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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2022年8月27日、中国地方縦断迷走・2日目。この日のネタで記事にしているのは上畑隧道紙祖の名称不明廃橋飯田橋追憶の青原橋

 

今宵ご紹介するのは、紙祖の名称不明廃橋から25分後に訪ねた物件。

 

 

まずはこれ。

右カーブの奥に見えておりますな。現在地こちら

 

 

 

 

 

正対してみて、

坑口がポータルの中央でなく左寄りに開口してるのが面白いな、と思った。

 

 

 

 

 

無骨なコンクリポータルで、

ゴツイ補強が入っている。扁額も銘板もなし。Q地図によれば、お名前は屏風隧道。1953(昭和28)年完成、延長は34mだという。

 

 

 

 

 

その奥は、

 

素掘り部分のモルタル固め。

 

 

 

 

 

そして、これがカッコ良かった!

鉄骨による補強。

 

これで波型ライナープレートなんかで洞内を覆ってしまっているものはよく出会うんだが、鉄骨のみってのはそう見ない。

 

 

 

 

 

実際これだと落石なんかは防げないわけだが、

これがまあ、きれいなもんだ。よっぽど安定してるんだろうか。

 

 

 

 

 

鉄板の構図。

いいっすな~。

 

 

 

 

 

脱出前に、

振り返りで再度鑑賞。

 

 

 

 

 

隧道を抜けると、

とっても低い木製の…ガードレールなのかこれ?

 

ちなみにこれ、ガチの木製だったと思う。擬木じゃなくて。

 

 

 

 

 

そしてこの、

美しい匹見川の峡谷。

 

 

 

 

 

このあたりは、表匹見峡の「屛風ヶ浦」と呼ばれるところらしい。

車を停めたあたりには「屏風岩」と呼ばれる巨岩もあったらしい。隧道名はこのへんから来ているのだろう。

 

 

 

 


地図で見ればわかる通り、この道は島根県道307号波佐匹見線の旧道に当たる。

いわゆる険道だったんでしょうなあ。現在の路線名は、市道表匹見峡線である。

 

現道には表匹見トンネル(2104m)があるが、さすがにその旧隧道がこれです、とは言わないだろう。単に旧道にある隧道、ってだけで、延長差も2000m以上(!)あるし。

ちなみに現道はさらに崎田トンネル(延長576m)、丸小山トンネル(延長118m)と計3本のトンネルでこの表匹見峡パートをクリアしている。

 

 

 

 

 

景観と引き換えにした利便性のおかげで、今やほとんど通行する者とていないこの道、

こんなにのんびりしてても、全く問題なかった。

 

 

 

以上。

 

 

 

 

 

2023年9月10日に敢行した、FNS(福岡・長崎・佐賀)三県徘徊にて訪ねた物件をご紹介。この日のネタで記事にしているのは、小岩橋不老洞謎のスケルトン建造物

 

 

 

ファーストコンタクトがこちら。

この数秒後に、このお方を見つけたわけだ。

 

 

 

 

 

改めて、目的の橋がこれ。

たもとに立派な木がある橋って、いいよねえ。現在地こちら

 

 

 

 

 

お名前は、

立角橋。

 

 

 

 

 

お誕生日は

昭和九年拾月。

 

 

 

 

 

この年代ならでは、

高欄の意匠が個性的で素晴らしい。アーチとアーチの間にある二連の尖頭アーチ(って表現でいいのか)、いいなあ。

 

 

 

 

 

この写真、めっちゃ気に入ってるんだけど。

こうなると、我がレンタカーが邪魔やったな…。

 

 

 

 

 

で、鋭い方はお気づきになってたかもしれない。

この橋、手前の一径間に対して残る二径間の高欄が全然違うんですな。

 

 

 

 

 

ちょうどその継ぎ目から望む、下流側。

デザインの違いが一目瞭然だ。

 

 

 

 

 

そして上流側。

いいですな~。しかし、なぜ高欄のデザインが違うのか?

 

向こうに見えるは、福岡県道49号大野城二丈線の立角橋(同名)。こちらは県道旧道に当たる。

 

 

 

 

 

渡って正対。

まるで別の橋のような。しかしいい雰囲気ですなあ。

 

 

 

 

 

そしてここで驚きの(しかしやっぱりな、ってなった)情報が。

「たてかどばし」とあり、その横には「昭和五十三年三月しゅん工」と。かたや昭和九年、かたや昭和五十三年ときたもんだ。

 

たまにこういうパターンの橋あるんだけど、たいていの場合は災害などで流失した部分を架け直したケース。ここもそうなのではないかと思って、記事を書くにあたりちょっと調べてみたのだが、よくわからないままだ。

 

まあなんであれ、渡り始めの一径間…クラシカルな高欄意匠の部分が、オリジナルなんだと思う。

 

 

 

 

 

とはいえ、

意外にも、サイドから見て思ったほどの違和感はない。

 

 

 

 

 

河川名はひらがな表記。

瑞梅寺川、と書く。

 

 

 

 

 

上流側より。

うん、やっぱ違和感ないな。欄干の高さがツライチ、かつコンクリのトーンが同じ感じだからかな。

 

 

 

 

 

こっからのこの一枚もお気に入りで。

そしてやっぱりレンタカー邪魔(笑)。

 

この非常に雰囲気のいい道、先ほど県道旧道に当たると書いたが、Q地図によればその路線名が「市道旧県道井原線」。旧県道って普通に言っちゃうんだ、的な。

 

 

 

 

 

最後にもう一度、橋のたもとから

「あのお方」を。

 

 

 

ここを後にして間もなく西九州自動車道に乗り、一路佐賀~長崎に向かった。

 

 

 

以上。

 

 

 

 

 

けっこう久しぶりな草ヒロネタを一発。

 

 

 

まずはこれ。

実は向こうに見えてる橋がターゲットで、ああ着いた~と思ってたら、だしぬけにこのお方がひょっこりと。

 

 

 

 

 

いや~この車、なんでしたっけ?

わたくし的にはたぶんカローラレビン(年式は知らん)かなと思ってるのだが、識者の方いかがでしょうか。

 

ちなみに、車種の確認のため上の写真で画像検索したら、車種とは無関係に草ヒロ画像が大量に出てきた(笑)。まあそうなるか。

 

 

 

 

 

ぐるっと周囲から鑑賞したいとこだったが、

サイドはこんな感じで、

 

 

 

 

 

もうちょい下がると、

完全に身を隠した!

 

ここ、実は民家に至近で(なんなら私有地かも)、とてもガサガサできるような立地じゃなかったので、写真もこれだけ。チラリズムが悩ましい~。

 

 

 

実際はターゲット橋をひととおり堪能してからこっちへ来たんだが、まあそのことは【次回】に。

 

 

 

ロケ地…は次回にバッチリわかってしまいまする。

 

 

2021年7月31日、湖東方面でまだ見ぬステキ橋がないものかと、Q地図を見て目星をつけた橋を巡った、そのターゲットのひとつをご紹介。この日のネタで記事にしているのは、これのちょい後に見つけた守国橋

 

 

 

いきなり、ドン。

個人的に「好ましい」と表現したくなる類のこの橋。現在地こちら

 

 

 

 

 

お名前は、

榮橋。

 

親柱を含む高欄は石造。「榮」の文字もあいまって、けっこう古そうな?

 

 

 

 

 

そう、実は古かったんだなこの橋。だからこそ訪ねたわけで。

「大正四年三月竣功」。はい、新記録~。

 

これまでわたくしが記録してきた滋賀県内の橋は優に1,000本を超えているが、その中で「橋自体に竣工年が明記されていて、なおかつ神社仏閣関連以外の橋」に限れば、この橋がこれまでの記録を10年さかのぼって最古となった。

 

ちなみにこれまでの記録保持者(橋)は、大津市堅田の大橋で、大正十四年七月竣功というものだった。

 

 

 

 

 

ただねえ…惜しむらくはこの橋、

どうやら架け替えられてるっぽいのよね。

 

 

 

 

 

なんで降りて確かめなかったんだろう、

確かめるまでもないと悟ったんかな。

 

 

 

 

 

であればこれは、いわゆる「親柱だけ古い」パターンに属するわけだが、

ただこの橋に限っては、高欄はオリジナルか、そうではないにしてもかなり古いものを再利用してくれているので、道路上からは、古橋の雰囲気は十分に残されている。これは嬉しい。

 

 

 

 

 

周囲の景色もまたよし。

そうそう、この道路は滋賀県道194号柳川能登川線。幅員やゆったりとしたカーブの「揺れ具合」と古橋との組み合わせが、実にイイ雰囲気ですな~。

 

 

こういう橋、案外残ってない滋賀県。お近くにお越しの際はどうぞ~。

 

 

 

 

 

以上。

 

 

 

【前篇】より続く。

 

 

 

今回も航空写真モードで載せておきましょうかね。

ざっくり現国道の落合橋北側の湖中に、落合トンネルと前回最後にご紹介した仮設橋エリアがあるよ、というところまでおさらい。

 

 

 

 

 

で、今回ご紹介する「遺影」は、

このトンネル。撮影位置は、おおむねこのへん

 

 

 

 

 

お名前は、

境鼻トンネル。その名のとおり、川目地区と簗川地区の境となっている。

 

 

 

 

 

銘板。

今気づいたが、落合トンネルとは完成年、事業主体、(延長以外の)スペック、施工会社まですべて同じだ。まるで兄弟のような存在だったんだなあ。

 

 

 

 

 

ちょっと引きで。

写真右側には簗川が流れているのだが、それに沿って…わかりますかね?

 

 

 

 

 

そう、ここで印象に残って…というか

悔いが残っているのは、この旧道…いや、旧々道。

 

 

 

 

 

まあ、出発して間もなくてまだまだ先へ進みたかったから仕方ないんだが、

この魅惑的な道に一歩たりとも足を踏み入れなかったことが悔やまれる。もう二度と叶わないのに。

 

まあ魅惑的かどうかって部分は「個人の感想です」ってやつだが、旧道系としては異例に開放的で見通しのいい感じが響いたもので。逆に、だからこそ(ほぼ先まで見えてるからこそ)もういいか、って足を踏み入れなかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

で、抜けまして、

宮古側坑口。

 

ビジュアルも落合トンネルと瓜二つだが、まあそこはね。

 

 

 

 

 

当然、こちらにも

旧道(旧々道)入口があったわけで。

 

 

 

 

 

簡易に封鎖されたAバリの脇には

いつのものともしれない、手書きの立入禁止看板と、

 

 

 

 

 

足元には

これまた手書きくさい、通行止標識が落ちていた。

 

いずれも、トンネルができて旧道落ちした時期のものだとすれば、1970年代前半ごろのもの?これらも、もろとも沈んだんだろうか。

 

 

 

 

 

最後に、これ。

もはや撮影位置は定かでないが、撮影のタイムスタンプを見れば境鼻トンネルからわずか2分後に撮ってるので、間違いなく水没した区間内のどこかで撮ったはずだ。

 

おにぎりと記念写真が撮りたかっただけの一枚だが、今となっては…ね。つうか当然ながら、前回と今回で登場した写真に写ったものども、ほぼほぼ全て今やこの地上には存在しないという諸行無常。

水没区間は2014年1月ごろには通行止めとなったということで、このタイミングで訪ねられたのはたまたまだったが、記録できてラッキーだったなあ。

 

 

 

ダムに沈んだ構造物っていうのは我々の業界(笑)的にはファンタジックなジャンルだが、沈む前を記録してたなんてのはわたくし的にはここしかなかったので、こうしてようやく記事にできてよかった。

 

 

 

 

最後に、この日のネタで記事にしているのは、小屋野の廃?橋落合の吊り橋区界トンネル第9閉伊川橋梁平津戸橋川井橋桐内橋追憶の岩手県北バス川井第10地割の流れ橋第25閉伊川橋梁腹帯発電所の吊り橋鹿内沢橋梁旧・日向橋押角駅雄鹿戸隧道松野隧道と…おお、ついにネタになりそうなブツが少なくなってきたぞ(笑)。

 

 

以上。