穴と橋とあれやらこれやら -23ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2025年9月25日、本格再始動のYHST周遊2日目。この日のネタで記事にしているのは、最終物件の前橋。今宵ご紹介するのは、序盤に訪ねた物件。

 

 

そのファーストコンタクトがこちら。

見にくいが、左奥にも欄干がある。相当に斜めってる橋だ。現在地このへん

 

 

 

 

右側の欄干。

一見してわかる、クラシカルな意匠。

 

 

 

 

その手前、ガードレールに隠れて、

だいぶ風化した親柱がある…が、情報は読み取れない。先に書いとくが、現地親柱には一切の情報はなかった。

 

まあ、わたくし事前にQ地図で知って来ており、「その名前」が現地で見られることを期待していたんだが、まあ仕方ない。

 

 

 

 

「その名前」にまつわる…というか、それそのものが、

こうして橋上から拝める。

 

 

 

 

わかりますかね?

これは、かつて山陰本線から分岐していた引込線が下を通っていた痕跡。

 

 

 

 

もう少し進んで振り返ると、

かなり斜めった橋の下を、さらに斜めにくぐっていた様子がよくわかる。

 

そう、この橋の名前は、そのものズバリ「引込線橋」という。剛速球なネーミング、嫌いじゃないぞよ。

 

 

 

 

そしてこれは左側の高欄。山陰本線に沿ったサイドだ。

端正な高欄がしっかりと確認できる。いいね!

 

 

 

 

で、こちらももちろん…

引込線のカルバートが確認できる。植生のためわからないが、すぐ先は山陰本線。

 

 

 

 

 

 

 

見たかったなあ、

「引込線橋」っていうお名前の字面を。

 

 

 

 

こちらが、反対側からの全景。

斜めすぎて、左右の高欄がほとんど重なってないほどだ。

 

 

 


ところで、上の写真でもわかるが、

左側の高欄の脇から、降りられるようになっていた。もちろん行く。

 

 

 

 

おお~、

なんかカッコいいぞ(語彙力

 
 
 
 
そのまま、路盤跡まで(やろうと思えば)降りられるようになっていて、

当然、降りようとしたんだが…断念した。

 

 

 

 

なぜって、路盤跡はこの(右側)ような激藪の掘割になっていて、

常軌を逸した蚊の大群に襲われたため。

 

あのおぞましい羽音?に包まれ、すぐに退避したものの、両腕や首筋など十数か所被弾。あんなの初めてだった。車に虫除けスプレーはあったものの、心をポッキリ折られた…。

 

 

 

帰ってから、ふと思い立って調べてみたら…さすが!やはりすでに訪問されていた。しょうさんの記事をリンクさせていただく。

 

 

しょうさんの訪問は2010年3月と、わたくしよりも15年も先行されている。当時はこの橋と山陰本線の間の木立もなく、また掘割もスッキリとクリアに見えているので、ぜひご参照いただきたい。

 

Q地図によれば、引込線橋の完成年は1937(昭和12)年とのことなので、遅くともこれと同時か、あるいはそれ以前から、引込線は存在していたことになる。なお、しょうさんの記事によれば、廃止は1997年3月らしい。

ちなみに、この引込線が通じていた工場、現在の名称は株式会社日本製紙江津工場となっている。

 

改めてしょうさん、ありがとうございました!

 

 

 

 

最後に。

 

引込線橋の先は、

このようなプチ廃道となっている。

 

 

 

 

なぜならば、30mほど進んだところで、

このようにぶった切れて終わっているからだ。状況的に、かつてはこの先へ続いていたのだろうが…。

 

 

 

 

ならば引込線橋は何のために存在しているのか?というと、

このように、渡ったところで右下へと下るスロープがあり、その先に十数軒程度の住宅などがある。

 

この住宅群には、ここからしかアプローチできない(少なくとも車では)。つまり、ここのお住まいの方々だけのためのセミ・プライベート橋的存在として、余生?を過ごしているのだった。

 

 

というわけで、江津駅から直線距離で200mちょいしか離れてないのに、街中のエアポケットのような不思議な雰囲気が印象的な一角だった。

 

 

以上。

 

 

11月19日にリリースされた、人間椅子24枚目!のアルバム、「まほろば」。まだ入手はできてないんだが、そのタイトル曲のMVが、21日に公開された。

 

 

以来聴きまくっているんだが、全然飽きないどころか、毎回新しい発見がある。3人ともわたくしよりも年上の、まもなく還暦のはずだけれど、相変わらずカッコいいおっさん…いや、ジジイたちだ。このサムネ画にくじけないで(笑)。

 

 

わたくし、彼らについては表面をひっかいた程度ほども聴けていない。実際、YouTubeで視聴できるMVなどしか見聞きしてないわけだが、そんな限られた経験値で”まほろば”を聴いて、これは令和の”品川心中”なんじゃないか?って。

 

 

”品川心中”は2006年にリリースされた13枚目のアルバム「瘋痴狂」に収録されている楽曲。なんと曲中にガチの落語が挿入されているっていう、まさに人間椅子にしかできない(考えつくこともないだろう)作品で、一聴してブッ飛ばされたもんだった。凄いよこの曲。

 

 

で、同じテーマを明るく?表現したのが”まほろば”、重暗く表現したのが”品川心中”、なのじゃないかな、って、間違ってるかもしれないけどこれはあくまでわたくしの所感だ。平成の品川心中、令和のまほろば。世は移り変わっているからね。

 

 

まあ、曲調自体はどちらも暗いのか明るいのかさえわからない、これぞ人間椅子!というべき楽曲たち。中毒性高い。おっさんおばはん、ジジイババアにこそ聴いてほしい。

 

 

 

 

ここ数回は年イチペースでご紹介している、滋賀の仁丹看板シリーズ。なにしろ、記事化していないネタは残り少ないもので…。

 

 

今年もやっとこう…てなわけで、今回はこれ。

いつもの「どーこだ?」から。簡単ですな。

 

 

 

 

後付けの塩ビパイプが邪魔すぎるんだが、

「船頭町」。

 

 

 

 

反対側から。

仁丹マーク下の文言は「急救護身薬」。上馬場町田上稲津町と同じですな。

 

てか、今さら気づいたけど、現代では「救急」って書きますな。「急救」と同じ意味なのか?気になってAIに聞いてみたら、現代どうこうじゃなくって、それぞれ意味が違うんですな

 

 

私のアイコン

急救と救急の違いは?

AIが回答を生成中

AIアシスタント

はい、急救と救急の違いについてですね。どちらも「急ぐ」という字が入っているので、混同しやすいかもしれませんね。でも、実は明確な違いがあるんです。

🚑 急救とは

急救は、病気やケガで命の危険がある方に対して、その場で応急処置を施すことです。専門家ではない人が行うことも多く、身近な人が突然倒れた時など、一刻を争う状況で命を救うための行動全般を指します。

  • 目的: 命を救い、悪化を防ぐ
  • 誰がする: 専門家以外(一般市民)が行うことも多い
  • : 心肺蘇生、止血、AEDの使用

🏥 救急とは

救急は、急を要する事態に専門家が対応し、必要に応じて医療機関へ搬送して治療を行う一連の流れのことです。救急車を呼んだり、救急病院で治療を受けたりする場面がこれにあたります。

  • 目的: 専門的な処置と医療機関への搬送
  • 誰がする: 救急隊員、医師、看護師などの専門家
  • : 救急車の出動、ERでの治療、救急外来での診察

💡 違いのまとめ

項目 急救 救急
目的 応急処置、命の維持 専門処置、医療機関搬送
実施者 一般市民も 専門家
実施場所 事故・発症現場 現場〜医療機関まで

このように、急救は現場での初期対応、救急は専門家による全体的な対応というイメージで考えると分かりやすいかと思います。どちらも非常に大切な行動ですね。

 

 

 

 

へぇ~。知らなかった。

 

はい。ありがとう。とてもためになりました。皆様はご存じでしたか?

 

 

 

 

最後に、恒例のヤツ。

 

1、膳所網町(現地確認済み

2、新栄町(現地確認済み

3、上馬場町(現地確認済み

4、元会所町(現地確認済み

5、上京町(現地確認済み、記事未)

6、山中町(A)(現地確認済み

7、雄琴千野町(現地確認済み

8、東浦垣内町(現地確認済み

9、神出小関町(現地確認済み

10、船頭町(現地確認済み、本記事)

11、柳町(現地確認済み、記事未)

12、膳所大津町(現地確認済み

13、膳●●●(現地確認済み

14、大石曽束町(現地確認済み)→現在消息不明?

15、田上森町(現地確認済み

16、田上石居町(現地確認済み、記事未)

17、田上稲津町(現地確認済み

18、山中町(B)(探索するも不明)→ほぼ消滅?

19、東上栄町(探索するも不明)→ほぼ消滅?

20、南滋賀町(消滅)

※現地確認済み分は、確認した順

 

 

 

【15】より続く。

 

 

切り通し経由で到達した、大塔線5号隧道。

…いやまあ、名称は不明なんだが、県道、市道からの法則でいえばこの名称で間違いないだろう…たぶん。

 

 

 

 

正対して、洞内を。

延長は…40mほどだろうか。

 

 

 

 

そして当然のように、

豪快な、完全素掘り。ワイルド!

 

 

 

 

振り返っての、

鉄板の構図、引きバージョン。

 

 

 

 

けっこうな、デカ穴。

前回書いたように、状況的に林鉄廃止後に掘られたと思われる、この5号隧道。大きなトラックも十分に通すスペックで作られたのだろう。

 

 

 

 

そして、

中小屋谷橋まで見通す、鉄板の構図。

 

 

 

 

抜けて、振り返り。

関西圏…というか紀伊半島の完全素掘り(坑口含む)の中では、規模・延長ともにかなりの上位ランクではないだろうか。白川又隧道といい勝負だが、こっちのほうがデカそうに思う。

 

 

 

 

坑口向かって左には、

大塔山国有林の看板。

 

 

 

 

そして右側の広場…と思ってたスペース、

もっと広かったイメージあったけど、こんなささやかだったっけか。

 

ちなみに、写真右奥が例の切り通しへのアプローチ。あと立ってる看板は、鳥獣保護関連のものだ。

 

 

 

ここで、動画をぜひご覧いただきたい。

5号隧道と切り通し、そして中小屋谷橋。それらがギュッと凝縮したこの一画の雰囲気を体感していただきたいので。大塔川にある堰堤の水音も臨場感を高めると思う。

 

これは全部見終わった後に、隧道をまた抜けて撮影しに行った。ここに来るまでにあんだけ時間に追われて焦っていたのに。

まあ最終目的地まで至近な位置まで来てちょっと気持ちがほぐれたこともあったが、やっぱりここは「大塔川遡上の旅」のハイライトとして、時間を気にせずしっかりと記録しておきたい、と言いう思いが強かったからだ。

 

ということで、中小屋谷橋到着から5号隧道前出発までの滞在時間は、15分。ここまでを考えれば、大休止だったといえる。いや、堪能した。

 

 

 

 

かくして16時8分、進軍再開。

ついに16時を回ったが、残すは最終、6号隧道のみだ。

 

 

 

今月はここまで。来月いよいよ最終回の【17】に続く。

 

年内完結できると思わんかったが、なんとか。

 

 

 

【14】より続く。

 

 

 

これは間違いなく、何かがある局面だ、あの先に。

果たして何がある?

 

 

 

 

バクバクしながら岩を回り込んでみたら…

おおおおおぉー!!

 

そこにあったのは、狭くて高い、切り通し!美しい…!

 

橋から続いてきた古めかしい護岸は、まんま軌道跡の土留めだったのではないか。そして、中小屋谷と大塔川を隔てる岩嶺がもっとも薄くなるピンポイントを突いた切り通し。

これは間違いなく、かつての林鉄軌道跡だろう。林鉄が林道に置き換えられる際に、先ほど見えた隧道がショートカットルートとして新たに穿たれ、往時のままに切り通しが残されたのだと思われる。状況的に。

 

 

 

 

それにしても、この高さ!

切り通さずに隧道となっていてもおかしくない、実に堂々たる土工だ。

 

 

 

 

 

切り通し半ばから、振り返り。

向こうに見えているのは、中小屋谷橋(仮)である。

 

 

 

 

そして向き直った景。

落石もほとんどない、極上のコンディション。ほんと、これを見つけたのには感動したし、まさにこの日のハイライトだった。

 

帰ってから調べてみたが、ネット上でこの切り通しを紹介しているレポートは見つけられなくて(現在はある)、さらに嬉しさ倍増したものだった。

 

 

 

 

そして抜けた先は、

大塔川本流に沿った断崖の上。

 

 

 

 

振り返り。

まさに直角に、切り通しへとつながっているのがわかる。

 

ちなみに左手前に写っているのは、いにしえの火鉢みたいな、謎な物体がふたつ。なんだろう?

 

 

 

 

そして毎度おなじみ、蜂洞。

どこにでもある、そして設置されてる現場も見たことないやつ。

 

 

 

 

まあ正直、

軌道跡鑑賞的にはないほうがよかったけど。それにしてもきれいに残ってるな、軌道跡。

 

 

 

 

そして、林道へと接続。

このへん、ひときわ狭いな。軌道跡としては狭すぎるので、少々崩落してしまったものと思われる。

 

 

 

 

こうして、隧道を通らずに切り通しを経由して、

反対側へと到達した。このくらい離れると、もはや軌道跡が分岐していることも全然わからなくなる。

 

 

こうして、この「大塔川遡上の旅」において初めて、純粋な軌道跡をしっかりと堪能できたのだった。最高の気分でやんす~。

 

 

 

 

【16】に続く。