穴と橋とあれやらこれやら -24ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【13】より続く。

 

 

大塔線4号隧道を後に進軍再開…した直後。

大きめの橋が行く手に見えた。大塔川でなく支流に架かる橋で、普通の桁橋がここでは逆に新鮮。

 

 

 

 

すぐに橋に到達し、正対。時刻は15時53分。

親柱がない(失われた?)、欄干の低い橋。現在地こちら

 

 

 

 

その先、正面には、

いやでも目に入る、次なる隧道!

 

6本の隧道を追いかけてきたが、この5本目の隧道を肉眼に捉えたことで、残すは1本となった。そしてそれは、地図読みではもうわずかな距離。

 

ずっとパンクの危険に怯えながら遡上してきたこの林道は、【1】の冒頭で書いたとおり、弘法杉分岐より先は通行止めとなっていて、当時はその地点がどこなのかさえわからず突入しており、6本の隧道をすべて拾えるのか、それも危惧しながらの進軍だった。

が、ここへ至ってそれがどうやら叶いそう、ということが実感でき、二重苦の片方が解消されたことで、ずっと感じていた緊張感が少し緩んだ。

 

案外、それによって気持ちにいくらかの余裕が生まれたことが、この後の発見につながった…のかもしれない。

 

わたくし的にここから一連の流れが、この「大塔川遡上の旅」のクライマックスだった。

 

 

 

 

橋上から望む、上流側。

すぐそこに、古びた砂防堰堤があった。

 

 

 

 

こちら下流側。

こちら間もなく、大塔川に注ぐ。

 

 

 

 

橋上からこの写真を撮った時には、まだ気づいてなかった。

単に対岸、古い石積み護岸がイイ感じだな、と思っただけで。

 

てか、渡った先の広場然としたあたりとか、この林道に入ってからここまでで、もっと穏やかな一画だ、ここは。

 

 

 

 

渡りきって振り返り。

両側ともに親柱がなく、一切の情報不明。

 

なので、帰ってからの調べで判明した谷の名前を拝借し、「中小屋谷橋」との仮称をつけた。お誕生日は…ここまでの流れでいえば、昭和30年代前半かな?

 

 

 

 

さて、改めて2枚上の写真をご覧いただきたい。続いて目前の隧道を…という流れだが、あるものがわたくしの足を右方向に向けさせた。

 

古い石積み護岸がイイ感じ…

だけじゃなく、この感じは…ヤバくないか?

 

 

 

 

逸る気持ちを抑え、振り返っての中小屋谷橋(仮)。

こちらに向かって石積護岸が伸びてきていて、

 

 

 

 

それは明白に、

誘っている…。

 

これは間違いなく、何かがある局面だ、あの先に。

 

 

何がある?

 

 

 

【15】に続く。

 

 

 

以前ご紹介した筒賀隧道に続き、2025年9月24日、本格再始動のYHST周遊1日目中盤からもう一件ご紹介。時系列では、こっちのほうがだいぶ早い。

 

 

はい、これ。

今しがた向こうから通り抜けてきたんだが、そこで路肩にスペースがあったのですかさず停めてきた次第だ。現在地はこちら

 

 

 

 

地図をご覧いただくとわかるが、この道は国道187号。

にもかかわらずの、素掘り隧道!

 

国道にある素掘り隧道(坑門を持たない)としては、覚えてる範囲では四町作第一隧道(国道410号)や小湊一号隧道(国道135号)、小山手隧道(国道425号)なんかを記事にしてるが、決してありふれてはいない。はず。ましてや、小湊一号隧道もそうだが、二車線国道だとなおさらだ。

 

 

 

 

覆いかぶさるような、

巨大な岩を貫いていて迫力がある。

 

 

 

 

洞内の様子。

当然のごとく、照明もない。その短さゆえか。

 

 

 

 

抜けて東側より、引きで全体を。

車道を通すなら、ここは確かに隧道なしでは攻略できないと思える。

 

Q地図によれば、なんとこの隧道の建造年は1916(大正5)年。この隧道が掘られる前に道があったのだとしたら、錦川にせり出した桟橋でこの大岩をクリアしていたか、あるいは現在とは異なる山越えの旧道があったのだろう。

 

 

 

 

もちろん現在ではモルタルで覆工されているが、

いつまで完全素掘りだったんだろうな。

 

 

 

 

実はこの隧道、初の長州遠征となった2021年9月27日に、一度通過している。

事前には、短すぎて地図上で全く気づいてなかった。この時は逆方向…つまりこの写真のほうからやってきたのだが、カーブを回ったらいきなり隧道があってビックリしたっけ。

 

もちろん停まって撮影したかったんだが、全然車を停める余地がなくって断念した…そんな因縁の隧道を、4年ぶりの再訪で記録できて満足満足。

 

 

 

以上。

 

 

写真では伝わりにくいかもだが、現場ではけっこう感銘を受けた建造物をご紹介。

 

 

これなんだが、

伝わるだろうか?

 

 

 

 

ありそうでそうそう見ない、

カーブする道路に沿った、カーブしたビル。まるで鉄道写真のような画角。

 

最新のストビューを見たら、まったく変わりなく現存していて嬉しかった。

 

 

 

ロケ地:静岡県熱海市某所

 

 

ちなみにこれは2011年9月15日のこと。この日のネタで記事にしているのは、東山洞汐見洞トンネル野中山隧道こんなの

 

 

 

今回は番外篇。

 


…の前に、前回めっちゃ大事なことを書き忘れた。末尾近くに追記したのでぜひご覧の上、ご見識を賜れれば幸い。→【7】

 

 

さて、最終回でもあるこの番外篇では、ねじりまんぽの北側広場に「散乱」する、特殊車両の草ヒロ群(の一部)をご紹介。草ヒロ…そう、状況を見れば、実質的に現役車両でないと思わざるを得ない。

 

 

コメント一切は割愛するので、Don't think,feel. ってことで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後のこの写真、お分かりだろうか?なんとキーが付きっぱなし!マジか。

 

 

 

 

時間にして、およそ1時間半。

念願の再訪は無事終了した。

 

 

「発見」から間もなく15年。一時期は多気町教育委員会の調査の手が入ったとも聞いていたが、今記事発表時点で、これらは未だ多気町、大台町ともに町の文化財一覧にも出てきていない。調査中なのか、黙殺されているのか、さしたる価値ナシとの判断となったのか、それはわからない。

記事中でも書いたが、願わくはこれらの物件の検証、研究が進んで、幾多の謎たちが解き明かされんことを。

 

 

 

以上。

 

 

【6】より続く。

 

 

では、桁橋の下をくぐって戻ろう…って、

川床のコンクリ、破壊されてますやん!

 

知らずにこれだけ見たら、こういう仕様の謎な構造物みたいだ。この日程度の水量であれば、水はすべて「姉妹水」の水路隧道へ流れこむことになるらしい。…いいのかそれで?

 

 

 

 

桁橋の橋台。

隅石の存在を見るに、これもそう新しくはない。が、なんともいえないな。年代不詳だ。

 

 

 

 

さて、ひと通り見て回って、

改めて「姉妹水」だ。

 

 

 

 

初訪問時、扁額が見えにくくて傘でほじくるマフ巻きさん。

あのほじくってる部分が、問題なのよね~。そのへん後ほど。

 

 

 

 

そもそも「姉妹水」が何を表すのか。

 

そういえば、これがなんて書いてるのか解読したのはマフ巻きさんだった。

 

 

 

発見後しばらくのおろろん教授の調べによると、この橋の名称は妹橋だという。

かつてこの付近に兄、弟、姉、妹の名をいただく4つの橋があったらしく、「姉妹水」は当然これらの橋名との関連が疑われるのだが、確かなことはわからない。

それら4つの橋のうち、現存するのはこの妹橋のみ。当初は先のねじりまんぽが「姉橋」との教授の見立てであったが、結果的に姉橋はここではない、とされていたはず。

 

じゃあなんで記事タイトルで(姉橋)としているのかというと、あるサイト様(改めて参照しようと思ったらどうしても見つからない!)に、大台町の地域ガイドさん?のお話として、「このねじりまんぽが姉橋である」旨の証言があった、との記述を見たため。うーん、難しい。自分ではなにも調べてないのに。

 

 

 

 

さて、問題はここなのだ。

扁額左端、ここになにか刻まれてるってことで、マフ巻きさんがほじくってたわけだが。どうにも判読できなかった。

 

再訪したのも、これを撮り直したかった、に尽きるのだが…このザマ。全然判読できない。

 

 

 

 

これでもいろいろ試したのよ。

常套手段で、下から光を当ててみたりとか。

 

けどこの場所、常に陽当たりが悪くて薄暗く、光量不足で手ブレが多発。さりとてフラッシュ撮影すると、陰影が全部潰れて余計に見にくい。

 

 

 

 

結局、当時アルプさんがブログに上げられてた、よととさん撮影のこいつに頼るしかない。

 

そこに読み取れたのは…

驚愕の、明治四十五年。その下はわからないが「壬子(みずのえね)」ではないか、との見立ても。

 

これが竣功年を指すのであれば(一般的にそうだろう)、大変なことなのだ。総コンクリ隧道で、扁額の取り付け部分や洞内の感じから、後年の改修ではなく、当初からコンクリ製であったように見受けられる(確証はない)

 

そう、オリジナルからコンクリ造だったとすると、大変なことになるのだ。現在知られている限りにおいて、現存最古の総コンクリート造道路隧道が高知 徳島県の松坂隧道(大正10年製)、水路隧道では新潟県の円上寺隧道(大正4年製)。それらを上回り、遂に明治製のコンクリ造隧道が発見された!ことになるのだから。

ちなみに前者は国登録有形文化財、後者は土木学会選奨土木遺産となっている。

 

 

【2025/11/17追記】

そして、再度この写真。扁額左端の判読できない部分…おそらくは揮毫者の名前であろう部分について。

最下部は「題」だと思われるんだが、名前部分がどうしてもわからない。二文字めは「村」か?これ、かなり核心的な情報のはずなんだが。ちなみに、時の三重県知事とかではなさそう。読める方、おられたらぜひご教示いただきたい。

 

(追記は以上)

 

 

真実が何なのか謎…っていうよりも、今回の2物件、謎しかないといっても過言ではない。それだけに、夢とロマンを感じる余地があって、そこがまた楽しい。

 

 

 

 

その後の研究・検証が進んでいるのかどうか気になるところだが、

もしかしたら、日本最古のコンクリ隧道である「姉妹水」。そうであってほしい。

 

 

 

 

(後で写真を見返してガッカリはしたが)満足して撤収。

記事は以上なんだが、

 

 

【番外篇】でアレをご紹介しておこうか。