2011年12月25日、聖クリスマスに敢行した、第二次掛川探索。この日のネタで記事にしているのは、村松西隧道、一色隧道、細谷富部隧道(仮)、黒立隧道、阿蔵隧道。今宵ご紹介するのは、阿蔵隧道の前に訪ねた物件。
いきなり、ドン。
引きの写真も撮ってたんだが、ご覧の難しい日差し。ひどい写真しか撮れなかったんで…。現在地こちら。
扁額に記されたお名前は、
えーと、見にくくなっちゃってるが、「鳥羽山洞門」である。
風格ある煉瓦ポータル。
アーチ環の巻厚は四層。帯石と笠石も備えているが、ピラスター(壁柱)はなし。
先の地図リンクを見ていただくとわかるように、ここ鳥羽山は天竜川とともに、二俣の街から西の鹿島方面へ向かう道(二俣西街道)における難所となっており、そこに1899(明治32)年に開通したのがこの鳥羽山洞門。二年後には天竜川に架かる吊り橋、その名も「天竜橋」も完成し、人荷の往来に大きな進歩をもたらしたという。
では、北側(二俣市街側)へ抜ける。
洞内は全面的に手が入っており、特に見るべきものはなかったと思う。現役ゆえに当然のこと。
で、こちら。
北側(二俣市街側)ポータル。幅員からもわかるように、市街地方向への一方通行となっている。
左右の擁壁も含め、
古道の雰囲気をよく残していて好ましい。
一方通行ゆえにこちら側にはポータルへの設置物もほとんどなく、
意匠の観察にも適してるかな。いいねぇ~。
ところで…お気づきだっただろうか?
隧道すぐ前のベンチ。
当時、我々みたいなモンには最高やな~このベンチ、とか思ったものだが、最新のストビューで見るととっくに撤去されてる。まあ歩道の邪魔だし仕方ないか。てか、誰が置いた?
最後に。
鳥羽山洞門は、1942(昭和17)年の新トンネル開通をもって旧道となった。それが
国道152号の鳥羽山隧道である。
個人的には早くも?って印象だが、それだけこの道の輸送力というのは重要だったんだろうなと想像。しかしながら、両側に住宅があるおかげで、現在に至るまで現役を維持できているのは素晴らしいことだ。
ちなみにここ鳥羽山に存在するトンネルはこれだけでなく、
鳥羽山隧道東側に並行する「鳥羽山自転車歩行者専用トンネル」と、
天竜浜名湖鉄道の鳥羽山トンネル。
計四本の隧道/トンネルが抜けている。さすが明治に隧道が掘られただけのことはある、重要な場所なのがよくわかるトピックだ。
以上。