穴と橋とあれやらこれやら -23ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【前篇】より続く。

 

 

 

最後の人家から、撮影コミで実は7分しか歩いてないのだが、

けっこうな秘境感のある吊り橋が登場した。

 

先に書いとくと、現地で橋に関する情報は一切見つけられなかった。まあ事前にQ地図で「栃穴橋」という名称はわかっていたので問題なし。

 

 

 

 

振り仰ぐ高い位置に

コンクリート主塔。

 

アンカーレイジは石積みで護られているが、どういう構造になってたんだろう。見に行かなかったもので…。

 

 

 

 

少しへつって、

精一杯のサイドアングル。

 

 

 

 

ではさっそく、渡ろう~。

床版は縞鋼板。ヤレた感じはあるが、しっかりしていた。

 

Q地図によれば、完成年は1954(昭和29)年、延長54.4m、幅員1.5mということだ。

 

 

 

 

人通りがどの程度かはわからないが、

もちろん人以外も使用しているようで、かなり古いものではあったが、動物の糞が残っていた。

 

 

 

 

うーーん、

気持ちいいな~。

 

 

 

 

こちら、上流側。

前回書いたが、川の名前は桂川。この川、神奈川県に入ると相模川という名前に変わるのかな?

 

 

 

 

そしてこちら、下流側。

余談だが、1kmほど下流にもう一本吊り橋が架かっていて、こちらも楽しそうだったんだが、アプローチを見つけられず断念したという心残りがある。

後日ストビューをよく見ていたらここだったかな?ってところは見つけたが、どのみち車を停めるスペースがなく無理だった。

 

 

 

 

 

 

 

そして、右岸側へ。

目前に岩壁が迫り…

 

 

 

 

非常にタイトで余地がない。

けっこうな難工事だったのではないかと思われ。

 

振り返り。正対もまともにできないほど狭い。

 

 

 

 

ここで引き返した。

どんだけの秘境かと思わせる景だが、段丘を登ったすぐ先には栃穴地区の人家があり、地図平面上での直線距離だと50mもないくらい。とてもそうは見えんよな~。

 

なのでこれは、生活の橋として今でも最低限の通行があるんだと思う。車なら、800mほど上流の杖突橋を渡ることになる。

 

 

 

 

引き返し点からの一枚。

色んな意味で、これが精一杯。

 

時間さえあれば、このまま栃穴地区から徒歩で進み、断念したもう一本の吊り橋を渡ってぐるっと一周してくることもできたと思うが、まあガツガツいろんなとこをまわりたい貧乏性のわたくしには無理だった。

 

 

 

 

いや~、じゅうぶん楽しめた。

撤収~。

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に余談。

 

ここはまだ比較的明確だったが、この手の、到達ルート不明確な橋(多くの場合吊り橋)の訪問ってホント好きで、記事を書くのも楽しい。

記事にしてるのだと川根橋訪問記向山の吊り橋訪問記佐田の吊り橋訪問記という同じ日の三部作(?)、あとは庄堺橋とか奥玉谷出合の橋二題とオプション四ノ川の吊り橋出谷の野猿黒川の吊り橋、ライトだけど音羽の吊り橋とかこのあたり。なんか忘れてる気がする…。

 

 

 

未読の記事があれば、よろしければどうぞ。

 

 

 

以上。

 

 

 

 

2023年4月14日、TKY~初の山梨進出。この日のネタで記事にしているのは、天神隧道千足橋とこのガチ廃屋。今宵から二回に分けてご紹介するのは、時系列では千足橋の直前、アプローチ含めてのプチ探索が楽しかった物件。

 

 

 

まずはこちらをご覧いただきたい。

山梨に行くにあたり色々調べてる中で、航空写真で見つけたこの吊り橋(写真中央)。楽しそうなニオイがプンプンしたので、楽しみにしていた。わたくしは西側(桂川左岸)からアプローチ。

 

まあこの地図を見れば場所はわかるだろうけど、あえて詳しくは書かない。ご一緒に探索気分でどうぞ~。

 

 

 

もちろん、事前にルートの見当は付けてきた。

こう来て…

 

 

 

さらにこう来て…

この先、民家で行き止まり…

 

 

 

に見えたが、

このいかにも気が引ける道が続いていた。

 

私道にしか見えないが、橋へのアプローチはここしかないはず。上野原市道牧野栃穴線という、れっきとした市道のはずだ。

 

 

 

 

…なんだが、民家をすぎれば

即刻、笹の激藪!ご挨拶じゃねぇか(笑)。

 

しかしながら、さながら紅海を往くモーセのごとく、クッキリと笹薮を割って一条の踏み跡が明確に見える。わずかながらも通行はあるようだ。

 

足元がよくわからないし、本来スニーカーで踏み込むのは気が進まない局面なんだが、そんなん気にならないテンションとなり、躊躇なく突撃!

 

 

 

 

たぶん最初の開けていたエリアは休耕地だったと思うが、

ほどなくこういう鬱蒼エリアに。

 

 

 

 

そして徐々に、

歩きやすくなってきた(当社基準による)

 

 

 

 

ただしこんな場所も。

わかりにくいが、鉄杭が打たれている右側は、地面がない。

 

気を抜いてると危ない場所だった。

 

 

 

 

そこを振り返るとこんな感じ。

伝わりますかね?

 

 

 

 

ここらで一応場所を確認…。

うん、着実に向かってそうですな。

 

 

 

 

鬱蒼エリアからまたまた場面転換し、

今度は植林エリアへ。目まぐるしい展開が楽し~。

 

 

 

 

すっかり歩きやすくなり、

ところどころに巻かれたピンクテープのおかげもあり、ずんずん進んでいけた。

 

 

 

 

やがて、右側は傾斜が強まり、河岸に出てきたと知れた。

そろそろか?

 

 

 

 

…あっ。

キタか?

 

 

 

 

はい~

ご登場~。

 

 

 

 

【後篇】に続く。

 

 

 

以前あんなにも書いてた次回予告篇、なんと昨年5月31日以来ほぼ8ヶ月ぶり。そうだよ、この素晴らしき手抜きメソッドを使わないから更新がしんどいんだわ(笑)。

 

 

 

そんな久々の次回予告篇。

笹の激藪を貫く一本道。その先には何があったか?

 

 

…なんか、予告篇の書き方忘れた(笑)。

 

 

 

 

【前篇】に続く。

 

 

 

2023年7月8日、11年ぶりの大分探索第1日目。この日のネタで記事にしているのは寒田隧道深江隧道臼津隧道と強烈オプション。今宵ご紹介するのはそれらよりも後、午後も深めの時間になった頃に訪ねた隧道。

 

 

 

例によって、思っていた以上に時間がかかり、

通常ならお参りする隧道前のお地蔵様?もスルーしてしまった。現在地こちら

 

 

 

 

はい、接近して正対。

いかにも狭い、生活道路のコンクリート隧道。しかし位置的には、国道217号八幡トンネルの旧隧道にあたる。

 

 

 

 

お名前は、

右書きで「大宮隧道」と。

 

右書きにより古い隧道であることはわかるのだが、佐伯市のトンネル長寿命化修繕計画によれば、完成年次は「不明」となっている。写真を拡大してよく見ると、上に何か刻まれているようにも見えるのだが、気のせいかもしれない。

 

 

 

 

洞内の様子。

元は素掘りのようだが、しっかりとモルタルで補修されている。

 

 

 

 

鉄板の構図。

前後の道も、いかにも海辺の旧道。お世辞にも広いとはいえない。ちょっとだけ余地があって助かった。

 

 

 

 

で、抜けまして反対側へ。

右に登ってゆくのは、隧道上南側にある大宮八幡宮への参道である。

 

 

 

 

こちらも接近して正対。

延長は、48.4mとのこと。

 

 

 

幅員は、

3.8mとのことで、当然内部での離合はできない。まあ先入車優先の交互通行かな。

 

 

 

 

鉄板の構図。

こっち側は(対面通行としては)ひときわ狭いな~。ここまで来て隧道から対向車が出てきたら、車種によってはバックしないと、かも。

 

 

 

以上、わたくしの大好物である「市街地の古びた隧道」でした。

 

 

 

これまでになく間が空いたこのシリーズ、ちょっとある理由でテンション下ってて控えてたんだが、まあもうええかということで再開。

 

 

今回はこれ。

 

ど~こだ…って、

まあわかりやすいか。

 

 

 

 

これがなかなか、

状態は悪い。

 

仁丹看板といえば魔法がかかってるんじゃないかという異様な状態の良さが特徴なんだが、これは悪い。まあ判読できるけど、今ではどうなってるかな(撮影は2020年2月27日)。

 

ちなみにこれ、わたくしの記録した中で市内最北の仁丹看板である。そしておそらく、実際にこれより北では発見されてないと思われる。少なくともこの時点ではそうだったはず。

 

 

 

そうだった、この日は親父の初七日だったんだ。そのあと移動して、静原の洗い越しに行ったのもこの日。