穴と橋とあれやらこれやら -28ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

ずっと寝かしてる間に賞味期限が切れるって、わたくしの場合よくある話。ここもまさにそうで、本記事公開現在まさに絶賛解体中。

 

 

阪神尼崎駅のすぐ東側にある、

阪神電鉄旧尼崎発電所。これが老朽化により解体となった。

 

ここは鉄道用の火力発電所で、阪神電鉄の開業前年にあたる1904(明治37)年に建設されたもの。御影発電所とともに電車の運行と周辺の住宅にも配電されたということだが、1919(大正8)年には発電所としての役目を終え、その後長く資材倉庫などに使用されてきたとのこと。阪神電鉄が所有する、唯一の開業時をしのぶ建造物だった。

 

 

 

 

 

もちろん保存の道も探られたようだが、

まあいろいろと折り合わなかったんでしょうな。

 

 

 

 

 

もったいないことだが、

こればっかりはしょうがない。

 

 

冒頭に書いたとおり、もう解体は始まっており、今行ってももうその姿を拝むことはできない。煉瓦塀ならもしかして?くらいか。年明け1月には解体完了とのこと。

 

というわけで、さようなら、阪神電鉄旧尼崎発電所。

 

 

 

 

以上。

 

 

2011年12月25日、聖クリスマスに敢行した、第二次掛川探索。この日のネタで記事にしているのは、村松西隧道一色隧道細谷富部隧道(仮)黒立隧道阿蔵隧道。今宵ご紹介するのは、阿蔵隧道の前に訪ねた物件。

 

 

いきなり、ドン。

引きの写真も撮ってたんだが、ご覧の難しい日差し。ひどい写真しか撮れなかったんで…。現在地こちら

 

 

 

 

 

扁額に記されたお名前は、

えーと、見にくくなっちゃってるが、「鳥羽山洞門」である。

 

 

 

 

風格ある煉瓦ポータル。

アーチ環の巻厚は四層。帯石と笠石も備えているが、ピラスター(壁柱)はなし。

 

先の地図リンクを見ていただくとわかるように、ここ鳥羽山は天竜川とともに、二俣の街から西の鹿島方面へ向かう道(二俣西街道)における難所となっており、そこに1899(明治32)年に開通したのがこの鳥羽山洞門。二年後には天竜川に架かる吊り橋、その名も「天竜橋」も完成し、人荷の往来に大きな進歩をもたらしたという。

 

 

 

 

 

では、北側(二俣市街側)へ抜ける。

洞内は全面的に手が入っており、特に見るべきものはなかったと思う。現役ゆえに当然のこと。

 

 

 

 

 

で、こちら。

北側(二俣市街側)ポータル。幅員からもわかるように、市街地方向への一方通行となっている。

 

 

 

 

 

左右の擁壁も含め、

古道の雰囲気をよく残していて好ましい。

 

 

 

 

一方通行ゆえにこちら側にはポータルへの設置物もほとんどなく、

意匠の観察にも適してるかな。いいねぇ~。

 

 

 

 

 

ところで…お気づきだっただろうか?

隧道すぐ前のベンチ。

 

当時、我々みたいなモンには最高やな~このベンチ、とか思ったものだが、最新のストビューで見るととっくに撤去されてる。まあ歩道の邪魔だし仕方ないか。てか、誰が置いた?

 

 

 

 

 

最後に。

 

鳥羽山洞門は、1942(昭和17)年の新トンネル開通をもって旧道となった。それが

 

国道152号の鳥羽山隧道である。

 

個人的には早くも?って印象だが、それだけこの道の輸送力というのは重要だったんだろうなと想像。しかしながら、両側に住宅があるおかげで、現在に至るまで現役を維持できているのは素晴らしいことだ。

 

 

 

 

 

ちなみにここ鳥羽山に存在するトンネルはこれだけでなく、

 

鳥羽山隧道東側に並行する「鳥羽山自転車歩行者専用トンネル」と、

 

 

 

 

 

天竜浜名湖鉄道の鳥羽山トンネル。

計四本の隧道/トンネルが抜けている。さすが明治に隧道が掘られただけのことはある、重要な場所なのがよくわかるトピックだ。

 

 

 

以上。

 

 

 

【前篇】より続く。

 

 

改めて、深谷大橋に山口県側から正対。

日差しを浴びて、無害に横たわっている。相変わらず通行する車両は皆無。

 

 

 

 

 

改めてのお名前、

深谷大橋。

 

 

 

 

 

左の親柱は、

深谷川。まさにその名の通りの、「深い谷」だ。

 

 

 

 

 

そして、これだ。

橋梁名の看板(管理者とか明示してあるのも珍しい気がするが、「この手の橋」ならではか)の下にある、「ひとりぼっちで悩まないで」の「島根いのちの電話」。

 

やっぱそういうことよな…あの高いフェンスは。普通の橋めぐりではそう見かけることもないが、「そういう場所」になっちゃうと設置されるよね、この手の看板が…。実際、ネットでちょっと調べてみたら、やっぱりそうだった。

 

 

 

 

 

親柱脇からちょっとのぞいてみれば、

コレモンである。

 

そういうことを差し引いても、まあ確かに高い。(写真撮ってないが)島根県側にあった説明看板によると、深谷川の谷底までは80mほどもあるのだそうだ。確かに元の欄干、低いな…。

 

そして上路スパンドレルアーチであることをわずかでも視認できるのは、ここしかない。ここに来るまでの道中で木立越しにサイドアングルを望めるポイントがあったが、写真を撮るほどの眺望がなかった。

 

 

 

 

 

そんなわけで、

後付けの高いフェンスでガッチリと守られている。

 

 

 

 

 

こちら上流側。

ちなみにフェンスが設置されたのは、2008年のことらしい。

 

 

 

 

 

そして下流側にあったのが…

この扉だ。これがなんか怖い。

 

もちろん扉を開いたとして、その先には1センチたりとも余地はない。心霊系サイトなんかには「遺体を引き上げるためのもの」とか書いてあるものもあったが、イヤイヤイヤ、さすがにそれは。単に保守点検の際のエントリーポイントだと思う。

 

にしてもだ、怖いもんは怖いのよ。

 

 

 

 

 

カメラだけを差し出して、チラッと…。

無理無理無理無理。

 

 

 

 

 

いや、確かにさぞかし、

壮大な橋だろうなこれは。

 

こちらのサイト様記事最初の写真をご覧いただきたい。イヤこりゃ凄いわ。エリアでは有名な紅葉の名所ってことで、ちょうどここ最近とか人出が多かったのではないだろうか。この時は穏やかそのものだったが。

 

 

 

 

 

都合一往復半して、

最後に改めて島根県側より正対。

 

欄干の赤に対してフェンスの色が抑えられているだけに、高所にあるがゆえのスッキリ感は損なわれていない。

 

 

 

 

 

おお、お誕生日キタ。

昭和37年3月。

 

 

 

 

 

そしてかな表記。

ふかたにおおはし。ここでようやく「ふかや」でなく「ふかたに」だと知る(笑)。

 

 

 

 

 

予期せず通った県道で出会った、県境の橋。

意外とうちでは紹介してない類の橋だが、楽しめた。

 

 

 

以上。

 

 

2021年9月25日、初の長州遠征初日。この日のネタで記事にしているのは、寂地峡の木馬道隧道群と五竜の滝高鉢山第3トンネル&大滝橋坂折隧道夜打原取水堰堤のコンクリート円弧橋夜打原の吊り橋蕪坂隧道尾無隧道八幡橋平安橋

今宵ご紹介するのは、時系列では高鉢山第3トンネル&大滝橋の後、島根県吉賀町に向けて移動中にたまたま通りかかった物件。

 

 

というのも、

山口/島根県道16号六日市錦線、実は通る予定じゃなかったのだ。

 

もともとは南西側の山口/島根県道120号須川吉賀線で島根入りするべく国道424号を南下してたんだが、分岐まで行って通行止め(理由は忘れた)を知り、ムカつきながら来た道を戻ってこの県道へ入った。

 

まあ誰も興味ないと思うけど、自分の備忘として。

 

 

 

 

 

で、県境をまたぐところで「出会った」。

停車場所がなかったのでいったん渡り、島根県入り。おあつらえ向きなスペースがあった。ラッキー!現在地こちら

 

 

 

 

 

はい、出会ったのはこの橋。

島根県側は最後にちゃんと紹介するとして、まずは山口県側に戻る。

 

橋上のこの感じ、これは…。

 

 

 

 

 

なにかを察しながら、

再度山口県へ。

 

 

 

 

 

通りすがって最初にビビビときたのは、

実は橋手前のこの廃屋だった。

 

 

 

 

 

なんもなければ単体で建造物シリーズとして記事にしてもよかったんだが、

これ実はぜひとも橋と絡めて紹介すべき、ってトピックを通りすがりに見つけちゃってたのだった。

 

 

 

 

 

それが、壁に描かれた(そう、貼られた、ではなく)これ。

残念ながら半分以上が消されてしまっているが、

「山口県立自然公園 深谷大橋 観光お土産(以下見えず)」。

 

そう、深谷大橋というらしいこの橋、なんとお土産物屋がたもとに建つほどの「観光スポット」だったようなのだ。先ほどの写真でも伝わったと思うが、相当高いところに架かっていそうで、その長さも相まって、架橋当時には「わざわざ見に来るほどの橋」だったのだろうか。

 

 

 

 

 

その元お土産屋。

かなりヤバイ状態になっているが、原形はとどめている。

 

 

 

 

 

弊社業務範囲外につき中には入らなかったが、

懐かしいアイスクリーム用ケースと奥には飲み物など冷やしていたであろう引き戸の冷蔵庫、そしてカウンター的な造作物も見える。右手は…靴を脱いで寛げる休憩所的な?

 

 

 

 

 

そんな時代があったのが信じがたいような、

今や車一台もまだ通りかからない深谷大橋に、ようやく正対。

 

 

 

【後篇】に続く。

 

 

 

最近では珍しく、二日連続アップ。はみ男さんがたまにやってる「変な夢」シリーズが大好きで、たまたま昨晩変な夢を見たので、ちょっとオマージュしてみようかなと。昨日はちと重い内容だったことだし。

 

 

 

なんかパニックホラー的な状況で、窓下まで水に浸かりながらゴルフ(車ね)で何かから逃げたりしてた。なんやかんやあり(記憶なし)、山間のよくわからん施設に連れ(誰だか記憶なし)とともに辿り着いた。

 

するとどこからともなく二十人くらいの人が現れ、彼らもどこかから逃げてきたのかと思ったら、アカン側のヤツらだった。その結果(なのかどうか記憶なし)、とある研修室みたいな部屋に軟禁された。すると、ふわふわと空中を飛ぶ蛍光イエローの謎なクリーチャーが窓から数匹進入してきて、皆(何人かいたはず)でおののいた。

 

その後部屋の隅の高い位置の窓らへんで何かが起こり、脚立を立てて何かをしていると悪の首領的なおっさんが登場。それがなぜかマリオ・アンドレッティだった(知らん人がほとんどだろうから各自お調べを)。しかも二十年前ごろの風貌の。

現れたものの何も起こらずに(記憶なし)いったんいなくなり、続いてなぜかアメリカ合衆国大統領が登場。それがなぜか現在の風貌のジョン・ボン・ジョヴィだった。

 

ボン・ジョヴィ大統領は、「私が来たからにはもう大丈夫だ(何が?)」的な自信に満ちた態度でさっそうと脚立に登ろうとするが、無様に脚立ごとぶっ倒れてしまう(一時期のバイデンさんみたいな)。するとそこに悪党アンドレッティが再登場、無様にもがいているボン・ジョヴィ大統領を尻目に、脚立(いつ立て直した?)に登り、大統領をあざけった。

義憤にかられた私(ここでようやくわたくし登場)は悪党アンドレッティに駆け寄り、「せめて脚立から降りて話してください!」「大統領に敬意を示してください!」とか、袖をつかんで懇願し、引きずり降ろそうとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…っていう笑

 

 

 

 

ここで目が覚めたので、以上、解説もオチもなし。あ、アンドレッティはレーシングスーツは着てなかった。

(サムネ画像はネットからお借りしました)