穴と橋とあれやらこれやら -29ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

昨日12月2日、しばらくぶりの目の経過観察診断に行ってきた。

 

 

この2ヵ月、ずっと左目の異常な視界と付き合ってきて、正直なところ全然よくなってる実感はなかった。ただまあ前回手術で入れたシリコンオイル(網膜を押さえるための)が入った状態だったしそれは当たり前で、この12月の検査で経過がよければ、シリコンオイルを除去してその結果視界がどこまで回復してるか…ってことで、日常生活はもちろん、その結果いかんで年末~年明けからの活動再開も占える、そういう意味でも大事な診断だったんだが…。

 

 

 

結果は…経過が思わしくないため、再手術。

 

 

 

 

いやもうええって~。

 

 

再々手術が決まって病院を後にし、そのまま心をいやすため散歩に出かけた。そのことはインスタではちょいと上げたが、ブログでもやるかは未定。でもいい気分転換になった。

 

 

 

 

それでだ。

 

補足すると、塞いだ穴がまた開いたってことではなく、ざっくり言うと新たに網膜にシワみたいのができて、それが網膜にひっぱり力を加えているために別の穴が開きそうになっており、ほっとくといずれそうなるから対応しよう…みたいなこと。で、今度は「バックリング手術」を受けることとなった。

 

 

まあ手術内容について書くことはしないが、お医者さん曰く、この手術は「しっかり麻酔はするけれど、ちょっと痛いと思います」なんですと。イヤすぎるわ…。

過去二回の手術は、目をいじくられているのがよくわかって気持ち悪さはあったものの、物理的な痛みっていう点ではほとんどなく、それはありがたかったのだが…ついに来るのか…。

 

 

 

手術日は12月19日、お医者さんは日帰りも不可ではないとのことだったが、また2泊3日での入院を申し込んだ。術後の姿勢保持は、自宅に帰るとどうしても気が緩みそうな気がしたのと、以前の記事にそらまめ閣下からいただいた「日帰りで帰ってから痛みが出てキツかった」旨のコメントが忘れられず、確かにそれは非常にイヤやな、と、病院ならもし痛みがひどくなったら対処してもらえるしね。

 

 

仕事は最低一週間は休まないといけないということで、またみんなの協力をもらいながらなんとか調整中。一週間で済めばいいんだが…。まあほんとはこのまま年明けまでずっと休みたいとこなんだが、人的にきついのでそうもいかず。ちなみに年末は30日まで仕事でございます。

 

 

 

以前書いたことを繰り返すが、皆様、身体の異状を感じたら、早めに対応されることを強く推奨する。放置したことによりわたくしのようになったら、目も当てられませんぞ、目だけに。

 

 

 

【前篇】より続く。

 

 

いったん林道に上がり、反対側へ下降。

意外と切り立っており、トラバースしながら降りてきた。

 

 

 

 

 

上の写真は下流側で、

こちらが上流側。

 

もちろん上を横切る平場が林道…すなわち春日野道でなんだが、あらら?吐口が見えないぞ?さっき反対側からはちゃんと貫通が確認できてたから、どうやらかくれんぼしてるらしい…。

 

 

 

 

 

接近してみれば、果たして。

倒木に遮られて隠された吐口発見!とても正対しての撮影はできない状態だった。

 

 

 

 

 

こちらはのっけから石アーチだが、

これは…崩れた、のかな?

 

 

 

 

 

アーチ端部が、

このようにギザギザに。

 

クラックも入ってるし、これは一部崩落した後の姿なんだろうと思うのだが、うーん。実はこの吐口側は斜めってるんですな。煉瓦アーチだったらねじりまんぽになってそうな。だから、意外とこれが元々の姿なのかもしれなかったり。マジ?

 

 

 

 

 

内部は、反対側と同じ…に見えるが、

側壁とアーチの境目の謎な段は見られない。あれば勾配に関連してのものだったんだろうか。

 

 

 

 

 

もうちょい進んで、フラッシュオン。

もしこの石アーチがオリジナルなのならば、1885(明治18)~1887(明治20)年という整備時期から考えて、なんと140年近くも昔のものだという可能性があるわけだ。目地にはモルタルっぽいものが見られるが、果たして?

 

 

こっちに関してはマジでなんでだか記憶がないが、あまり奥に進んでいくこともしなかった。やっぱ水深の問題だったかな?それとも、単に気が乗らなかった?わかんね~。

 

 

 

 

 

吐口側、鉄板の構図。

倒木のひどさもさることながら、側壁の端部の位置から坑口が斜めってるの、伝わるだろうか。

 

 

 

 

 

意匠といわれたら、

ウソやん?とか思いながらも下手すりゃ実際そうなのか?とも思えてしまう、非常に微妙なセンだ。

 

 

 

 

 

最後に改めて、

左右から吐口を舐めるように鑑賞。

 

 

 

 

 

さてさて、

これやっぱりずらして積んであるようにも見えるな。果たして崩落の果ての姿か、あるいは意外と元々か。あなた、どう思います~

 

 

なんにせよ、個性的な物件であることは確かだ。いや~楽しめた。いいもん見た。

 

 

 

以上。

 

 

 

 

2024年5月9日に敢行した、福井県宿題回収ツアー第二弾。この日のネタで記事にしているのは阿曽隧道

 

 

そこから二か所ほどの立ち寄り地点を経て、

次なるターゲットへやってきた。場所はこちら

 

 

 

 

 

なぜか引きの写真とか全然撮ってなかったので補足として、お世話になりまくりストビュー画像を。国道8号、具谷第一隧道を抜けてほどなくの林道に入ったところだ。

ここに行ったってことは、ここの次に行くのはどこなのか、当該エリアに土地勘ある同業者は一発でわかるだろうが、まあそれはまたいつか改めて。

 

で、ここの林道直下にある暗渠が石造であるというのはだいぶ以前から知っていて、まさに宿題回収の一環として立ち寄った次第だ。

 

 

この林道、実はただの林道ではない。阿曽隧道の記事でも少し書いたが、1885(明治18)~1887(明治20)年にかけて整備された道路=春日野道の一部なのである。つまり、石造の暗渠があったとしても年代的には不自然ではないということで。

 

 

 

 

 

つうわけで、まずは林道から北側斜面を降り、

不法投棄まみれな平場を横切り

 

 

 

 

 

流れに到達した。

名称不明の河野川支流。ちなみに写真左上の平場が、奥にのびていく林道である。

 

 

 

 

 

で、視線を右へと移すと、

あった!あれだ。

 

意外と林道から遠いところに呑口があった。これけっこう長そうだ。暗渠ってよりは水路隧道に近いかも(というわけで、記事のテーマ分類もそれで)

 

 

 

 

 

もちろん長靴着用済み、

流れに降りて正対。

 

今のところ石造には見えない。奥がそうなってるのか。

 

 

 

 

 

さっそくお邪魔すると…地味に情報量が多いぞ。(見にくいので画像明度を上げてる、これでも)

やっぱり全然石造じゃなくて、コンクリ側壁に波型ライナープレートのアーチ。あれ?

 

で、足もとの石に注目。これ、床面に固定されている。何のために?たぶん保守などで入った際に足がかりにするため?わかりにくいがちょっと下り勾配になっているので。

 

そしてよく見ていただくと、この先で右に曲がっているのがわかると思う。

 

 

 

 

 

その右カーブを曲がると、

先が見通せた。やっぱ長い!

 

 

 

 

 

そして、ここからが石アーチだった。

しかしこれ、どういう状況?ここまでは開削工法で造られたってことだろうか。

 

 

 

 

 

そしてコンクリ側壁は改修の結果だろうが、

側壁とアーチ部の境目…すなわちスプリングラインが、これどうなってんの?

 

 

 

 

 

切石にも見えないよくわからない石材が一段見えるんだが、

これがオリジナルの側壁の痕跡なんだろうか。なんか激しくひび割れてるんだが、大丈夫?

 

ここで一旦撤収して反対側に回ることとした。記憶が定かでないが、確かこの先長靴では無理な水深になったのだと思う(しっかり下り勾配がついてる関係で洞床がフラットではなく、段差的な構造になっているためだと思われる)。

 

 

 

 

 

脱出時に、ローアングルにて。

やっぱりこの石が埋め込まれてるところ、歩廊的な使われ方をしてるんだと思う。誰が管理しているのかわからないけど。

 

 

 

 

 

呑口の鉄板の構図。

この後林道へ登り返して、反対側へ再下降。

 

 

 

【後篇】に続く。

 

 

 

 

 

今さらですけどラリージャパン2024、終わりましたな。誰か観に行かれた方、おられますか?

 

今年も、伊勢神隧道を含むあの名物SSはもちろんあり、けっこう海外ファンにもラリージャパンの象徴的なSSと認知されているっぽい。確かにカッコいいのよなあ~。

 


この動画ジョバンニ 序盤に、わりとしっかりめに登場する伊勢神隧道。

 

 

かつての扱いを知る者としては、まさかこの明治隧道がこんな形で世界中に知られることになるとは、いや~わからんもんですな。これも、まわりまわってモリゾウさんのおかげってことか。

 

 

勝ったのは、昨年に続いてトヨタのエルフィン・エヴァンスで、これでTOYOTA Gazooレーシングがマニュファクチャラーズタイトル4連覇ですか。そして総合6位に入賞したティエリー・ヌーヴィルが悲願のワールドチャンピオンに。「無冠の帝王」状態だったのをついに返上しましたな。いや~これもよかった。

 

 

しかし、慣れ親しんでいる日本の道路風景の中をWRカーが爆走するのは、いいもんですね~。

 

世界最高峰のラリードライバーたちもまさにこの景色を見ているわけだが…いや~、曲がりながらあの速度で進入できるもんかね、この狭い隧道に。えぐっ。

 

 

 

てことで、スルーもなんなので、ちょこっと記事にしときました。二郎さんもありがとうございました(笑)。

 

 

 

2023年1月8日、福生の玉川上水沿いお散歩。この日のネタで記事にしているのは、熊川の橋兼用堰。今宵ご紹介するのはこの日後半に訪ねた、メインターゲットだった物件。

 

ちなみにこの前日、しばしのレオパ暮らしのため東京入りした。つまり引っ越し翌日、さっそくにお出かけしたってわけだった。

 

 

その、ファーストコンタクト。あーあれだ。

遠目にもわかる異形。ちなみにこれは川ではなくって玉川上水。

 

 

 

 

 

そのお姿がこちら。

伝わるだろうか?このズッシリ感。うーん、ド逆光。

 

 

 

 

 

先にこっちから見て行こう。順光のほうがわかりやすいだろう。

ドーン!とね。現在地こちら

 

 

 

 

 

お名前は、

しゅくばし。

 

拙ブログ内でも何度か言及してきたのだが、いや~好きだ、この開口部のないマッシヴな高欄。この手のコンクリート橋にたま~に出会うと、とっても嬉しくなる。記事にした中で憶えてるこの手の橋は…世古口橋太田橋、今橋(記事タイトルは庚申堂橋(仮))くらいかな。

もういっちょなんかやった気がするけど、思い出せない。

 

これらをご覧いただくとわかるようにけっこう個性豊かなんだが、この橋に比較的似てるのは世古口橋かと思う。

 

しかし、やはりこの橋にも特筆すべき個性があった。そのへんはもうちょい後で。

 

 

 

 

 

お誕生日は…おっ、

平成六年三月改修。

 

でも実は、もっともっと古いのだ。ちゃーんと調べてきてるんだから。

 

 

 

 

 

改めて、高欄の全景。

端部の形も個性的。

 

 

 

 

 

そして、

高欄上面に貼られた笠石…っていうのだろうか、これも。

 

先ほど見たように平成に改修されているが、福生市観光協会のページなど見るに、「美観を十分考慮して、旧態を尊重し修復」したとある。てことは、この笠石スタイルもオリジナルの意匠だったのだろうか。なかなかカッコいいのよね~。

 

 

 

 

 

橋上から望む、

玉川上水・下流方向。

 

 

 

 

 

そしてこちら、上流方向。

向こうにまた香ばしいものが見えているが、あれはまた別の機会に。

 

 

 

 

 

ようやく、漢字のお名前。

宿橋。

 

 

 

 

 

上流側からのサイドアングル。

改修といってもすでに30年近くも前のこと、それなりにヤレた雰囲気をまとい始めていた。

 

 

 

 

 

本来のお誕生日は、

昭和十一年十二月成。

 

今見えているものがすべて改修の結果なのか、あるいは改修前から引き継がれている(改修を受けていない)部分があるのかはわからないが、高欄の経年感は実に自然で、これも「旧態を尊重」してもらった結果なのだろうか。

 

ちなみにこの昭和十一年に鉄筋コンクリート橋に架け替えられる前は、粗末な木橋だったという。

 

 

 

 

 

最後に、下流側からのサイドアングル。

ここまでくれば、めっちゃきれいだなあ玉川上水。

 

メインターゲットだった宿橋、期待どおり楽しめた。

 

 

 

以上。