穴と橋とあれやらこれやら -25ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【お詫び】

前回の大己橋記事最後にこの橋の読み方を「いき」橋と書いたが、正しくは「いき」橋の誤りでした。申し訳ございませんでした~。

 

 

つうわけで今宵のお題、すでに前回登場していた。

これ。

 

この大きな建物、実はこの橋に出会う直前に県道から見ていた。

 

 

 

 

 

その時のお姿がこれ。

この時けっこう雨がしっかり降っていたために、車から降りて見に行かなかったのが悔やまれる。結局この後すぐ下車することになったわけだし…

 

 

実は前回の記事を書くにあたってようやく知ったんだが、これは廃校となった大己(たいき)小学校校舎で、なんとこの時点で和歌山県内最古の木造校舎だったのだそうだ。

 

学校自体は1879(明治12)年、東隣りの大谷と防己からひと文字づつ採って創立、この校舎は1903(明治36)年に完成、1913(大正2)年に増築されたものだという。1970(昭和45)年3月に閉校して48年(訪問時)、こうして老朽化しながらも県道を見下ろしていた。

 

わたくしも一見して廃校舎であることは認識したものの、このあたりは弊社業務範疇(笑)のボーダーラインであり、この写真一枚でよしとしてしまった。

 

 

 

「してしまった」。廃、ご想像どおり。

 

 


保存も検討されたものの、残念ながら2022年に解体撤去されてしまったのだという。趣味的には悲しいものがあるが、町の限られた予算で補強工事と維持管理のランニングコストは、確かに厳しいだろうし、致し方ない。

 

 

 

 

 

最後に、ストビューを載せておく。

撤去前年である2021年3月のストビューでは、桜が咲いてとてもいい雰囲気。ぜひ見てみてほしい。

 

 

 

以上。

 

 

 

2018年2月10日、紀伊半島外道道中。この日のネタで記事にしているのは、土場隧道西谷橋峠の番人中平のワケあり吊り橋栗山橋白洞隧道わんだいらバス停和歌山県道r224佐本深谷三尾川線の未成道熊野大橋

今宵ご紹介するのはこの日の後半、佐本深谷の未成道のおよそ一時間後に出会った急ブレーキ物件(当社基準による)。

 

 

和歌山県道38号すさみ古座線を西進していて、

左手前から走ってきたんだが、左奥に見えるブツが目に入った瞬間、スピンターンして停めた、の図(いや、スピンはさせてないが)。現在地こちら

 

 

いきなり余談だが。そもそもこの橋の所在地である「防己」が非常に難読地名である(そこに下防己なるバス停も見えてる)。読める方、います?

 

答えは…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つづら」。

 

読めない、読めないっす。

 

 

 

 

 

さて、こいつだ。

コレの何が引っかかったん?ってなると思う。

 

 

 

 

 

ではご覧ください。

はい、古レールの方杖橋〜!

 

それだけじゃなく、県道との接続もなんだかヘンテコだ。これ、少しでも橋を短くしようと「迎えに行って」る?

 

 

 

 

 

この手の古レール転用橋、紀伊半島ではほとんど見たことがない。

個人的には非常に高ポイント。

 

 

 

 

 

まずはルーティーンどおり渡橋。

川の名は佐本川で、こちらは下流側。 

 

実はここにもさっさと記事にすべきだった物件が写っているんだが…。それはとりあえず次回にしよう。

 

 

 

 

 

渡って正対。

こちら側は築堤になってる。築堤からの橋、好き。

 

 

 

 

 

さてさて、もちろんこの手の橋は下を見ないとってことで、

降りました〜。

 

橋台は石積みの立派なもの。こうして角度がついてるので、もし先代橋があったとしたら、それも方杖橋だったのだと思う。

 

 

 

 

 

いっぱい撮りまくったんだが、似たりよったりだったりボケてたり。何枚か選んで、以下どうぞ。

 

まずはこれ、

方杖と橋台の接続部。

 

折り曲げた古レール杖を、鉄板一枚を介して固定してある。

 

 

 

 

 

杖は六本、

なかなか壮観だ。

 

 

 

 

 

思わず、

こんなん撮りたくなって、微妙な角度違いで撮りまくった。結果ほぼ同じ写真ばっか(笑)。

 

そうそう、可能な範囲でざっと見た限りでは、特に銘の入ったレールはなかったと思われる。

 

 

 

 

 

最後に、上流側からサイドアングル。

堪能した。

 

 

 

 

さて、またしても余談。

 

現地には親柱も銘板もなかった。また記事を書くにあたりチェックしたQ地図にもこの橋は載ってなかった。なので、「下防己の古レール方杖橋」という仮名称で記録してたのだが。

 

記事を書くにあたり、改めて最近の秘密兵器「あの地図」ならもしや…?と調べてみたら…ビンゴ!

載ってました!お名前は「大己橋」。助かる~!

 

この地図は、一般財団法人資産評価システム研究センターが公開している全国地価マップからのもの。ベースはゼンリン地図だそうだが、わたくしこの地図からいくら調べてもわからなかった橋名たちをいくつか知ることができた。もしご存じなかったら一度見てみてくだされ。

 

ちなみに橋名の読み方については書かれてないが、「だいきばし」だと知れた。なんでかというと、それは次回にご紹介する物件と名前が同じだったからだ。

 

 

 

つうわけで【次回】併せてご紹介しときたい「賞味期限切れ」物件を…。


 

 

 

 

【2025年1月9日23:50追記】

にしさんがコメントにて正式名称を教えてくださいましたので、今ならまだ間に合うかと(笑)記事タイトルを修正しました(多摩湖赤坂道橋梁(仮)→公園口架道橋)。タイトルはしばらくこのままにしときますが、時期を見て正式名称のみとします。記事内には名前がわからないなどの記述をしてますが、これはあえて残しておきます。

 

 

2023年2月6日、東村山界隈漫遊。この日ここまでのネタで記事にしているのは、住宅街ど真ん中の廃木橋。今宵ご紹介するのもまた事前情報なし、現地で出会った物件。

 

 

川でもない住宅地の一画に

こんな立派な橋梁があるなんて~?場所はこちら

 

 

 

 

 

ちょうど多摩湖行き下り列車が通りかかったので、パシャっと一枚。

写真左方向にあと300mちょいほどで多摩湖駅、という位置。

 

 

 

 

 

住宅で写真左側が少し隠れているが、

これがほぼ橋梁の全景。築堤と丘陵地をつないでいるようだ。

 

ちなみに、実は右端の築堤部分付近が、1961(昭和36)年まで多摩湖駅のあった場所らしく、延伸して現在の位置になったとか。よくみれば、当時の車止めとおぼしき遺構が残っているようだ。

 

 

 

 

 

この橋梁の名称がわからず、舐めるように(笑)観察していたら、ガーダーに銘板を発見した。ズームしてみたが、

これが限界!

 

「西武鉄道株式會社」と「昭和31年12月」はなんとか読めるが、製造会社なんかはお手上げ。そして名称表記はなさそうだ。厚塗りされて陰影が薄くなったこの手の銘板、なかなかピントが合わんのよね~。

 

もっと探したらどこかに塗装経歴とかあっただろうし、たいていそこに名称も書かれてるんだが、探しきれなかった。なので仮称として、この橋梁がまたぐ道の名「赤坂道」を。

 

 

 

 

 

最後にこれ。

かな~り前にだいぶ加工してインスタに載せた写真だったりするが、橋脚から生えてガーダーを囲むようなこの架線設備、ポピュラーなんだろうか。意外と見たことないような気がして。

 

 

この後歩いて都県境を越え、最後のメインターゲットである西武遊園地至近の型式不明トラス橋を見に行った。

 

 

 

以上。

 

 

 

2011年6月1日、房総の隧道王子(当時・笑)ことまききさんと、2回目の合同探索。…ってほどの大げさなものじゃなく、ブラブラしながらまききさんおススメの隧道に連れてっていただくっていう、ゆる~い俺得企画(笑)。

この日のネタで記事にしているのは、追憶の池田橋長谷隧道

 

 

いきなり、ドン。

どうだろか、業界的に情緒がおかしくなりそうなこの景は。現在地こちら

 

 

 

 

 

地山もほぼなくなった、ほぼ「ボックスカルバート置いただけ」のとなりに、

封鎖された、謎の隧道~。

 

って、別に謎でもなんでもなく、かつての隧道が放棄され、脇がパッカーンされた結果だろうと。相当に地形が変わって間抜けな感じにってしまっているが…。一枚目画像でのまききさんの愛機・テリオスキッドとの比較で、そのサイズは推して知るべし。

 

 

 

 

 

ボックスカルバートを抜けて

北側より。

 

Q地図によればこのカルバート、完成年は2004(平成16)年、延長27m、幅員8.6mとある。名称こそ「小食土トンネル」となっているが、構造物種別では実は「大型カルバート」扱いであり、「全国カルバートマップ」でしか出てこない。

 

余談だが、「小食土」を一発で読める人は凄い。ジモティーか、あるいは房総の隧道熱をこじらせてる同業者くらいしかいないかも?答えは「やさしど」。読めますかいな。

 

 

 

 

 

で、こちら側はちょっと離れて

あそこにいるな。

 

当然同じくコンクリ完封されてるが。2004年に新旧の切り替えが行われたのであれば、この狭小なコンクリトンネルが21世紀に入っても使われていたってことか。ちなみに隧道上を横切るのは、千葉県道20号千葉大網線。

 

 

 

「平成16年度道路施設現況調査」には、以下のふたつのデータが掲載されている。

  1. トンネルコード0069 ヤサシド トンネル (建設年次:不明、延長:28m、幅員:5.0m、有効高:4.7m)
  2. トンネルコード8221 ヤサシドトンネル(チバシドウ) (建設年次:昭和8年、延長:24m、幅員:3.6m、有効高:1.7m)
所在地を示す「地方公共団体コード」は、前者が千葉市の政令指定都市化に併せて新設された12100、後者が旧・大網白里町(市政施行にて消滅)の12402となっている。
 
おそらくだが、前者が現道のカルバート=Q地図での小食土トンネル、後者が封鎖された旧隧道ではないだろうか?
 
ただ気になるのは、前者が建設年次不明となっていること。Q地図では2004年完成とされている小食土トンネルだが、2004年といえばまさに平成16年であり、その年の調査結果に間に合ったのかどうかという疑問と、間に合ったのなら建設年次不明とはならんだろ、というのが腑に落ちない。
 
まあ例によって、そこは詰めずにスルー。
 
 
 
 
 
しかし、これねえ、

ガードレール、要ります?

 

 

 

 

…というオチで、終了。


あ、まききさん登場しなかった。

 

 

もう5日なんだが、新年の干支ネタ、もうひとつだけお付き合いを。

 

 

ここは仕事の訪問先の最寄りバス停、

たまたま出くわしたにすぎないんだが。場所はこちら

 

 

 

 

 

そのお名前は、

蛇喰(じゃはみ)。

 

同じ漢字で「じゃばみ」と濁って読ませる地名もどっかにあったな。どこだっけ。

 

そもそも「食む(はむ)」って言葉、現代では牛とか馬が草を食べるときくらいしか使わないイメージ。この蛇喰って、蛇が何かを捕食するって意味だと思ってるんだが、もしかして蛇「を」食うことなのかもしれないっていま思った。食べ物がないときとかには、栄養価高そうな気もするし…。

 

いや知らんけど。てか話がグロくなっちゃった。蛇関連はあかんな…。

 

 

 

 

 

南側の歩道橋から見下ろした景。

道路は奈良県道7号枚方大和郡山線(写真奥が起点側)なんだが、ここは真ん中の富雄川をはさんで上下線が分かれてるので、それぞれのバス停は結構離れている。赤〇がさっきの下り線側バス停。

 

 

 

 

 

そしてこちらが青〇、

 上り線のバス停。こちらは屋根もべンチもない、素寒貧ヴァージョン(笑)。

 

 

 

 

最初に書いたとおりたまたま出会ったバス停だったが、いつかネタになるとすぐに撮った。こうしておよそ7年ごし、無事に記事となった。出会いに感謝(笑)。