2021年9月25日、初の長州遠征初日夕刻に訪ねた橋をご紹介。わたくしが初めて遭遇した、アレである。
まずはこれ。
2.0t制限標識を従えた、一見して古い!と知れる橋。現在地コチラ。
お名前は、
「平安橋」。
いかがですか、
この古橋オーラ!
この平安橋、萩市の有形文化財に指定されていて
このような案内看板が設置されていた。
それによると、架橋年代は明和年間(1764~71)ではないかとのことで、事実なら凄いことだ。石橋王国である九州ならばいざ知らず、江戸期の石橋が現役の、しかも車道の橋として令和の世を生きているなんて。まあ当時のまんまの姿ではないであろうとしてもだ。
そしてもう一点、(わたくし的に)大事なことがことが書かれている。曰く「ゲルバー桁橋の構造を持った」云々。
たしかにそうなんだけど、ここはやはりこう書いてほしかった。
「刎橋(はねばし)」と。
刎橋とは、橋といえば木造であったころの架橋方式で、両岸に差し込んだ刎ね木の上に主桁を載せて支えるもの。要求される橋長によりいくつかの刎ね木を重ねてどんどん張り出していく。
現存する木橋はないものの、その技術を用いた石造の石橋はまだ残っており、ウィキ先生によると「九州と中国地方など西日本に多数残っている」とあるが、実際どうなんだ(笑)。少なくとも、あちこち走りながら通りすがりに気付くような物件はなかった。「多数」はなかろうて。
今回の遠征で目にした刎橋は三件あり、この平安橋の直前に見たものが、わたくしが初めて肉眼で見た刎橋となった。で、続いて見たこの平安橋が、初めての「車道の刎橋」、しかも江戸期のものっていうプレミア付き(笑)。
わたくしがこれまでのキャリア(謎)において唯一目にしたことがあるのが、滋賀県甲賀市で発見したこの橋、ただ一件だけ。さらっと記事にしたけど、考えてみればこれ、思った以上に貴重品じゃないのか。石橋の師匠である宮川さんからも、「現時点で関西圏唯一」との鑑定をいただいたし。
高欄の意匠もまた、
神社仏閣などの史跡内にありそうな。
橋上から望む、東側。
そして西側。
落ち着いたいい雰囲気ですなあ~。素晴らしい~。
渡って南側より正対。
いいなあ~。近所にこんな橋があるなんて、なんたる幸せ(笑)。
最後に、南西より。
ぜひとも下から拝みたかったが、とても無理。五枚目の写真で限界なのがお分かりいただけると思う。
この橋が2.0t制限なのは当然だ。
いやむしろ、2tも行けるのか、と思う。
2018年度の萩市橋梁点検の結果では「3(早期措置段階)」という判定。市登録文化財ではあるが、生活道路であるだけにちょっと雲行きが怪しい。
次回点検は2023年度のようで、このままで修繕してもらえたらいいのだが、架け替えられるならばせめてどこかに移設保存でもお願いしたいところだ。
以上。