【菊と稲荷】の始まりの物語はコチラです→『プロローグ。』
<あらすじ>
『怖いと思われている稲荷の誤解を解いてほしい』
その言葉と共に、六甲山の高取神社で
「神様」という存在に、前よりも強く接続してもらった私。
前からついていたという高野山の清高稲荷大明神さまの
子狐眷属の姿も確認できるようになり、
奇妙な共同生活(?)が始まっていた。
その清高稲荷大明神に依頼されたお祭りが終わると同時に、
次のミッションが始まっていた。
それは「事代主(コトシロヌシ)という神を解読すること。
事代主神とは、もう一柱の「えびす神」だった。
***
続きです。これまでのお話。
あともう一つ、私の中で気になることがあった。
それはこの美保神社のご由緒ページにも書いてある内容で。
仕方なく足で掻いている時に、その足をワニ(サメ)に噛まれ不具になられました。
えびす様がいつも片足を曲げていらっしゃるのは、この時の傷のせいです。
菊「事代主神さまのウィキペディアには、こんな風にも書いてあるんです」
櫂を岸に置き忘れて仕方なく手でかいたところ、
鰐(サメのこと)に手を噛まれた。
飛翔眷属(以下:飛)「……………うん」
菊「手も足も噛まれてるっていう風に、結局は伝わっていて」
菊「そして蛭子神さまは生まれた時から”不具の子”で、海に流されてる……。
えびす大神も3歳になっても歩けなくて、海に捨てられたと話されていました」
飛「……………」
菊「不具だったんじゃなくて……不具にされた神がいて
そこに伝承では違う物語をあてがったんじゃないかって……
なんかそんな風に思ってしまうんです……」
或いは、不具にされたとまでいかなくても。
国譲りの場面での古事記原文。
『天の逆手を青柴垣に打ち成して、隠りき。 』
この謎の言葉とされる『天の逆手』
この格助詞『の』を、主格を表す使い方で考えると、
天、つまり天津神が手を逆さにした事代主神を青柴垣に叩きつけ、隠したとも訳せないだろうか。
手を逆さ……身動きできないように、後手に縛ったというような。
そして『青柴垣』という言葉も。
アオ フシ ガキ
という響きで解読するとして、真ん中の『フシ』を別の漢字で捉えてみる。
それはそのまんま素直に『節』。意味としては
多くの場合「節目(ふしめ)」とも言う変化する箇所や時期など。 とある。
この場合は "陸" と "海底" の間の『節目』とした。
菊「青くて、節目となる箇所で、垣……つまり囲んでいるもの。
それって “海底” を囲む "海" のことに思えたんです」
とにかく、
事代主神は身体の自由を奪われ、
そして海に隠された…… と感じた。
これはとても残酷な考察で。
でもこの考えに行き着くのには理由があって。
それは私がなぜ事代主神のことを
『海底の活断層を抑えてくれている神』と感じたのか。
その最初のきっかけに気がついた地点に戻ることになる。
飛「でも……哀れな神として、えびす神は今の時代にいないよな。
福の神として、いつも笑っている」
菊「読んでいる本の中に、こんな文を見つけたんです。
事代主神さまやえびす大神さまが
"人を好き" と強く思ってくださっているのに通じるような……」
それは『神道民俗芸能の源流』という本。
図書館でペラペラとめくった目次に
『美保神社』と『西宮神社』という言葉が並んでいるのを見て、つい借りていたもの。
その中に私の中で再生された、静かな昔の西宮浜があった。
以下に掲載する。
西宮に道君坊(道薫坊)なる翁がいて、
蛭子大神を慰めるために小さい人形を作って舞わしていた。
是が西の宮夷かきのはじまりである。
さてその後、道君坊が病気で亡くなると、海が荒れて漁が出来なくなったので、
百太夫という人が道君坊の人形を作って、神の前に舞わせると、荒風が静まった。
菊「蛭子大神を慰めるために……」
なぜ慰める必要があったのか。
それは慰める必要があったから。に他ならない。
道君坊は「ドウクンボウ」と読む。
それは人形を「デクノボウ」と呼ぶのと同じで、その人格化とあった。
「デクノボウ」「木偶の坊」……その意味を改めて。
1 人形。あやつり人形。でく。
2 役に立たない人。気のきかない人。人のいいなりになっている人。また、そのような人をののしっていう語。「この 木偶の坊 め」
西宮神社は昔は海に面していた。
浜辺で海に向かい、小さな人形を動かして見せている
心優しい翁の姿が目に映った。
静かに打ち寄せる浜辺の波の音と、
穏やかに、幼子をあやすように
海に語りかけている翁の声が、遠くで聴こえた。
菊「事代主神さまを "えびす神" とすることで重ねるならば、
動かせる手足の自由を奪われたご自身に手足をつけ、
自由自在に動ける身体として舞を舞わせてくれた人に対して……
どんな風に想いはるんだろ」
私はすぐにでも西宮神社に行き、えびす大神に会いたくなった。