穴と橋とあれやらこれやら -27ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2024年8月1日に敢行した「そうだ、七宗行こうツアー」。この日のネタで記事にしているのは、花車尾谷の隧道訪問記南天の滝

本日ご紹介するのは、帰りがけに立ち寄ったこの日の最終物件。

 

 

まあ、事前にマークしていた物件で帰りの道すがらにあるのに寄っただけだったんだが、

うん!好きな感じ。現在地はこちら

 

 

 

 

 

お名前は、

 川小牧橋。

 

ちなみにちょっとでもサイドを窺えるのはここだけだったと思う。写真見にくいが三径間のコンクリート桁橋のようだ。

 

 

 

 

 

こちら河川名。

これまた見にくいが「津保川」。

 

 

 

 

 

では、渡ろう…ていうか、ほんとは対岸に車を置いて渡ってきたとこなんだが。

どこにでもありそうな、ありふれた欄干。だがそれがいい。

 

 

 

 

 

橋上から望む上流側。

 

 

 

 

 

こちら下流側。

 

 

 

 

 

振り返れば、

川小牧の在所はほど近い。

 

にもかかわらずそれを感じさせな川の佇まいもいいね。

 

 

 

 

 

渡りきって正対。

うむ、意外と秘境感ある。寄ってよかった、いい橋だこれは。

 

 

 

 

 

お誕生日は

昭和三十五年三月竣功。

 

 

 

 

 

かなの橋名。

戦後15年経っても、まだまだこういう古めかしい銘板がつくられてたのだなあ。

 

 

 

 

 

引いて見ると、

日陰で涼むゴルフさん。いやーさすがに夏真っ盛り、この日もクソ暑かった。

 

また14時半にもなってなかったが、ココを最後に帰途についた。案の定帰りの高速は渋滞、家に着いたら夜やったっけ…。

 

 

 

以上。

 

 

 

自宅に戻って静養しております。記事は書かんでもいいんですが、まあ短いやつなら…って。暇なので。



てことで、年内に放り込んでおきたいと思っていたBAND-MAIDネタ。ここ数ヶ月で一番聴いた曲間違いナシ!な、"Forbidden tale"を。

9月にリリースされたアルバム「Epic Narrative」、その一聴めで心に残ったこの曲だが、その後こうしてMVが作られたこともあり、まぁよく聴いた。ほぼ毎日、最低二回ずつくらいは。


で、飽きないんだな〜。



この楽曲は、2024年現在の彼女らの音楽的到達点、マイルストーンとなるものだと思う。

5分台の楽曲とは思えない濃密な展開。ギターソロがないんだが、それを何ら不足とは感じない、一分の隙もない構成だと感じる。

個人的には、冒頭近くで登場したBメロ?が途中で再登場したところでのけぞってしまった。うーん、イイ!って。


MVの映像も美しい。彩姫さんはほんと、今までにも増して魅力的なヴォーカリストになったなあ。作詞面も含め、コロナ禍を経てからの覚醒っぷりが凄い。



アルバム自体は、かなり馴染んできたものの、残念ながらわたくしにとって一番のお気に入りにはならなそう。

これはもう純粋に細かいところでの個人的好みによるもので、駄作とかもう好きじゃないとか抜かすつもりは毛頭ない。「CONQURER」みたいに、いつかは大好きなアルバムになるのかも。


昨日の手術は無事成功、ただいま二泊三日の入院中です。今回は、正式には「増殖性硝子体網膜症」の手術でした。

これは手術前、待機中の様子。

この時間、一回目、二回目はスマホいじったりしてたんですが、今回は寝転んでリラックス。またしてものうつ伏せ生活を前に、最後のあお向けをむさぼりましたわ。

三回目ともなると慣れたもの…と言いたいところですけど、今回はちょっとね、準備から様子が違いました。これまでは手術帽とかかぶらなかったんですが、今回はこのとおり。
これまでよりも大変な手術なんだなと、ちょい緊張。


で、実際のところ…ヤバかった。痛みが。

前もって先生にはたぶん痛いよ、と言われてたので覚悟はしてたけど、それを上回ってきたね〜。麻酔はバンバンしてもらってたけどそれでもあの痛さ…コタエました。
中盤は痛みのないパートで、思わずウトウトするほどでしたけど、後半また時々痛みパートがあって、歯ぁ食いしばり。

トータル1時間15分。先生にはよく頑張りましたね、と言ってもらいました。かなり痛かったと思いますが、って。それでも「できることは全部やりました」と言ってもらったので、報われた感ありました。信じて頑張ろうと。


三度目の手術を受けることになってから、改めて周りから支えてもらってるなあ…と感じました。家族や親兄弟、職場のスタッフさんや会社の同僚、もちろんブログに来てくださる皆さまからも。

ホントにありがたいことで、感謝感謝でございます。がんばって治します。

スタッフさんからもらった(笑)。


明日退院、しばし自宅療養(ひたすらうつむき生活)です。

2024年12月17日、所用で大阪に行ってきた。用事は午前中で終わり、別の用事で移動する奥様と別れて、せっかくなんで以前から気になってた物件を拾いに、少しだけ徘徊してきた。ちょっとダイジェスト。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大阪に来たのは、6月初旬以来半年ぶり。今回徘徊したのはおおむね初めてのエリアだったが、三度目の手術/入院を前に、いい気分転換になった。年内にやるようなネタはたぶんないけど。

 

 

 

明日はいよいよ手術。いつもの隔日更新どおりだと次回投稿日は入院中の20日だけど、記事は仕込んでないし、どうしようかなあ…。まあ体調次第ですな。

 

 

 

2023年7月30日、大分出張中の休みに敢行した「駅から探索」。この日のネタで記事にしているのは、今回のネタに続いて訪ねた猪野隧道

 

 

 

久大本線天神山駅から、西に向かってテクテクと。

 

さらに大分川沿いの細道に入って進むと、現れたのが

この先の橋の情報であろう看板が緑に呑まれかけていた。

 

 

 

 

 

そこから約100mほどで

到着~。欄干の低い、いかにも古い橋の登場。

 

 

 

 

 

左の親柱は、これ…

ぶっ倒れてるな。

 

文字が刻まれているようにも見えるが、なんとも判読不可。

 

 

 

 

 

右の親柱は…

これはアカーン。

 

探索着でなく仕事用の服装なんで、さすがにこれをかき分けるのは憚られた。探索着ならヤってたと思うが。

ちなみに、こちら側からはサイドアングルは見られるポジションがなかった。

 

 

 

 

 

橋上から望む、上流側。

向こう上空を横切るのは、大分県道52号別府庄内線の亀ノ甲橋。

 

 

 

 

 

こちら下流側。

川床の様相が面白い。

 

 

 

 

 

渡りきって振り返り。

来る途中で緑に呑まれかけていた看板が、こっちはちゃんと置かれている。

 

 

 

 

 

左の親柱には、お誕生日。

「昭和二十四年八月竣功」。てっきり戦前橋かと思ったが、戦後だった。

 

 

 

 

 

ふと川べりに目をやると、

あそこ面白いな。何の穴だろう。自然地形なのか?あまり流れでえぐられそうな場所ではないんだが。

 

 

 

 

 

下流側には、

こういうのも袖高欄っていうのか不明だが、コンクリ壁が。後付けかな?

 

 

 

 

 

その外側に…

「かめのこうばし」。やっとお名前が確認できた。まあ例の看板にも書いてあったんだけどね。

 

県道の橋とは新旧橋の関係にあると思われるが、「同名の場合はたいてい旧橋は棄てられる」の法則は、ここには当てはまらなかったようだ。

 

 

 

 

 

で、唯一サイドアングルを拝めるのがここから。

で、ちょっと目を剥いた。おお、これは見ごたえある~。

 

 

 

 

 

二本ある橋脚は、

いずれも大変立派な石積み。これ…ほんとに戦後橋か?なんか怪しいぞ。もしかして上部工だけ架け替えられた?

 

 

 

 

 

で、こちらの橋詰で出会ったのが

こちらの石仏。

 

不動明王っぽく見えるが、どうだろう。赤く着色されていた痕跡が残っていた。見にくいが、光背には「明和六己丑」とか「二月」の文字が読み取れた。明和六年っていつだろうと調べてみたら、1769年。250年以上前のものだった。

 

 

 

 

 

見守られる、亀ノ甲橋。

うーん、ちょっとアングルが窮屈~。

 

 

 

 

 

最後に、県道橋から見下ろした「旧」亀ノ甲橋。

なんともスッキリ端正なお姿と川床の様相がいい。なんかジオラマっぽさを感じるな~。

 

 

これを撮るためにわざわざここまで来たわけだが、実はこの時点でもう暑さにバテ始めてたっけ。まだ一発目なのに(笑)。

 

 

 

以上。