「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)
という本を読みながら、
エイブラハムという霊的なグループが伝えてくる、
「引き寄せの法則」と呼ばれるものについて、まとめて書いています。
という記事の続きです。
下記でご紹介しましたが、
エイブラハムたちは、「欲する」とか「望む」
という言葉についてを下記の様に説明しています。
わたしたちは「欲する」とか「望む」という言葉を、
「ある対象に関心あるいは思考を向け、
同時に明るい前向きの感情を体験する」
という意味で使うことにする。
ある対象に関心を向け、
そのことに明るい前向きな感情だけを覚えるなら、
その対象はすぐあなたの経験のなかに
現れるだろう。
だが聞いていると、
物質世界にいるあなたがたは
「欲する」とか「望む」という言葉を使いつつ、
でも実現するはずないと
「疑い」や「不安」を抱いている場合がある。
だが、わたしたちの見るところ、
暗いネガティブな感情を抱きながら
純粋に何かを望むことはできないのだ。
純粋な欲求は常に明るい前向きな感情を伴う。
この点では「欲する」とか「望む」という言葉の
使い方で、
わたしたちに同意できない人たちがいるかもしれない。
そういう人たちは、「欲する」というのは
欠如しているという意味でもあるから、
この言葉は矛盾しているではないか、と言う。
わたしたちもそう思う。
だが問題は言葉やレッテルにはなく、
その言葉で表現している感情の状態にある。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
”「ある対象に関心あるいは思考を向け、
同時に明るい前向きの感情を体験する」
という意味で使うことにする。”とありますが、
これは肯定的な見方をしている時で、
ポジティブな感情になります。
否定的な見方をしていると、ネガティブな感情になり、
「疑い」や「不安」があります。
創造のバランスの二つの要素は
「欲すること」と
「許容し可能にすること」だ。
「欲する」ことと「期待する」ことと
いってもいい。
最善のシナリオは、何かを欲して、
それが実現すると信じて期待することだ。
これが創造としては最善の形だ。
何かをちょっとだけ欲して、
実現すると信じれば、
バランスは完了し、
望みはかなえられる。
何かを強く欲しても、
実現する力があるかどうかを疑えば、
少なくともすぐには実現しない。
欲求の思考と
信念の思考が釣り合わなくてはならないからだ。
刺激を受けて望まない何かについて考え、
それはよく起こることだと聞いて、
自分にも起こる可能性があると
信じたとする。
望まないことについての
ちょっとした思考と
起こる可能性ついての信念のために、
その体験が実現する場合がある。
自分が望むことについて
考えれば考えるほど、
「引き寄せの法則」によって
さまざまな証拠が引き寄せられてくるから、
あなたはやがてその実現を信じるだろう。
「引き寄せの法則」を理解し
(法則は常に一貫しているから、
その気になれば簡単にわかる)、
意図的に自分の思考を方向づければ、
自分はなんにでもなれるし、
なんでもできるし、
なんでも手に入れられると信じるようになる。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
「許容し可能にすること」という部分で、
難しく感じることがあると思います。
ネットストーカ―について書きましたけど、
誰かの解釈を、違う違う、その前提から間違っているんだよね、
みたいに、否定したくなるとします。
その時点で、許容し可能にはしていません。
否定しているので、暗いネガティブな気持ちになります。
ところが、ひろゆき化すると、
否定するのが楽しくなって、ワクワクして、
明るい気持ちになる場合もありますよね。
ものごとは両面あるのですが、
選ぶ時はどちらか一つしか選べません。
これも、両方選べると勘違いしている人がいますが、
例えば、トマトを食べるか食べないかだとしたら、
食べる時には食べないは選べないし、
食べない時には食べるは選べませんよね。
どちらも選ばない場合、
最初が食べない状態であれば、
そのまま食べないを選択したのと同じことです。
私は、肯定すると前向きな明るい気持ちなる、
というのは確かにそうだと思いますし、
ワクワクするようなこともありますけれども、
じゃあワクワクする楽しい気持ちが、
肯定しているのかというと、
そうではない場合もあると思います。
前向きな感情と
ネガティブな感情の違いがときに微妙であるように、
欲することと必要とすることとの違いも
非常に微妙な場合があることを覚えていよう。
自分が欲することに焦点を定めていると、
「内なる存在」は前向きの明るい感情を送ってくる。
必要なことに焦点を定めていると、
欲することに焦点を定めているのではないから、
「内なる存在」はネガティブな暗い感情を送ってくる。
そのときあなたは欲することの「欠落」に
焦点を定めている。
そして「内なる存在」は
あなたの思考が対象を引き寄せることを
知っている。
「内なる存在」はあなたが欠落を
望んでいないことを知っている。
「内なる存在」は
あなたが何を欲しているかを知っていて、
その違いをわからせようと指針を送ってくる。
解決策に焦点を定めているときには、
前向きの明るい気持ちになる。
問題に焦点を定めていると、
ネガティブな暗い気持ちになる。
その違いは微妙だが重要だ。
なぜなら前向きの明るい気持ちでいるときには、
欲していることを経験に引き寄せているのだから。
ネガティブな暗い気持ちでいるときには、
望まないことを経験に引き寄せている。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
違う違う~と言う時、
問題点に焦点を定めているので、
本人は楽しくても、
自分の内なる存在とは一致していないので、
それは現実に現れてきます。
楽しい気持ちで過ごしているのに、
思った通りにいかないから、
でも、表面上は上手くやっている様に見せたいので、
その皺寄せが、特定の何かへの攻撃などに、
繋がるのかもしれないですね。
これはこうである、という自分が決めた設定以外のものを、
否定してしまう、ということもあると思います。
カルト的な思想だと、刷り込まれているので、
それ以外を受け付けなくなったりしますよね。
更に思考することを否定していたりすると、
比較できなくなってしまって、選べないので、
一層追い込まれることになります。
こういうのもマインドコントロールですよね。
ジェリー 今まで他人からいろいろと言われて、
そんなことは無理だと信じさせられていたとしても、
それまでの信念に反する何かを望んで、
創造することはできますか?
エイブラハム その欲求が十分に強ければ可能だ。
言い換えれば、以前に話した母親は、
自動車のような重いものを
持ち上げられるわけがないと
社会に刷り込まれていたし、
自分の経験からもそう信じていたが、
子どもを助けたいという欲求が激しかったので
自動車を持ち上げることができた。
だから、欲求が非常に激しければ、
信念を乗り超えられることができるのだ。
信念にはとても力があるし、
変化するのに時間もかかるが、
それでも変えることはできる。
心地よい思考へ、
もっと心地よい思考へと
心がけていれば、
そういう思考が見つかるし、
活性化できる。
そうなればその思考に
「引き寄せの法則」が作用し、
やがては思考の変化を反映した
新しい人生が開ける。
今ある「事実に基づいた」ことだけが
信じられるという思考にしがみついていたのでは
何も変わるはずはないが、
思考の焦点を変えると
新しい思考に「引き寄せの法則」が
作用することが理解できれば、
それまでとは違った証拠が現れるし、
それすれば「意図的な創造」の力を
理解することもできる。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
以前に話した母親は下記です。
欲して期待すれば、すぐに実現する。
だが欲することと期待することがうまく
バランスすることは、そうは多くはない。
強く望んでも実現するとは信じないかもしれない。
例えば、子どもが自動車の下敷きになったことに
母親が気づいたとする。
彼女は自分が重い自動車を持ち上げられるとは
思わないだろうが、
でも持ち上げたいという欲求が非常に激しいときは、
実際に持ち上げてしまう。
一方、信念は強くとも、
欲求はさほど強くないことも多い。
例えばガンのような病気については、
信念が非常に強くても、
欲求はそう強くないだろう。
あなたがたの多くは
「ネガティブなワークショップ」を
実行しているかもしれない。
デスクに向かって請求書の山を眺め、
全部し払うお金がないのではないかと心配し、
緊張や恐怖すら感じとるとすれば、
それはネガティブなワークショップだ。
お金が足りないだろうと考えれば、
欲しくないことを創造するのに
完璧な状態になる。
そのときに感じる気持ちは、
あなたが考えていることは
欲求と調和していないよ、
という「内なる存在」のメッセージだ。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
変化を起こすには、思考の焦点を変える必要がありますが、
もし欲求が非常に激しければ、
思い込みを乗り超えることも出来ます。
例えば、どうしようもないピンチなどに陥って、
強い欲求が起きた時に、大きな変化が起こることがありますよね。
逆に言えば、
思い込み、強いマインドコントロールに掛かってしまうと、
その人自身を救う為に、
思い込みを手放さなければいけないような、
とんでもない出来事が起きて来る場合もあるということです。
悪さをする右手を切り落とさなければならない、
といったことも起きて来るんですね。
起こること全てに意味があって、
偶然なんてないんだなということを理解すると、
逆にそれは、自分でコントロール出来るという強みになります。
むやみやたらと思い込んで、暗示をかけて、
アファメーションして、引き寄せようとやるよりは、
法則をしっかり理解して、
意識、思考、感情をコントロールする、
ということをした方が、確実だと私は思います。
少なくとも、私はガイドたちからそういう指導を受けています。
地球さんの新しい創造領域に向かう為には、
身に付けなければいけないことでもあります。
(選ばない自由もあります)
あなたがたは一度にすべての欲求を抱くわけではないが、
今この時点に関連する多くの欲求を持つことがある。
例えば配偶者との関係では、
明確なコミュニケーションをしたい、
自分を元気づけたい、
相手を元気づけたい、
相手が自分と同じことを望むように
影響を与えたい、などと思うだろう。
言い換えれば、調和を望むわけだ。
いちばん実現したいのはどの欲求か。
それを確認することが重要だ。
そうやって優先順位をつけることで、
いちばん重要なことに
特に関心を向けることができる。
特に関心を向ければ、
そのいちばん重要な対象に
力が引き寄せられてくる。
一日を始めるにあたって、
節目を明らかにしていなかったとする。
多くの人たちと同じように
なんとなく一日が始まり、
あれこれと衝動のおもむくまま、
また他人の欲求や自分の古い習慣に応じて
次々に手を出していく。
電話が鳴る。
子どもたちがあれこれ要求する。
配偶者が何か質問する。
あなたはどれについても明確にしないまま、
たいていはごく普通に一日が過ぎていく。
さて、あなたが何を望むかを確認しないまま、
議論に巻き込まれていたとする。
子どもか配偶者か別の誰かと意見がぶつかる
─相手が誰かは問題ではない。
あなたは「内なる存在」が「警鐘」を
鳴らしているのを感じる。
いろいろな理由でネガティブな感情が
わき起こってくる。
自分が意図を明確にしなかったために
面倒なことになったと、
自分に少々腹が立つが、
それよりも相手の意図、
相手の言うこと、
あるいは相手の要求と衝突したことでもっと
動揺している。
その節目で気がついて、
「今この状況で自分は何をいちばん望むのか」
と自問すれば、
「調和を感じること。
妻や子どもやその他の相手と仲良くすること」
がいちばん大きな欲求だと気づくかもしれない。
そのときのもめ事の内容よりも、
和やかな関係のほうが
はるかに大事だ、ということだ。
自分は調和を最も望んでいるのだと確認すれば、
あなたの意図はもっと明確になる。
ネガティブな感情は消えて、
あなたはこんなふうに言うかもしれない。
「ちょっと待って、話し合おう。
言い争いはしたくない。
きみはわたしの親友なのだから、
わたしは仲良くしたいんだ。
一緒に幸せになりたいんだよ」。
あなたがそう言えば、
相手も気持ちが穏やかになる。
相手もそう思っているのだと
気づかせることになる。
そうなれば、新たに明確になった
─和やかな関係という─
優先的な意図を基に、
目の前の問題はたいしたことはないと、
新たな目で見られるだろう。
ここで、人生経験のあらゆる節目の始まりで
確認するととても役立つ言葉を
教えてあげよう。
「人生経験のこの節目に入るにあたり、
わたしは自分が見たいものを
見ようと思う」
この言葉は─人とつきあうときには─
仲良くしたい、相手を元気づけたい、
自分の考えを効果的に伝えたい、
自分の求めるものと調和した欲求を
相手に持たせたい、
というように、
自分が見たいのは何かを
気づくきかっけになるだろう。
この言葉はとても役立つはずだ。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
自分の感情に気付くことが大事になって、
気付いたら、転換するということを意識します。
ネガティブだー、ネガティブになっちゃうのよねー、
とやっているのは、
現状維持になるので、
そうか何かを否定的に捉えているみたいだな、
別の見方を探してみようと、
思考を変えるようにすると、
ポジティブな感情になってきます。
原因というのは、出来事そのものではなくて、
それはきっかけに過ぎなくて、
元々内側にあった否定的な見方が、
その出来事によって表出したのです。
”わたしは自分が見たいものを
見ようと思う”
と言う時、嫌いなことから目を背けるをやると、
エイブラハム あなたが望まないものを
押しのけることは不可能だ。
なぜなら、押しのけようとすれば
逆に対象の波動を活性化し、
引き寄せることになるからだ。
この宇宙のすべての基本は引き寄せの力だ。
言い換えれば、排除ということはない。
望まないものに「ノー!」と叫んでも、
実はその望まないものを自分の経験に
招き寄せてしまう。
望むものに「イエス!」と言えば、
その望むものを自分の経験に招き寄せるのだ。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
とありましたが、
逆に引き寄せてしまうので、
望むことに転換する、意識を向ける、
ということをしましょうという意味になります。
ジェリー 前進したいと思ったとき、
その方法や手段はどうで、
結果として自分はどういう状態になりたいのか、
何を実現したいのかということについて、
どのくらい細かく考えるべきでしょうか?
エイブラハム 欲求について考えるときには、
前向きの感情がわき起こる限りで
詳しく考えればいいが、
ネガティブな感情にあるほど詳細にわたってはいけない。
何かをぼんやり求めているのでは、
思考は具体性に欠ける
─したがって強力にならない─から、
「宇宙」の力が引き寄せられてこない。
だが、逆に
信念を変えるだけの十分なデータもないのに
あまりに細部まで考えるのもよくない。
言い換えれば、
具体的に考えたとき、
その欲求の実現が信じられなくなると
ネガティブな感情になる。
だから、
前向きの感情がもたらされる限りで、
十分に具体的に考えればいいが、
しかしネガティブな感情になればなるほどに
具体的に考えてはいけない。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
感情が強く動くと現実化するということなので、
自分の感情をいつも観察する様にします。
でも、したくない人はしなくていいですからね!
自分はいつもありのままだから、
感情の観察なんて必要ないのだというなら、
それはそれでいいと思いますよ。
はっきり言うと、
したくないと否定的に捉えるくらいなら、
自分がしたいようにすればいいわけだし、
いちいち揚げ足を取りたくなったり、
いちいち自分の主張が正しいことを認めてもらったり、
こうしてもいいのか?と許可を取りたくなったりする、
という状況の方がよろしくないと思います。
自分の欲求や許可と、
他人の欲求や許可が混同している状態ですよね。
まずは二元性の克服で、
それが出来ない限り、
自分の意見以外は間違いとしか思えないんですよね。
何を書いてもひっくり返っていくのが仕組みなので、
そういう人にはお伝え出来ることはありません。
「節目ごとの意図確認」を行なうことで、
一日のうちで何度も立ち止まり、
「選択的な軌道修正」をして、
「意図的に経験を引き寄せる」ことが出来る様になると、
エイブラハムは伝えています。
ジェリー それで、順調に前進していると
感じたいと心から願っているとして、
でも「思わぬ邪魔」が入って
たびたびその意図が妨げられる場合について
教えてください。
そんなときは、どんな「節目ごとの意図確認」を
したらいいでしょうか?
エイブラハム もちろん、あなたが上手に
「節目ごとの意図確認」ができるようになり、
節目ごとの意志が明確になれば、
自動的に邪魔は入りにくくなる。
邪魔を引き寄せているのは、
過去に「節目ごとの意図確認」を
していなかったせいだ。
今日も快調に軽やかに過ごそうと
思い描いて一日を始めれば、
それで邪魔の一部は取り除かれる。
それでも邪魔が入ったら
節目ごとに対応し、
邪魔されたときに次のように確認すればいい。
「これは短時間で終わる。
わたしは思考の流れを見失ったりはしない。
迅速に効率的に対処して、
すぐに自分がしていたことに戻ろう」
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
予定外のことがあると、混乱しますよね。
混乱している自分の状態を客観視できると、
冷静さを取り戻せると思います。
ジェリー 「節目ごとの意図確認」が
臨機応変なとっさの反応を防げることは
ありませんか?
エイブラハム 「節目ごとの意図確認」で
いい加減な反応は、防げる。
さらに意図的な反応をする能力は強化される。
臨機応変というのは、
臨機応変に自分の望むことを引き寄せるならば
素晴らしい。
だが、臨機応変に望まないことを
引き寄せたのでは、
素晴らしいとはいえない。
意図的な創造の代わりに
惰性で臨機応変に対応するのは嫌だろう。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
何が起こっても、自分がどうしたいのか?
ということは、分かるので、
分からなくても、いい気分になりたいか、
なりたくないかは分かりますから、
焦点を絞って今一番大事なことについて、
どうしたいか?と思考をコントロールすれば、
混乱に巻き込まれることはなくなります。
切り換える、転換するという感じです。
そうすると引き寄せの流れも変わります。
ジェリー エイブラハム、
もう少し「節目ごとの意図確認」について
話してください。
すべての瞬間にいちいち細かいことに
関心を向けるのはとても面倒なのですが、
例えば、毎朝最初に安全を望むと
確認するだけで済ますことはできませんか?
それで、その日一日の安全を
守れないでしょうか?
エイブラハム 何度も同じことを繰り返す必要はないが、
どの時点でもいちばん重要なことを
再確認するのは大切だ。
安全という意図を確認し、
安全を感じるようになったら、
そのあとはいつも安全を引き寄せるポイントが
確立されている。
もし安全ではないと感じたら、
そのときはまた安全を再確認することだ。
「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
朝、起きた時に、
肯定的な見方をするぞと決めても、
夕方から夜にかけて、
色々なことがあって、だんだんパワーダウンしていく感じで、
それに伴って、否定的になりやすくなるように感じます。
何かする度に意図するのは、面倒かもしれないけれども、
いくつかポイントを絞って、
どうしたいのかということを確認するようにすると、
夕方、夜も肯定的な見方を維持できるようになります。
中学生の反抗期みたいなスピ系教祖様がいたのね。
あ、今も居ますけど、
また新しい信者を集めて、
共依存カップルの彼女との連携で、
私は大勢にこの記事を読んで欲しいとは、
道を敷く(エイブラハム) という記事で、
幼稚園の子と教える人といった例えを書きました。
例えばパクる人の場合は、
そもそも時間が幻想なんだから、
大人なんていないんだよ!
みんな赤ちゃん(笑)とかツイートするのね。
(私が記事を更新した後ね)
エアリプ的なのを繰り返すんんだよね。
言わずにはいられない!!!
という感じなのかな?と。
発信した内容に対して、答えるみたいな感じで、
(メンヘラ臭い)貼り付くパターン。
別のパターンでは、
幼稚園の子を変えて、
小学生として、全く同じ内容で発信する。
同じじゃないでしょ?みたいな。
まるで工夫がなくて、パクっているのが丸わかり。
(これが毎回)
こっちも全く面白くもないし、
そういう人の発信内容を、パクりを、検証する為に読む時、
稚拙過ぎて目が滑って頭に入らなくて苦痛です。
つまり、熱心に追いかけている訳ではなくて、
その人たちを宣伝する人たちを見ていて、
そこから結果的に辿っているのだけど、
それを読むのは、
自分が元ネタだからという責任があると感じるからで、
読みたくて読んでいる訳ではないです。
それなのに、自意識過剰なので、
何故か、私の方が熱心なファンみたいに、
思ってるみたいだね。
本当にメンヘラって怖いな(もうメンヘラ認定しちゃうけど)
面倒だなと思います。
統合失調症のしつこかった人にすごく似たパターンです。
私が子どもたちと例えを用いて話す時、
幼稚園の子と教える人~みたいな場合だと、
別の例えで、つまりこういうこと?と、
話してくれます。
「野球選手が、町内の野球大会に出ることになったとして、