⛩【菊と稲荷】コトシロヌシ・9:神の魂を鎮める『えびす舞』 | 神仏広告代理店

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【菊と稲荷】

【菊と稲荷】の始まりの物語はコチラです→『プロローグ。』

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<あらすじ>

 

『怖いと思われている稲荷の誤解を解いてほしい』 

 

その言葉と共に、六甲山の高取神社で

 

「神様」という存在に、前よりも強く接続してもらった私。

 

 

前からついていたという高野山の清高稲荷大明神さま

 

子狐眷属の姿も確認できるようになり、

 

奇妙な共同生活(?)が始まっていた。

 

 

その清高稲荷大明神に依頼されたお祭りが終わると同時に、

 

次のミッションが始まっていた。

 

 

それは「事代主(コトシロヌシ)という神を解読すること。

 

事代主神とは、もう一柱の「えびす神」だった。

 

 

 

***

 

 

 

続きです。これまでのお話。

『【菊と稲荷】コトシロヌシ・1:届いたサイン』

『【菊と稲荷】コトシロヌシ・2:「えびす」という暗号。

『【菊と稲荷】コトシロヌシ・3:境界線の神。

『【菊と稲荷】コトシロヌシ・4:海底のご神体。

『【菊と稲荷】コトシロヌシ・5:美保神社の響き。

『【菊と稲荷】コトシロヌシ・6:反響する祈り。

『【菊と稲荷】コトシロヌシ・7:大国主の御子神。

『【菊と稲荷】コトシロヌシ・8:鶏。

 

 

 

 

あともう一つ、私の中で気になることがあった。

 

それはこの美保神社のご由緒ページにも書いてある内容で。

 

 

 

 

仕方なく足で掻いている時に、その足をワニ(サメ)に噛まれ不具になられました。

 

えびす様がいつも片足を曲げていらっしゃるのは、この時の傷のせいです。

 

 

 

菊「事代主神さまのウィキペディアには、こんな風にも書いてあるんです」

 

 

 

櫂を岸に置き忘れて仕方なく手でかいたところ、

 

鰐(サメのこと)に手を噛まれた。

 

 

 

飛翔眷属(以下:飛)「……………うん」

 

 

菊「手も足も噛まれてるっていう風に、結局は伝わっていて」

 

 

image

 

 

菊「そして蛭子神さまは生まれた時から”不具の子”で、海に流されてる……。

 

えびす大神も3歳になっても歩けなくて、海に捨てられたと話されていました」

 

 

飛「……………」

 

 

 

 

菊「不具だったんじゃなくて……不具にされた神がいて

 

そこに伝承では違う物語をあてがったんじゃないかって……

 

なんかそんな風に思ってしまうんです……」

 

 

 

 

或いは、不具にされたとまでいかなくても。

 

 

 

 

国譲りの場面での古事記原文。

 

『天の逆手を青柴垣に打ち成して、隠りき。 』

 

 

この謎の言葉とされる『天の逆手』

 

 

 

この格助詞『の』を、主格を表す使い方で考えると、

 

天、つまり天津神が手を逆さにした事代主神を青柴垣に叩きつけ、隠したとも訳せないだろうか。

 

 

手を逆さ……身動きできないように、後手に縛ったというような。

 

 

 

 

 

そして『青柴垣』という言葉も。

 

 

アオ フシ ガキ

 

 

という響きで解読するとして、真ん中の『フシ』を別の漢字で捉えてみる。

 

 

それはそのまんま素直に『節』。意味としては

 

多くの場合「節目(ふしめ)」とも言う変化する箇所や時期など。 とある。

 

 

この場合は "陸" と "海底" の間の『節目』とした。

 

 

 

「青くて、節目となる箇所で、垣……つまり囲んでいるもの。

 

それって “海底” を囲む "海" のことに思えたんです」

 

 

 

 

 

とにかく、

 

 

事代主神は身体の自由を奪われ、

 

 

そして海に隠された……  と感じた。

 

 

 

 

 

これはとても残酷な考察で。

 

 

でもこの考えに行き着くのには理由があって。

 

 

 

 

 

それは私がなぜ事代主神のことを

 

 

『海底の活断層を抑えてくれている神』と感じたのか。

 

 

その最初のきっかけに気がついた地点に戻ることになる。

 

 

image

 

 

飛「でも……哀れな神として、えびす神は今の時代にいないよな。

 

福の神として、いつも笑っている」

 

 

菊「読んでいる本の中に、こんな文を見つけたんです。

 

事代主神さまやえびす大神さまが

 

"人を好き" と強く思ってくださっているのに通じるような……」

 

 

 

それは『神道民俗芸能の源流』という本。

 

 

 

図書館でペラペラとめくった目次に

 

『美保神社』と『西宮神社』という言葉が並んでいるのを見て、つい借りていたもの。

 

 

 
 

 

その中に私の中で再生された、静かな昔の西宮浜があった。

 

以下に掲載する。

 

 

 

 

西宮に道君坊(道薫坊)なる翁がいて、

 

蛭子大神を慰めるために小さい人形を作って舞わしていた。

 

是が西の宮夷かきのはじまりである。

 

さてその後、道君坊が病気で亡くなると、海が荒れて漁が出来なくなったので、

 

百太夫という人が道君坊の人形を作って、神の前に舞わせると、荒風が静まった。

 

 

 

 

 

「蛭子大神を慰めるために……」

 

 

 

なぜ慰める必要があったのか。

 

 

それは慰める必要があったから。に他ならない。

 

 

 

 

 

道君坊は「ドウクンボウ」と読む。

 

それは人形を「デクノボウ」と呼ぶのと同じで、その人格化とあった。

 

 

「デクノボウ」「木偶の坊」……その意味を改めて。

 

人形。あやつり人形。でく。
役に立たない人。気のきかない人。人のいいなりになっている人。また、そのような人をののしっていう語。「この 木偶の坊 め」

 

 

 

 

 

 

西宮神社は昔は海に面していた。

 

 

 

浜辺で海に向かい、小さな人形を動かして見せている

 

 

心優しい翁の姿が目に映った。

 

 

 

 

 

静かに打ち寄せる浜辺の波の音と、

 

 

穏やかに、幼子をあやすように

 

 

海に語りかけている翁の声が、遠くで聴こえた。

 

 

 

 

菊「事代主神さまを "えびす神" とすることで重ねるならば、

 

動かせる手足の自由を奪われたご自身に手足をつけ、

 

自由自在に動ける身体として舞を舞わせてくれた人に対して……

 

どんな風に想いはるんだろ」

 

 

 

 

私はすぐにでも西宮神社に行き、えびす大神に会いたくなった。

 

 

 

 

 

《続く》
 
美保神社さまの公式サイト、とても詳しく丁寧で美しいです。
ぜひご覧ください。
 
さらに神仏広告代理店・菊田からお知らせ2点です。
 
 
☆12月3日(月)に特殊神事の一つである『諸手船神事』が美保神社で行われます。
 
諸手船神事は、美保崎におられる事代主神が、
父神である大国主神から国譲りの相談を受ける様を儀礼化した祭です。
 
 
特殊神事に限らず、毎日の朝夕のご神事もあります。
祝詞も巫女舞も素晴らしいので、ぜひお参りし、事代主神さまに想いを馳せてください。
 
 
☆『平成の大造営』ご協賛を受け付けられています。
 
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どうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 
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