「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)

という本を読みながら、

エイブラハムという霊的なグループが伝えてくる、

「引き寄せの法則」と呼ばれるものについて、まとめて書いています。

 

鵜呑みにしないで検証しましょう

宇宙の法則の定義(エイブラハム)

引き寄せの法則とは何か?(エイブラハム)

思考と引き寄せの法則の関係(エイブラハム)

思考と現実の関係(エイブラハム)

道を敷く(エイブラハム) 

欲求の優先順位(エイブラハム)

許容し可能にする人間関係(エイブラハム)

暴力的な場面に遭遇しない方法(エイブラハム)

世界の望まない出来事(エイブラハム)

という記事の続きです。

 

 

二元性を克服していない人、

善悪二元論でいつも裁く人というのは、

ものごとは、善いという見方も出来るし、

悪いという見方も出来る、

表裏一体であるということが、

全く理解出来ない状態にあります。

 

例えば、自分では短所だなと思っている、

忘れっぽい性格も、

別の誰かから見ると、細かいことにこだわらない、

大らかな性格だなと思われることもあります。

 

長所と短所があるのではなくて、

ある性格を長所という見方をしたり、

短所という見方をしているだけなのです。

 

この事を理解する為には、

内観を続けて、自分の思い込みを手放して、

修正するしかありません。

経験を積む、実践で学ぶということで、

誰かの答えは自分の正解ではないし、

その時々で、様々な捉え方をすることもあり、

絶対的に正しいものがある訳ではありません。

 

 

ジェリー 人生のある時点で、
自分がいわば下向きの悪循環に
はまったと気づいた人がいるとしましょう。
そういう人たちは、「節目ごとの意図確認」を
どう活用すれば好循環に戻ることができますか?

エイブラハム あなたがたの「今」に力がある。
それどころか、あなたがたの力はすべて、
今ここ、この瞬間にある。

だから、「今」に焦点を定めて、
この節目で最も望むことだけを集中して考えれば、
思考が明晰になる。

たった今、
ありとあらゆる面で自分が望むことを
全部整理することはできないが、
たった今、
ここで望むことを明確にすることはできる。

節目ごとにそれが明確になれば、
新たな明晰さが身につく。

そして悪循環から抜けだせるだろう。


ジェリー エイブラハム、たいていの人は
古い考え方や信念、習慣を捨てるのがとても難しいようです。
過去の経験や信念の影響を排除するのに
役立つモットーを教えていただけますか?

エイブラハム 「わたしの力は『今』にある」
という言葉はどうかな。

古い考え方を捨てようという努力は勧めない。

捨てようとするとかえってそのことを
余計に考えるようになる。

それに、
古い考え方でも継続する価値があるものもある。

だから、自分の思考を
どちらに向けるかということに
もっと関心を持ち、
自分が心地よいと感じる決断をしなさい。

「今日、わたしはどこへ行こうと、
何をしようと、
必ず自分が見たいものを見よう。
自分の感じ方以上に重要なものはない」
と考えればいい。


ジェリー それじゃ、マスコミで報道される
ネガティブなことを見聞きしたり、
友人から困った問題について聞かされたりするとき、
そのネガティブなことの影響を
受けないようにするには、どうしたらいいですか?

エイブラハム 人生経験のあらゆる節目で、
自分が見たいものを見るという強い意志を持つこと、
そうすれば、どんなにネガティブな状況でも
何かしら見たいものが見られるよ。


ジェリー 「何を望まない」と
はっきり表明してもいいですか?

エイブラハム 自分が何を望まないかを
表明すると、
何を望むかがもっとはっきりしてくることがある。

だが、望まないことからはすぐ関心を移して、
望むことに向けるほうがいい。

 


ジェリー エイブラハム、
ネガティブな感情をもたらす
特定の考え方を検討することに
価値があると思われますか?

エイブラハム 価値があるとすれば、
次の理由からだろう。

自分がネガティブなことを
考えていると思ったとき、
いちばん大切なのは、
何であろうとすぐにそのネガティブな思考を
やめることだ。

非常に強力な思い込みがあると、
ネガティブな思考が
何度も何度も浮かぶかもしれない。

だから常にそのネガティブな思考から
別のものへと、
思考の対象を変えなければならない。

その場合、
その厄介な思考はなんなのかを認識して、
新たな視点によってその厄介な思考を
改善しようとすることには価値がある。

言い換えれば、対立する信念の衝突を
和らげて作り直すことだ。

そうすれば、
そのような思考にしつこく悩まされることもも
なくなるだろう。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

”何であろうとすぐにそのネガティブな思考を
やめることだ。”
”ネガティブな思考から
別のものへと、
思考の対象を変えなければならない”

ということが、
自分勝手な生き方という風に捉える人も居る様です。
という記事も書きましたが。)
何故、そう感じるのかな?という内観をせずに、
そう感じる対象を責めて、そんなのおかしい!
やめなさい!と怒るのが他人軸の人になります。
 

”その厄介な思考はなんなのかを認識して、
新たな視点によってその厄介な思考を
改善しようとすることには価値がある。”

とある様に、

ものごとは表裏一体なので、

ネガティブに捉えていたことを、

ポジティブに捉え直すことも出来るのです。

 

ただ、それを行なう時には、

自分が見ないようにしてきた、

心の闇と対峙することになりますので、

準備が出来ていない人は、しないだろうし、

そのことに気付きもしないでしょう。

 

 

以前、

 

ジェリー あなたがたにお会いするまでは、
わたしは「許容し可能にする術」を知りませんでした。

それで、ある行動が正しいか間違っているかを
考えるときには、
全員がその行動をしたら世界はどうなるか、
と想像することにしていました。

その結果、世界が楽しくて心地よい場所になるなら、
その行動をしてもいい。

だが、誰もがそういう行動をする世界には
住みたくないと思ったら、その行動はやめる、
というわけです。

例を挙げましょう。

わたしは以前、マスの渓流釣りが好きで、
最初はみんなと同じような釣り方をしていました。

できるだけたくさんのマスを釣るんです。

でもそれがいいことかどうか
ちょっと不安になったので、考えました。

「全世界の人が同じことをしたら、
どうなるだろう?」。

全員が自分のような釣り方をしたらと想像すると、
世界中の渓流の魚が釣られてしまって、
ほかの人たちはこんな素晴らしい楽しみを
失ってしまうことがわかりました。

それで、もう魚を殺すのはやめよう、
と決意しました。

(さかとげのないルアーを使って)
釣ったあとに放してやることにしたのです。

さかとげのないルアーを使おう、
そして誰かに頼まれて食用に持って帰る以外は、
川に返してやろうと決めたのです。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
という箇所をご紹介しました。
ここを読んで、
”地球の全員がその行動をしたら世界はどうなるかを考えよう!”
みたいな発信をする人もいるのですが、

そういう場合、私はパクってるなと思います。

 
自分でテーマすら決めることが出来なくて、
ここの記事を参考にするだけではなく、
ご紹介した誰かが書いた本をそのままパクって、
自分のオリジナルとして発信しているのは、
泥棒と同じですよね。
 

また、料理研究家云々という例えを書きました。

 

このブログ記事が

スピリチュアルをテーマにしたものではなく、

料理をテーマにしたものだとすると、

私は料理研究家とかではなくて、
料理研究家が考案したレシピを、
ネットや本から選んで料理し、

美味しかったものを紹介している一般人の様なものです。

レシピを考案した人と、

料理名、材料、手順や、感想や注意点などを、

紹介しているのと同じです。

 
パクる人というのは、
私が料理研究家〇〇さんの卵焼きを紹介したら、
次の日には、オリジナルレシピとして、
まるで自分が考えた様に発信する。
料理研究家××さんの野菜炒めを紹介したら、
次の日には、オリジナルレシピとして、
まるで自分が考えたように発信する。
といった様なものです。
 
また、ネタに乗っかる人というのは、
料理研究家に例えたらと書くと、
そのまま料理研究家の話をする様な人です。
別の例えを考えることは出来ないのでしょうか?
 
他人軸だから、自分が何をしているのか、
客観視することが出来ず、
自分と他人(この場合は私)の境界線が引けずに、
私の意見に感情移入して自分の意見の様に、
すり替わってしまう状態です。
 
私の考えでは、多くの人は大体、
他人軸なのではないかな?と思います。
この地表上の生き方が、
他人軸で生きるのが当たり前の様な、
設定になっているのです。
つまり、他者を観察して、
善い悪いを判断して振り分けて、
その善いに当てはまるようになろうと、
周囲の人から見て、悪い人にならない様にしようと、
自分の言動を決める様な生きかたです。
 
それを、自分はこう思うのだ、
こうしたいのだ、ということを中心に置いて、
周囲の人がどう思うのかは、
その人たち自身の問題で、コントロールは出来ないし、
自由でいいんだと、許すことが出来る生き方が、
自分軸です。
自分と他人の境界線を引いた状態です。
他人軸だと、他人に合わせて自分の言動を決めます。
 
でも、他人軸の状態の人が、
自分軸の状態はどういうことなのか?というのは、
想像するしかないのでしょうし、
自分が他人軸であることも認識出来ないでしょうから、
よく理解出来ないのも仕方がないと思います。
そもそも、私がお伝えしている自分軸、他人軸とは、
全く違う状態のことについて、
自分軸、他人軸と発信している人もいる様です。
 
明確な言葉の使い方は決まっている訳ではありませんので、
自由に使ったらいいと思いますけどね。
こちらのブログ記事やネタに乗っかるのはやめて下さい。
 
教祖様と信者というのは、
やっぱりこれも引き寄せの法則が働いているので、
やり口がそっくりですよね。
とってもお似合いです。
 
 
ある料理研究家は、
元々料理をしない層をターゲットにしているそうで、
手軽で、身近な材料で、簡単にアレンジする料理や、
気負いなく試してみたくなる料理を考案しているそうです。
新しい層を開拓したいという、明確な意図があるんですね。
 
別の料理研究家は、
昔ながらの基本に忠実な和食を中心に、
レシピを公開しています。
下ごしらえとか、切り方とかも、丁寧に説明されているので、
よく参考にしています。
(料理が苦手で知らないことが多いので)
 
また別のある手作りお菓子を販売している人は、
コロナ禍が始まった頃、イベントの中止が続いてしまって、
困っていると訴えていました。
以前からとても可愛らしいお菓子を販売していると、
気になっていたので、いい機会だと思い購入してみました。
素材にこだわっていて、味も勿論美味しく、
満足したお買い物でした。
多分、自分が住んでいる周囲では、
見掛けない様なお菓子で、売ってないと思います。
ネットのお陰で、購入することが出来ました。
 
 
例えば、今から夕飯を食べるとして、
一品しか料理がなく、自分の嫌いなものだったとします。
その場合、食べるか、食べないかの二つの選択肢しかありません。
もう起こってしまった出来事だからです。
 
嫌いだから食べないとするなら、

空腹を我慢するしかありません。

お腹が空くのが嫌なら、
嫌いなものを食べるしかありません。
 
どちらの場合も、
否定的に捉えながら食べるのなら、
また否定的な思考を呼び、
現実的にもネガティブな出来事が引き寄せられてきます。
なので、出来るだけ肯定的に捉えるようにして、
明るい前向きな気持ちで、食べるか、食べないかを、
選択するようにします。

”その厄介な思考はなんなのかを認識して、
新たな視点によってその厄介な思考を
改善しようとすることには価値がある。”

訳です。
 
でも、これから夕飯を作ろうとしているのなら、
どんな料理にするのか、好きに選ぶことが出来ます。
まだ起きていない出来事だからです。
 
あなたがもし、和食を作ろうとするなら、
洋食のレシピばかりを考案している料理研究家を、
参考にするでしょうか?
素材にこだわり、化学調味料を使わない、
電子レンジも使わない、じっくり時間をかけて、
丁寧に料理をしようと思っているのに、
時短レシピ!電子レンジで簡単!お手軽アレンジ!
みたいなレシピを探すでしょうか?
 
自分が好きなものを選べるのだったら、
自分がいいな、好きだな、食べたいなと思う様な、
料理研究家やレシピを参考にするのではないですか?
これが意図的に創造することです。
 
好き嫌いというのは、勿論感情的なものですが、
好きなもの、嫌いなものには、
自分の中でいつも理由があります。
損得勘定(?)とは別ですよね。
猫が可愛いなと思って好きな気持ちが、
得するとか損するとか考えませんよね?
あのお菓子が不味いな嫌いだなと思ったら、
損した!と思うという意味でしょうか?
自分にとって嫌いなものは嫌い、
自分にとって心地よいものは好き、
というのは当たり前のことではないでしょうか?
 
私の好きとあなたの好きは全然違うだろうし、
それはそれで善いわけですよね。
自分の好きを知ることが、
自分の進みたい道の方向を指し示してくれます。
 
 
いつもいつも、問題ばかりに目を向けている人、
というのは、
好きなものを選ぶということが出来ません。
驚くことに、
自由に選べる状態だというのにも関わらず、
あの料理研究家は化学調味料を宣伝しているなんて信じられない!
あのレシピは電子レンジを使って作ってる!
あの素材はもっと美味しく活かすべきでしょ!
と、欲しくないものばかりを探しては、
怒っています。
 
引き寄せの法則が働くので、
どんどん似たような思考が引き寄せられ、
その人の現実には、問題だと感じること、
不満や怒りを感じることばかりが起こってきます。
 
これは二元性を克服していないので、
ひっくり返して、欲しくないものではなくて、
自分の欲しいものに思考を向けることが出来ないのです。
 
沢山の料理研究家がいて、
沢山のレシピが溢れているのだから、
自分好みのものは探せば、大体見つかりますし、
もしないのなら、
自分なりに好きな様にアレンジすれば言い訳です。
欲しくないものはやらなければいいのです。
 
というか、いくら腹を立てて、
時短レシピや電子レンジ調理を探したところで、
絶対に作らないのなら、そこに思考を向ける必要があるのかな?
と思います。
でも、どうしても嫌いなものについて考えずにはいられない!
という中毒の様な状態の人もいるのでしょう。
 
まだ夕飯の前で、料理は出来ていないのですから。
自分が何を望むのかな?と、好きなものを探していけばいいのに、
文句ばかり言っています。
 
”自分が見たいものを見よう”というのは、
誰かを見捨てましょうとか困った人を見て見ぬ振りをしようとか、
そういうことを言っている訳ではありません。
自分勝手に生きましょうとも言っていません。
(ここでまたすり替え、揚げ足取りが始まる訳ですが)
 
何かのものごとに対して、
肯定的な側面を見るのか、
否定的な側面を見るのかということです。
 
こんなのダメに決まっている!と感じるレシピを、
探すことをやめて、
これはぜひ作りたいと感じるレシピを、
探すようにしましょうということです。
食べたくもない料理のレシピを、
いちいち見に行っては文句を言うのは何故ですか?
それが楽しいのだとしたら、
どうして文句を言い、腹を立てることに、
楽しさを感じるのだと思いますか?
そもそも、何かを見ている時の自分の感情に、
注目したことはあるのでしょうか?
 
自分が許せない、必要ないと思うものを、
この世界から抹殺しない限り、
自分の幸せな世界を創ることが出来ないとでも、
思っているのかもしれません。
それはその人にとっては、
正しいことの様に感じるのかもしれませんが、
自分が許せない、必要ないと思うものを、
欲して望んでいる人がいるということに気付いていませんし、
それらの人を否定しています。
 
自分が許せない、必要ないと思うものがあっても、
逆に好きだな、欲しいなと思うものだって、
ある訳です。
 
引き寄せの法則を上手に活用する為には、
化学調味料を使うなんて信じられない!とか、
電子レンジで調理するなんて!といった、
怒りを感じることに思考を向けないで、
素材を活かしたシンプルな味付けだな!
原材料や調理法に納得がいくな!と感じる、
料理研究家やレシピを探して、
自分がいいなと思える料理に思考を向けましょう、
ということです。
 
普段からものごとの問題にばかり目を向けている人は、
そういう思考の転換が出来ません。
固定観念に縛られて、
問題だと感じることについて、考えることが、
とても良い事だとさえ思い込んでいます。
 
でも、この人が「許容し、可能にする」ということを、
本当に理解することが出来たら、
思考を転換することが出来る様にもなると思います。
 
まだ、理解出来ないのは仕方のないことです。
圧倒的に経験が足りない訳ですから、
試行錯誤を繰り返して、
自分がどんな現実を創っているのかを、
目の前に起きて来る結果を見ながら、
理解を進めていけばいいと思いますよ。
 
こちらのブログ記事を読んでくださいとは、
頼んでいませんので、
自分が好きだなと感じる情報を取得して、
不快に感じるものからは、
離れてみたらいかがでしょうか?
 
作りもしない料理のレシピを、
イライラしながら見るのはやめたらどうですか?と、
例えとしてお伝えしていますが、
想像力の足りない人には、
難しかったかもしれませんね?
 
私は書きたいことを好きに書いているだけですので、
自分が納得するような情報を、
取得する様にして下さいね。
 
パクったりネタに乗っかったりすることのない様に、
自分に嘘を吐いて生きるのは苦しいですよね?
指摘されて腹が立つ時、
自分に嘘があるのではないでしょうか?
正直に誤魔化しのない生き方を選択してくださいね。