【菊と稲荷】の始まりの物語はコチラです→『プロローグ。』
<あらすじ>
『怖いと思われている稲荷の誤解を解いてほしい』
その言葉と共に、六甲山の高取神社で
「神様」という存在に、接続してもらった私。
前からついていたという高野山の清高稲荷大明神さまの
子狐眷属の姿も確認できるようになり、
奇妙な共同生活(?)が始まっていた。
***
清高稲荷大明神(以下:清)「……待っていたんだ。
ああ、こんなに。人が」
菊「……………」
ニコニコされている清高稲荷大明神にふと訊いてみた。
菊「清高稲荷大明神さま、私、今回のこのお祭りって、
あっという間に開催されたなって思ったんです。
最初に聞いた時、来年からかなーって思って。
でも今年やります!って聞いて、じゃあ出ます!って出店したんですけど……
清高稲荷大明神さまがこのお祭りを望まれたんですか?」
清高稲荷大明神に返す
今度は返す番
菊「……………」
清「……………」
返すって……恩のこと?
菊「あの……」
清「うん」
菊「家で考えていた時も、同じような感じで浮かんだんです。
清高稲荷大明神さま……
白柏稲荷大明神さまのこと、庇われたんですか?」
清「いろいろあるからな」
清高稲荷大明神は伏見稲荷から勧請された神だけど、
白柏稲荷大明神は別の場所から勧請されている。
伏見稲荷は国家神道でも仏教でもない。
民衆によって信仰され、守られてきた神が伏見の稲荷神。
白柏稲荷大明神は、神道……だけど仏教も関係している場所の稲荷神。
だからこそ、この高野山の守り神として迎えられたのだろう。
江戸時代に高野山に勧請されたこの稲荷神は、
その「生まれ」の差により、一時行き場を失ったのではないだろうか。
明治時代の神仏分離令は、神道の神に仏具を供えることを禁じた。
全国各地で廃仏毀釈運動が起こり、仏教は弾圧されていたが、
ここはその逆。仏教の聖地。
11月の大祭でもそうだが、ここでの祭事は神職ではなく、
僧が取り仕切る。
神道の神に仏具を供えることを禁じたという事は、
白柏稲荷大明神は「祀る事ができなくなった」という事ではなかったのかと思った。
菊「…………でも今になって、あの小さな木の祠の中から、
白柏稲荷大明神さまの御名が出てきたという事は……」
それは今が「祀られる世の中になったから」
そういう理由で、また陽の光を浴びられるようになられたのではないのだろうか。
菊「包む。柏の意味……」
《続く》
⛩【菊と稲荷】次のお話はこちら*
今月より毎月8日に
清高稲荷社境内・参道のボランティア掃除を実施することになりました♪
今月は8月8日(すぐ!)もちろん菊田も参加します♡
お時間、ご予定の合います方は是非ご参加頂ければ幸いです。
集合場所:清高稲荷社境内
開始時間:13:00〜14:00の一時間程度
ご参加お待ちしておりますねー*
*2019年春の連載『ヒルコノミコト』はコチラです。