「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)

という本を読みながら、

エイブラハムという霊的なグループが伝えてくる、

「引き寄せの法則」と呼ばれるものについて、まとめて書いています。

 

鵜呑みにしないで検証しましょう

宇宙の法則の定義(エイブラハム)

引き寄せの法則とは何か?(エイブラハム)

思考と引き寄せの法則の関係(エイブラハム)

思考と現実の関係(エイブラハム)

という記事の続きです。

 

 

あなたの経験を創造するのはあなただけだ。
すべてはあなた自身が行っている。

何もかもあなた自身の仕業だ。

自分の経験や周りの人の経験を観察してみれば、
わたしたちが説明している
この強力な「法則」に反することは
何一つ、かけらほどもないはずだ。

そのことをわかってほしい。

自分が考えて話すことと
自分の身に起こることの
絶対的な関係に気づけば、
「引き寄せの法則」がよくわかるし、
意識して思考を方向づけるために
「ナビゲーションシステム」を活用したいと
思う気持ちも強まるだろう。

そうなれば、
もちろん周りの人達の人生についての理解も深まる
(それどころか、自分よりも
他人のほうがよく理解できることも多い)。

しょっちゅう病気の話をしている人は
ますます病気がちになることに、
あなたがたは気づいているだろうか?

「貧乏だ、貧乏だ」と言う人はますます貧乏になり、
豊かな話をしている人はますます豊かになることに、
あなたがたは気づいているだろうか?

思考は磁石のようなもので、
関心を集中する思考は磁力が増していき、
やがて思考の対象が経験として現れる。

それを理解し、
何かを考えたときの自分の感情に
注意を払っていれば、
思考が向かう方向を
意識的に選択するのに役立つ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

この自分の責任だということが、

受け入れられない人と、

受け入れられる人がいます。

 

私の母の場合、

人の噂話をしている時に、

それは投影だよと言えば、

「何を馬鹿なことを言っているの!」と怒ります。

相手の事と自分の事は関係ないでしょう!と。

何か問題が起こった時に、

それは自分が引き寄せたんだよと言っても怒ります。

「またそんなこと言って。言い加減にしなさい!」

という風な感じです。

もし、それを認めてしまったら、

母の今までの人生は何だったのか?と、

受け止め切れなくなるだろうなと、

私は感じました。

壊れてしまうだろうなと。

無理に分からせようとしてはいけないし、

受け入れられない人には、

それなりの理由があるのです。

 

逆に言えば、受け入れた人、

もしかしたらそうかも?と思い始めた人というのは、

霊的な進化の道を進もうと、

選択した、またはスタート地点に立った状態ですから、

それを確認出来る様な出来事、

本当にこの道を進みますか?と問われる様な出来事が、

次々に起きて来ると思います。

準備が出来た人なのです。

 

もし、こちらでご紹介している話が、

バカげている!と思うなら、

それはそれでいいと思うんですよ。

準備が出来ていないのですから。

 

私も法則がよく分かっていなかった時は、

法則が働く場合と働かない場合がある、

みたいに都合よく振り分けていて、

絶対的なものではないのね!と思っていました。

全てに働いている、例外はないと、

認めるのはとても苦しい時もあるのです。

 

 
数年前に、
身内に病気が見つかったと聞いた時に、

絶対にその病気になると思っていたから、

毎年検査していて見つかったと言ったのね。

病気になるだろうなるだろうと思っていて、

確信を持っていたのよね。

見つかってよかった、

やっぱり検査していてよかったと言うのを見て、

なんとも言えない気持ちになったのよね。

 

これこれこういう理由で病気になったんだよ、

なんてことは言えない、

そうなんだ、お大事にねとしか言えない。

 

法則が分からなかった時は、

私だって同じ様なことをしていた。

今の医療もそうやって病気を作っている仕組みだから、

気付かなければ当たり前の様に受け入れてしまうよね。

(だから巧妙な仕組みだなと思います)

 

誰かと会話をしていると、
「引き寄せの法則」が働いていることがよくわかる。

例えば、友人が自分の経験の話をする。

あなたはよい友達でいたいと思い、
友達の言葉に関心を集中し、
友達が話す事例に耳を傾ける。

友達の話に集中している時間が長くなると、
自分も似たような経験があったなと
次々に思い出す。

そこで自分も
同じような経験の話を持ち出せば、
思考の波動はさらに強くなっていく。

その話題に大きな関心を注ぎ、
同じような経験の話ばかりしていると、
それと同じ種類の経験がますます思い浮かぶ。

そして、自分が「望んでいない」ことについての
思考がどんどん集まってくると、
そのうちにその「望まない」方向の思考や言葉や経験に、
いつのまにか囲まれているのに気づく
(あなたも友達も話し合ったことで、
さらに望まない不快な状況に陥る)。

会話が望まない方向に向かうのを
敏感に感じ取れれば、
何か胸のあたりが嫌な気分だなあと思うだろう。

「自分が望まないことを
考えたり話したりしているぞ」と
「ナビゲーションシステム」が教えていることに気づく。

なぜそのような警告が発せられ、
警鐘が鳴るかといえば、
本当のあなたやあなたの欲求と、
その瞬間にあなたが焦点を定めていることが
ずれたからだ。

望まないことを考えたり話したりしていると、
そういう状況や出来事や人物を
自分に引き寄せる磁石になって、
間もなく話題にしている「望まないこと」の
エッセンスを経験するはめになるよ、
と「ナビゲーションシステム」が注意してくれる。

同じように「望む」ことについて話していると、
思考はますますそっちの方向に引き寄せられる。

あなたが望むことについて話したがる人が
あなたの周りに引き寄せられてくる。

そして「望む」ことについて話している間、
あなたの「内なる存在」は
前向きの明るい感情を送って、
あなたが自分自身のバランスのとれた意図の
エッセンスと調和していること
─そして調和した波動を引き寄せていること─
を知らせてくれる。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

あまりにも愚痴が多い人の話は、

ちょっと今忙しいのよねと早々に別れるか、

別の話に切り替えてしまって、

その愚痴を聞かないようにしています。

 

私と会話を楽しみたい、私と会いたい訳ではなくて、

自分の愚痴を聞いてくれる人が欲しい人の場合、

解決策を提示しても、でも…だって…と、

ループします。

 

愚痴りたいだけだなと思ったら、

そういう話は聞かないわ、分からないわ、

専門家に相談してねと断って、会わない様にします。

 

私は私を大事にしたいので、

愚痴りたいだけの人と向き合っていると、

自分がゴミ箱になった気分になって嫌なのです。

 

昔はみんなの愚痴を聞いてあげなきゃと思い込んで、

我慢して聞いていました。

母の都合の良い様に教育されていたのね。

よくしつけされたゴミ箱でした。

 

母の場合はしつこいので、

度々電話がかかってきて、

延々と愚痴を聞かされていたのだけど、

ある時から、自己犠牲はやめようと思って、

その話は聞きたくないと言って、

切るようにしました。

 

聞いてあげなきゃと思っていたのだけど、

私が聞かなかったら、聞いてくれる人を探せばいいし、

誰も聞いてくれないのなら、

それは母自身が解決することなのだから、

私がどうにかする必要はないなと。

 

ちなみに、愚痴を聞いて欲しくて、

お金を払ってカウンセリングを受ける、

という人もいます。

それはすごくいい方法だと思いました。

プロに話を聞いてもらったらすっきりしますものね。

愚痴りたい人も、方法はいくらでもあるので、

わざわざ私が嫌な気分になりながら、

付き合う必要はないのです。

占い師でもぼったくりカウンセラーでも、

お金を払えば話を聞いてくれるでしょう。

いい人と思われたくて、

断るのが悪い様な気がして、

という感じで我慢していたのをやめました。

 

ちょっと愚痴っても、

でも〇〇かもしれないよね、

という風に肯定的な見方を提示して、

相手も別の捉え方をしようと、

思考を肯定的に転換し始めることもあるので、

そういう場合は次々とアイディアを出して、

楽しく会話をします。

会話が終る頃には、

悩みなんて何もなかった様な気がする…、

そんな感じで笑って別れます。

 

愚痴りたい人は、元の話に、

強引に戻すので発展することがありません。

それを見極めて、そういう人とは付き合えないわと、

断る様にしています。

 

「意図的な創造の方法論」は微妙なバランスについての
「法則」だ。

これには二つの要素がある。

片方には自分が望むことについての思考があり、
もう片方にはそれが思考を通じて創造される
─経験としての実現が可能になる─
ことへの期待や信念がある。

だから「赤い新車が欲しい」と言えば、
文字どおり思考を通じて
自分の経験のなかで赤い新車の創造が始まる。

そしてその思考に集中すればするほど、
また赤い新車の経験を純粋に
イメージできればできるほど、
あなたはいっそうワクワクするだろう。

赤い新車のことを考えてワクワクすればするほど、
明るい前向きな気持ちになればなるほど、
赤い新車は経験のなかでスピーディに実現する。

思考を通じて赤い新車を創造し、
新車のことを考えて
力強い前向きな気持ちになれば、
新車はたちまちあなたの経験のなかに
引き寄せられる。

赤い新車は創造されて今、実在する。

それを自分の経験のなかで実現するには、
実現を「許容し可能にする」だけでいい。

あなたは期待し、信じ、実在させることを通して、
実現を「許容し可能にする」。

「赤い新車なんて持てるはずがない」と
自分の能力を疑えば、
あなたは創造を押しつぶす。

「赤い新車が欲しい」と言えば
赤い新車の創造が始まるが、
そのあとに「でも、高すぎる」と言うと、
創造を遠ざける。

言い換えれば、欲求を持つことで
創造の最初の部分は完成したが、
信じず、期待せず、「許容し可能に」しないために
創造は妨げられる。

実際に物質的な世界での経験として
創造するためには、
両方の部分が必要だからだ。

創造したい対象について語っても、
必ずしもその実現を可能にすることにはならない。

赤い新車のことを考えてワクワクすれば、
その実現を可能にすることになる。

だが、赤い新車が欲しいけれども
手に入らないだろうと心配すれば
(あるいは、まだ手に入らないと苛立てば)、
あなたは新車の「欠落」に焦点を定めているから、
経験のなかで実現することはできない。

欲しいものの創造の初めのころには、
前向きの期待にワクワクして
実現への正しい道筋にいたのに、
その話を誰かにしたところ、
そんなことは「実現するはずがない」とか、
「期待してはいけない」と言われてしまうことがある。

そのような暗いネガティブな影響は

あなたのためにはならない。

あなたは「欲求のエッセンス」に焦点を定めて
それを引き寄せていたのに、
今度は「欲求の対象の欠落」に焦点を移して、
実現を遠ざけることになるからだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

 

ワクワクが出てきました。

 

”赤い新車のことを考えてワクワクすれば、
その実現を可能にすることになる。”
というのが、引き寄せ界隈のよく知られた手法だと思います。

 
”だが、赤い新車が欲しいけれども
手に入らないだろうと心配すれば
(あるいは、まだ手に入らないと苛立てば)、
あなたは新車の「欠落」に焦点を定めているから、
経験のなかで実現することはできない。”
とある様に、

現実にそれを起こす為には、

ワクワクの先に望みや欲することに、

焦点を定め続けることが必要になります。

 

ワクワクすることを考えたら、いい気分なんだけど、

一日の内で何度もワクワクしないこともある、

みたいに肯定したり否定したりを繰り返してしまう。

否定して落ち込んだ状態が一日に何度もあるから、

ワクワクしよう!とワクワクすることを考えよう、

と切り替えることもありますよね。

焦点を定め続けてはいませんよね。

 

他人に話すと否定されてネガティブな影響を受けてしまう、

ということもよくあります。

私は沈黙の法則をこの場合でも、思い出したのだけれど、
誰にも言わない状態なら、
自分の思考はコントロールしやすいけれども、
他の人に話すと、他の人の影響を受ける、
共同創造になってしまうという面もありますよね。
 
沈黙についてという記事も書いています。
 
何度かご紹介していますが、
下記の教えは覚えていた方がよいと思います。
つい言いたくなってしまうものですが、
実現するまでは黙っているのです。
 
自分自身の心の中で、この世の中に実現しようという
非常に立派な計画をいだいている人々を
わたしは沢山知っている。

そんな人たちは「メリーやジョンに、わたしのこの考えは
どうかと聞いてみよう」と言って、
相談したりするのであるが、結局何も得ることが出来ないのである。

そして、とどのつまりは、その想案は
お流れになってしまうのである。

なぜ流産したのか。

彼らは、それを言葉に出して
話したからそれを言葉の上で実現したのである。

言葉の上で表現されたことは、
決して実際に物質化しないのである。
 
「療法の眞義」(M・ドーリル博士著)より
 

「エメラルドタブレット」

(アトランティス人トート著/M・ドーリル博士編)には、

下記の様な教えがあります。

 

沈黙は偉大なる価値あるものなり。
ことば多きは何らの益もなし。

解説

沈黙は進歩への大なる鍵である。
沈黙でもって汝自身の内に力を保持せよ。

注解

我々は喋ることによって力を放出している。
沈黙はこの逆である。
何かを計画していても、
それに着手するまでは
他言してはいけないというのは
この沈黙の教えによる。

 
 

もし、誰かが否定してきたり、

ネガティブな話ばかりをされたら、

影響を受けない様に、肯定的に捉えるようにします。

 

ネガティブなことを話す人のお陰で、

自分の本音がはっきりわかったな。

○○したらと言われて嫌な感じがしたとか

○○なんて無理だと言われて

それをきっかけにじゃあどうしたいの?と

問いかけて自分の望みがはっきりするなら、

その人のお陰ではっきり分かったことになります。

はっきり分かるためにその人を引き寄せたのだ、

という風に考えることも出来ますよね。

 
 
「赤い新車が欲しいし、
そのうち手に入れられる」
と言うのはいい。

だが、
「でも、そんなものはどこにあるんだ?
ずっと前から欲しかったのに。
エイブラハムの言葉は信じるけれども、
でも欲しいものは実現しないじゃいか」
と言えば、
あなたはもう欲しいものに焦点を定めてはいない。

欲しいものの「欠落」に焦点を定めているから、
「引き寄せの法則によって焦点を定めたことが実現する。

欲しいものに焦点を定めていれば、
何であれ欲しいものが引き寄せられる。

欲しいものが「欠落」していることに
焦点を定めていれば、
ますます「欠落」が引き寄せられる
(すべてのものは、実は両面を持っている。
欲しいという面と、欲しいが欠落している、
存在しない、という両面である)。

自分の感情、気持ちに注意を払っていれば、
自分が欲しいほうに焦点を定めているか、
それとも欠落のほうに焦点を定めているかは
必ずわかる。

欲しいもののことを考えていれば心地よいし、
欠落について考えていれば心地よくないのだから。

「自分らしいライフスタイルを貫くお金が欲しい」
と言えば、
お金が引き寄せられてくるが、
自分が持っていないものに焦点を定め、
欠落に着目していれば、豊かさは遠ざけられる。


「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

 

何度もご紹介していますが、

否定消極の法則というものがあります。

 

(十六)否定消極の法則

人間そのものは、否定的力によって
自己が断続的奴隷状態にある責任をとる、
唯一の表現物である。

否定消極は、否定消極の上に育ち成長する。

だから人間の否定的想念が
自分自身の中に否定消極を育て成長させ、
それに応じて自己を強く、より強く束縛する。

この問題を解決するには、
自分のこころをいつも積極的調和的思念で
充満しておくことである。

 

意識的に肯定的な側面に目を向けようとしないと、

いつのまにか否定的な側面に意識が向く様に

できているものなので、

自然にポジティブになるのを待つよりは、

自分の感情に意識的になり、

ネガティブな気持ちだなと思った時には、

その都度、考え方捉え方を修正する癖を付けると、

よいと思います。

 

私は気を付けている間はなんとかポジティブになれるのだけど、

突発的な出来事が続くと、

もうムリ!となって、ネガティブな気持ちになり、

落ちるところまで落ちてやるみたいな、

投げやりな気持ちになることも沢山ありました。

 

その頃は、いつでも完璧にポジティブで在り続けなくてはダメだ、

という様な思い込みがあったと思います。

ネガティブな気持ちになったら、

スピリチュアル的にも失格!という風に判断していて、

私なんてダメだ!という様に自分を責めていました。

 

常にポジティブでワクワクして元気!みたいな人も、

いるかもしれないのだけど、

自分はそういう感じを続けるのは逆に疲れるな、

まったりのんびりした感じで、

ちょっと怒ったり落ち込んだりしても、

すぐにま、いっかと切り替えるくらいが、

自分に丁度いいなというのが分かってきました。

目指していたのが無理したポジティブ思考だったのね。

ポジティブというものに対して思い込みがありました。

 

まぁいいんじゃない?くらいの緩さで、

大体のことを肯定しているみたいな状態が、

私にとってのポジティブですね。

 

 

ジェリー 今この瞬間の楽しい創造の
妨げになりそうな過去の経験や思考、
信念をきれいさっぱり消す方法はありますか?

エイブラハム 望まない経験を見つめて、
もうそのことについては考えないと宣言しても
無駄だ。

その瞬間、そのことについて考えているのだから。

だが、何か別のことを考えることはできる。

関心を別のことに向ければ、
過去に経験した望まないことは力を失うし、
いずれはそのことをまったく考えなくなるだろう。

過去を消そうと努力するより、
現在に焦点を定めなさい。

今、自分が望むことに思考を向けなさい。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

 

過去のことを思い出して

くよくよしている時は思考のループに

ハマってしまっている状態が多かったです。

 

過ぎたこと、起こってしまったことは、

どうしようもないですよね。

 

あの時の一番ベストな選択は、

あれだったのだから、後悔するのはやめよう。

これでよいのだと、一旦区切って、

あの経験から私は様々なことが分かったし、

視野も拡がったなと、

どんな過去の出来事も、肯定的に捉えるようにしました。

 

私の場合は、いきなり別のことを考えようとするより、

これでよいのだと決めてしまうようにしています。

そこで一旦、区切りを入れます。

そうすると、次に同じことを思い出しても、

あ、そうだ、これでよかったと決めたんだと思い出して、

前ほど落ち込んだりせずに、切り換えが早くなりました。

 

 

ジェリー 自分が悪循環にはまりこんで、
重要なことがみんなうまくいかず
崩壊していくと気づいたとき、
悪循環を止めて
好循環に転換するにはどうすればいいですか?


エイブラハム それは素晴らしい質問だ。

「悪循環」というのは「引き寄せの法則」が
働いているということだ。

言い換えれば、始まりは小さなネガティブ思考だった。

そこにさらに多くの思考が引き寄せられ、
さらに多くの人々が引き寄せられ、
さらに多くの会話が引き寄せられて、
ついにはあなたの言うような非常に強力な
悪循環になった。

そこまでいってしまうと、
望まないことから思考を引き上げるのは
よほど強い存在でないとできない。

言い換えれば、爪先に激痛が走っているのに
健康な足に思考を向けるのは難しい。
ということだ。

そこでわたしたちは、極端に否定的な状況では
思考を変えようとするよりも、
気持ちをそらすことを勧める。

さらに言い換えれば、
眠るとか映画を見に行く、音楽を聞く、ネコと遊ぶ……

何でも考えが変わりそうなことをしてみることだ。

あなたの言う「悪循環」にはまっていても、
人生には相対的にいいことがある。

どんな小さなことでも、
自分に起こっている出来事のなかで
いちばんいいことに焦点を定めれば、
「引き寄せの法則」でいいことが
引き寄せられてくる。

もっともっと望むことへと
思考の方向を変えることで、
スピーディーな「悪循環」を
スピーディーな「好循環」に
変えることができるのだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

望むこと、欲していることに転換するのが、

とても難しい時がある。

 

視野が狭くなり、

ネガティブな思考ばかりが、
どんどん浮かんでくる状態になってしまう。

 

こういう時に、気分転換しよう!と思っても、

こんなことをしているのは現実逃避だ!と、

自分を責めてしまって楽しめない事もあります。

 

でも、こういう連続したネガティブの中で、

少しでも、また否定的に捉えているな、

ネガティブな気分になっているなと、

客観的に気付くことが出来れば、

転換するきっかけを作ることが出来ます。

 

その為に、一瞬でも思考を止めることを、

オススメします。

(その隙にガイドたちもヒントを送ってくれたりします)

 

気分転換するなら、

思いっきりそれを楽しむ様にします。

不安が押し寄せてきても、

この30分だけは楽しんで過ごすぞと決めるとか。

それをきっかけに、

思考を肯定的な方に向けていくことが出来ます。

この時点で、意識的に思考をコントロールしようと、

しているんですね。

 

暴れ馬にしがみついて、振り落とされそう!という時に、

そうだ!手綱があった!と思い出せば、

なんとかコントロール出来るようになります。

 

今、目の前の問題ではなくて、

自分の今日一日という様に、視野を拡げて見て、

生活の中で悪いことが多い様に感じるけれども、

いいと感じることもあるよな、

今日、善かったことだってあったよね、

今、こうやってリラックスできるなんて幸せだな、

という風に切り替えてみる。

 

気持ちをそらすと上記にありますが、

でもとりあえず、〇〇でよかったな、

という風に全体の中での善いと感じる部分に

目を向けて見て、

肯定的に捉えることが出来ると、

少し気分が軽くなります。

 

それをきっかけにして、

”人生には相対的にいいことがある”とありますが

少しずつ、生活の中での善いと感じられる部分を

拾っていくようにします。
 

私は恐怖心に駆られて、

ネガティブ思考を恐れると、

それを避けようとして、

抜けられなくなってきます。

それより、

ネガティブな思考になっても、

転換すればいくらでも変えていけるんだなと、

自分次第で必ず乗り越えられるんだなと思うことで、

力を取り戻す様な感覚が起きてきます。

 

これから先に起きていないことには、

まだ沢山の可能性があるし、

思わぬことで道が開けたり、

思わぬ助けが入ったりすることがある。

あきらめたり、もうダメだと落ち込んだりすれば、

その思考がどんどん次の思考を呼んでしまうので、

一旦思考を止めます。
(創造を止める様にします)
そこから、少しずつ肯定的な考えに変えていきます。
 

今、ネガティブに感じていることが起きたけれども、

後から考えると、

あそこで自分を振り返ったから、

別の大きな問題に気付くことが出来たとか、

もっと効率的な方法を見つけられたとか、

ちっともネガティブな事ではなかった、

と言う様なこともあります。

でも、このトラブルがあったお陰で、

○○のことが分かったわ、

という風にちょっとでもいいと思えることを見つけると、

そこをきっかけに転換していけるようになります。

 

上記二つの質問とそれに対する答えは、

今楽しいことだけを考える、

問題から目を逸らして楽しいことだけする、

という風に解釈されることも多い箇所かなと思います。

 

ネガティブな思考に陥った時、

ネガティブな悪循環にはまりこんだ時、

どうしたらいいのかな?ということの答えで、

無責任に生きろ、

嫌な事はしなくていいという意味ではないですよね。

 

”すべてのものは、実は両面を持っている。
欲しいという面と、欲しいが欠落している、
存在しない、という両面である”とある様に、

欠落に思考が傾きすぎた時には、

一旦そこから離れてみましょうということです。

問題から目を逸らしてもそれを問題と認識していることは、

変わらないですし、

嫌な事から逃げても、それは嫌な事であるというのも、

変わらないですよね。

見方や考え方を変えない限り、

それはずっとついて回ります。

 

思考を変える為には、

一旦離れる、関心を別のことに向ける、

ということです。

転換するのがポイントになるのだけど、

転換した方がいいことに気付かない場合が多いので、

自分の感情を観察することがとても大事になります。