【菊と稲荷】の始まりの物語はコチラです→『プロローグ。』
<あらすじ>
『怖いと思われている稲荷の誤解を解いてほしい』
その言葉と共に、六甲山の高取神社で
「神様」という存在に、前よりも強く接続してもらった私。
前からついていたという高野山の清高稲荷大明神さまの
子狐眷属の姿も確認できるようになり、
奇妙な共同生活(?)が始まっていた。
その清高稲荷大明神に依頼されたお祭りが終わると同時に、
次のミッションが始まっていた。
それは「事代主(コトシロヌシ)という神を解読すること。
事代主神とは、もう一柱の「えびす神」だった。
***
続きです。これまでのお話。
……なんでショックかと言うと、私が酉年生まれだから💧
子狐2「ママ、たぬき年じゃないの?(笑)」
菊「ないよ! たぬき年って!! 半ば無理やりに来たな(苦笑)」
?「今日も賑やかだねー。そして熱心に調べ物をしているな」
後ろから飛翔眷属が覗き込んで声をかけた。
飛翔眷属(以下:飛)「……美保神社? お参りしてきたところか」
菊「飛翔眷属さま! 出雲へのご同行もありがとうございます♪
美保神社さま、いい神社さまでしたね」
飛「………事代主神は鶏が嫌いなの?」
菊「みたいです。ここ読んだら。
鶏が間違えて鳴いたせいで海中のワニに足を噛まれ、不具になられたと……
その時の怒りから、鶏を忌むべきものとされ、
美保・揖屋の人は鶏肉、鶏卵を食べなくなったり、鶏を飼うこともご法度となったとあります」
飛「ふーん。……変だね」
菊「? 変ですか?」
飛「長田神社も事代主神が主祭神だよな」
菊「はい」
飛「長田神社での鶏の扱いと逆だから」
菊「!」
私は『長田神社 鶏』ですぐに検索した。
長田神社公式サイトのご由緒ページにあった説明。
古伝によれば「鶏鳴の聞こゆる里は、吾が有縁の地なり」とのお告げにより、
にわとりが神の使いと尊ばれ、奉賽の鶏が境内に群れ遊び、外国人より「チキンテンプル」と親しまれた。
そして他に見つけた記事にもこんな風に。
現在は境内には鳩が放されていますが、かつては境内には数百の鶏が飼われており、外国人からは「チキンテンプル」と呼ばれていたようです。その由来から祈願の際には、境内に鶏を奉納したり、鶏の絵馬を捧げる風習がありました。そしてかつては氏子は鶏肉や卵を一切食さない、また、婦女の歯を鶏の羽根を用いて染める風習も在ったようです。
菊「長田神社さまの拝殿中心の鳥の彫刻……あれ、鶏だったんですね……」
飛「同じ "鶏" なのに、長田神社では神の使い。美保神社では忌み嫌われるもの。
でも共通していることがあるよな」
菊「共通してることは……どちらも鶏を食べないということ……です……」
鶏を食べないって…… どういうこと?
飛「じゃあ次の質問。
鶏を神使にしている神社は、他にどこかピンとくる?」
菊「伊勢神宮! え。そうですよね?」
ポンっと出たものの、念のために検索してみる。
一覧表を発見したので貼っておく。
やはり『鶏』欄には『伊勢神宮』。これが代表的であるということだろう。
菊「これって………」
飛「どっちにしろ、鶏には変に触れない決まりってことだ」
菊「……………」
飛「事代主神が国を譲ったのは……誰?」
菊「タケミカヅチ様……いや、天照大神さま……」
飛「……そういうことなんじゃない?」
菊「………………」
事代主神は「承知した」と言い、船を踏みつけ傾け
"天逆手" を打ち、海中に青柴垣を造るとその中に隠れた。
要するに「即答で "天津神" に国を譲る言葉を渡し、姿を隠した」とされている。
『譲られた国』
そこには当然、もともと ”国津神” を信仰していた人々がいた訳で……
その者たちが伊勢神宮……すなわち天照大神の神使を傷つけないように
こんな伝承を作り、天津神の象徴の一つでもある「鶏」を守ったのだろうか。
菊「……………」
飛「伝承も元は人が創ったもの。神が創ったものじゃない。
創り手の立ち位置や視点次第で、どうとでも創れる。そんなものだな」
菊「印象操作が? こんな昔からですか……」
飛「昔だからこそ。何とでも言えるだろ?……まあ可能性として」
菊「……………」
ふと赤いリボンと目が合った。
子狐2「よかった〜。事代主神さまが夜な夜なとか、イメージ壊れるなって思ってたー♪」
菊「いや、そこかい!!💧」
(「夜な夜な」については、最初に添付した美保神社さまの『えびす神様の鶏嫌い』をご参照ください)