【前篇】より続く。
最後の人家から、撮影コミで実は7分しか歩いてないのだが、
けっこうな秘境感のある吊り橋が登場した。
先に書いとくと、現地で橋に関する情報は一切見つけられなかった。まあ事前にQ地図様で「栃穴橋」という名称はわかっていたので問題なし。
振り仰ぐ高い位置に
コンクリート主塔。
アンカーレイジは石積みで護られているが、どういう構造になってたんだろう。見に行かなかったもので…。
少しへつって、
精一杯のサイドアングル。
ではさっそく、渡ろう~。
床版は縞鋼板。ヤレた感じはあるが、しっかりしていた。
Q地図様によれば、完成年は1954(昭和29)年、延長54.4m、幅員1.5mということだ。
人通りがどの程度かはわからないが、
もちろん人以外も使用しているようで、かなり古いものではあったが、動物の糞が残っていた。
うーーん、
気持ちいいな~。
こちら、上流側。
前回書いたが、川の名前は桂川。この川、神奈川県に入ると相模川という名前に変わるのかな?
そしてこちら、下流側。
余談だが、1kmほど下流にもう一本吊り橋が架かっていて、こちらも楽しそうだったんだが、アプローチを見つけられず断念したという心残りがある。
後日ストビューをよく見ていたらここだったかな?ってところは見つけたが、どのみち車を停めるスペースがなく無理だった。
そして、右岸側へ。
目前に岩壁が迫り…
非常にタイトで余地がない。
けっこうな難工事だったのではないかと思われ。
振り返り。正対もまともにできないほど狭い。
ここで引き返した。
どんだけの秘境かと思わせる景だが、段丘を登ったすぐ先には栃穴地区の人家があり、地図平面上での直線距離だと50mもないくらい。とてもそうは見えんよな~。
なのでこれは、生活の橋として今でも最低限の通行があるんだと思う。車なら、800mほど上流の杖突橋を渡ることになる。
引き返し点からの一枚。
色んな意味で、これが精一杯。
時間さえあれば、このまま栃穴地区から徒歩で進み、断念したもう一本の吊り橋を渡ってぐるっと一周してくることもできたと思うが、まあガツガツいろんなとこをまわりたい貧乏性のわたくしには無理だった。
いや~、じゅうぶん楽しめた。
撤収~。
最後に余談。
ここはまだ比較的明確だったが、この手の、到達ルート不明確な橋(多くの場合吊り橋)の訪問ってホント好きで、記事を書くのも楽しい。
記事にしてるのだと川根橋訪問記、向山の吊り橋訪問記、佐田の吊り橋訪問記という同じ日の三部作(?)、あとは庄堺橋とか奥玉谷出合の橋二題とオプション、四ノ川の吊り橋、出谷の野猿、黒川の吊り橋、ライトだけど音羽の吊り橋とかこのあたり。なんか忘れてる気がする…。
未読の記事があれば、よろしければどうぞ。
以上。