「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)

という本を読みながら、

エイブラハムという霊的なグループが伝えてくる、

「引き寄せの法則」と呼ばれるものについて、まとめて書いています。

 

鵜呑みにしないで検証しましょう

宇宙の法則の定義(エイブラハム)

引き寄せの法則とは何か?(エイブラハム)

思考と引き寄せの法則の関係(エイブラハム)

思考と現実の関係(エイブラハム)

という記事の続きです。
 
「引き寄せの法則」について、
エイブラハムたちは、
「それ自身に似たものを引き寄せる」
「類は友を呼ぶ」ということだと伝えていますが、
相反するものが引き合う、
プラスがマイナスを引きつけるという性質についても、
似たものを引き寄せているんだよ!と言ってます。
 
また、エイブラハムたちは、
三つの「宇宙の法則」があると伝えています。
第一の法則が「引き寄せの法則」で、
第二の法則が「意図的な創造の方法論」。
今、こちらを中心とした箇所を読みながら、
ブログ記事を書いています。
第三の法則が「許容し可能にする術」です。
 

「フラワー・オブ・ライフ」第2巻(ドランヴァロ・メルキゼデク著)から、

以下の教えをご紹介しました。

 
学びはじめたばかりの頃、
天使たちはお金のことは心配しないように
と伝えてきました。
必要なものはすべて私たちに届くようにするから
と言うのです。

彼らの話では、神が人に対して定めた
「自然の法則」というものがあり、
それによれば人類はものを得るのに
神に頼るか、
あるいは自分自身を頼りにするか、
どちらかなのだそうです。

そして神に頼るなら必要なものはすべて
「手の届くところにある」が、
自分自身を頼りにしていれば、
神は求められても援助はしないだろう
と言いました。
 
引き寄せを商売にしている人達というのは、
自力で稼いでいるという状態なので、
仕事にしている訳ですから。
神(法則)を頼っている訳ではありません。

具体的に書くと、

自力で稼ぐ方法を引き寄せているという状態です。
この人達の引き寄せの法則というのは、
法則ではなくて、成功術とか方法論といったものです。
 
新約聖書でイエスは、パリサイ人について、
「彼らは大通りの町角に立って、
額に聖句箱をつけ(”聖書の真義”参照・霞ヶ関書房)
紫の衣を着て、朝・昼・晩と祈っている」
と言っておられる。

彼らは多く喋り、祈ることによって
聞かれると思っている。

彼らの空しいくり返しに驚くな。
それは何一つ効を奏しないのだ。

世界には多くの宗教的な組織や団体があって、
皆さんに或ることを
くり返しくり返しとなえなさい
と教えている。

そうするとあなたの潜在能力が
あなたの人生を変えると思っているのである。

それだから、彼らは或る言葉や文句を
反復また反復してとなえるのである。

それでも、多くの場合、何もおこらない。

それはなぜか。

それは、教師たちがあなたを
催眠状態にして、
あなたが実在していないと
よく分っていることを実在すると信じさせようと
しているのではないだろうか。

あらゆるものには、何事によらず、
いつだろうと、それ相当の存在の道理
というものがあるものである。

なぜかと言えば、
神はすべてのものを理性(ロゴス)によって
造られたのであり、人間はまた、
理性の力を与えられており、
いつでも使えるのである。

多くの心理学者や精神病医たちは、
形而上(宗教)的な瞑想法や説法やマントラムを
使って、クーエ教徒の様に
「毎日毎日、あらゆることが
益々よくなりつつある」と言わせるのである。

これは、形而上的・秘教的な
”力の語”をくり返しによって
使おうとしているのである。

クリスチャンサイエンスの人たちは、
我々に”わたしは幸福だ。
わたしは幸福だ、
わたしは幸福だ。
わたしは病気でない、
わたしは病気でない”
などと言えと教えてくれる。

では、あなたが健康の時に、
わたしは病気でないというだろうか。

あなたはしあわせな時に何か言わねば
ならないのだろうか。

もし、あなたが幸福である時は、
何も言わないであろう。

あなたが幸福でない時にだけ
”わたしはしあわせである”
と言うのである。

あなたが実際にしようとしていることは、
あなたが存在していないと
分っていることを自分自身に信じさせる様に、
心理的な自己催眠化なのである。

そして結局、実際にそうでなくても、
その反対のことを信ずる様になれるのである。

それは、心理的自己催眠なのである。

わたしはある英人貴族が
書いた本を持っているのを思い出した。

彼は、これこれしかじかの言葉を使うべきである。
あるいは、これこれのことをすべきである。
さすれば、あなたは偉大な治療家と
なるであろうと言っている。

その男はその本を書いてから
一箇月後に彼が治すことのできた病気によって亡くなった。

彼は自分自身で存在もしないことを信じていたのである。

うまくいった自己催眠は、苦しみをなくし、病気をなくする。

つまり、それがあるという感じをなくす。

それはその通りだが、
根本的な原因を除去しなければ、
病気はまだそこにあるのである。

「ヨガの真義」(M・ドーリル博士著)より
 
”それは、教師たちがあなたを
催眠状態にして、
あなたが実在していないと
よく分っていることを実在すると信じさせようと
しているのではないだろうか。”
 
”あなたが実際にしようとしていることは、
あなたが存在していないと
分っていることを自分自身に信じさせる様に、
心理的な自己催眠化なのである。
そして結局、実際にそうでなくても、
その反対のことを信ずる様になれるのである。
それは、心理的自己催眠なのである。”
 
とありますけれども、
こっちの手法を引き寄せの法則といって、
商売しているんですね。
 
法則というのは、あなたにも私にも、
気付いても気付かなくても、
同じ様に働いているものです。
 
私が小学生の頃、
父がサイフォン式コーヒーメーカーを買って来て、
毎週日曜日にコーヒーを飲むという儀式を行った期間がありました。
毎回、父が、どういう仕組みだか知っている?と、
なんやかんやと理科的な説明を嬉しそうにしていて、
(忘れた)でもあのボコボコボコとなるのを、
不思議な気持ちでひたすら眺めていました。
今でもコーヒーメーカーでコーヒーを入れる時に、
何か理科的な仕組みのお陰で飲めるんだろうなと、
こういうのを考えた人々、開発した人々に対して、
有難いなという気持ちで(コーヒー大好きなので)、
飲んでいます。
 
法則を知らなくても利用しているものだけど、
法則を理解して上手に働かせると、
様々なことが出来て可能性が拡がりますよね。
 
宇宙法則も同じことです。
 
誰でも同じ様に使えるもので、
普遍的なものなはずですよね。
 
「意図的な創造のプロセス」に関する知識を
物質世界に住む友人たちに授けようとすると、
よく抵抗にぶつかる。

人生が自分で望まない体験をしている人たちが
いるからだ。

その人たちは
「すべてはあなたが招き寄せた」と言われると、
「エイブラハム、わたしがこんなことを
招き寄せたりするわけがない。
こんなこと望んでいなかった!」と反論する。

どうしてそんなことになるのか
理解してもらいたいからこそ、
わたしたちはこの情報を一生懸命に伝えている。

あなたがたがもっと理解したうえで、
いろいろな出来事を引き寄せるようになってほしい。

そして望むことを意識的に引き寄せ、
望まないことは引き寄せないで済むように
なってほしいからだ。

あなたがたが意図的に招き寄せ、
引き寄せ、
創造しているのではないことはわかっている。

それでも、
あなたがたは自分で招き寄せ、
引き寄せ、
創造しているのだ。

なぜなら、あなたがたが思考をそちらに向けて、
引き寄せているからだ。

あなたがたは「気づかずに」思考を向け、
その思考にあなたがたが理解していない「法則」が反応して働き、
あなたがたには理解できない結果が生じる。

だから、わたしたちはこうしてやってきた。

あなたがたに「宇宙の法則」を教え、
自分がどうして今のようになっているか
理解してもらいたいから。

どうすれば
自分の人生を意図的にコントロールできるかを
わかってもらいたいから。

物質世界の存在の大半は、
物質世界にすっかりはまりこんでいて、
見えない世界との関係にはほとんど気づいていない。

例えば、あなたが寝室で灯りをつけたいと思い、
ベッドサイドのランプのスイッチを押すと
部屋が明るくなる。

あなたは「スイッチを押したから、明るくなった」と
説明するかもしれない。

だがいうまでもなく、
明かりがつくまでにはもっといろいろなことが
起こっている。

物質世界で経験するさまざまなことも、
それとまったく同じだ。

あなたがたの説明は、
何がどうして起こるかということの
ほんの一部でしかない。

その残りの部分を説明するために、
わたしたちはやってきた。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
 
引き寄せの法則というものについて、
一体何のことを(何の宇宙法則のことを)、
言っているのだろう?と疑問に思って、
いくつもの情報を探して考察したことがあります。
 
多い内容は、ワクワクするとか、
いいことばかり考えているとか、
お金がどんどん入ってくるとか、
お金はエネルギーだから循環させないと、
入ってこないとか、
嫌な事はそのうち去っていくから大丈夫とか、
私からするとふわーっと曖昧な表現が多くて、
結局何?ともやもやするものが多く感じました。
 
検索の言葉を絞ると、
やっぱり振動の法則と、原因と結果の法則、
併せたものを、
引き寄せの法則と言っているのだろう、
という様な解釈をしている人が、
見つかりました。
(多くはないですが)
私も同じ解釈です。
 
エイブラハムたちは、
「それ自身に似たものを引き寄せる」
「類は友を呼ぶ」ということだと伝えていますが、 
そこに正反対のものも加えてあり、
「結果が生じる」とも伝えていますので、
思考(原因)によって引き寄せられたのだ(結果)とも、
言っているんですよね。
原因と結果の法則の結果も似たものだよ、
という風に括っているのではないかなと、
私は感じました。
 
だから感情を観察して、いい気分でない時には、
思考を転換しますけれども、
自分が受け取りたいものかな?という視点でも、
確認した方がいいと思います。
 
人によっては、
人を殴っていい気分になる人もいますし、
人より多く持つことがいい気分になる人もいます。
いい気分なのか、いい気分でないのかというのは、
とても重要なのだけど、
 

第三の「許容し可能にする術」というのは、
「わたしがありのままのわたしで、
他者がありのままの他者であることを許容し、
可能にしよう」ということだ。

たとえ他者がありのままのあなたを認めなくても、
他者がありのままであることをあなたが認めるなら、
あなたは「許容し可能にする者」になる。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックス著)より

 
というところまで考えを拡げる必要があります。
 
 
ジェリー あなたがたが教えてくださった創造の原則を、
「悪」と見られるかもしれないことの創造に、
例えば当人の意志に反して他人の生命や持ち物を奪うことに
使うことができますか?

エイブラハム たとえあなたが
そんなことは望まないほうがいいと思っても、
誰かが当人の望むものを創造することは可能かな?

ジェリー ええ。

エイブラハム そのとおり。
その人たちが望むことは……その人たちが引き寄せるだろう。


「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
悪にも使えますよね。
こちらは下記でもご紹介しましたが、
 

宇宙の偉大なる諸力を建設的の代りに破壊的に使う
アデプトらがいる。

というのは法則は善にも悪にも
ポジテブにもネガテブにも働くからである。

宇宙力を破壊的に使うアデプトらは
光の子らと戦かう暗黒の兄弟ら、黒(悪)魔術師らである。


彼らは光の子らが光にともたらさんと努めている
人々を引きとめ、あるいは引き戻さんとしていたのである。
 

「エメラルドタブレット」

(アトランティス人トート著/M・ドーリル博士編)より

 
法則や神というものは、
善や悪という判断をしないので、
どんな風にも使えるものです。
 
 
アファメーションとかで、
「あなたは受け取っていいんです。
誰よりもあなたは受け取る資格があります」
とか、
「私は世界一お金持ちである」
とか、
「私より美人な人は存在しない」
みたいな、
自分が一番というのを唱えるとするでしょう?
 
私もあなたも、あの人も。
 
そしたらその中で誰が一番になるのでしょうか?
 
私は唱える以前に、
疑問でいっぱいになってしまって、
自分の中で矛盾が生じて、
納得出来ないので、受け入れられません。
 
どうやって一番だと確認することが出来るのでしょうか?
 
あなたと私が同時にアファメーションした場合、
現実化が上手な人の方が、
実現するのでしょうか?
 
もしあなたが達成したとして、
いつかあなたよりも上手な人が現れたら、
その一番は奪われてしまいますよね。
そうしたら、あなたは自分の中で、
それをどうやって処理するのですか?
 
この矛盾を処理する為に、
もしかしたら、
人の数だけ地球を存在させるのでしょうかね?

自分の願望を叶える為には、
地球や設定が変わればいいんだね!
私が住んでいる地球とあなたが住んでいる地球は、
別々なんだから、
私が一番になってもあなたはあなたの地球で、
一番になれるよね!
喧嘩にならないし、幸せだよね!
という考え方な訳ですよね。
(訳が分かりません)
 
これは他人軸の捉え方ですよね。
あなたも私も一番に拘らなければ、
同じ一つの地球でも仲良く暮らせると思いませんか?
根本的な考え方が奪い合うもので、
競争しなければならないものになっているから、
地球が分裂しないと自分の願いが叶わない、
ということになるのでしょう。
 
自分の思考を変えようとはしない訳です。
だから宇宙の仕組みも無視して、
自分の好きな様に創り替えてしまえばいいんだよね!
だって考えたことは全部現実になるもんね!となる訳です。
 
ジェリー 競争しているときには、
一人がトロフィーを獲得すれば
相手は失うことになりますが、
どうすればどちらも望みを遂げられますか?

エイブラハム 無限の「トロフィー」があると
気づけばいい。

トロフィーが一つしかない競争に参加したときには、
当然、一人しかトロフィーを獲得できない状況に
身を置くことになる。

そのときはより明晰で強力な欲求を持ち、
勝利を最も強く期待する者が
勝利するだろう。

競争が役に立つのは欲求が刺激するからだが、
成功への信念を阻害する可能性がある
という欠点もある。

競争を楽しむ方法を見つけなさい。

トロフィーを持ち帰れなくても、
競争がためになったと思うところを探しなさい。

なんでもいいから心地よくなれれば、
それがわたしたちの考えている
大きなトロフィーだ。

あなたがたはそのとき「つながり」を
勝ち取る。

明晰さを獲得し、バイタリティを獲得する。

自分の「内なる存在」との調和を
獲得する。

そういう姿勢でいれば、
たくさんのトロフィーを持ち帰れる。

この無限の宇宙ではリソースは無限だから、
リソースを求めて競争する必要はない。

あなたがたは自分でリソースを剥奪し、
欠乏を感じているかもしれないが、
実は自分でそう仕向けているだけだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
奪い合う必要がある?とエイブラハムたちも、
問いかけているんだけど、
無限の「トロフィー」の方に反応して、
自分の都合の良い部分しか頭に入らないし、
都合の良い解釈しか出来ない状態の人が、
とても多い様に感じます。

”トロフィーが一つしかない競争に参加したときには、
当然、一人しかトロフィーを獲得できない状況に
身を置くことになる。”
と言っているのにも関わらず、
私とあなたは同じトロフィーを争っている様で、
私の地球のトロフィーとあなたの地球のトロフィーがあるから、
あなたも私も獲得出来るよね!
だってトロフィーは無限だから!
という風に解釈しますよね。
 
地球は一つってガッチャマンでも言っていたでしょ!
(知らないか…)
 
「唯一無二のトロフィー」を、
私だけが獲得したい!
他の人は獲得出来ないことを確認して、
私が獲得出来たことを味わいたい!
というのが、引き寄せ界隈の人には、
多く見られる傾向に感じます。
でもそれを前面に押し出すと、
性格悪い感じだから、
あなたの地球と私の地球は違うもんね!
と表面上仲良しっぽくして、
でも私の地球でのあなたは、
めったんめったんのぎったんぎったんにしてやるー!!!
みたいな?
 
アムウェイの上級会員なら、
トロフィーを獲得し続けられるので、
獲得出来ない人のことなんて、
考える必要はないから!と言う感じなのでしょうかね。
 
エイブラハムたちの領域では、
否定することがないので、
競争してもいいよ!
勝っても負けても、
いい気分になってね!
という風にアドバイスするんだけど、
競争!ということに注目する人は、
負けたら終わり!
勝つことしか考えていないから、
せっかくの教えも頭に入らないのでしょう。
 
エイブラハムたちが言う無限のトロフィーとは、
唯一無二の皆で競って奪い合うトロフィーが、
どんどん無限に創造出来るよ!ということではなくて、
勝っても負けても沢山の得るものがあるでしょう?
どんな結果でもそれに心地よくなれるのなら、
それがトロフィーなんだよ!
心地よい捉え方を発見した分だけトロフィーが、
無限に存在していくんだよ!
みたいな感じだと思います。
 
人と比べる必要があるの?
どうして人より多く、一番でなければいけないの?
それは奪うことではないの?
無限に可能性はある、
必要なものは手の届くところにある、
宇宙はその様に出来ているのに、
「私は一番!」とわざわざ宣言して、
誰かを蹴落として欲しい!とやる訳だよね。
引き寄せの手法として、
あなたも私もあの人も同時に同じことを、
行なうんだよね。
勝っても負けてもそれは問題じゃない。
競争を楽しみたいんだ!
ということではなくて、
誰よりも一番私が!というのが望みなんだよね?
地表上の人全ての人がそれを望んだら、
どうやって現実化させるの?
これは法則ではないよね。
 
”それは、教師たちがあなたを
催眠状態にして、
あなたが実在していないと
よく分っていることを実在すると信じさせようと
しているのではないだろうか。”
 
”あなたが実際にしようとしていることは、
あなたが存在していないと
分っていることを自分自身に信じさせる様に、
心理的な自己催眠化なのである。
そして結局、実際にそうでなくても、
その反対のことを信ずる様になれるのである。
それは、心理的自己催眠なのである。”
 
ということではないでしょうか?
よく考えてみて下さいね。
 
”うまくいった自己催眠は、苦しみをなくし、病気をなくする。
つまり、それがあるという感じをなくす。
それはその通りだが、
根本的な原因を除去しなければ、
病気はまだそこにあるのである。”
とありますように、
その時は幸せな気持ちになって、
高揚感があるかもしれませんけれども、
根本的な原因は変わっていません。
 
引き寄せ界隈の人達の気持ちの浮き沈みが激しいのは、
方向性にも問題があると思います。
競争、比較に意識が向いていて、
上がったり下がったりを常に繰り返しているのね。
上がった感じ、引き寄せられそうな高揚感を味わう為には、
一旦下がって落ちないと、上がれないでしょう?
だから、不安定な状態の人が多いのだと思います。
 
ある方が光の道というのは、
善と悪の真中の善寄りを歩く、
という風に説明していたのだけど…。
 
善と悪の真中だと、両方が見えている状態で、
そこから善の方を選択し続けると、
善寄りになるのね。
完全に善ではなくて、悪も見えている状態。
そこでバランスを取り続けるのだけど、
引き寄せも同じで、
いい気分といい気分ではない状態の、
両方の違いをいつも観察して、
いい気分の方に転換する様にする。
それを続けると、多少の揺れはあったとしても、
思いっきり下がるとか上がるとかは、
なくなってくると思います。
どんどん転換のパターンが増えてくるから、
容易になるでしょう。
毎回、毎回、落ちては上がって、
落ちては上がってを繰り返しているとしたら、
上がっていると考えている時の状態が、
実際は相応しくないのかもしれないですよね。
常に下がる可能性を含んでいる方向、
誰よりもとか一番みたいなものを目指していると、
それを維持し続けられるのかな?という部分で、
考察する必要があると思います。
 
「秘教真義」(M・ドーリル博士著)には下記の教えがあります。
 
古代のカバリスト(ヘブライの神秘哲学者)は、
神を無数の光線を送り出している大きな提灯に例えている。

その一つ一つの光線が一人一人の人間の体内に入って
活動意識、つまり、魂となっているというわけである。

我々はこの例によっても、すべての人間の魂は、
究極的には一つの大きな光炎から出る
光線群だということが理解できるのである。

ある部分の光は薄暗く、ある部分は弱々しい光であっても、
本源的にはその光源は光輝燦然としているのである。

全人類の全ての魂が一つの渕源をもつ
ということを理解すれば、
全人類は兄弟の様なものだという結論になるのである。

我々がこのことを悟ると、
他人の足を引張って妨害することは、
結局は自分自身の足を引張っているのだということが
分るのである。

だから自分自身の言動に慎重にならざるを得ないのである。

人間の向上にとっての最大の障害は、
利己的であって没我的でないということである。

ある人がその家族に贅沢で満足な暮しをさせていると、
自分自身で誇らかに思い、たかぶる気持になる。

彼の関心はもはや他人の賞賛だけである。

それが真実だろうと観念的なものだろうと
賞賛のみを求めているわけであるから、
その人はもはや没我的立場を離れて
利己的立場になってしまっているのである。

人間のなす行動の九十九パーセントは
利己的動機にもとずいていると言っても
過言ではない。

我々が大師(マスター)と接する前に、
この利己心というものを除去しなければならないのである。

利己主義は人間の個別感から生ずるものであって、
人類一体観から出るものではない。

全世界の全人類の本質的一体化を心底から悟っておれば、
自己の同胞隣人になした行為は
自己になしたものと同一の結果であることが
理解できるのである。

即ち、その人がいくらか成長すれば、
宇宙もまた、その分だけ成長するということに
なるのだからである。
 
”人間の向上にとっての最大の障害は、
利己的であって没我的でないということである。
ある人がその家族に贅沢で満足な暮しをさせていると、
自分自身で誇らかに思い、たかぶる気持になる。
彼の関心はもはや他人の賞賛だけである。
それが真実だろうと観念的なものだろうと
賞賛のみを求めているわけであるから、
その人はもはや没我的立場を離れて
利己的立場になってしまっているのである。”
 
とありますが、
唯一無二のトロフィーを奪い合い、
一番を目指す時、
利己的になってしまいますよね。
 
”我々が大師(マスター)と接する前に、
この利己心というものを除去しなければならないのである。”
とあります。
スピリチュアル・エゴという形で、
何度もご紹介していますが…。
 
”利己主義は人間の個別感から生ずるものであって、
人類一体観から出るものではない。
全世界の全人類の本質的一体化を心底から悟っておれば、
自己の同胞隣人になした行為は
自己になしたものと同一の結果であることが
理解できるのである。”
とありますように、
誰よりも!とか世界一!というのは、
人類一体観があるなら、
まず出てこない言葉なんですよ。
考えもしません。
 
”他人の足を引張って妨害することは、
結局は自分自身の足を引張っているのだということが
分るのである。
だから自分自身の言動に慎重にならざるを得ないのである。”
とあります。
他人に行なったことは自分に返ってきます。
同じものが引き寄せられる訳ですね。
それは本当に望んだことなのでしょうか?