穴と橋とあれやらこれやら -26ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

年明け二発目。

 

 

例年なら年明け一発目の記事で干支関連の物件ネタをもってくるんだけど、今年はちょっと変則に始めてしまったので、二回目も変則でいってみよーう。

 

ていうか「巳」物件なんて思いつかないので、なんとだれも望んでいないであろう「リアル蛇」画像で。他の干支に比べると圧倒的に写真たくさん持ってますんで…。

 

 

四枚ほど貼る。苦手な方にはたいへん申し訳ないんだが、スルー推奨。









いきますよ?






 

 

 

 




 


はい、もう大丈夫です。





最後のやつ以外は、何らかの形ですでに過去記事で出したことある写真ばかりではあるが、どうせ誰も覚えてないだろ、と横着にも使い回し。

 

一枚目の、水中を泳ぐ金色の蛇、縁起良さそうなのでトップにしてみた。三枚目、蛇の頭にピントが来てれば傑作になったはずだが、惜しかったな~。

そして四枚目、実はこれまた縁起がいいとされる交尾をたまたま見かけたので撮ってたんだが(えっ?悪趣味?)、なぜかうまく撮れてなくって、これはコトが終わった後の(笑)一枚。ちなみにこれ、垂直に近いモルタル覆工の崖なんだが、こんなとこも落ちずにいられるのよね~蛇って。

 

もっとグロい写真もあるんだが、さすがにそれは自粛。こんな感じで、意外と探索中に出会うよね、蛇って。

 

 

 

 

 

あとは蛇の注意喚起看板もよく見る。

 

探すのがめんどいので、この二枚でお茶を濁し…。

 


実は蛇の抜け殻写真も何枚かあるはずなんだが、探すのがめんどい(笑)。まあそこまで必死に探すほどのもんでもないよね~。ニーズもないだろし。

 

 

 

 

次回も蛇ネタ。

 

 

 

年末回顧記事、ただでさえ重すぎたのであえて書かなかったけど、忘れもしない一年前の元旦・夕方。あれは全日本人に少なからずダメージを与えたと思う。

軽い言葉になってしまうが、もう完全にドン引きしてしまった。何もよりによって元旦にこんなこと…って、まさに神も仏もないとはこのことか、と。


というわけで、ちょうど発災後一年となる年頭、輪島市のこの橋を…。訪ねたのは2015年4月30日、初の能登遠征2日目。

 

 

まずはこれ。

河原田川に架かる、単径間のワーレントラス橋。通りすがりに、なんかいいなと止まったもの。

 

 

 

 

 

 西側(鳳至町側)より。現在地こちら

左側の鉄骨に、大きく銘板が掲げられており、

 

 

 

 

 

そこには

以呂波橋。おっ、この名前は?ってなった。

 

 

 

 

 

そばの親柱にはにはお誕生日、

「昭和三十七年十一月架」。わたくしより年上だった。

 

 

 

 

 

そして反対側、右側の親柱には

達筆な文字で「以ろ波●●」●●は「はし」だろうがよくわからん。

 

 

 

 

 

上流側からのサイドアングル。

恥ずかしながらこの時点でもよく気づいてなかった。

 

 

 

 

 

では渡ろう。

ボルトの数、凄いなあ。リベット萌えじゃないけど、こういうのも萌えますな。

 

 

 

 

 

橋上から望む、

上流側。

 

 

 

 

 

ここらでようやく気づいた。

斜材外側に「いろはにほへと」。気づけば各々の斜材にいろは順の書き付けが施されていた。

 

帰ってから調べてみたら、かつては木造橋で、長さが四十八間あるということで、四十八文字あるいろは順になぞらえて「いろは橋」=「以呂波橋」と名付けられたのだという。

橋の両岸である鳳至町と河井町で交互に行われる朝市と夕市をつなぐ、とてもよく使われる市街地の象徴的な橋、ってところか。

 

 

 

 

 

足元のグレーチング処理。

イイねえこういうの。

 

 

 

 

 

車道と隔てる柵はなく、

開放的な印象だ。

 

 

 

 

 

そしてこちらは下流側。

日本海も近い。

 

 

 

 

 

そういえばこのいろは順書き付け、

先代以前の橋からどこかに書かれてたんだろうか?ないよなたぶん。

 

 

 

 

 

 

東側(河井町側) から。

この橋について今さら知った情報なのだが、ここを訪ねたまさにその当時、NHKの朝ドラ「まれ」が放映されていた、らしい。そしてドラマ内でこの橋が、よく登場していた、らしい。

 

 

 

 

 

だからこうして写真を撮りまくっていたわたくし、

きっとロケ地巡りの人だと思われてたのかもしれんな。でもこのとき、他に写真撮ってる人がいた記憶はないが…。

 

 

 

 

 

この橋に至る手前で、何気なく撮っていた街の景色。

 

これら、今は変わり果てた状態だろうと思うので、あえて掲載した。

 

 

遅々として復興が進まないと聞く。ホントのところはわたくしにはわからないが、ストビューで見る限りはそのように感じるのは否めない。月並みなことしか言えないが、一日も早く能登の地に平穏な日々が戻るように願うばかり。

 

 

 

 

 

 

最後に、この日のネタで記事にしているのは、新旧の鞍崎隧道在りし日の逢坂隧道真浦隧道八世乃洞門旧廃道と麒山道恋路の不条理な歩行者用シェッド恋路隧道真脇隧道北河内トンネル夏分橋木ノ葉隧道長谷の澗隧道と旧道

 

 

 

今年も例年同様、一年を振り返る日がやってきましたな。これが、今年最後の投稿となります。

 

 

とりあえず、ますは年末といえばこの曲、ユニコーンの"雪が降る町" 。ええ曲ですよねぇ〜。どなた様も、お疲れ様でした。

 

 

さて、改めて。

 

今年2024年は、ここまでの我が人生で最悪の年だった。まあ「この程度」で最悪といえるのであれば、ここまでの人生恵まれてたな、ともいえるのかもしれない。こればっかりは、ねえ。

 

まあ、順を追って振り返っていきますか。

 

 

 

そもそもブログには記事としては書かなかったけど、年始から職場が変わったんだった。会社がじゃなくて勤務地と職種がね。

まずこれで、休みが従来のようには気ままに取りにくくなった。そのため趣味の活動でのお出かけがままならず、いきなりストレスフルなスタート。

 

 

そんなところで、3月に今年最初の不幸が。

 

 

生まれて初めての血便とともに、虚血性腸炎を経験。入院こそしなくて済んだものの、地獄のような腹痛だった。同じ頃にパソコンも壊れて、なんだこれ状態。

 

 

 

 

 

さらにこれだ。

 

 

マンション配管から漏れた排水?により、愛車ゴルフががっつり汚損。管理会社に直してもらったのはいいけど、なんかやたら時間がかかり、やりとりも含めてこれまたストレスフルだった。

 

 

 

 

えー、ここまでいやなことしか起こってない(笑)。

 

 

 

 

5月はじめ、拙ブログ史上最大のビッグウェーブが到来、従来の訪問者記録を大きく塗り替えた。

 

テレビ番組関連だったので引き続き盛り上がるのかと思いきや、完全に一発花火。何やったんや…。

 

 

 

 

 

 そして5月9日、ここへ来て今年初めて、趣味でのお出かけ。近場で出かけたことはあったが、県またぎは初めて。

これは長年の宿題や気になってた物件ばかりをつぶしたので、非常に楽しかった。何より久々のお出かけ。そりゃあテンション上がるわな。

 

 

 

 

 

5月下旬に、まさかの今年2回目の職場変えを会社様より命じられて唖然。しかも業務内容を聞いて呆然。あんたらさあ、適任はお前しかおらんとか、ええ加減にしなさいよ(笑)。マジでいいように使われてんなあ〜。

 

まぁしょせん社畜なわたくし、以来我が社の新事業をなかばソロ活動でやらされてるっていう。思えばこのへんからストレス蓄積しまくってたのかな〜。

 

 

 

 

 

 その「新事業」が本格的に走り出す前がチャンスとばかりに、6月8日、二度目の越県お出かけ、三重県へ。

 

これまた充実感満点。ただ一点だけ心残りがあってね…。記事を書く時に触れるかも。忘れてなければ。

 

 

 

 

 

ちょうどこのあと、レンズカバーが壊れて限界を迎えてた我がデジカメの、後継機を迎えた。

デジカメ市場の異常な価格高騰に、皆さまから意外と反応があって驚いたっけ。で、やはりこの趣味はスマホオンリーではやってられんというのは共通認識なんだなとわかった次第。

 

 

 

 

 

 8月1日、岐阜県に三度目の越県お出かけ。

これまた実に、楽s(以下略

 

ここまでの三度の越県お出かけ、いずれも隣県と大局的に見れば近場ではあったが、すべて充実感はとても大きかった。これは数少ない「今年良かったこと」だ。

 

 

結果的に、これが今年最後のお出かけとなった。

 

 

 

 

 

思えばこの七宗行きのすぐあとくらいから、少しずつ違和感は感じ始めていたはずだ。左目視界の。

 

視界下部が黒く欠けてきたと自覚した時点で、なんですぐ眼科に駆け込まなかったのか。こればっかりは仕事のせいでもなんでもない、自分の重大なミスだった。

 

 

 

 

 

もはや完全におかしい、となってお盆明けに近くの眼科へ駆け込んだらば…。

 

結果的に、8月半ばでわたくしの今年は終了したも同然だ。

 

 

 

その後の三度の手術と入院のことは、今は改めて改めて書く気になれない。当初考えていたよりもはるかにしんどい(いろんな意味で)状況で、こうして年の瀬を迎えてしまった。

 

しつこいけど、また書かせてもらう。皆様、なんであれ身体の異常を感じたら、速やかに行動することを強くお勧めしますぞ。いやホンマに。

 

 

現況を書いておくと、今回退院してからえぐいほど目が腫れた。完全に、試合後の井上尚弥よりもヒドイ顔してたよ、いやマジで。実際今もなお腫れは残っていて、ずーーーっと左目も痛くて、ウミガメの出産ばりにずーっと涙が出てる。 

でもまあこれはそうなるほどの手術だったってことらしく、こないだ25日の検査時点では順調とはいわれてるんすけどね。 

 

そして、寝るときうつ伏せオンリーではなく右半身を下にした側臥位も可になったのは嬉しいんだけども、ちょっと正直、日常生活でどの程度のストイックさが必要なのか、もうわからなくなってきてて。

 

なんせスマホ使用やなんかは全然制限されてなくて、こうしてブログも書いてるし、なんならゲームなんかもしてるわけだが(さすがに目を酷使するようなのはしないが)、目は痛いし涙出続けてるし、こんなんでいいのかな?この生活態度でまた問題が発生したりしないのかな?とか、先生の話を聞いててもイマイチはっきりしなくて不安…。一方で左目に僅かながら歪みのない視界が戻ってきて、感動したりもしてる。

 

 

 

というのが、現状(笑)。

 

 

 

まずは、年明けの検査でどういう判断になるかってとこだが、我が左目がどこまで回復できるのかにより、今後の趣味活も変わってくる。とりあえず再開はまだ遠いかな。まずは不安なく車に乗れるようにならんとね。

 

 

 

 一年の最後にめちゃくちゃ重たい記事で大変申し訳ない。探索できなくてもネタは腐るほどある(すでに腐ってるのも多数…)ので、ブログは続けます。

 

 

 

 

そして本日30日、目を傷めてから数えるほどしか動かしていなかったゴルフのエンジンをかけてみたら…バッテリーほぼカラッケツですよ!な警告が表示された。おわ~やっぱり!

 

てことで、

交換完了!いや~気になってたので片付いてヨカッタ。そもそも、最後ギリエンジンかかってよかった~。

 

 

 

 

 

 

それでは皆さま、本年もお世話になりました。どうぞ良いお年をお迎えください。

 

 

 

 

 

2024年12月17日、所用で大阪に行った際に久々に徘徊してきた。その最初のターゲットであったラジオ塔をご紹介。インスタではすでにアップしたけど。

 

ダイジェストでは年内にやるようなネタはないと書いたけど、やっぱ今の気分として、この穏やかな雰囲気は抗しがたい魅力があり…(笑)。

 

 

ここはGoogleマップにも載ってる有名物件なので、スマホを見ながら…あっ。

 あった、あれだ。

 

結構スタンダードなタイプのラジオ塔。ここ中之島にラジオ塔があるのはだいぶ前に知ったのだが訪ねる機会がなく、ようやくの訪問となった。

 

あ、ラジオ塔に関しては、過去記事(萩児童公園のラジオ塔大和公園のラジオ塔八瀬のラジオ塔小松原公園のラジオ塔紫野柳公園のラジオ塔橘公園のラジオ塔)をご参照あれ。

 

 

 

 

 

まずは正面側を。場所はこのへん

上部に開口部があるのは定石通り。

 

 

 

 

 

続いて左側より。

実にシンプルですな。

 

 

 

 

 

ただ、最上部の笠石あたり、

あのへんにはデザイン性が感じられる。

 

 

 

 

 

そして、背後から見た基壇部。

地面に空いた穴は何のためのものだろう?なんだかんだラジオ塔って、わかってるようで全然わかってないのよね…。

 

 

 

 

 

最後、右側。

他では散見されたコールサインの類も、ココは見当たらなかった。剥がされた?

 

 

 

 

 

これまでに見た我がラジオ塔経験値において、

ココはダントツにロケーションがいい。

 

しかし意外だったのは、Googleマップにも載るほどなのに、解説看板はおろか、これがラジオ塔というものだと示す看板の一枚も立ってなかったこと。ここはメジャーだし、普通にそういうのがあると思ってたんだが。

 

 

 

 

 

おかしな気候の副産物として、

もう年末なのに、鮮やかな紅葉とともに撮れた。いいのかこれで。

 

 

 

 

 

水の都・大阪を体現するような、ここ中之島公園。

この日は良いお天気で、何もかもが穏やかだった…。再々手術を二日後に控えたわたくしの心以外は(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年内にやらないと、という謎の義務感を抱いて書きかけた記事があるんだが、ちょっと今の体調ではキビシイと判断、ガラッと方向転換してくだらない記事を。

 

以前、「トランプです。イヤッフォー!」って記事を書いたんだが、同系統のその後の「作品」たちをピックアップしてみた。まずはじっくりと味わっていただきたい。

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 
いかがだろうか?
 
 
「トランプです。イヤッフォー!」の時点では、有名人名騙り系迷惑メールのアグレッシヴな傍系かと見ていたが、今回列挙したものを見るに、そのような窮屈なカテゴライズからは完全に逸脱した、自由自在な「独り語り(騙り)漫談」の世界観を構築し切っている。これは…凄いぞ。
 
「ウルトラマンより」「暴れん坊将軍っす」などもはや架空の人物(…なのか?)であり、「天国の母ちゃんです」とか、もはや死んどるではないか。
ラストの「今度の日曜日までに答えてください」の不条理さもクセになるし、「松本を救いたい」に込められた「愛」にまで気づいてしまった今、それははっきりとした。この作者、もはや何かを誤認させようという意思すら感じさせないのである。
例えるなら…そう、深夜ラジオの熱心なハガキ職人リスナー。そんな「求道心」が横溢しているではないか。
 
 
こうなってくると、もうわたくしとしては迷惑メールというよりも、新作を楽しみにしている読者と言っても過言ではない。このような才能をみなぎらせた人間が、何を我に提示しようとしているのか?と、思わずニコニコしながらリンクをクリックしたくなってくるから恐ろしいものだ。
 
まぁ実際はニコニコしながら完全削除するのだが。
 
 
年明け以降も、このアーティストは書き続けてくれるのだろうか。注視して待ちたい。







この記事でさえ、けっこう疲れてしまった…。