「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)

という本を読みながら、

エイブラハムという霊的なグループが伝えてくる、

「引き寄せの法則」と呼ばれるものについて、まとめて書いています。

 

鵜呑みにしないで検証しましょう

宇宙の法則の定義(エイブラハム)

引き寄せの法則とは何か?(エイブラハム)

思考と引き寄せの法則の関係(エイブラハム)

思考と現実の関係(エイブラハム)

という記事の続きです。

 

今までご紹介した、

「引き寄せの法則」「意図的な創造の方法論」

「許容し可能にする術」に加えて、

「節目ごとの意図確認プロセス」で、

物事を引き起こすための総合的な処方箋が、

完成するとあります。

 

自分の経験の創造者は
自分だということが理解できれば、
自分の欲求をもっと明確にし、
それを経験のなかで実現させたいと思うだろう。

立ち止まって自分が本当に
欲していることをはっきりさせなければ、
「意図的な創造」は不可能だから。

あなたがたは人生経験の各節目で
同じことを望んでいるわけではない。

それどころか一日のうちにも
たくさんの節目があり、
たくさんの異なった意図がある。

だからこの「節目ごとの意図確認」の勧めによって、
あなたがたが一日のうちに何度も立ち止まって、
自分がいちばん欲しているのは何かを明確にし、
それによってさらに欲求しを強調して
パワーを与えることがいかに大事かということを
わからせてあげたい。

今日の経験といっても、
今日考えたことだけの結果は、
実はほとんどない。

だが節目節目で立ち止まって、
その節目で自分が欲しているのは何かを
確認すれば、
その思考が将来似たような節目を
迎えるときの経験に
道を開く始まりになる。

例えば、
あなたが一人で自動車に乗る。

連れはいないから、
誰かとコミュニケーションしようとか、
人の話を聞こうということは、
この節目の重要な意図にはならない。

だが安全で快適なドライブをして
元気に時間どおりに目的地に着こう、
ということは、
ある地点からある地点に移動するという
節目にぴったりの意図だろう。

この運転という節目に入るときの
意図確認は
今回の節目だけに影響するのではなくて、
将来への道を敷くことになるから、
今後自動車に乗るときには
既に道が敷かれていて、
あなたの望むとおりの状況や出来事が
創造されることになる。

初めは、節目ごとに欲することは何かと
意図確認しても、
過去に提示した思考の勢いが
まだ残っているかもしれない。

だが節目ごとに自分の欲求を確認しておけば、
そのうち望どおりの道が敷かれていく。

そうなれば、たいして努力しなくても
自分の望むとおりのことが起こるだろう。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

 

私はいつからやっていたのか、

思い出せなのいのだけど、

一日2回、ガイド達に護ってもらっていることの感謝と、

自分や家族の安全を意図する時間を創っています。

車の運転をする前も、

やっぱり感謝と、安全を意図しています。

習慣になっていて、

引き寄せの法則とは関係なくやっていたのだけど、

その前に行なっていたことをそのまま引き摺って…、

ということはないですよね。

これから行うことと、今までのことに区切りをつけて、

思考が切り替わります。

 

 

「節目ごとの意図確認」は、
今この瞬間に特に望むことを意識し
明らかにするプロセスである。

これは人生経験の総体とみなされる
混乱状態のなかから、
特定の瞬間に自分が最も望むことは何かを
意識することで可能になる。

立ち止まって自分の意図は何かと
考えることで
宇宙から壮大な力が引き出され、
その力のすべてが、
あなたが今いる具体的な瞬間に
集中的に注がれる。

自分の思考を磁石だと考えなさい。
(実際には、あなたがたの宇宙にある
すべてに磁力があり、
それ自身に似たものを引き寄せている)。

だから、
あなたがほんの小さなネガティブな思考を
もてあそび、
そこに焦点を定めれば、
必ず「引き寄せの法則」によって
その思考は大きくなる。

特別に失望していたり
悲しんでいたりすれば、
同じような思いの人が引き寄せられてくるだろう。

あなたの「感じ方」が
「引き寄せの作用点」になるからだ。

だから、不幸な気持ちでいると
もっとたくさんの不幸が引き寄せられてくる。

心地よい気分でいれば、
ますます心地よいことが
引き寄せられてくる。

あなたがたはつきあう他人を
自分の経験のなかに引き寄せ、
招き寄せている。

同じ交通機関に乗り合わせる人たち、
買い物をしているときにかかわる人たち、
散歩しているときに出会う人たち、
その人たちとの議論のテーマ、
レストランでテーブルに着くウェイター、
ウェイターの態度、
あなたの経験のなかに流れ込んでくるお金、
あなたの身体がどんなふうに見え、
どんなふうに感じられるか、
デートの相手、
挙げればきりがないが、
要するに人生経験のすべて
─これらはみな、今この瞬間の
あなたの力を理解する貴重な手がかりになる。

「節目ごとの意図確認」のプロセスで
大事なのは、
人生のこの節目で
自分にとって最も重要なことは何かを
明らかにして、
経験したいと思うことに
意識的に思考を向けることだ。

わたしたちが
「あなたがたは自分の経験の創造者だ、
あなたがた自身が招き寄せたものでない経験は
一つもない」
と言うと、反論する人たちがいる。

なぜ反論するかといえば、
人生で好ましくない経験をしている人が
大勢いるからだ。

だからあなたがたは言う。

「エイブラハム、わたしは自分から
好ましくないことを創造したりはしません」。

そのとおり、
意図してそんな創造はしないだろう。

その点には賛成するが、
しかし、自分が創造したのではないというのには
賛成できない。

あなたがたの身に起こることはすべて、
あなたがたの思考を通じて
─また思考によってのみ─
起こっている。

しかし、
自分の経験の創造者は自分だということを
受け入れない限り、
ここで話されることには
なんの価値も見いだせないだろう。

「引き寄せの法則」は
あなたが意識してもしなくても、
あなたがたに作用している。

そして、「節目ごとの意図確認」は、
自分の思考の力をより明確に
認識するうえで役立つだろう。

なぜなら「節目ごとの意図確認」を意識して
実行すればするほど、
人生経験の詳細な部分にあなたがたの意図が
反映されるからだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

ここまでご紹介してきたことは、

自分の思考が似たものを引き寄せているということ。

思考を監視するのは大変なので、

感情を観察する様にすること。

ネガティブな感情の時は、思考を転換すること。

他人や外側のことを観察して、関心を向け続けると、

自分の経験に取り入れることになるので、

欲しいものとそうでないものを分けて、

欲しいものに関心を向けること。

といったことでしたよね。

 

私の場合、

欲しいものでないと、

ネガティブな気持ちになるので、

じゃあ、何が欲しいの?何を望んでいるの?

と問い掛けることを、

頻繁に意識的に行なうようになってきました。

嫌だなと思っても、

割とスルー出来る範囲のことが多いので、

それをちょっとずつ変えることにしました。

逆に、嫌だなと思った時がチャンスで、

じゃあどうしたい?と解決策に意識を向けることで、

よりよく修正される様になります。

現状維持より、最善に向かえるように、

工夫していきたいと思います。

 

 

ここをコソコソ覗きにきては、

ちょいちょいパクって、

偉そうに先生面している商売の人達が、

懸命に弁解しているので、

またカウンセリングやコーチングみたいなことについて、

少し書きますね。

 

20代の前半と後半の二つの期間に、

精神科の先生のカウンセリングを、

受けていたのね。

20代前半に自殺未遂をしたことがきっかけで。

そこは入院も出来る大きな精神病院の敷地内の施設で、

病院とは別にやっているところでした。

担当の先生には、私は投薬の必要はなく、

自分と外側の境界が曖昧になっているだけだから、
という様な説明をされました。
 
そこで先生が、鏡になって、
徹底的に自分と向き合うことになりました。
あの経験があったから、
あれこれアドバイスして、
お客さんに投影しているカウンセラーは、
ダメだなと思うんだけどね。

 

何を話しても、話したことをそのまま返すだけで、

 

アドバイス的なものはほとんどなく、
何をしたらいいのかも分からないし、
どこに向かっているのかも分からなくて、
カウンセリングを受けても、
不安に感じることも多かったのよね。
 
今だから分かるのだけれども、
私は先生の顔色を窺っていて、
先生が喜びそうなことを言ったり、
先生がアドバイスする通りに従ったり、
というのがしたくて、
でも、先生からは率先して何か言う事はなく、
カウンセリングの部屋に入って、座ると、
ずーっと先生は黙っているのよ。
私が何か話さなきゃいけない。
でも何のテーマもなく、
先生はちょっと微笑んでいる様な、
表情をしていて、
私が黙っていても、話しても、
全然変わらない。
「○○だったんです」と言えば、
「〇〇だったのね」と返すだけ。
お金払っているんだけど、正直、苦行の様な感じ。
 
先生に言われた通りにするのは楽なのよ。
でも、自分で何を話すか、どう思っているか、
どんなことを考えているか、
テーマもなく、表情が一切変わらない人に向かって、
話すのってすごい辛い。
何なの?どうしたらいいの?と不安だったのだけど、
先生が聞き返した時に、
そうか私は〇〇だったんだ、と、
客観視する様になってきて、
とにかく自分の話したいと思うことを、
とりとめもなく話す様な感じになりました。

 

サバサバした口調だけど、

 

見た目は可愛い女医さんで、
とても好感を持っていたから、
先生を喜ばせたかったり、
先生のお陰で治った様に見せたかったりで、
すごく良くなったと思います!みたいな事を言って、
機嫌を取ろうとすることもありました。
 
でも、先生はそういう駆け引きには、
一切応じない。
 
何を言っても態度が変わらない。
顔色を窺っても、
何を考えているのか、思っているのか、
一切分からない。
 
それに慣れるのに、結構時間がかかって、
治療という視点で捉えると、
何かが変わったのかどうか、全く分からない状態でした。
先生からは、ほとんどアドバイスがなかったし。
 
先生は何を言っても変わらないというのが、
分かってきて、
先生を操作しようというのを、
あきらめて、
やっと、少しずつ自分と向き合える様に、
なったと思います。
 
個人で、カウンセリングする人が、
そういうことできるかな?と思うのよね。
具体的なアドバイスはしてくれないし、
対応も淡々としている。
そういう人に、お客さんが喜んで相談するだろうか?と。
 
でも、そういう方法は確実に、成果が出ます。
 
先生が鏡になってくれて、
自分と向き合う様になるから。
それが出来るまで、ひたすら、お金を払って、
時間をかけました。
一時間6千円くらいだったと思うんだよね。
5千円前後。それを月二回。
1年くらいは続けたと思う。
 
そうそう、この通うペースとかも、
自分で決めなきゃいけなくて、
先生がじゃあ来週来てとか言うのかと思ったら、
言わないんだよ。
自分が行きたいと思ったら行く、
みたいな感じ。
先生の方から予約を取りましょうって言わなかったら、
私は、治ったの?来なくていいの?って、
考えちゃうじゃない。
そういうのもすごい不安だった。
このくらいのペースで通って、
こうなったら治りましたよ、
みたいなのも一切見えない、分からない。
 
先生はカウンセリングがメインの仕事ではなくて、
当番制で担当している感じで、
その精神病院に勤務している訳だから、
私がカウンセリングを受けても受けなくても、
お給料は変わらないのよね。

だから、お客さんの機嫌を取る必要はないのよ。

でも、カウンセリングを仕事にしている人は、
そうはいかないよね?
 
私は母との共依存関係があったから、
経験からこれを書いていますけど、
共依存関係に陥っている人は、
相手の表情を見ながら、
なんとかコントロールしようとします。
 
私の場合は、相手の喜びそうなことを言う、

機嫌を取るという感じで、

その為に、自分の気持ちは偽ったり、
というか、相手の顔色を窺うことが主軸になるから、
自分の気持ちは全然分かっていない感じでした。
自分が今、何を感じているか?ということに、
注意を払うことがないのよ。
相手はどう思っているのかな?ということばかり、
考えてしまうの。
 
普通は、相手の反応が、
こちらの言動に左右されるから、
出来るだけ相手が喜ぶ様にと、
言葉を選ぶようになるでしょう?
 
でも、先生は何を言っても、変化がないのよ。
表情も態度も変わらない。
先生を見ていても、
何が善いことで何が悪い事なのか、
まるで判断出来ないの。
だからこそ、コントロールをあきらめて、
自分と向き合える様になった。
 
先生は、私が投影していることも分かっていたし、
自分と他者の境界が曖昧で、
自分を客観視出来ていないのも分かっていたのね。
すごくいい先生と出会えたなと、
今も感謝しています。
 
そういう経験があるから、
カウンセリングすることが、
傍について支えてあげること、
導いてあげること、
助けてあげることみたいに、
考えている人がいるとしたら、
とんでもない誤解だなと思います。
 
 
「エメラルドタブレット」
(アトランティス人トート著/M・ドーリル博士編)には、
下記の教えがあります。
 
もしだれかが汝のところに相談に来りなば
自由に語らしむべし。
そが彼の汝に来りし所以の問題を解決せん。

もし、彼が汝に心を開くことをためらわば、
そは判定者たる汝が
誤りをおかせし故なり。

解説

問題があってやって来た人は、
自分自身のことを話すことによって
解脱を得るものである。

もし彼が話すことをためらったならば、
彼が相談に来た面接者自身の
心的特性の中に話すことを拒否する様な
何かの欠点があるからである。

注解

ここに近代心理学のカウンセリング(面接相談)の
原理がある。
カウンセラー(面接者)の欠点とは、
愛の不足という心的態度とか
喋り過ぎるとかいうことである。

キリスト教なんかの懺悔もこの原理によるのだろう。
 
 
カウンセラーが言いたい事があっても、
ぐっと我慢するとかありえないでしょう?
そのカウンセラーが、こうしたらいいと思うことを、
言う訳でしょう?
 
私の場合は、ほとんどなかった。
 
自分の身体の状態を知る、
リラックス法を教えてもらったり、
むしゃくしゃした時の、
解消法のアイディアを教えて貰ったのは、
覚えています。
(紙袋に思いっきり文句を言って、
グチャグチャと潰すみたいな事でした)
 
あなたは、こうでしょう、
こうしたらいいのよ、みたいなことは、
一切なかった。
自分はどうなのか、どうするのかを、
先生を鏡にして、自分で探したのよ。
 
 
相手の感情が読めると思い込んでいる人が、
いますよね?
そういう人は、相手の感情を読みながら、
自分が思う方向に誘導しているのよ。
でも、本当は、相手の感情が、
読めているのではなくて、投影しているの。
 
引き寄せの法則で考えたら、
自分に似た様な人を引き寄せているから、
読めていると思い込んでしまうのね。
 
原因と結果の法則で考えたら、
自分が抱えている問題を、
見せてくれる相手を引き寄せていて、
相手を通して自分の問題を把握するのよ。
相手に問題があるのではなくて、
自分の中にあるから、それが見えるのね。
 
その為に、相手にそれを伝えると、
当たってる!よく分かったね!と言われることも、
あるのだろうから、
自分は相手の感情が読めると、
勘違いしてしまうのよ。
 
鏡の法則が理解できる様になると、
相手の感情が読めると思い込んでいる人が、
こちらの感情を読めていると思って、
あれこれ揺さぶりをかけてきても、
全く動じなくなります。
というか、揺さぶりをかけていたことにさえ、
気付かない。
相手の問題で、自分には関係ないことを知っているから、
そこまで気にしないのね。
 
あなたにはそう見えるのね、
あなたはそうなのね、という感じで、
境界線を引くから、揺さぶられることはない。
 
私のことを分かっている、
感情が読めていると思って、
どうだ!図星だろう?と、あれこれ言ってくる人を見ると、
切なくなります。
自己紹介だよ…と。
 
私たちは外側を観察することは、
得意なのよね。
でも、自分の感情に意識を向ける、
ということはあまりしてこなかった。
 
引き寄せの法則を上手く活用するには、
自分の感情が、重要になってくるから、
よく観察する必要があります。
 
 
カウンセラーは、
お客さんに問題がある、どうにかしなきゃいけないと思って、
問題点に意識を向けて、
否定しながら考え続けているよね。
 
引き寄せの法則から見ると、
カウンセラー自身にも、それを現実に呼び込むことになるよね。
 
もし、お客さんは何も問題がないと、
肯定的に捉えることが出来るなら、
どうしてお金を貰うのでしょう?
 
肯定的に捉えています!というのなら、
その人は、何も問題がないと知っていながら、
お金を貰っている訳で、
ぼったくりの詐欺ですよね。
 
引き寄せの法則を取り入れた、
カウンセリングやコーチングをしている人が、
本当に引き寄せの法則を理解しているのなら、
ここで矛盾が生じています。
 
どうして商売出来るの?と。
 
あえて”引き寄せの法則”という看板を掲げて、
商売をするのには、
それなりの自信がある訳ですよね。
 
本当に理解しているのなら、
自分自身がネガティブな現実を創り続けることも、
理解しているのだろうし、
それなのに人に教える、導くという…これも矛盾があります。
 
逆に、そうでないのなら、
ぼったくりの詐欺だと分かっていて、
商売するのだろうし、
そうすると、嘘を吐いている、
ぼったくっている、詐欺をしている…と思いながら、
現実を創造している訳で、
これもまた矛盾が生じますよね。
 
どっちにしても、この人達は、
人に教えられる、導けるほどの、
幸せな人達なのかな?と。
 
自分を投影していて、
自分の内側を癒す為に、
お客さんのカウンセリングを行っています。
 
共同作業ですというのが、
理解している人であれば、
それに見合う様な、お互い様の金額設定で、
商売するとは思います。
 
自分の為なので、高額の人は、
やっぱりぼったくりの詐欺だよね。
 

ここをコソコソ覗きにきては、

ちょいちょいパクって、

偉そうに先生面している商売の人達は、

懸命に弁解することで、

いつか、私があなたのことを認めたり、

あなたの方がすごいと負けを認めたりするんじゃないか?

という風に期待しているでしょう。

それは絶対にないですよ?

私にとって、あなたの様な人達は、

興味の対象ではありません。

引き寄せで言えば、

ひっくり返したい人である私に、

引き寄せられて来た、

ひっくり返った人達だけれども、

 
あなたはあなたであり、
たぶんわたしと違うだろうが、
それもそれでよろしい。

なぜなら、
わたしたちの間に劇的な相違があっても、
わたしは自分が欲することに焦点を定めることができるし、
自分に不快感をもたらすことに
焦点を定めるほど愚かではないから、
ネガティブな暗い感情に苦しめられることはない。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
それもそれでよろしい訳です。
 
下記もご紹介しましたが、
 
わたしは「許容し可能にする術」を
現実に適用する者として
この物質世界にやってきたのは、
自分が思う「真実」に
全員を従わさせるためではないことを
理解している。

また画一性や同一性を促進するために
やってきたものでもない。

同一性、画一性には、
創造性を刺激する多様性がないことが
理解できないほど愚かではないからだ。

画一性の実現に焦点を定めれば、
わたしは創造の継続ではなく
終焉に向かうことになるだろう。

だから「許容し可能にする術」は、
この地球と地球上の種
さらには
この宇宙自体の存続あるいは生存に
どうしても欠かせないし、
その存続はすべての「源(ソース)」の幅広い視点から
力強く認められている。

物質世界の視点に立っているあなたがたは、
自分自身の成長、拡大を認めないかもしれないが、
そのときには自分が腐りかけているような
嫌な気分になるだろう。

そして他人の成長、拡大を認めないときにも、
自分が腐りかけているような嫌な気分になるはずだ。

気がかりな状況を見て、
しかしそれを止めたり変えたりするために
努力するのではなく、
放っておこうと思うとき、
あなたはその状況を「我慢」している。

これは「許容し可能にする」こととはまったく違う。

「許容し可能にする」とは、
自分と「内なる存在」とのつながりを
維持し続けられる物事の見方を探す術だ。

それはこの時空という現実の世界にちりばめられた
データのなかを選択的に移動しながら、
心地よい物事に焦点を定めることで実現できる。

つまり「感情というナビゲーションシステム」を活用して、
思考が向く方向を決定するということだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
あなたの思う真実に、
お客さんを従わせたいと執着する以上、
許容し可能にする状態には至っていません。
 
でも、お客さんの方も依存したい、
という気持ちがある場合も多いのかもしれませんね。

 

昔のスピリチュアル系のイメージって、

お金も持っていて、暇もある人が、

更に自分に特別な価値を付ける為に、

スピ系教祖に貢いでいた感じなのね。

 

今も、そういう人がいると思うから、

推し活みたいな感じで、

楽しめばいいよね?

異性のカウンセラーに貢いだり、

セッションしたりも、

好きにしたらいいと思うよ。

色恋営業的な感じで。

ツイッターとかで、

今、このお客さんと付き合っているんだな、

みたいなのが分かる人もいるよね。

やたら持ち上げるフォロワーがいて、

しばらくするとまた別の人に変わる、教祖様。

(もちろん異性)

 
私は、本気で困っている人を、
カモにするのは、見逃せないなと思います。
こういう人たちは、霊的に言うと、
天上界から獣指定されていまして、
人々の意識の上昇を阻む存在として、
監視対象になっています。
そういう人が、わざわざ、
ブログ記事を読みに来て下さるので、
私も黙って見て見ぬ振りは出来ません。
出来ることをします。
 
こうやって説明してみると、
引き寄せの法則で商売している人が、
本当に引き寄せの法則を理解して、
上手に活用出来ているのかな?と、
疑問に感じますよね。
 
こういったことも、自分で試行錯誤しながら、
あれ?あの人、ちょっと矛盾していない?
その方法だと、あの人の想定する結果には、
繋がらないよね?というのが、
分かってきますよ。
識別力を上げていくんですね。
そうなれば、騙されませんよね。
逆に、騙す人が例となって、
自分の正解を探せるようになります。
 
引き寄せの法則というのは、
何でも願い叶えてくれる万能な魔法ではありません。
何でも願いを叶えられる様になる為に、
引き寄せの法則を上手に活用し、
自分をコントロールする、努力するのです。
 
ドーリル先生は、御自身みずからの経験と
知識のみより語らなかったかたであるから、
いろんな療法もすべて、
現実的に実証ずみのことばかりなのである。

読者各位もこのことをよく認識され、
本書によって、
実り多きものを得てもらいたいのである。

一回や二回の行法でうまくいかないからとて、
諦める様では、
とても霊的真理を実現することは
不可能なのである。

ドリル先生御自身も千回も失敗した後に
実証した真理もあると言っておられるのである。

わけても、精神や心のことであるし、
長い年月、数多くの転生を通じて
積み重ねてきた習慣を
変換せんとするのだから、
不断の努力、たえざる前進ということが
必須不可欠のことなのである。

真理の探究に王道は絶対にないのである。

「療法の眞義」(M・ドーリル博士著)訳者(林鐵造先生)はしがきより
 
今までの習慣を続けて居て、
何でも願いを叶えられてはいなかったのなら、
少しずつでも変えていかないといけませんよね。
安易な言葉に飛びつかない様にしましょう。