は受け入れる、許すということが、

現実もひっくり返すことが出来るポイントだと思っていて、

それを実際に目の前の現実が変わるという形で、

経験をしています。

感情が大きく動いて、本当にその通りだと、

納得した時に、すぐ現実に反映されます。

 
なので、以前ご紹介しましたが、

 

新約聖書でイエスは、パリサイ人について、
「彼らは大通りの町角に立って、
額に聖句箱をつけ(”聖書の真義”参照・霞ヶ関書房)
紫の衣を着て、朝・昼・晩と祈っている」
と言っておられる。

彼らは多く喋り、祈ることによって
聞かれると思っている。

彼らの空しいくり返しに驚くな。
それは何一つ効を奏しないのだ。

世界には多くの宗教的な組織や団体があって、
皆さんに或ることを
くり返しくり返しとなえなさい
と教えている。

そうするとあなたの潜在能力が
あなたの人生を変えると思っているのである。

それだから、彼らは或る言葉や文句を
反復また反復してとなえるのである。

それでも、多くの場合、何もおこらない。

それはなぜか。

それは、教師たちがあなたを
催眠状態にして、
あなたが実在していないと
よく分っていることを実在すると信じさせようと
しているのではないだろうか。

あらゆるものには、何事によらず、
いつだろうと、それ相当の存在の道理
というものがあるものである。

なぜかと言えば、
神はすべてのものを理性(ロゴス)によって
造られたのであり、人間はまた、
理性の力を与えられており、
いつでも使えるのである。

多くの心理学者や精神病医たちは、
形而上(宗教)的な瞑想法や説法やマントラムを
使って、クーエ教徒の様に
「毎日毎日、あらゆることが
益々よくなりつつある」と言わせるのである。

これは、形而上的・秘教的な
”力の語”をくり返しによって
使おうとしているのである。

クリスチャンサイエンスの人たちは、
我々に”わたしは幸福だ。
わたしは幸福だ、
わたしは幸福だ。
わたしは病気でない、
わたしは病気でない”
などと言えと教えてくれる。

では、あなたが健康の時に、
わたしは病気でないというだろうか。

あなたはしあわせな時に何か言わねば
ならないのだろうか。

もし、あなたが幸福である時は、
何も言わないであろう。

あなたが幸福でない時にだけ
”わたしはしあわせである”
と言うのである。

あなたが実際にしようとしていることは、
あなたが存在していないと
分っていることを自分自身に信じさせる様に、
心理的な自己催眠化なのである。

そして結局、実際にそうでなくても、
その反対のことを信ずる様になれるのである。

それは、心理的自己催眠なのである。

わたしはある英人貴族が
書いた本を持っているのを思い出した。

彼は、これこれしかじかの言葉を使うべきである。
あるいは、これこれのことをすべきである。
さすれば、あなたは偉大な治療家と
なるであろうと言っている。

その男はその本を書いてから
一箇月後に彼が治すことのできた病気によって亡くなった。

彼は自分自身で存在もしないことを信じていたのである。

うまくいった自己催眠は、苦しみをなくし、病気をなくする。

つまり、それがあるという感じをなくす。

それはその通りだが、
根本的な原因を除去しなければ、
病気はまだそこにあるのである。

「ヨガの真義」(M・ドーリル博士著)より

 

 

わたしのところへ、「あなたがたは確言をしないのですか」
と言ってくる人がいる。

わたしは、そんな人々に対しては、
「そうです。確言はすすめていません。
わたしは、その効果を信じないのです」と答えている。

「でも、誰々が確言を用いていますが」と言うが、
それはその人たちの自由なのである。

わたしはそれを信じないのである。

そこいらを歩き回って熱心に
「何々である、何々である、何々である」
と確言しているということ自体が、”何々でない”ことの証拠なのである。

ある人は「わたしは神の完全な子である。わたしは神の完全な子である」
とくり返し言っている。

彼らは、自分たちが神の子でないと思っているから、
その様に言うのである。

彼らが本当に神の子ならば、そんなことを言ってあるく必要は
ないのである。

実際に、人間は神の子なのである。

このことは、肉体の健康のことについても
ある程度応用されているのである。

一部の人々は、”そこいらを歩き回りながらでも
「わたしは健康だ。わたしは健康だ。
私は腹痛でない。わたしは腹痛でない」
とくり返し言いなさい”と教えている。

しかし、もし、その人が腹痛でなかったら、
何が彼の腹をいためているのだろうか。

彼が「腹が痛くない」と言い回っている限りは、
腹痛が続くのである。

そう言って歩くことが腹痛の事実を認め、
受け入れていることになるのである。

だから、我々ブラザーフッドでは、
その様なくり返しの”確言”を使用しないのである。

 

「療法の眞義」(M・ドーリル博士著)より

 

繰り返し繰り返し唱えたり、

アファメーションしたりすれば、現実が変わる!

というのも、

私としては、そこまでしなくても変わるよね?

と思うのです。

やりたい人は100回でも1000回でも唱えればいいのだし、

私たちは地球という学び舎で共に学ぶ生徒たちで、

自分の好きな方法を使って、

現実を創造する遊びをしていますので、

あなたはあなたのやり方でいいと思いますが、

それが唯一の絶対の方法ではないでしょう?と、

私はお伝えしたいと思います。

 

 

例えば、目の前の人達がみんな自分を笑っていて、

避けているような気がする、

みたいな不安で一杯の時に、

ちょっと待って、現実は私が創っているんだよね、

他人は自分が思っているほど、

私のことを気にしていないわ!

みんなが笑っている様に感じたり、

避けている様に感じるのは、

私が不安を抱えているせいだわ。

私が現実を創っているのなら、

この現実を変えることが出来るんだ。

そうなんだ!

ウォーター!!!

という風に確信した瞬間、

前の二人が急に振り返って、

「ねえねえ、〇〇について今、

二人で相談していたのだけど、

あなたはどうするの?」

という感じで、

ニコニコしながら話しかけられたのね。

今まで距離や壁があったように感じたのに、

急にそれが取っ払われて、

その前までのことがなかったように、

現実が変わったという感じがしました。

 

相手の機嫌を直そうとか、

仲良くしたいと考えて積極的に話しかけるとか、

そういう行動の前に、

目の前の現実に対して、

今、自分はどう感じているのか

それはどうしてなのか?と内観して、

受け入れて、自分の内側が反映されていることを、

認めて、どうしたいのか?という方に思考を向けると、

相手の人の態度も急に変わるということが起こります。

 

変われとか、別の態度を取る様に、

みたいな感じで、相手の言動をどうしようかと、

考えるのではなくて、

自分自身を観察して、自分の考えを変えると、

結果的に相手も変わるという感じね。

 

例えば怒っている人がいたら、

なんとかなだめようとするのではなくて、

どうして怒っている人を引き寄せたのかな?

怒っている人は私の何を反映しているのかな?

と言う風に内観して、

納得して、自分の思考を修正すると、

相手の人の怒る原因が一つなくなったので、

怒るという行動を取ったのは、

その人自身の責任で、その人の問題なんだけど、

二人で共同創造している現実だから、

こちらが変わることで、

必然的に相手も変わるということが起きるのよね。

 

内側を変えることで、外側が変わるというのを、

実践して確認するのを繰り返すと、

確信が持てるようになると思います。

 

銀河ネットワークさんの過去のブログ記事をご紹介しましたが、
本来私達はエネルギー的存在(意識的存在)で各個人は、
この宇宙で特定の領域座標を持って存在しています。
座標とは通常、x y z の3つの座標で表現しますが、
これらは、過去・未来・現在や
陰・陽・統合などに変換することも出来ます。

その中でも第三の軸z(現在・統合)がとても重要です。

そして、他にこれらの軸の背後全体に、
第四の軸(客観的領域・宇宙意識)も存在しています。

愛の周波数は銀河の意識レベルでは重要なエネルギーで、
視点を変えて定義してみると、
全てを受容し変換できるエネルギーと表現することが出来ます。

全ての事象・体験・感情を受容(受け入れる・認める・ゆるす)する
という意識に自分の中で変換した瞬間に、
z軸(現在・統合)の座標が変化し、
別のホログラムの中に存在することが可能になります。

すると、自分の周り(スクロール)が変化します。
(他人・環境等の自分に対する態度・言葉・感覚・雰囲気など)

これらは、よく他人や環境は自分の鏡の存在
という形から確認することが出来ます。

今世、自分達の経験している体験・出来事は、
かつて銀河系内で克服する事が出来なかった宿題の総決算
ということですので、
身に覚えのない出来事(陰)が沢山登場します。

でもスクロールの定義を理解していれば
自分の現実を変えることが可能になります。

 

これが銀河公認の錬金術で、

自分の思考を変えることで、

目の前の現実を変えるということが出来ます。

他人をコントロールする必要はないのです。

 

また、何日か後に叶うとかではなくて、

すぐ反映されるものなのです。

 

こういうのを日々、実践して、

実験みたいに挑戦していくと、

現実は自分が創っている、

思考は大事だな!と分かってくると思います。

(すぐ結果が出るので確認しやすいですよ)