2023年9月10日に敢行した、FNS(福岡・長崎・佐賀)三県徘徊にて訪ねた物件をご紹介。拙ブログ初の長崎県物件であります。
まずはこれ。
住宅街の狭い坂道のてっぺんに…
あった!
これが目的の煉瓦隧道。現在地こちら。
お名前は、
「不老洞」。老の字の「ヒ」の部分が「エ」になっているが異体字?
まあわたくしの場合は佐世保市の土木遺産リストで名称を知った上で来たから問題なかったけど、初見ならなにこれ?ってなるかも。
扁額の左端に何か刻まれていたのでズームしてみたが…
うーーむ?
帰ってからよく見れば、右側は「丙寅(ひのえとら)」。事前情報通り丙寅の年に当たる1926(大正15)年で間違いないようだ。最後の字は「日」だが、その上がお手上げ。これ、一文字か?
そして左側には大きく二文字、「東江」かな?通常なら人名かと思うのだが、当時の市長名とも違うし、これまたお手上げ。
隧道そのものは、
帯石、笠石、ピラスターを擁する冠木門型。よく見たら楯状迫石。
端正な出来なのだが、
ぐえ~。
後年のあれやらこれやらで、坑門の端が喰われてしまってる。一応、土木学会選近代土木遺産Cランクなんだが。
洞内は、
すっかり改修されてしまって見る影もない。
これも後の調べで、先人のサイト様経由で知った長崎新聞の記事によると、1945年6月28~29日の佐世保大空襲の後、この隧道には多くの遺体が集められていたという。
そんな凄惨な過去のひとこまも知ってしまった。
ところで、上の写真にも写り込んでるが、
この点検口?から裏に入れるっぽい。かなり赤錆びた蓋だけど現役なのか?
長さは30mほど、
他には特筆すべきこともなく、抜ける。
抜けまして、
正対…はあえてせず。正対すると、左側ピラスター見えなくなるんやもん(笑)。
いや、こちら須佐町側は先ほどの高梨町側と比較しても窮屈さが際立つ。
この左側はまあ隠れてるだけだが、
右側に至っては、
やっとんなこれ。
ピラスターの外側、
思いっきり削られちゃってるし。
なかなかの仕打ちではあるが、こうして時代を生き抜く現役煉瓦隧道というのも、それはそれで萌えるものがある…。
須佐町側扁額。
どうやら内容は同じようだ。
引きだとこんな感じ。
まあ窮屈。
そうそう、この隧道、今は一方通行で運用されている。けっこう交通量ありそうな道かと思いきや、この撮影中に通過した車は一台だけだった。
いや~、
のんびりしたもんだ。
住宅密集地のエアポケットのような、そんな存在。悲しい過去も知ったが、この令和の9月においては平和そのものな、不老洞でありました。
以上。