「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)

という本を読みながら、

エイブラハムという霊的なグループが伝えてくる、

「引き寄せの法則」と呼ばれるものについて、まとめて書いています。

 

鵜呑みにしないで検証しましょう

宇宙の法則の定義(エイブラハム)

引き寄せの法則とは何か?(エイブラハム)

思考と引き寄せの法則の関係(エイブラハム)

思考と現実の関係(エイブラハム)

道を敷く(エイブラハム) 

欲求の優先順位(エイブラハム)

許容し可能にする人間関係(エイブラハム)

という記事の続きです。

 

 

「意図的創造の方法論」と言ったのは、
あなたがたが目的を持って創造したいと思うだろうと
考えたからで、
本当は「創造の法則」と言うほうが正確だ。

あなたがたが望むもののことを考えていても、
望まないもののことを考えていても、
この法則は働いている。

望むもののことを考えていても、
望まないものの欠落のことを考えていても
(どこに思考を向けるかを選ぶのはあなたがただ)

「創造の法則」はあなたの考えに働く。

物質世界から見ると、
この創造の方程式には二つの重要な要素がある。

「思考を向けること」と
「思考の実現を期待すること」
─創造の「欲求」と
創造を「許容し可能にすること」
の二つだ。

わたしたちの見えない世界では、
この方程式の両要素は同時に体験される。

欲求と十分な期待の間に差はない。

ほとんどの人は自分の思考の力にも、
自分という存在の本質が波動であることにも、
強力な「引き寄せの法則」にも
気づいていないから、
「行動」がすべてを引き起こすと思っている。

あなたがたが焦点を結んでいる物質世界では
確かに行動も重要な要因だが、
物質世界の経験は行動を通じて
創造されるのではない。

思考の力を理解し、
意図的に思考を差し向けることに習熟すれば、
「欲して、許容し可能にした」ことだけを
引き起こす強力な「創造のてこ」を発見できる。

あらかじめ道を敷けば、
つまり前向きの期待とともに考えれば、
必要な行動ははるかに少なくて済むし、
はるかに満足できる結果が得られる。

きちんと時間をかけて思考を整えておかなければ、
余計な行動が必要になるうえに、
結局は満足できる結果にならないのだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
と言う箇所をご紹介しました。
 
”物質世界の経験は行動を通じて
創造されるのではない。”
とあります。
 
毎回毎回「行動が大事に決まっているだろ!」と怒る
某教祖様もいますので、
こちらを掘り下げてご紹介しますね。
 
ジェリー わたしが出会った人生で
素晴らしい成果を上げている人たち
─物質的にも人間関係や健康でも
とても恵まれている人たち─の多くが、
そういう状況を実現するために
あまり物質的なエネルギーを
注いでいないように見えます。
その人たちはそんなに努力していないのに、
一方もっと苦労して努力しても
その人たちほど恵まれない人たちが
たくさんいます。
そこでお聞きしたいのですが、
物質的な世界の仕事とか行動は、
望むことを創造するあなたの方程式の
どこにあてはまるのでしょう?

エイブラハム あなたがたがこの
物質世界の環境にやってきたのは、
「行動」を通じて創造するためではない。

そうではなくて。もともと「行動」は
あなたがたが思考を通じて創造したものを
楽しむ方法の一つだ。

時間をかけて意図的に思考を
ある方向に振り向け、
欲しいものについての思考と
信念と期待とを上手に整えて
組み合わせる力を見つければ、
あとは「引き寄せの法則」が
成果をもたらしてくれる。

だが、時間をかけて思考を整えなければ、
物質世界でどんな行動をとっても
その乱れを補うことはできない。

整えられた思考から生ずる行動は
楽しい行動だ。

矛盾する思考から生ずる行動は
満たされない辛い仕事で、
いい成果を生み出さない。

行動に飛び込みたいと
心から感じるのは、
波動が純粋で、
思考が自分自身の欲求と
矛盾していないしるしだ。

何をしたらいいかわからなくて
苦労したり、
行動が意図した成果をもたらさないときには、
必ず思考が欲求と反対方向に向かっている。

今、物質世界に生きているあなたがたが
行動を重視したがるのは、
思考の力をまだ理解していないためだ。

思考の意図的な方向づけが上手になれば、
それほど行動しようと思わなくなるだろう。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より
 
パクる人の中には、酷いと、
私がブログを書き終わった後、
自分のブログやツイートを発信する、
と言う様なタイプの人も出てきます。
私の生活パターンがあるのでそれに合わせるのよね。
ネタを自分で考えることが出来ない、
私の発信内容を読めば書けるようになる…、
依存ですよね?
自分の意志ではもはや、やめられませんえーん
私はそういうのは嬉しくないので!
自覚を促す為に、繰り返しお伝えしています。
 
といったことを書くと、
教科書なんて必要ない!オリジナルが大事!
(パクってない!)と始まります。
つまりループです。
 
昔、私が記事を更新する度に、
何人かで、「読んだー?〇〇とか言っちゃってウケる」
みたいに揚げ足を取るグループがいました。
私は彼等に何かを言われることが嫌だとか、
言われた内容が嫌だとか、
そういうことは、気にならないのだけど、
(気にしてんだろ!と言う人もいるでしょうけど)
私がブログ記事を更新するのを待って、
それから文句を言うという生活スタイルに、
陥ってしまっているストーカー状態に、
危機感を持ちました。
他人軸な訳ですけれども、
私にそこまで執着する価値が、
あるとは思えないんですよね。
でも生活の中の一部分を、
私に捧げてしまっているのです。
(嬉しくないのだけど)
そんなに好きなの?とか思います。
こういうのも思考停止ですよね。
私が発信する内容に、
反射的に反応しているだけ。
口からダラダラ涎を垂らすワンちゃんと一緒。
人間になって欲しいです!

 

問題が生じているのは、

嫌だな、腹立つなと思いながら、

ここを読んでいることで、

でもそれに反応するということは、

受け入れてもいますよね。

嫌だなと思っても、あなたはそうなのねと、

境界線を引いて、

自分には必要ないものと、読むのをやめる、

ということが出来ない。

嫌だなと思って、こいつは間違っていると否定して、

そのことを考え続けるから、

どんどん似たような思考を引き寄せています。

自分の周りも同じ様な価値観、思考の人ばかりですよね?

毎日、世の中に対する文句や不満ばかり目につくのは、

どうしてでしょうか?

今、どんな感情になっていますか?

 

人はよく言う。

「エイブラハム、わたしは今日、
行動をしなくてはなりません。
ただ座って考えているわけにはいきませんよ」。

確かに生きているからには行動が必要だろう。

だが、わたしたちだったら、
今日はまず自分にとって大事なことに
できるだけ意識して
思考を振り向けることから始めるだろう。

そして望まないことについて考えている
(そういう思考はいつもネガティブな
暗い感情を伴う)と気づいたら、
そこで立ち止まって、
もっと心地よい考え方を探す努力をする。

そうするうちに、物事はあらゆる面で
いいほうへと向かい始めるだろう。

通りを歩いていて、
(あなたの推測では)
図体の大きな悪いやつが
弱い者を殴っている場面にぶつかったとする。

さあ、なんらかの行動に出なくてはならない!

この現象を前にした場合の選択肢としては、
弱い者を見殺しにしてその場から立ち去るか、
自分が怪我をするリスクを冒して
介入するしかないが、
どちらの選択肢も満足できるものではない。

そのときはどちらかを選ぶしかないが、
しかし思考をその段階のままにしておいては
いけない。

もっと平和に仲良く暮らす人たちの
人生経験から前向きのイメージを集めてきて、
それを「ワークショップ」に持ち込み、
その考え方が自分のいちばん
活動的な波動になるように仕向ける。

やがて「引き寄せの法則」が働いて、
どちらの選択肢も満足できないというような
状況にはぶつからなくなるだろう。

自分は弱きを助け強きをくじく
「救い手」だと思っている人は、
救う必要のある人にたびたび出会うだろう。

そういう種類の経験をしたいというのが
あなたの欲求なら、
そういう経験について考え続ければいい。

「引き寄せの法則」によって、
引き続きそのような経験が引き寄せられてくる。

だが、違うことを望むなら、
違うことについて考えなさい。

そうすれば「引き寄せの法則」によって
違うことが引き寄せられてくる。

あなたの思考の対象が
未来の経験を準備するのだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

”自分は弱きを助け強きをくじく
「救い手」だと思っている人は、
救う必要のある人にたびたび出会うだろう。
そういう種類の経験をしたいというのが
あなたの欲求なら、
そういう経験について考え続ければいい。
「引き寄せの法則」によって、
引き続きそのような経験が引き寄せられてくる。”
という箇所は、
例えば、全ての人を救いたい!
地球を全部救いたい!みたいな思想ですね。
これは、下記でご紹介した、
 
「私は明日にもアセンションするというだけでなく、
この惑星を癒そうとしている。
私ひとりでも地球を、
そして気の毒なみんなを救い出してあげよう。
私がやらなくては。
全員を光のなかへ引き上げよう。
みんなを自分自身から守り、
カルマから助け出して、闇の勢力から救ってあげるのよ」
といったふうです。

第七レベルにある人は通常はヒーラーや覚醒者、
あるいは自分や人々や地球の救済者として
アイデンティティをもっています。

じつはこれはカルマ的なモナド(単子。
個人的なスピリットをまとめている高次元において
グループソウルのもとになる魂の本質)なのです。

あなたのほとんどの部分が
まだ二元性のなかに存在していることに気づくには、
ちょっと時間がかかるでしょう。

ひょっとするとあなたは、
自分が癒してあげるために地球やだれかを病気にしたり、
自分が救ってあげるために人を迷わせたり、
自分が目覚めさせるために人を眠らせたりしているかも
しれないのです。

それは人が完全に機能しないよう
求めていることになります。

第七レベルでは、すべての存在が
広大で多次元的なマスターであることを
だんだん理解するようになります。

神聖さを探求しているマスターもいれば、
制限を探求しているマスターも
いるでしょうが、
とにかくみんなマスターなのです。

だれもがまさにみずからの望むことを
しているのであって、それでよいのです。

もしもだれかが常に他人の面倒をみたり
守ったりという人生を送っているのであれば、
それは深い啓示を放つことになります。

そしてほかの人たちがみずからのプロセスを歩むのを、
ただ許していけるようになるのです。


「ライトボディの目覚め」
(大天使アリエル&タシラ・タチーレン著)より

 

というのと同じですね。

 

誰か辛い思いをしている人と出会い、
その辛い状況を見たあなたは、
その人が辛い状況から脱出する方法を
見つけることを願うとする。

それなら、その人の苦痛は
一瞬あなたをかすめるだけで、
あなたはすぐにその人の楽しい状況に思考を向ける。

そのあと、その人が辛い状況を見事に解決することに
揺るがぬ関心を集中していれば、
あなたは苦痛を感じないし、
その人が解決策を見つけるきっかけになることも
できるだろう。 

 

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

という箇所をご紹介しましたが、

ものごとは表裏一体なので、
解決策に焦点を定めることも出来るし、

問題に焦点を定めることも出来ます。

 
誘導好きな教祖様は、
どちらにいつも焦点を定めていますか?
解決策と問題という別々の二つではなくて、
いつも、ものごとのどちらの側面に、
焦点を定めているのか?ということです。
(まず両面あることを探してみて下さい)
 
自分が心酔する教祖様が、
いつもいつも、問題の方に焦点を定めているのなら、
こんなの間違っている!
あいつらはおかしい!
みたいな発信を続けていて、
共感をするのなら、
その人自身も、問題に焦点を定めています。
いい気分ではなくて、ネガティブな暗い気分になります。
 

SNSなんかはフィルターバブルによって、

それぞれが自分が見たい情報ばかり見る様になる為、

似た様な人ばかりが集まった状態になりますよね。

勿論、霊的には引き寄せの法則も働いていますけれども、

物資的な側面でも、アルゴリズムによって、

泡の中で孤立した様に、自分の価値感に凝り固まっていきます。

凝り固まった人達の集団というのは、
エコーチェンバー現象によって、
自分の考えや思想だけが正しい様な錯覚に陥って行きます。
 

引き寄せの法則で、問題がある!という思考が、

集まって来るし、

物質的にも同じ様な情報ばかりが集まってきて、

問題があるとしか思えなくなって、

解決策に目を向けられなくなります。

ものごとは両面あるのです。

でも、教祖様がそうである様に、

信者達もまた、片側にしか目を向けなくなるのです。

 

 

苦痛を感じている人を助ける(エイブラハム)という記事で、

卵焼きのレシピの例えを書きましたが、

ある集団が、教祖的なリーダー格の人を中心に、

一から作りたい、誰かの教えなんて知りたくない、
そんなの必要ないんだ!
誰かの真似なんて思考停止なんだ!
オリジナルにこだわりたい、
オリジナルな手法をそれぞれ見つけ出そう!、
ぜひ、みんなのオリジナルを教えてくれ!と、

発信するとします。

 

それを読む人というのは、

泡の中の人達なので、

いいね!いいね!と賛同します。

もし、反対意見を言う様な人が現れたら、

信者達が一斉に、教祖様を守る為に、

集まりだし、最終的には締め出します。

一層、自分達の意見が正しいと、
確信を持つようになりますよね。
 
一から作りたい、誰かの教えなんて知りたくない、
そんなの必要ないんだ!
誰かの真似なんて思考停止なんだ!
オリジナルにこだわりたい、
オリジナルな手法をそれぞれ見つけ出そう!、
となって
ぜひ、みんなのオリジナルを教えてくれ!と、
最初の誰かの教えなんて知りたくないと、
相反する意見になっていて、矛盾が生じます。
でも、教祖様の考えは正しい、間違いないと、
思い込んだ信者ばかりが泡の中に存在するので、
鵜呑みにしてしまい、疑問を感じることが出来ません。
 
教祖様の教えなら正しい、
それ以外は間違いの善悪二元論で裁いている訳ですが、
教祖様の意見というのは、
矛盾した二つのメッセージを発信していて、
ダブルバインドと呼ばれるマインドコントロールの手法を、
行なっている状態です。
上記だと、教えなんて知りたくない、
そんなの必要ないというものと、
教えてくれというのと、
相反する矛盾したメッセージを投げています。
 
こういう教祖様に従っていると、
心酔した信者たちは、
どっちを選んだらいいのか分からなくなって、

自分で思考することを放棄し、

教祖様の言いなりになっていきます。

 

教祖様に心酔していなければ、
ちょっとした違和感に気付くことができますが、
この人は凄い!この人の言うことは間違いない!と、
思い込んでしまい、
フィルターバブルによって閉ざされた空間に入り込み、
同じ様な意見の人に囲まれているうちに、
客観的な判断が出来なくなってしまうのです。
 
例えば、私がその集団の中に入って行って、
同じことを言ったら、
すぐに矛盾点に気付いて、指摘する人が、
沢山出て来ると思います。
最初から疑っているからです。
 
私が尊敬する人達はみんな、
崇拝したり、盲信したりすることのない様に、
厳しく注意されていました。
どんなに凄い人の言葉でも、
鵜呑みにせず、疑って下さいと。
他の誰の事も私の事も信じないで下さいと。
信じるのはあなた自身ですよと。
「ありがとうございます」「ためになります」
「勉強になりました」「すごいです」みたいな言葉は、
やめて下さいと、断っていました。
 
もし、自分と反対意見の人が現れても、
信者に擁護されるのを喜びません。
てか、赤ちゃんか子どもなのかな?
いい大人が、信者に庇ってもらって、
恥ずかしくないのかな?
自分で対応出来ないのかな?と思いますけどね。
自分の意見に賛成する人もいれば、
反対する人もいるのは当たり前じゃないでしょうか?
 
でも、それが理解出来なくて、
「こんなに地球の為に無償で頑張っているのに、
悪く言う人がいるんだ!」と、
自己憐憫に浸って、信者達が、
「そうだ!そうだ!酷いぞ!
教祖様は凄いんだぞ!」とやります。
精神的に自立した大人の集団がやることとは思えません。
自分の行ないに自信を持って、
これでいいのだと思っているのなら、
庇う必要などないと断れると思いますけどね。
信者を煽ることはあっても、
窘めることはないですよね。
(だって崇めて欲しいから)
 
私がこういったことを繰り返し書くのは、
霊的な罪を犯している状態だからです。
 
じっさいには本人はそうしたくないのに、
催眠術をかけたり、暗示にかけたりして
こちらの思うように動かすのがいけないんだよ。

たとえば、宣伝とかコマーシャルのばあいだよ。

おおぜいのひとを洗脳して、
売りたいものを売ったりね……

一部の広告業者が、宇宙の法から見て
どんなにひどい不正を犯しているか、
彼らはそれにまったく気づいていない。

……そしてかならず言うんだ。

”ど、どうして神はわたしをこんなに罰するの?”
”わたしは、なにも悪いことしてないのに”……」

「なにが言いたいんだい?アミ」
とクラト。

「宇宙の基本法は愛だ。
それを破ったときは、とても苦しむのさ。

だって、
自分のしたことはぜんぶ自分に返ってくるからね。

もし、その広告業者が、
自分たちの知識と才能を
人類の幸せにつながることや、
意識の進歩をたすけるようなことに使えば、
それとひきかえに、
すばらしいものが受け取れるんだよ。

だから、これを”ブーメランの法則”ともいうんだ」
 
「アミ3度めの約束」(エンリケ・バリオス著)より
 
という箇所と、
 
自分の所へ真理と知識を求めてくる者に対して、
偽りのことを教え、
つまずかせる教師は、自分自身の魂を
悪に縛りつけるだけでなく、
他人の魂に対してまで偽りという鎖をつけることに
なるのだから、
死よりもなおひどい悪果を受けるだろうところの
業因をつくっているのである。
 

「聖書の真義」(M・ドーリル博士著)の「マタイ伝 第十八章」より

 
という箇所を、
繰り返しご紹介していますけれども、
宇宙的な犯罪行為を行なっている、
偽りのことを教え、つまづかせる教師というのは、
霊的な領域では監視対象になっています。
 
私は自分が学んだことを、同じような学びの道を進む、
誰かとシェアしたいと思って、発信していて、
引き寄せの法則によって、
必要な人が引き寄せられるでしょう。
でもガイドたちも引き寄せていて、
それは首に大鎌を当てられた状態の、
偽りの教師たちを連れてくるのです。
 
私はその人達に、やめなさいと、
教えを説いて改心させることは出来ません。
彼等は必ず、お前の言いなりになんかなるか!と、
反発しますので、
法則や真理に反する様になるのです。
そして一層、
”死よりもなおひどい悪果を受ける”ことになります。
 
ガイド達が救おうとしているのは、
偽りのことを教えられた、
真理と知識を求めてくる者たちだけです。
 
きっとあなたも読むことになると思いますので、
腹立たしいとか、不快感といった、
ネガティブな感情を感じたのなら、
内観することをオススメしますよ。
 
偽りの教師たちというのは、
自分を正当化する為に、
法則や真理を捻じ曲げ、
事実を歪曲し、
自分の都合のよい方へ誘導します。
 
下記をご紹介しましたが、
 

ジェリー 誰かに「プログラム」されて
何かを信じるように仕向けられているとしたら、
そしてその信念がもう自分の人生にとって
望ましいものではないと気づいたら、
その信念を消すことはできますか?

エイブラハム ネガティブな暗い影響の原因は、
大きく言って二つある。

一つは他人の影響。
もう一つは自分自身の過去の習慣だ。

時間とともに思考のパターンができるので、
新しい欲求に調和した新しい考え方をするよりも、
つい古いパターンどおりの思考に落ち込みやすい。

これは関心を新しい方向に向けるために
意識してちょっとした努力をするかどうか、
つまり意志の問題だ。

あなたの言う「プログラム」とは、
自分が何かに焦点を定め、
その焦点に「引き寄せの法則」が作用して
力強く成長した結果にすぎない。

また「プログラム」の一部は
単に現在の社会への健やかな同化にすぎない。

だが、実際にあなたがたの
成長の妨げになるものもある。

練習を積めば二つの違いがわかるようになるし、
自分の思考を自分が選んだ方向へと
向けられるようになる。

実はそれが「意図的な創造」ということだ。

「引き寄せの法則」(エスター・ヒックス、ジェリー・ヒックス著)より

 

上記のダブルバインドの教祖様は、

マインドコントロールに掛けようとしています。

意識的か無意識かは分かりませんが、

でも技術は知っているはずです、
色々調べていますよね?
 
例えば私が、ある方法で、
あなたのマインドコントロールを、
解いたとしましょう。
 
でも、あなた自身が自分で自分を、
コントロールしようと、
意識的に選択しなければ、
また同じ教祖様か、別の誰かの、
マインドコントロールに掛かってしまうのです。
 
”一つは他人の影響。
もう一つは自分自身の過去の習慣だ。”
”つい古いパターンどおりの思考に落ち込みやすい。”
とありますが、
いくら善意の誰かが解いても、解いても、
過去の習慣に戻ってしまうのです。
 
 
引き寄せの法則は、
何かに対してネガティブな感情を持ち、
否定的に捉えて、関心を持ち続けると、

経験としてそれを引き寄せる、

という様に働きます。
鵜呑みにしている誰かが、
問題の方に焦点を定めているとしたら、
その人の影響を強く受けてしまいますよね。

結果的に、あなたは誰かに誘導されて、

コントロールされた様な状態になります。
(自分でその様に選択します)
理性的になり客観的に眺める様にしましょう。
感情的に誰かに入れ込むのはとても危険なことです。