「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)

という本を読みながら、

エイブラハムという霊的なグループが伝えてくる、

「引き寄せの法則」と呼ばれるものについて、まとめて書いています。

 

鵜呑みにしないで検証しましょう

宇宙の法則の定義(エイブラハム)

引き寄せの法則とは何か?(エイブラハム)

思考と引き寄せの法則の関係(エイブラハム)

思考と現実の関係(エイブラハム)

道を敷く(エイブラハム) 

欲求の優先順位(エイブラハム)

許容し可能にする人間関係(エイブラハム)

暴力的な場面に遭遇しない方法(エイブラハム)

世界の望まない出来事(エイブラハム)

考え方や習慣を変える(エイブラハム)

望まなくなり成長が止まる時(エイブラハム

という記事の続きです。

 

 

自分が現実を創造しているということを、

 

あなたの思考には
「引き寄せの法則」が常に働いているのだから、
あなたが、
「自分自身の現実を創造している」といっていい。

あなたの経験はすべて、あなたが提示する思考に
「引き寄せの法則」が働いた結果として引き寄せられてくる。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

と、エイブラハムたちは説明しています。

 

これは自分が今、何を感じているのか、

何を考えていたのかということを振り返ってみると、

それが現実に影響を与えていたり、

現実の捉え方に影響を与えていることが分かるのですが、

自分を観察する習慣がないと、

惰性で創造しているだけなので、

自分が現実を創っているなんてそんなバカなわけはない、

と言う風に思うかもしれません。

 

ジェリー よく人にも言うのですが、
一生辛い仕事で苦労し続けた人は
報いが少なく、
ろくに働かなかった人のほうが
豊かで恵まれているように見えます。
それでも誰かがジャガイモを掘り、
牝牛を飼い、油井を掘削し、
わたしたちが「辛い仕事」というものを
しなくてはならない。
そこで、エイブラハム、説明してくれませんか?
必要な仕事がすべてきちんと行われて、
それでもなおわたしたちが望むことができ、
望む人間になり、
望むものを手に入れられるということが、
どうして可能なのでしょうか?

エイブラハム わたしたちの見るところ、
あなたがたは完璧な
バランスのとれた宇宙で暮らしている。

あなたがたはすべてが豊富に整えられた
キッチンにいるシェフのようなもので、
そこにはかつて思い浮かべられ、
検討され、考えられ、
あるいは存在するといいなと思われた
あらゆる食材が限りなく豊富に用意されていて、
どんなレシピでも好きなものを作ることができる。

あなたがどうしてもしたくないことを、
ほかの人がしたがるとは、
あるいはしてもかまわないよと言うことは、
想像しにくいだろう。

あなたがたの社会が
ある仕事は決してしたくないと決めれば、
その欲求の力でほかのやり方を考え出すか、
その仕事はなくても済むようにするだろう
というのが、わたしたちの絶対的な知識だ。

社会では、どこかの時点で
あることに対する欲求がなくなり、
そのためにそのことが消えて、
新しいもっと改善された
意図にとって代わられることは
珍しくはないのだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

上記の様な説明は、

一部の人はとても怒りを感じて、

腹を立てるかもしれません。

でも、今の現実は自分が選んだことなのだ、

こうなる原因があったと、よく自分の内側を調べてみると、

自作自演だったということが分かってきます。

この理解が、意図的に創造することに繋がっていきます。

 

ジェリー わたしたちは物質の世界に住んでいて、
経済的な見返りを得るためには
必死に働くことが大切だと教えられています。
でもあなたがたは物質世界の労働については
あまり触れられないですね。
一生懸命働くこと、
あるいは物質世界における行動は
あなたがたの創造の方程式に
どうあてはまるのでしょうか?

エイブラハム 思考を通じて
ある対象に関心を向ければ向けるほど、
「引き寄せの法則」が作用する。

そしてその思考はますます力強くなる。

そして前もって道を敷くこと、
「節目ごとの意図確認」、
それに「創造のワークショップ」でのイメージ作りによって、
どう行動するかについて
インスピレーションがわいてくるだろう。

インスピレーションに基づく行動は、
あなたに「宇宙の法則」が作用することを
「許容し可能に」するから、
よい成果が生まれる。

だが、意図的に道を敷いていないと、
その瞬間の行動で実現できるよりも
もっと多くのことを成し遂げようとして、
行動が辛い労働に感じられる場合が多い。

創造が始まり、
インスピレーションに基づく行動が
それに続いたと感じれば、
未来は準備が整って
あなたの到着を待っていることが
わかるだろう。

そのときには
無理やりに創造に結び付けようとして
行動するのではなく、
真の創造力の果実を享受するために
行動すればいい。

 


ジェリー すると、特定の目的を実現するために
いくつもの違った行動が考えられる場合、
最終的にはどの行動が
最も効果的かを判断するには
どうすればいいのでしょうか?

エイブラハム 可能性のある行動を
とっている自分を想像し、
そのとき自分がどう感じるかに注目しなさい。

二つの選択肢があるとしたら、
一つを選んだときに
自分がどう感じるかを思い描いてみる。

次にもう一つの選択肢について、
自分がどう感じるかを考える。

だが、その行動がどう感じられるかは、
まず自分の意図を確認して
適切な優先順位をつけておかないと
はっきりわからないだろう。

それをしておけば、
その行動が一番適切かどうかを
判断するのはとても簡単だ。

「感情というナビゲーションシステム」を
使えばよろしい。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

 

私はよく上記の様に想像をしていますし、

子どもたちにも、想像してから選ばせています。

 

もし、〇〇した場合ならどうか、

〇〇しなかった場合ならどうか、

という風に想像した時、

〇〇はしたくないという気持ちがあるのだけど、

じゃあ、思い切ってやらなかった時に、

本当にいい気分なのか、それとも、

やらない方がずっと嫌な気分になるのか、

比べてみて、自分の望みを探します。

 

この場合、比較をするんだけど、

善悪や優劣を決めるのではなくて、

どちらを選択するのか?という時は、

比べないと分からないということです。

二元性の克服についての勘違いで、

比較してはいけないという解釈をする場合があって、

このしてはいけないということ自体が、

善悪二元論になっていて、

比較がいけない訳ではありません。

また、善悪判断や優劣を付けることは、
必要がないからしないということなのです。
(絶対的なものがないからです)

 

「意図的創造の方法論」と言ったのは、
あなたがたが目的を持って創造したいと思うだろうと
考えたからで、
本当は「創造の法則」と言うほうが正確だ。

あなたがたが望むもののことを考えていても、
望まないもののことを考えていても、
この法則は働いている。

望むもののことを考えていても、
望まないものの欠落のことを考えていても
(どこに思考を向けるかを選ぶのはあなたがただ)

「創造の法則」はあなたの考えに働く。

物質世界から見ると、
この創造の方程式には二つの重要な要素がある。

「思考を向けること」と
「思考の実現を期待すること」
─創造の「欲求」と
創造を「許容し可能にすること」
の二つだ。

わたしたちの見えない世界では、
この方程式の両要素は同時に体験される。

欲求と十分な期待の間に差はない。

ほとんどの人は自分の思考の力にも、
自分という存在の本質が波動であることにも、
強力な「引き寄せの法則」にも
気づいていないから、
「行動」がすべてを引き起こすと思っている。

あなたがたが焦点を結んでいる物質世界では
確かに行動も重要な要因だが、
物質世界の経験は行動を通じて
創造されるのではない。

思考の力を理解し、
意図的に思考を差し向けることに習熟すれば、
「欲して、許容し可能にした」ことだけを
引き起こす強力な「創造のてこ」を発見できる。

あらかじめ道を敷けば、
つまり前向きの期待とともに考えれば、
必要な行動ははるかに少なくて済むし、
はるかに満足できる結果が得られる。

きちんと時間をかけて思考を整えておかなければ、
余計な行動が必要になるうえに、
結局は満足できる結果にならないのだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 

”物質世界から見ると、
この創造の方程式には二つの重要な要素がある。
「思考を向けること」と
「思考の実現を期待すること」
─創造の「欲求」と
創造を「許容し可能にすること」
の二つだ。”

という箇所が方程式になります。

 

ジェリー あなたがたは何度も、
わたしたちはすべてを手に入れることができる
とおっしゃいました。
そこで、豊かになりたいけれど、
でもそのために働いたり仕事を探したりするのは嫌だ、
という状況を考えてみたいのです。
この矛盾はどう解消すればいいでしょうか?

エイブラハム 意図を二つに分けることだ。

豊かさを望み、
だが働かなければ豊かになれないと
信じていたら、
豊かになる唯一の方法と信じることを
したくないのだから、
豊かにはなれない。

しかし、豊かさだけを取り出して考え、
嫌だと思う労働と組み合わせなければ、
豊かさを引き寄せることができるだろう。

今、あなたは非常に重要な質問をした。

対立する意図、
対立する信念についての質問だ。

解決策は、対立から目をそらして
自分が望むことにだけ目を向けることにある。

豊かさを望み、
そのためには働かなくてはならないと信じて
一生懸命に働けば、
そこには対立はないから、
ある程度の豊かさを達成できるだろう。

豊かさを望み、
そのためには働かなくてはならないと信じて、
だが働くのは嫌だと思えば、
思考に対立があるから、
行動を起こすのが難しいだけでなく、
行動しても生産的にはならないだろう。

豊かさを望み、
自分には豊かになる価値があると信じて、
望んでいるのだから
実現すると期待していれば、
思考に対立がない。

だから豊かさが寄って来るだろう。

考えるとき、
自分がどう感じるかに注目していれば、
思考の対立は回避できる。

何を望むにしても
思考の対立がなくなれば、
望みは実現する。

「引き寄せの法則」によって、
実現せずにはいられないのだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

肯定的な見方をしていると、

いい気分がして、

否定的な見方をしていると、

いい気分がしないといったことを、

続けてお伝えしていますけれども、

情報発信者のタイプとして、

いつも、ものごとの否定的な面にフォーカスして、

問題がある!と訴える人と、

自分の趣味や楽しみを中心に、

問題に感じる様なことの解決策、

様々な捉え方のヒントを発信する人が、

いると思います。

 

一見、問題がある!と訴える人は、

視野が広くて知識が豊富で、

正しいことを言っている様に見えますが、

そこに同調すると、

自分自身もいつも、

ものごとの否定的な面しか見えなくなります。

 

例えいいことがあったとしても、

こんなことには騙されないぞとか、

でもどうせと、すぐ否定する様になり、

結果として、そういう現実を経験していきます。

 

自作自演なのですが、

その経験が支配者層のせい、社会のせいだと、

思っているのです。

 

なので、私はそういう発信者からは距離を取って、

離れることをオススメします。

マインドコントロールに掛かったような状態で、

そこから脱するのに時間が必要になることもあります。

 

エイブラハム ネガティブな暗い影響の原因は、
大きく言って二つある。

一つは他人の影響。
もう一つは自分自身の過去の習慣だ。

時間とともに思考のパターンができるので、
新しい欲求に調和した新しい考え方をするよりも、
つい古いパターンどおりの思考に落ち込みやすい。

これは関心を新しい方向に向けるために
意識してちょっとした努力をするかどうか、
つまり意志の問題だ。

あなたの言う「プログラム」とは、
自分が何かに焦点を定め、
その焦点に「引き寄せの法則」が作用して
力強く成長した結果にすぎない。

また「プログラム」の一部は
単に現在の社会への健やかな同化にすぎない。

だが、実際にあなたがたの
成長の妨げになるものもある。

練習を積めば二つの違いがわかるようになるし、
自分の思考を自分が選んだ方向へと
向けられるようになる。

実はそれが「意図的な創造」ということだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

否定的にしか捉えられない様な状態だと、
成長の妨げになるような場合があります。
自分自身の中に根深く否定的に捉えるパターンがあるなと、
私自身は感じているのですが、
それは母がいつもいつも、何かをする度に、
やっぱりダメだね、そんな上手い話はない、
そんなの全然苦労したとは言えない、
と言う風に否定され続けた為です。
じっくり向き合ってみると、
母に言われ続けたことを自分にも言っている、
というのが分かって、
幸せや、豊かになること、何かを得ることを、
否定するような思考になっていきます。
これを繰り返し練習して、
肯定的に捉えるようにします。
 
否定的な情報発信者の言葉を鵜呑みにしていると、
なかなか苦しみから脱する事は出来ないと思います。
 
 
 
行動を通じて創造するのではなくて、
思考を通じて創造するというのは、
 
(一)意識想念の法則

現在意識的な想念がなければ何も創造されない。

すべてのものは、宇宙心か宇宙心の単位である
人の心かの意識的想念によって顕現されているのである。

凡ての主観的創造は、意識単位(人)か全体心(宇宙)かの
いずれかの思考の結果なのである。
 

「秘教真義」(M・ドーリル博士著)より

 

という法則のことです。
 
息子がバスを待っている時に、
後ろにいたお年寄りたちが、
順番を無視して、自分を抜かして、
先に乗っていくことが続いて、
許せない気持ちになって腹が立つという話を書きました。
息子に内観させながら、
話し合って分かったのは、
ストレスが溜まってくると、
こだわりが強くなって、
許せないという気持ちになる。
リラックスした時は、そこまで、
腹が立ったりはしない。
という違いが分かりました。
 
お年寄りが順番を守らず、
抜かして行くから許せない、腹が立つ、
という捉え方は”問題”の方に、
思考を向けています。
こんな風に腹が立つということは、
ストレスが溜まっているのだ、
ストレスを解消することに、
意識を向けようというのは、
”解決策”の方に思考を向けています。
 
この捉え方の違いというのを、
しつこく、しつこく書いているのですが、
他人軸で、二元性を克服していない人というのは、
捻じ曲げて解釈した上で、
こちらに書いていることを、パクっていき、
それを読んだ信者達が一斉に逆方向に向かいますので、
注意深くお伝えしています。
 
他人軸で、二元性を克服していない人の、
解決策に思考を向けるという場合、
上記の順番を守らないお年寄りの例だと、
「順番を守って下さい」とお年寄りに伝え、
順番を守らせるのが解決策だ、
という風に解釈します。
行動しなさい!ということですね。
私がお伝えしているのは、
行動するとかしないとかではなくて、
その前の思考を転換しましょう、
ということなのです。
 
もし、順番を守る様に伝えて、
抜かしたお年寄りを並ばせたとしても、
また別の日には、別のお年寄りが、
順番を守らず、抜かしていくかもしれません。
そしてまた、
許せない気持ちになって腹が立つ状態になります。
いくら目の前の現実を変えようとしても、
自分の思う通りに変えたとしても、
同じ状況になったら、また、
同じ感情を味わうことになります。
 
思考と感情はセットになっているのですが、
行動することが大事だ!という人は、
思考と感情は別々だと思っている様です。
 
この場合もまた、統合意識領域には到達しておらず、
思考と感情を別々のものと捉え、
むしろ、思考か?感情か?みたいな、
二元論で語りさえします。
 
思考も感情もセットになっていて、
両方同時にあります。
 
感情というのは、思考によって変わります。
大きく分けると、
肯定的に捉えている時には、ポジティブな感情、
否定的に捉えている時には、ネガティブな感情になります。
 
ここに善悪はなく、
感じ方に違いがあるだけです。
 
上記の順番を守らないお年寄りの例だと、
まず、
許せない気持ちになって腹が立つ状態を観察します。
いい気分なのか、明るくポジティブな気持ちなのか、
それともいい気分ではないのか、暗くネガティブな気持ちなのか。
いい気分ではないのなら、否定的に捉えている状態なので、
肯定的に捉えられるような考え方を探します。
肯定的に捉えることが出来ると、
いい気分になり、明るくポジティブな気持ちになります。
私の場合は、胸の辺りが重い時はネガティブ、
ほっとする様な軽くなる感じがポジティブな考え方です。
思考を転換すると、同じ状況を見ても、
感じ方が変わります。
 
思考もコントロール出来るし、
思考をコントロールすることで、
感情もコントロール出来るのです。
思考と感情はセットになっていて、
感情を観察することで、思考の方向が分かり、
思考を変えることで、感情も変えることが出来ます。
 
自分自身をコントロールするということを、
実践していない人だと、
思考と感情がセットになっているということが、
理解出来ません。
 
順番を守らないお年寄りの例だと、
まず、
いい気分ではないので、
肯定的に捉えられるような考え方を探します。
いい気分でないことが、
自分がストレスが溜まっていることを教えてくれた、
と言う風に捉えます。
だから、お年寄りに文句を言って、
コントロールしようとするのではなく、

ストレスを解消することに、

意識を向けようという風に、思考を転換するのです。
その後で必要だと思うなら、
「順番を守って下さい」とお年寄りに伝えてもいいと思います。
私の場合、後ろに人がいないのなら、譲りますけれども、
大勢並んでいるのなら、待っている人達も、
順番を守らない人がいるのは不快だと思うので、
「みんな並んでますので」と声を掛けると思います。
でもその前に、自分の思考を転換して、
嫌な気分のまま行動せず、
この状況を肯定してから、行動します。
 
許せない気持ちになって腹が立つ状態のまま、
お年寄りを自分の思う通りに動かそう、
コントロールしようと行動しても、
嫌な気分の原因そのものは何も変わりません。
対症療法の様なものなので、
また同じことを繰り返すことになります。
この、不快な状況を変える為に、
まずお年寄りに対して働きかけよう、
という考え方は他人軸になります。
 
また、順番を抜かすことは悪いことだと思うなら、
善悪二元論で裁いていて、
二元性を克服していません。
相手の悪い行動は正すべきだというのも、
善悪二元論です。
 
上記の状態というのは、
ものごとの、問題の方に思考を向けるのではなく、
”解決策”に思考を向けましょうという時に、
”自分の考え方”が”問題”があるという状態から、
”自分の考え方”の”解決策”に転換するという意味で、
お伝えしています。
 
ところが、ここを読んでパクる某教祖様は、
他人軸で、二元性を克服していないので、
”自分の考え方”ということについての話が、
”自分の行動”ということにすり替わってしまい、
”自分の考え方”によって、
”お年寄りの行動”が不快に感じたという話が、
”お年寄りの行動”のせいで、
不快に感じたのだということにすり替わってしまいます。
(ひっくり返っていくということなんだけど)
 
いくらしつこく書いても、
内観しない、二元性を克服していない人には、
私がお伝えしたいことは、
理解出来ないのかもしれませんが…。
立ち位置が違うと、全く正反対に受け止めてしまうものです。
 
自分自身の考え方を変えましょうという話が、
お年寄りの行動を変える為に立ち上がろう!みたいな話に、
なってしまうのです。
全然違いますので、その為に、ここからパクって、
乗っかって、歪曲されるのは迷惑だと、
繰り返しお伝えしています。
 
お年寄りの行動を変えることが出来ても、
全てのお年寄りをコントロールすることは、
出来ませんよね?
それともバス会社に連絡して、
徹底的に順番を守る様にルールを作りますか?
守らなかったら罰を与えますか?
それは、支配者層と同じですよね。
積極的にお年寄りを変える為に、
行動するかどうかが大事なのではなくて、
自分自身の思考を転換することで、
いい気分になるようにすることが大事なのです。
 
 
いい気分でいる時には、
道を歩いていても、綺麗に咲いている花壇の花に、
目が向きます。
いい気分でない時には、
花壇の下に落ちているゴミばかりが目に付きます。
同じ道を歩いていても、
更にいい気分になる様なものが目に付いたり、
更にいい気分にならない様なものが目に付いたり、
最初の気分によって、次の気分が引き寄せられてきます。
 
また、例えいい気分でない時に、
花壇の花に目を向けることが出来ても、
花びらが散って汚いなとか、
こんな風に花を植えるなんてムダなんだ!とか、
殺虫剤ガーといったネガティブなことばかり、
考えてしまいます。
でも、もしいい気分の時に、
ゴミが目に付いたとしても、
あそこのゴミ箱に捨てようかなとか、
ゴミをポイ捨てしたのではなくて、
うっかり落としてしまった人がいたのかも、
といった様にポジティブに考えることが出来ます。
 
ニュース番組を観て、
悪いニュースばかり気になる時は、
元々、否定的に捉えている状態、
いい気分ではない状態だからです。
もし、いい気分の状態、
肯定的に捉えていて、明るく前向きな気持ちであれば、
悪いなと思うニュースを聞いても、
「でも、〇〇でよかったな」という風に、
肯定的に捉えたり、
ニュースの中でも、明るい善いニュースばかりに、
思考が向く様になります。
 
まず、自分の状態が、
外側にあるものに対する印象に影響を与えていて、
そこから次の現実的に起こることを、
引き寄せ始めます。
いい気分でいれば、肯定的に捉えたり、
肯定的なものごとが目に付いたりするし、
いい気分でいないのなら、
否定的に捉えたり、否定的なものごとが目に付きます。
 
意識的に自分自身をコントロールしないのなら、
外側に起こった状況に引っ張られて、
感情に振り回されることになります。

意識的に自分自身をコントロールするのなら、

外側に起こっていること自体は、
もう現実として現れたことなので、

その出来事はコントロールは出来ないけれども、

それに対する感じ方をコントロールする事で、
次に経験することもコントロール出来る様になります。
もちろん、計画的に、予言の様に、
何時何分に〇〇が起きてという形での、
コントロールではなくて、
いい気分になる、肯定的に捉えることが出来たり、
ものごとのいい気分になる様な、
肯定的に捉えられる様な見方が出来たりします。
 
例えば、肯定的に捉えている人と、
否定的に捉えている人が二人で出掛けて、
乗るはずだった電車が遅れたとします。
肯定的に捉えている人は、
電車が遅れたお陰でゆっくり話す時間が出来たねと喜び、
否定的に捉えている人は、なんてツイていないんだろう、
時間通りに進まないなんて頭にくるわ!と、
怒りを感じています。
同じ状況にいるのに、一方は天国に住んでいて、
一方は地獄に住んでいるのです。
それぞれが自分の思考によって、現実を創っています。