2011年12月25日。午前中には一色隧道を見つけたりした第二次掛川探索から北上してやってきた、浜松市天竜区。ここは知る人ぞ知る穴銀座なのだよ。道路トンネル、鉄道トンネル、そして廃線鉄道トンネル、おまけに未成鉄道トンネルまで何でもござれだ。
そんな中で今回ご紹介するネタは、廃線鉄道トンネルだ。現在地はコチラ。
予告篇で投下した画像。こんなブログを見ている人(笑)ならすぐわかったでしょうが、
そう、民家の裏手でございますね~。
ばあー。
あからさまに開口する廃隧道。
のっぺりしたコンクリートポータル。
なんやいろいろ放置されてるな~。その奥には木の枝とか?さらに…その奥?
この廃隧道の名は、阿蔵隧道。開業から廃線まで、実質的に僅か6年と2カ月、様々なエピソードを含めて「悲運の鉄道」と言われる光明電気鉄道の、その末端部にほど近い場所に残る物件だ。同鉄道については…ウィキ先生に聞いてみてくだされ(爆)。いや、書くと長いし…(大爆)
末端部に当たるこの区間の開業は、昭和5(1930)年12月。電車の止まった「実質廃線」が昭和10(1935)年1月。なんとこの隧道、電車を通したのはわずかに4年余り。哀れなり。
電子地図でもわかるようにここは北側坑口で、南側坑口も現存しているようだ…が、明らかに私有地の奥、かつ人目があったのであえなく断念、こっちへまわった次第。
後にあの某大御所サイトで本物件が取り上げられていることを知ったが、なんと閉塞しているはずが極狭いスペースが空いていて、完抜けされていた。さすが某大御所。
最後に坑口前から振り返り。
悲運の鉄道の悲運の隧道は、黙して語らない。
以上、完結。