「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)

という本を読みながら、

エイブラハムという霊的なグループが伝えてくる、

「引き寄せの法則」と呼ばれるものについて、まとめて書いています。

 

鵜呑みにしないで検証しましょう

宇宙の法則の定義(エイブラハム)

引き寄せの法則とは何か?(エイブラハム)

思考と引き寄せの法則の関係(エイブラハム)

思考と現実の関係(エイブラハム)

という記事の続きです。

 

前の記事では、愚痴りたい人は、

占い師でもぼったくりカウンセラーでも、 

お金を払って聞いてもらえばいいと書きました。

恐らく、善意の塊みたいな、優しい人が、

エネルギーバンパイア的なグチグチ言う人の犠牲に、

なっている場合が多いのではないかな?と思ったので、

愚痴を言いたい人と愚痴を聞いて依存させたい人が、

引き寄せ合うのだから、

”専門家”に任せたらいいのでは?と思って書きました。

早速”専門家”たちが、新しい商品を販売しだして、

その抜け目なさと、自らをぼったくりと認める、

謙虚さに感心しました!

 

思考は磁石のようなもので、
関心を集中する思考は磁力が増していき、
やがて思考の対象が経験として現れる。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

とご紹介しましたが、

この記事を書く為に、引き寄せの法則について、

とても意識して生活しているので、

自分の言動とか感情なんかも、細かく観察する様になりました。

そうすると、引き寄せの法則に関心が集中しているため、

引き寄せの法則が働いているという経験が、

沢山現れるようになっています。

こういうところが、引き寄せの法則の面白いところで、

バシャールやエイブラハムが薦める理由だと思います。

見えない霊的な法則が働いていることを、

現実的に確認しやすいのです。

 

今、病気に関しての情報がとても多くなっていて、

テレビのニュースを見ないようにしていても、

ネットのニュースや、話題に上がって、よく目にしています。

その度に、無意識に嫌だな病気になりたくないなという、

ネガティブな気持ちが湧き上がっていました。

無意識にそう感じていた様です。

最近、思考を見直しているので、

病気は嫌だ、病気になりたくないというのは、

つまり、どうしたいの?と自問自答して、

「健康になりたい!」ということだ、

とはっきり自覚しました。

その為に、ちょっとネガティブな気持ちになりそうな、

話題を目にすると、「健康になりたいな!」と、

思考を転換する様に意識的にしていました。

 

すると、今まで当たり前だと、

気付かなかった不調があることが分かりました。

「健康になりたいな!」と考えていたので、

その不調を解消する情報に次々と気付く様になり、

自然に取り入れたいな、試したいなという気持ちになり、

それが続いたら、不調が治りました。

実際は解消されたことで、

今まで不調だったかもと分かったというか…。

自覚はなかったのですが、

健康になりたいが引き寄せられたんですね。

 

例えば、慢性的な疲労を回復する健康茶の存在を知り、

興味を持っていたところ、

たまたま買い物に行った先にそのお茶が売っていて、

購入して飲んでみたら、

味がとても気に入って、習慣になったら、

慢性的な疲労が解消されていた、みたいな感じです。

これは例として考えた創作なんですけれども、

引き寄せの流れとしてはこういうパターンになって、

買うとか飲むとかいうのは行動する部分です。

この時、やらなきゃといった切羽詰まった気持ちではなくて、

やってみたいな、気になるなと言う、

好奇心のような明るい気持ちで行動しています。

 

あなたがたは目的を持って行動する。

それは、あなたがたが生きる物質世界の醍醐味の一つだ。
 
だが、あなたがたの本来の意図は、
物理的な行動を通じて創造することではない。

思考を通じて創造した結果を
身体を使って楽しむ、
それがあなたがたの目的だ。

まず前向きの明るい感情とともに
思考を未来に向け、創造が始まる。

あなたがたはこの時間と空間の世界で、
創造の果実である現象がそこにあると期待して
未来に向かって歩く。

そうすると、あなたがたが未来に向けて開始した
楽しい創造から、楽しい行動のインスピレーションがやってくる。

今を基に行動しても、
それが楽しい行動でなければ、
決して幸せな結果にはつながらない。

そんなことはあり得ない。

「法則」に反しているからだ。

だから望むものを手にいれようとして
いきなり行動に走るのではなく、
「望むものが実在すると考えなさい」
とわたしたちは言っている。

望むものをビジュアル化し、
はっきりと見て、期待する─
そうすれば実現する。

自然に道がわかり、
インスピレーションが与えられ、
完璧な行動に導かれ、
求めるものにつながるプロセスが開かれる。

それなのに、わたしたちが話していることと
世間の大半の人たちのやり方には大きな違いがある。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

と言う箇所をご紹介しましたが、

”だが、あなたがたの本来の意図は、
物理的な行動を通じて創造することではない。
思考を通じて創造した結果を
身体を使って楽しむ、
それがあなたがたの目的だ。”

とありました。

”健康になりたい!”という思考を通じて、

”自然に道がわかり、
インスピレーションが与えられ、
完璧な行動に導かれ、
求めるものにつながるプロセスが開かれる。”

様になるという流れを、順を追って経験しました。

 

あ、そういう流れだったのかと、

ここ数日気付いたのですが…。

面白いなと思ったのと、こういう経験をするのは、

こうやってブログ記事等に書いてシェアする為でもあるので、

書きました。

こういうことは度々起きていて、

でも、「病気になりたくない」という恐怖心が元のものと、

「健康になりたい」という明るい前向きな気持ちのものとは、

違った結果になると思います。

私の場合は、ちょっと反則っぽいのですが、

その都度、ガイドたちからのサインがあるので、

こっちでいいんだなとか、これを選ぼうというのが、

明確に分かりやすいという面があります。

(現実的な現象が起こります)

 

霊的な流れを見る時には、

善い流れと悪い流れがあって、

失敗や行き違い、中止や足止めといったことが起きる時は、

様子を見たり、方向転換した方がよいと思います。

これもサインですね。

 

商売系の人でも、しょっちゅうトラブルが起きているのに、

そのまま強引に押し進めている人をよく見かけます。

大金をぼったくったりするから、

後に引けなくなるんでしょうね。

法則が働いていることが分かっていたら、

どうしてそのようなことが起こるのかも、

自ずと理解出来ると思うのですが…。

 

 

今日の記事では、「許容し可能にする術」の箇所を、

ご紹介しようと思います。

 

エイブラハムたちが伝えている三つの「宇宙の法則」をご紹介しましたが、

第一の法則が「引き寄せの法則」。

第二の法則が「意図的な創造の方法論」。
第三の法則が「許容し可能にする術」です。

 

わたしたちはあなたがたに「永遠なる宇宙の法則」を
もっと明確に理解してもらいたいと思う。

そして物質世界の人生の表現を通じて、
その法則をもっと意図的、効果的に、
また満足がいくように応用してもらいたい。
そのための力になりたいと願っている。

「宇宙の法則」には三つある。

第一は「引き寄せの法則」だ。
この法則を理解して効果的に応用できるようにならなければ、
第二の法則である「意図的な創造の方法論」と
第三の法則である「許容し可能にする術」も活用できない。

第二の法則を理解して活用するためには、
第一の法則を理解して効果的に活用しなければならない。

また第三の法則を理解して活用するには、
その前に第二の法則を理解して活用できなければならないのだ。

第一の「引き寄せの法則」というのは、
「それ自身に似たものを引き寄せる」ということ。

「なんだ、簡単なことではないか」と思うかもしれないが、
これは宇宙のなかで最も強力な法則
─あらゆるとき、あらゆるものに働く法則だ。
この強力な法則に影響されないものはいっさいない。

第二の「意図的な創造の方法論」というのは、
「わたしが考え、信じ、あるいは期待したことは、
実在する」ということだ。

要するに何かを考えると、望んでも望まなくても
それが存在として現れる。

だから「意図的に」思考を作用させること、
それが「意図的な創造の方法論」の内容だ。

この法則を理解して意図的に応用しないと、
あなたが望むとおりの創造はできない。

第三の「許容し可能にする術」というのは、
「わたしがありのままのわたしで、
他者がありのままの他者であることを許容し、
可能にしよう」ということだ。

たとえ他者がありのままのあなたを認めなくても、
他者がありのままであることをあなたが認めるなら、
あなたは「許容し可能にする者」になる。

だが、まずなぜ自分の今の人生があるのかを
理解しなければ「許容し可能にする者」にはなれない。

あなたが思考を通じて(あるいは関心を向けることを通じて)
他者を自分の人生に招き入れなければ、
他者はあなたの経験の一部にはならないし、
あなたが思考を通じて(あるいは観察することを通じて)
ある状況を人生に招き入れなければ、
その状況はあなたの経験の一部にはならない。

そのことを理解できたときに初めて、
あなたはこの人生の表現へと身を投じたときに望んでいた
「許容し可能にする者」になれる。

この三つの強力な「宇宙の法則」を理解し、
意識して応用できれば、
あなたは喜びに満ちて自由に、思いどおりの人生経験を
創造できる。

人生で出会う人も状況も出来事もすべて、
あなたが自分の思考を通じて
経験のなかに招き入れたのだということが理解できれば、
この物質世界の身体に宿る決意をしたときに
意図したとおりの人生を送れるようになるだろう。

だから力強い「引き寄せの法則」を理解し、
自分の人生経験を
「意図的に創造」しようという意志を持てば、
いずれは「許容し可能にする術」の完全な理解と
応用だけが生み出す比類ない自由に導かれる

 

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 

 

エイブラハムたちが言う「引き寄せの法則」とは、

 

「それ自身に似たものを引き寄せる」
ということだ。

「類は友を呼ぶ」とあなたがたが言うのは、
実は「引き寄せの法則」のことなんだよ。

 

とあります。

 
エイブラハム あなたが見るものも
知っている人もすべて、
波動という信号を出している。
その信号が一致しなければ、引き寄せは働かない。
だから、いくら違っているように見える人たちも、
引かれ合うなら支配的な波動が似ているはずだ。

それが「法則」だから。

人のなかには「欲する対象への波動」と
「欲するが欠落している対象への波動」があり、
経験はすべて支配的な波動と一致している。

例外はない。

「調和」という言葉で考えてみよう。
二人がまったく同じなら、
両者の意図は満たされない。

言い換えれば、
売りたい者と売りたい者が一緒にいても
うまくいかない。

だが、
買いたい者を引き寄せれば「調和」がもたらされる。

物静かな男性が外交的な女性に引かれるのは、
もっと外交的になりたいという気持ちがあるからで、
だから実際には自分の意図する対象に引かれているのだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より 

 

という箇所をご紹介しましたが、

騙す人と騙されたい人みたいに、

一見正反対のもの同士も、

引かれ合うということがあるけれども、

それもまた似た者同士という括りにしているよ、

とのことです。

 

あなたがたは「気づかずに」思考を向け、
その思考にあなたがたが理解していない「法則」が反応して働き、
あなたがたには理解できない結果が生じる。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

また、引き寄せの法則は、

思考を向けたものに対して結果が生じるものである、

とも言っています。

 

似たものと正反対のものが引き寄せ合う、

原因のあとに結果が生じる、

ということを含めて引き寄せの法則となっています。

 

 
(一)意識想念の法則

現在意識的な想念がなければ何も創造されない。

すべてのものは、宇宙心か宇宙心の単位である
人の心かの意識的想念によって顕現されているのである。

凡ての主観的創造は、意識単位(人)か全体心(宇宙)かの
いずれかの思考の結果なのである。
 

「秘教真義」(M・ドーリル博士著)より

 
という法則がありますが、
思考が現実化するというのは、この法則のことです。
 

思考は磁石のようなもので、
関心を集中する思考は磁力が増していき、
やがて思考の対象が経験として現れる。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

似たような思考が引き寄せられてきて、

そこにどんどん関心を向けて、現実化する、

という流れになるので、

自分が肯定的なポジティブな感情を持てる思考に、

関心を向ける様にしましょうというテクニックが、

引き寄せの法則として知られているものです。

 

「意図的な創造の方法論」は微妙なバランスについての
「法則」だ。

これには二つの要素がある。

片方には自分が望むことについての思考があり、
もう片方にはそれが思考を通じて創造される
─経験としての実現が可能になる─
ことへの期待や信念がある。

だから「赤い新車が欲しい」と言えば、
文字どおり思考を通じて
自分の経験のなかで赤い新車の創造が始まる。

そしてその思考に集中すればするほど、
また赤い新車の経験を純粋に
イメージできればできるほど、
あなたはいっそうワクワクするだろう。

赤い新車のことを考えてワクワクすればするほど、
明るい前向きな気持ちになればなるほど、
赤い新車は経験のなかでスピーディに実現する。

思考を通じて赤い新車を創造し、
新車のことを考えて
力強い前向きな気持ちになれば、
新車はたちまちあなたの経験のなかに
引き寄せられる。

赤い新車は創造されて今、実在する。

それを自分の経験のなかで実現するには、
実現を「許容し可能にする」だけでいい。

あなたは期待し、信じ、実在させることを通して、
実現を「許容し可能にする」。

「赤い新車なんて持てるはずがない」と
自分の能力を疑えば、
あなたは創造を押しつぶす。

「赤い新車が欲しい」と言えば
赤い新車の創造が始まるが、
そのあとに「でも、高すぎる」と言うと、
創造を遠ざける。

言い換えれば、欲求を持つことで
創造の最初の部分は完成したが、
信じず、期待せず、「許容し可能に」しないために
創造は妨げられる。

実際に物質的な世界での経験として
創造するためには、
両方の部分が必要だからだ。

創造したい対象について語っても、
必ずしもその実現を可能にすることにはならない。

赤い新車のことを考えてワクワクすれば、
その実現を可能にすることになる。

だが、赤い新車が欲しいけれども
手に入らないだろうと心配すれば
(あるいは、まだ手に入らないと苛立てば)、
あなたは新車の「欠落」に焦点を定めているから、
経験のなかで実現することはできない。

欲しいものの創造の初めのころには、
前向きの期待にワクワクして
実現への正しい道筋にいたのに、
その話を誰かにしたところ、
そんなことは「実現するはずがない」とか、
「期待してはいけない」と言われてしまうことがある。

そのような暗いネガティブな影響は

あなたのためにはならない。

あなたは「欲求のエッセンス」に焦点を定めて
それを引き寄せていたのに、
今度は「欲求の対象の欠落」に焦点を移して、
実現を遠ざけることになるからだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

 

「赤い新車が欲しいし、
そのうち手に入れられる」
と言うのはいい。

だが、
「でも、そんなものはどこにあるんだ?
ずっと前から欲しかったのに。
エイブラハムの言葉は信じるけれども、
でも欲しいものは実現しないじゃいか」
と言えば、
あなたはもう欲しいものに焦点を定めてはいない。

欲しいものの「欠落」に焦点を定めているから、
「引き寄せの法則によって焦点を定めたことが実現する。

欲しいものに焦点を定めていれば、
何であれ欲しいものが引き寄せられる。

欲しいものが「欠落」していることに
焦点を定めていれば、
ますます「欠落」が引き寄せられる
(すべてのものは、実は両面を持っている。
欲しいという面と、欲しいが欠落している、
存在しない、という両面である)。

自分の感情、気持ちに注意を払っていれば、
自分が欲しいほうに焦点を定めているか、
それとも欠落のほうに焦点を定めているかは
必ずわかる。

欲しいもののことを考えていれば心地よいし、
欠落について考えていれば心地よくないのだから。

「自分らしいライフスタイルを貫くお金が欲しい」
と言えば、
お金が引き寄せられてくるが、
自分が持っていないものに焦点を定め、
欠落に着目していれば、豊かさは遠ざけられる。


「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

という箇所をご紹介しました。

例えば、赤い車が欲しいと考えていて、

引き寄せが始まるので、

出掛ける度に赤い車ばかり見かける様になったり、

赤い車の流行が始まったり、

知り合いに赤い車の購入を聞いたりします。

どんどん自分に赤い車が近寄ってきている感じがします。

しばらくして、

赤いミニカーのおもちゃを手に入れることが出来ました…。

 

みたいな感じで、

え?そっち?みたいな引き寄せの結果を受け取ることがあります。

(分かります?)

惜しい!みたいな。

あともう少しだったのに!という感じ。

こういうのが多いからこそ、

引き寄せ系の商売が人気あるのかな?とも思います。

 

漢方相談とかなのに、引き寄せ!とかやったり、

恋愛相談なのに、引き寄せ!とかやったり、

とりあえず引き寄せを入れたら儲かるんでしょうね。

胡散臭いですが。

 

自分が何を望むのかがすべて
はっきりしていれば、
すべてにおいて望みどおりの結果になる。

だが、あなたがたは、
自分の望みをそこまではっきり
わかっていないことのほうが多い。

例えば「自分は黄色が欲しいし、
青も欲しい」と言うとしよう。

ところが、結果は緑になる。

すると、「どうして緑になったんだ?
こんなことは意図していなかった」と言うだろう。

だが、それは別の色が混ざり合ったから、
そうなったのだ。

わかるかな(もちろん黄色と青を混ぜれば緑になる)。

こんなふうに、無意識のレベルで
意図が混ざり合い続けているのだが、
とても複雑に入り混じっているから、
意識的な思考で区分けしようとしても不可能だ。

だが、あなたの「内なる存在」は
きちんと区分けしている。

そして、指針となる感情を送ってくる。

必要なのは自分がどう感じるかに気をつけて、
「これがいい」「これが楽しい」と
感じることのほうへ近づき、
そうでないことからは遠ざかることだ。

自分の意図をはっきりさせることに
少しでも慣れてくると、
人とつきあうとき、会ってすぐの段階で、
そのつきあいが自分にとって価値があるかないかが
わかるようになる。

その人を自分の経験のなかに
招き入れたいかどうかを知ることができる。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 
そうそう、緑が来ちゃうよね!
といった経験をしたこともあるのではないでしょうか?
 
ギャンブル性があるというか、
叶いそうで叶わない!だから、
誰か教えて!とお金を払ってしまうのでしょうかね。
 

自己催眠とか暗示とかで、

願いを叶えようとする方向に行っているのが、

今、流行っている引き寄せの法則だと思います。

でも、法則なので、無理矢理動かそうとしなくても、

勝手に働くものなはずですよね。

 

無理に思い込ませようとするということは、

実際は感情がそれに伴っていないということですよね。

もし、本当に納得していたら、

無理矢理しなくても、

自然と受け入れられるものです。

 

ある程度までは暗示にかけても、

上手くいくのでしょうけれども、

本当に望んでいるところに、

向かうとは思えません。

自分を偽っているからです。

 

またそのようなことを教える人というのは、

「聖書の真義」(M・ドーリル博士著)の「マタイ伝 第十八章」から、

度々下記をご紹介していますが、
 
自分の所へ真理と知識を求めてくる者に対して、
偽りのことを教え、
つまずかせる教師は、自分自身の魂を
悪に縛りつけるだけでなく、
他人の魂に対してまで偽りという鎖をつけることに
なるのだから、
死よりもなおひどい悪果を受けるだろうところの
業因をつくっているのである。

 

とありますように、

結果的には悪因を積んで、

死よりなおひどい悪果を受けます。

私はオススメはしていませんよ?

ムキになっている人も多いのですが、

忠告をしています。

 

間違ったなと思ったら、

素直に間違いを認めて、

方向転換する勇気を持って下さい。

 

 

「サラとソロモン」(エスター&ジェリー・ヒックス著)では、

引き寄せの四つのステップについて下記の様な説明があります。
 
第一ステップは何だったか覚えている?

「わたしが欲しくないものは何かを知ること」
と、サラは得意気に答えました。

それだけはしっかり覚えたのです。

第二ステップは?

「わたしが欲しいものは何かを知ること」

上出来だ、サラ。
それから第三ステップは?

「ああ、ソロモン、忘れちゃった」

サラはこんなにすぐ忘れてしまった自分に
がっかりして、泣きそうな声で言いました。

第三ステップは、自分の欲しいものが
どんな感じがするかという実感を見つけること。

既に欲しいものが実現したように感じられるまで、
それについて自分に話し続けること。

「ソロモン、第四ステップが何か、
まだ教えてくれてないよ」

サラは思い出して、ワクワクしました。

ああ、第四ステップは最高のステップなんだ、サラ。
それは君の欲しいものが手に入る時だ。
第四ステップはこの物質界で
君の願いが実現することだ。
これをやってみてごらん、サラ。
今まで話してきたこと全部を覚えていようと
努力しなくていい。
ただ、味わい愛でることを練習してごらん。
それが鍵だ。
 
欲しいけどやっぱり無理だという感じで、
どこかで否定したり、
欲しがる自分に怒りを感じたり、
ネガティブな感情が入っていないか?
結構細かく内観しないと、
気付かないこととかが多いです。
 
私の解釈では無理矢理思い込ませるのではなくて、
肯定的に捉えていく、思考を変えるということが、
出来るようにならないと、
根本的な解決はしないと思います。
 
「意図的創造の方法論」と言ったのは、
あなたがたが目的を持って創造したいと思うだろうと
考えたからで、
本当は「創造の法則」と言うほうが正確だ。

あなたがたが望むもののことを考えていても、
望まないもののことを考えていても、
この法則は働いている。

望むもののことを考えていても、
望まないものの欠落のことを考えていても
(どこに思考を向けるかを選ぶのはあなたがただ)

「創造の法則」はあなたの考えに働く。

物質世界から見ると、
この創造の方程式には二つの重要な要素がある。

「思考を向けること」と
「思考の実現を期待すること」
─創造の「欲求」と
創造を「許容し可能にすること」
の二つだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
思考を向けること、
肯定的な捉え方を維持し続ける事、
それと許容し可能にすることが必要になってくるとあります。
 
わたしたちが何よりもあなたがたに
思い出させてあげたいと思うのは、
この「許容し可能にする術」における
あなたがたの役割だ。

この「法則」を十分に理解して実際に適用すれば、
すべてが思いどおりになる。

言い換えれば、「引き寄せの法則」は
あなたがたが理解しようとしまいと存在する。

常にあなたがたに作用し、
あなたがたが考えることに
いつも正確に対応した結果をもたらす。

だが「許容し可能にする術」を
意図的に適用するには、
自分がどう感じているかを常に意識し、
思考の方向を選ばなくてはならない。

この「法則」を理解できるかどうかで、
「意図的に」創造するか、
「惰性で」創造するかが決まる。

「許容し可能にする術」を「引き寄せの法則」
「意図的な創造の方法論」の次にもってきたのは、
前の二つの法則を理解できなければ
「許容し可能にする術」は始められないからだ。

「許容し可能にする術」とわたしたちが言うのは、
次のようなことである。

わたしはわたしであり、
わたしはありのままの自分に喜びを感じて、
楽しんでいる。

あなたはあなたであり、
たぶんわたしと違うだろうが、
それもそれでよろしい。

なぜなら、
わたしたちの間に劇的な相違があっても、
わたしは自分が欲することに焦点を定めることができるし、
自分に不快感をもたらすことに
焦点を定めるほど愚かではないから、
ネガティブな暗い感情に苦しめられることはない。

わたしは「許容し可能にする術」を
現実に適用する者として
この物質世界にやってきたのは、
自分が思う「真実」に
全員を従わさせるためではないことを
理解している。

また画一性や同一性を促進するために
やってきたものでもない。

同一性、画一性には、
創造性を刺激する多様性がないことが
理解できないほど愚かではないからだ。

画一性の実現に焦点を定めれば、
わたしは創造の継続ではなく
終焉に向かうことになるだろう。

だから「許容し可能にする術」は、
この地球と地球上の種
さらには
この宇宙自体の存続あるいは生存に
どうしても欠かせないし、
その存続はすべての「源(ソース)」の幅広い視点から
力強く認められている。

物質世界の視点に立っているあなたがたは、
自分自身の成長、拡大を認めないかもしれないが、
そのときには自分が腐りかけているような
嫌な気分になるだろう。

そして他人の成長、拡大を認めないときにも、
自分が腐りかけているような嫌な気分になるはずだ。

気がかりな状況を見て、
しかしそれを止めたり変えたりするために
努力するのではなく、
放っておこうと思うとき、
あなたはその状況を「我慢」している。

これは「許容し可能にする」こととはまったく違う。

「許容し可能にする」とは、
自分と「内なる存在」とのつながりを
維持し続けられる物事の見方を探す術だ。

それはこの時空という現実の世界にちりばめられた
データのなかを選択的に移動しながら、
心地よい物事に焦点を定めることで実現できる。

つまり「感情というナビゲーションシステム」を活用して、
思考が向く方向を決定するということだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
成長なんてないんだという人がいますけれども、
それを否定している状態というのは、
腐りかけて嫌な気分になっているんでしょうね。
お気の毒です。
 
準備出来ている人と出来ていない人がいる、
というのは霊的な学びを進めていくと、
判別するのが重要になってきます。
 
準備が出来ていない人にいくら教えても、
受け取ることは出来ません。
例えどんなに素晴らしい教えで、
それを知ればその人が幸せになるとしても、
相手に受け取るつもりがないものを、
無理矢理受け取らせることは出来ないのです。
 
許容し可能にする術でもありますよね。
”あなたはあなたであり、
たぶんわたしと違うだろうが、
それもそれでよろしい。”
と本気で思えますか?
受け取るべきだ!と強要しますか?
 
これが分からない人は自分の不安や心配を、
他人に投影してしまって、
あの人もこの人も助けてあげるべきだ!と、
主張をします。
 
助けてあげるべきなのは、
あの人でもこの人でもなくて、
あなた自身のことなのです。
 
もし自分が崖から落ちたとして、
助けを求めるとしたら、
崖から落ちかけている人と、
崖の上のしっかりした足場にいる人と、
どちらを選ぶでしょうか?
あなた自身が崖から落ちかけているのに、
誰を助けられると言うのでしょうか?
まずは投影、鏡ということを、
しっかり学んでみてください。
 
この引き寄せの法則でも、やっぱり、
投影、鏡、他者との境界線という部分は、
大切になってきます。
 
で、引き寄せ界隈の人達は、これが分かっていないと、
感じられる人が多いです。
だから暗示や催眠に走るしかないんでしょうね。
他者との境界線が曖昧なのに、
カウンセリングとかしているのは、
本当に危険ですよね。
共依存患者さんを量産しています。
(好きにしたらいいんだけどね!)
 
 
「ラー文書」一なるものの法則第一巻
(ドン・エルキンズ、カーラ・L・ルカート、 ジェームズ・マッカーティ著)
では下記のような、説明があります。
 
「一なるものの法」は光や闇に対して投げかけるものではありません。
しかし、
それは自己への奉仕にも他者への奉仕にも使うことができるのです。
 
ただし、他者への奉仕は最終的には自己への奉仕に繋がります。 

そうしたわけで、 他者への奉仕という修練をとおして

知的無限の探究を行なおうとする存在たちのゆがみは、

その調和度において停滞するどころかかえって高まることになります。

 

自己への奉仕を行なうことをとおして知的無限を探求する存在たちも、

同量のパワーを作り出します。 

しかし前にも申し上げたように、その場合は分離の概念のせいで、

しばしば困難に直面することになります。

自己への奉仕の実践には、分離の概念がひそんでいます。

なぜなら、そこには

他者より優位に立とうとする権力の問題が含まれるからです。 

 

このことから、オリオン・グループやオリオン・グループを構成する

社会的記憶複合体を要求するような心/身体/霊複合体によって

集積されるエネルギーは 弱体化し、

ついには崩壊していくことになります。 

 

次に述べる点は、ぜひ念頭に置いて慎重に考慮したうえで

受け入れていただきたいことです。

 

「一なるものの法」は、

ある目的の探求に努力することを決めているかぎり、

どんな社会的記憶複合体にとっても利用可能なところにあります。 


その目的が、他者への奉仕であれ、自己への奉仕であれ、

関係ありません。

 

そして「一なるものの法」の主要なゆがみである諸々の法則が運用され、

自由選択のなりゆきが展開するための媒体として

空間/時間の幻影が用いられます。 

 

すべての存在は、探求目的のいかんに関わらず、

だれでもこのようにして学びます。

 

全員が同じことを学びます。

 

ただしある者は迅速に、

ある者はゆっくりと学ぶのです。

 

”自己への奉仕を行なうことをとおして知的無限を探求する存在たちも、

同量のパワーを作り出します。 

しかし前にも申し上げたように、その場合は分離の概念のせいで、

しばしば困難に直面することになります。

自己への奉仕の実践には、分離の概念がひそんでいます。

なぜなら、そこには

他者より優位に立とうとする権力の問題が含まれるからです。

このことから、オリオン・グループやオリオン・グループを構成する

社会的記憶複合体を要求するような心/身体/霊複合体によって

集積されるエネルギーは 弱体化し、

ついには崩壊していくことになります。

という箇所と、

”画一性の実現に焦点を定めれば、
わたしは創造の継続ではなく
終焉に向かうことになるだろう。”

という箇所は同じ内容になっています。

 

相手をコントロールしようという気持ちは、

私の思う通りのあなたになって!ということで、

多様性を否定しています。

あなたはあなたのままでいいのよ!とは言っていません。

多くのぼったくりカウンセラーはこの状態になっています。

というのも、

もし、あなたはあなたのままでいいのよ!と思うなら、

ほとんどアドバイスすることはないのです。

ただ、相手の鏡になって映すことしか出来ません。

その意味が分かるでしょうか?

 

以前ご紹介した「ハトホルの書」
(トム・ケニオン&ヴァージニア・エッセン著)には下記の様な教えがあります。

 

V するとあなたがたは私たちの過ちに
気づいても、良い悪いの判断はしないのでしょうか。
 
 
そうです。わたしたちは見守っているのであって、
審判しているわけではありません。
 

V ではあなたがたの体験によれば、
私たちを援助してくれている文明の存在たちも、
より高次の気づきのピラミッドに向かい
意識を広げているのですね。
 

そうです。これこそピラミッドの法則です。

わたしたちはみずからの関心で
援助していますが、それはみなさんがわたしたちの
兄弟姉妹だからです。

愛ある自己本位(微笑んで)と言えばいいでしょうか。

あなたがたに貢献することでわたしたちは成長するのです。

一歩先を行く者としての気づきや功徳や思いやり、
そして愛をあなたがたへの援助のなかで
使えば使うほど、わたしたちはアセンションの上昇螺旋を
進むことになります。

つまり、あなたがたとわたしたち全員が
一緒に上昇できるというわけです。

なかには後ずさりしていく人もいますが、
それはそれでよいのです。

なぜならそうしたプロセスにも
自由意志がはたらいているからです。

それでどん底まで落ちてしまった人がいたとしても、
最終的には再び上昇することになります。

なにしろ、それに代わる方向はほかにないのですから
(たくさん笑いながら)。
 
”なかには後ずさりしていく人もいますが、
それはそれでよいのです。
なぜならそうしたプロセスにも
自由意志がはたらいているからです。
それでどん底まで落ちてしまった人がいたとしても、
最終的には再び上昇することになります。”
とありますよね。
これが分かっているのなら、その人の選択を尊重し、
納得するまでやったらいいよね!と思う様になるのです。
逆に、そうでなければ上がれないんですよ。
闇を知っている者ほど、
光に転換する力が強くなりますし、
闇への耐性も強くなるので、
光への転換がいつかは分かりませんが、
何一つ無駄なことはないのです。
 

「秘教真義」(M・ドーリル博士著)には、下記の説明があります。

 

自己の行為によって創られた因を
適当にチェックする能力を
もたないということが、
形而上学徒に最大の間違いを
おこさせることになるのである。

その原因は、望んだ結果がとうてい得られない様な
無効なものだったかも知れない。

その反応は、調和がもたらされるべきところに
混乱を来たらしたものだから、
望んだ目的とは反対の悲惨な結果となってくるのである。

普通には、形而上学徒は発現せんとする原動力を、
現実の活動力によって止めたり、
バランスをとったりしてその原動力を相殺している。

原動力が弱められると、
エネルギーの無駄使いがなくなり、
目的が自然的・調和的方法で実現し得る様になる。

あまりに多くを実現することは、
時には大変な致命傷となることがある。

ある考えが心の中におかれると、
それは何らかの形で結果をもたらす。

心に発現しているすべての観念を
こまかい点まで熟慮しないと、
現実化せずに心象として残ってしまう。

その理由は、想念が結果として実現化する時に
各観念は、その究極の実現結果に対して
各分野の役割をはたすわけだからである。

 

ここではすべて引き寄せの法則として括られていますが、

ドーリル先生の著書の原因と結果の法則での説明の、

”心に発現しているすべての観念を
こまかい点まで熟慮しないと、
現実化せずに心象として残ってしまう。”

という箇所は、エイブラハムたちが伝えていることと同じです。

 

思考は磁石のようなもので、
関心を集中する思考は磁力が増していき、
やがて思考の対象が経験として現れる。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

ということですから、

受け取った結果を見て、

あれ?望んでいたものと違うなと気付いたら、

自分はどんな風な感情で、

どんな思考を維持していたかな?と、

振り返ってみると原因が分かると思います。

 

自分が創り出したということは、

これから変えて行けるという希望でもあるし、

そうかこういう仕組みかと納得することで、

確信を強めて、

思考のコントロールが出来るようになります。
そうかと信じているから、
無理に思い込ませる必要もなく、
自然に肯定出来るんですね。
法則だから放っておいても、
自然に働いているものなのです。
思い込ませる必要があるのでしょうか?
暗示や催眠が必要でしょうか?
 
なので経験を積み重ねて、
失敗や成功などを比較して、
自分の感情や思考を観察してみてください。
他人を観察するよりずっと、
面白いことが分かると思いますよ!