2011年12月25日、聖クリスマス(笑)。
この日敢行した、第二次掛川遠征の序盤にて訪ねた物件をご紹介。
我が探索のお伴、県別マップルで見つけた小さな隧道表記を目指してやってきた。
そこへ向かって右折したら、
こんな看板が。コレはきっと、この先の隧道を指してのものだろう。
上等じゃねぇか!
どんだけのモンか知らんが、そう簡単に引き下がるわたくしでは…
ない…って、
あっ…はい。あの~。
ちょ、タンマ!!(爆)
この日のレンタカーはフィットだったが、さすがに思い止まった。生意気な態度を取って、すみませんでした(爆)。
軽トラとの遠近感がおかしな感覚を引き起こす、超狭小隧道がそこに待っていた。コレは西側から。
正対。
2.2mの高さ制限標識が立っているが、
どっちかっつうと幅員制限標識が要るんじゃないの?
帰ってから調べたところ…この隧道のお名前は村松西(ムラマツニシ)隧道。案外ヒネリのない名前やな(笑)。注目のスペックは、
延長96m、幅員1.9m、有効高2.2m。
こりゃあナカナカ…厳しいスペックだが…行けなくもなかったかな?(笑)
それより驚いたのは建設年。なんと明治20年!だそうで。
さて~、早速洞内へ。
洞内は全面的に波型ライナープレートで巻かれている。
明治20年製ってことは全面素掘りなんだろう。それゆえにこのグルグル巻き状態ってことね(笑)。狭さのために、96mという長さ以上に長く見える…。
東側へ抜けて振り返り。
ポータルを持たず、いきなり地山から生えてる(笑)感じは、西側と同じ。
コッチは傍に街灯がないからなのか、入口左右に反射板が付けられている。…まぁ必要かもね(笑)。
引きで。
なんかとりとめのない光景やけど、隧道があればオールOK(笑)。
ちょっと…隧道の上が気になったので
無理やりよじ登ってみたら
ぬぬ~?
なんか…巨大な
発泡スチロールみたいなものが(いや、そんなわけないが)、波型ライナープレート上に積み上げられている。
近づいてみると、どうもこのように、オリジナルの坑口を塞ぐために置かれている?のか?てことは…本来はもっと背が高かった?
いや、おそらくだが、いつかの時点でこの東側坑口が崩落を起こしたのだと思う。それを契機に、さらなる崩落を防ぐべく全面的に洞内が巻かれたのだろう。そしてその隙間をこのブロック状のもので塞いでいるのだろう、と。
この日、この後にも同じようなケースを見たのだが、それはまた別の機会に…って、一体いつになるやら(笑)。
撤収。
実は歩いて抜けてみて、ミラーをたためばフィットでもイケるんじゃないか、という感触を得ていた。
のだが、
戻りに洞内を歩いていると後ろから車が進入してくる音がした。抜けて様子を見ていると、ワゴンRが出てきたが、そのミラーはしっかりとたたまれていた(笑)。
車に戻ったらチャレンジしてみようかと思っていたのだが、地元民がワゴンRでミラーをたたむレベルなら、ヨソ者がフィットで、なんてことは止めておくべきだろう、と我に返った。ナイス大人の判断(爆)。
この15分後、一色隧道を発見。
以上、完結。