穴と橋とあれやらこれやら -24ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2023年5月12日、仕事での訪問先近くの橋を見に寄った。

 

 

近鉄大阪線の菖蒲池駅南口を出て、西へ。ほどなく、

こんな分岐が。ここは左へ。

 

 

 

 

するとすぐに、

はい、こちらがお題の橋。なかなか古そう。場所はこちら

 

さっきの分岐を右へ下るのが、この橋直下の道である。実は先に下から見に行ったのだが、流れ上それは最後に。

 

 

 

 

新しい家多めな周辺の住宅地から時代を画したような、

寂びた雰囲気だな~。

 

 

 

 

結論から言うと、親柱には何も情報がなかった。

Q地図では味もそっけもない「無名橋156」なんて名称、完成年も不明とのこと。まあ記事タイトルもこれを採用したけど、なんかねえ。

 

 

 

 

橋上からの見下ろし。

こちら学園前方面。

 

 

 

 

対してこちら、

あやめ池方面。

 

今昔マップで見ると、ここが立体交差として描かれているのは、1975~79年の地図から。その前の1967~70年の地図では、平面の交差点として描かれている。

そこから普通に考えれば、1970年代前半に立体交差化されて同時に橋が架かったとなるのだろうが、いや~そんなわたくしよりも年下には見えないんだよな~。高欄の雰囲気からすると、昭和半ば…ヘタすれば戦前も有り得るかな、という印象だ。

 

まあ、例によってそこは掘り下げないダメブログ(笑)。

 

 

 

 

渡るとすぐ先には、

近鉄大阪線を跨ぐ跨線橋がある。

 

実を言えば、こちらがメインターゲットだった。Q地図ではこの跨線橋、「メガネ橋」という名称で、ストビューではわからないものの、もしかしてアーチ橋だったりするんでは?と期待してたんだがそうではなく、大して面白いことはなかった。コンクリの風合いとか、何かを感じさせる部分もなくはなかったんだが…。

 

 

 

 

せっかくなんで、一枚だけ載せとこうか。

こんな感じ。写真奥に今宵のお題の橋があるという位置関係。

 

 

 

 

さて、無名橋とメガネ橋の間のわずかな余地に、

よくわからない石碑があった。

 

 

 

 

どちらかの橋にまつわるものかと期待して観察したんだが…

うーん、「南無阿弥陀仏」と刻まれているようなので、この時点で橋関連じゃないな…と判断。なんだろうなこれ。

 

 

 

 

この親柱の意匠や質感を見るに、

うーん、やっぱ先輩でしょ貴方?(笑)

 

 

 

 

最後に、

アンダークロスから見上げアングルを。

 

 

 

 

ご覧のように交通量そこそこあるのに歩道はなく、

おちおち上も見てられない。

 

 

 

 

ササッと撮って、

速やかに撤収~。

 

 

跨道橋って概して新しくて無味乾燥な橋が多めだから、こういう古めかしいの見ると得した気分になる(個人の感想です)。好きだなあ。

 

 

 

以上。

 

 

 

 

 

 

皆様にはどうでもいいことだが、前回の大己橋をもって道路橋テーマの記事が700本に到達…してたようだ。うちのブログで一番記事数の多いテーマではあるけど、それでもまだ記録した橋の1/5も採り上げてないんだな~。

 

【2】より続く。

 

 

 

去り際に振り返り。

見に来られてよかった。

 

たぶん、また来る。何年後かはわからんが。

 

 

 

 

さて、戻りは、

行きには割愛した洞内の様子を何枚か。いずれも相当に明度を上げている。

 

 

 

 

実際のとこ、この隧道、

素掘り部分(つまり大部分)はじゅうぶんに安定してるのよなあ。

 

 

 

 

サミットが真ん中へんにあるので、どちらからも入洞からしばらくは漆黒の闇なんだが、

この瞬間にホッとするのよね。

 

 

 

 

で、この真ん中へんに

行き違いのためであろう、広くなった部分がある。

 

 

 

 

断面切り替わり部分がこんな感じだが、

倍近くには広くなってると思われる。

 

元より断面の大きなこの隧道、かつてトラックなど通していたと思うのだが、もしかしてバスなんかも?

 

考えてみればこの隧道のこと、ポータル周辺の情報で施工、竣功関係のことは承知しているが、「終わり方」はほぼ何も知らない。いつ頃に、どういう経緯で廃されたのだろうか。代替のトンネルとてなく…。ここが行き来できたら一定の利便性はありそうな印象だが、そこまで需要なかった?

尾鷲市側の道は賀田町地内で採石場となり消滅している部分があるが、これが廃止の原因じゃないよなあ。たぶん廃されてから採石場になったんだと理解しているが。

 

 

 


往時の写真とか、

あったら見たい。

 

 

 

 

やっぱここ、

熊野市側のコンクリ巻き立て部分、ここが最大の老朽ポイントですな。

 

 

 

 

先述のように尾鷲市側からのアプローチは不可能なので、

こっちがイカれてしまったらこの隧道は厳しい。洞内が崩れて閉塞することはないと思うけど…。

 

 

 

 

さて、この後は…

ふと思い立ちまして…

 

 

 

 

ここはどこ?

はい、ポータル上を見てみようとね。この角度は新鮮だ。

 

 

 

 

とはいえ、

だいぶ荒れていて、わたくしのヘボイ観察眼では特に見るべきものは見当たらなかった…ていうか、ちゃんと見なかった(笑)。

 

 

 

 

ここからの見下ろしで、

かつての線形がくっきりと。

 

隧道をガン無視して通り過ぎていく林道…。林道の廃隧道ってこんな感じが多いような。

 

 

 

じゅうぶんに堪能したが、実はひとつだけ心残りができてしまった。

 

戻りに動画を撮ろうとしてスマホを…あら?ない。しまった、車に置いてきた~…ってなって。

430mある隧道、取りに戻ってまた往復して…は、まだ行きたいところもあったしちょっとしんどいな、と断念してしまった。次がいつかはわからんが(また13年後?)、その時にはきっと。

 

 

 


また逢う日まで、

まずはポータル崩落しないように祈ってますよ、鳥越隧道さん。

 

 

 

以上。

 

 

【1】より続く。

 

 

 

入洞したが、洞内の様子はいったんすっ飛ばす。まあ再訪記事ですから。

 

抜ける手前で、これに引っかかった。

このコンクリ壁。

 

写真を見返してみたら前回訪問時にもあった(当たり前か)が、全く気にもしなかったのは、きっと何の異状もなかったからだろう。で、今回はあったんだな、「異状」が。

 

 

 

 

こんな開口部があったら気になりそうなもんだが、

当時は観察眼も一層お粗末だったってことか。

 

で「異状」というのは、大きな水音がしてたんだな、この穴の奥から。

 

 

 

 

さっそくのぞいて…いや、カメラを突っ込んで撮ってみたら、

地中の滝みたいになってますやん!

 

こんな水音が発生してたら、前回も絶対気になったはず。どうなってたんだろう当時。そしてこの水はどこへ消えてる?二枚上の写真を見ると側溝がありそうだが。

 

 

 

 

さて、こっからはコメント最小限でお送りする。結論的には熊野市側と違ってこちら尾鷲市側は前回から大きな変化はなかったのでね。ええ、再訪記事ですから(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

尾鷲市側、鉄板の構図。

こちらは熊野市側と違って、コンクリの荒れも一切なく、保守されていないにしては恐ろしく健全。この違いはなんだ?

 

前回もやはりこちら側には氷柱は発生していなかった。日照の関係なんだろうか。やはり氷柱の発生とコンクリの劣化具合には相関がありそうな。

 

 

 

 

隧道の先も、

相変わらず程よい荒れ具合。

 

 

 

 

こちらが前回の様子。

ひとつだけ目立つ変化?があるな。わかりますかね?これは後ほど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

尾鷲市側坑口正対。

 

 

 

 

こちら前回の様子。

向かって左側の木の成長がよくわかる(笑)。

 

 

 

 

で、廃道上の前回からの変化がこれ。

このま~るい石。たぶん転がってきた落石だと思うが、どうやってこの丸みになったんだろうか。妙に気になった。

 

 

 

 

変わらぬ、素晴らしい廃の景。

こちら側は「絶妙な廃具合」状態を保っているようで安堵。見にきてよかった。

 

では戻ろう。

 

 

 

 

なにげにこの隧道、

この尾鷲市側から覗きこんだ景が最高かもしれない。

 

 

 

【3】に続く。

 

 

 

昨年中にやらなければと謎の使命感にとらわれながらも果たせなかったネタを、ここらで。

 

2024年6月8日に敢行した熊野~尾鷲宿題回収ツアー。その最初に訪ねたメインターゲットの攻略(大又隧道訪問記)のあと、続いて向かったのが鳥越隧道。2010年12月27日に訪問して以来、実に13年半ぶりの再訪だった。思えばその時は鳥越隧道に続いて大又隧道攻略(未遂)にきたわけで、常にセット化してるなあ…。

 

 

ここは関西圏の同業者にとっては非常にメジャーな廃隧道で「みんな大好き」的存在だった(はず)。個人的にも初めて単独で攻略したガチ廃隧道として思い出深い物件なんだが、近年のレポートをとんと見ないなと思っていて、その後どうなっているのかを見届けたくてやってきた。

というわけで、随時初訪問時の写真もはさみつつ、3回程度に分けて最新状況(でもないか、今さら)をお伝えする。よろしければまずは先に、初訪問時の記事をご覧いただければ。

 

 

 

車を停める場所は当然、

あの時と同じ場所。ちなみに地図はずーっと昔から間違ってて直される気配もない。

 

ここはアプローチも容易でその点でのハードルは低い。あくまでもアプローチは、だが。

 

 

 

 

 

さて、久々のごたーいめーーん。

わかりにくいが、けっこうヤバいなこれ。

 

 

こちら、前回の写真。

洞内側壁も、当時はまだそれほどは崩れてなかったんだが。

 

 

 

 

扁額。

だいぶ読み取りにくくなってきてるな…。

 

 

 

 

 

 

さて、問題の部分。

以前からあった崩れが、大きくなってる。

 

 

 

いや、エグイなこれは。

わかりにくいが、裏込めされていた土が抜けて、アーチ環で支えてるような感じになってる。ポータル崩落の危険性が出てきたな…。

 

 

 

そのアーチ環(迫石)に刻まれた起工/竣功の記録も、

この様子では雲行きが怪しくなってきたぞ。

 

 

 

これが前回の様子。

これでもたいがいひどいなと思ったもんだが。

 

 

 

確実に崩落が大きくなってるのがわかる。

実によろしくない。

 

 

 

もうちょい引きで、今回。

 

 

そして前回。

この氷柱もイカツさ満点だったが、これがまたよくないんだよなあ…。

 

 

 

今回の天井部、

側壁部にも増してひどいことになってた。

 

 

 

氷柱が生じるということは、覆工コンクリの裏で水が凍ったり溶けたり膨張を繰り返すということだから、

そりゃあこんなふうに傷んで剥落してくるよなあ。

 

 

 

こちら前回。

 

 

 

そして今回。

撮影位置は多少違うけど、天井部の劣化は顕著だ。非常に危険であり、入洞は決してお勧めしない。

 

 

 

まあそんなん言っても、

もちろん入っていくんだけどね。

 

 

 

【2】に続く。

 

 

本日1月15日は小正月。


小正月といえばもうアレですよ、

なまはげですよ(無理ぃ

 


つうわけで、まぁ誰も読まない記事になるだろうけど、人間椅子の名曲"なまはげ"。G/Voの和嶋慎治が作詞作曲している。

 

 

この曲を初めて聴いた時の衝撃も凄かったなあ。ドゥーミーなイントロに導かれて始まる、サバス直系な陰鬱なナンバー…かと思いきや、中盤のアツいインタープレイの応酬、特に4分10秒からのギターソロにおける「津軽三味線奏法」にはしびれた。こんな弾き方するロック・ギタリストは和嶋氏ただ一人、かも?津軽出身というアイデンティティをストレートに表現するその姿勢がまことにカッコよし。

 


途中からライヴ・フッテージに切り替わる構成もステキ。躍動するおっさん三人がまぶしすぎる。ああ行きたいな、今さらながら人間椅子のライヴ。

 


で、この曲の歌詞が素晴らしいので、以下に書いておく(JASRAC管理楽曲なので歌詞掲載OKということで)

 

 

なまはげ 

作詞/作曲:和嶋愼治

 

最果ての土地に 粉雪が舞えば

因習の村は 祝祭の季節

伝説の時を 幾年(いくとせ)も越えて

戒めのために 客人(まれびと)は来たる

 

山より重い 人の罪

海より深い 人の業

 

なまげものは いねが

泣いでるわらしは いねが

 

ざんばらの髪と わらしべの羽織

赤色(せきしょく)の顔に 憤怒だけが灯る

迷妄で惑う 輩(ともがら)を憂い

発願(ほつがん)の元に 鬼神(おにがみ)となれる

 

夜より暗い 人の性(さが)

火よりも熱い 人の欲

 

なまげものは いねが

泣いでるわらしは いねが

 

厳しさ それが愛じゃ

激しさ それが慈悲じゃ

手心 それが毒じゃ

 

なまげものは いねが

泣いでるわらしは いねが

 

なまげものは いねが

泣いでるわらしは いねが

 

なまげものは いねが

泣いでるわらしは いねが

 

 

 

…てな感じで、「なまはげ」というものをギャグでなく文化的・民俗学的にガチな解釈で余すところなく表現していて、凄いなあと。まあ…今どきのなまはげは、少子化やコンプラ自家中毒社会の影響でなかなか大変らしいんだが…(笑)。